04/良くない友達
叔母がザーラッハにやってきた。
その理由が何なのか、シャルロットにはわからない。もしかしたらリリスは掴んでいるのかもしれないけれど、知らされてはいない。
ただ、いくつかの推測を立てる事は出来る。
一番あり得そうなのは、やはりシャルロットを殺すために来たという線だろうか。自分の中にいるマヌラカルタという魔神を目覚めさせるために、エンシェの人間となった叔母がきた。
……悪魔を巡る問題は、クリスエレスを離れてもなお、自分に付きまとっている。
あまり考えないようにしたいけれど、それでもちらちらと浮かんでしまうこのノイズに、どうしても集中力が削がれてしまい、今日の授業もあまり頭に入ってこなかった。
せっかくヴラド達が与えてくれた貴重な機会を無駄にしてしまっている気がして、凄く自己嫌悪だ。
その感情が、ため息として零れたところで、
「座学がやっと終わりましたわね。やっぱり私は実習の方が好きですわ」
と、左隣の席のラミアが声を掛けてきた。
そして、シャルロットの手を掴んでずんずんと歩き出す。
「さあ、早く行きましょう」
「あ、は、はい」
勢いに呑まれ、引っ張られながら訓練場に到着した。
お嬢様然とした見た目やら仕草のラミアだが、結構強引な部分が多い。それもまたお嬢様らしいというべきなのかもしれないが、少し距離感には戸惑うところがあった。単純に物理的な距離が近いという意味なら、リリスも似たようなものではあるのだが……どうしてだろう、ラミアにだけ強くそれを感じるのだ。
まあ、悪い感覚というわけではないので、多分すぐに慣れるとは思うけれど。
「先にストレッチをしておきましょう。まずは私が背中を押しますわね」
「はい、お願いします」
地面に座り、足を軽く広げたところで、背中からくる負荷に耐える。
身体はそれなりに柔らかい方なので、痛みはない。
「そういえば、今日は特別なゲストを招いているとの事で、私愉しみで仕方ないんですのよね。前は不動のグローノ様が来てくださって、それはもう素晴らしい守りを見せて頂きましたし」
機嫌が良さそうな理由は、どうやらそれらしい。
結構ミーハーなところがあるのも、このラミアの特徴だ。或いは、彼女は単純に強い人が好きなのかもしれない。少なくとも、強さにかなりの拘りがあるのは間違いないだろう。なにせ会話の殆どが、誰の魔法が強力かだったり、誰の技術が卓越しているかなどだったからだ。
シャルロットとしては、もう少し女の子同士っぽい話がしてみたいところなのだが、どうすればその展開に持っていけるのか、話題に乏しい自分からは行けないので、やはりエイダの手も借りるべきなのか……なんてことを考えている間に休憩時間が終わり、訓練場には生徒が集合していた。
程無くして、先生もやってくる。
ちなみに、この学院において先生とは一部門の担当者の事を指し、教官は複数部門を担当する(そして先生の指導もしている)、もしくは総括している人の事を差すようだ。
平たく言えば、教官の方が立場が上という事のようだが、その分数も少なく、彼等の授業に当たれる事もまたラッキーなのだと、ラミアは教えてくれていた。
特に実技だと、如実に動きの質が違うらしい。
「みなさん少しざわついていますね。ゲストの事は既に知っているようだ。では、もったいぶらずに紹介しましょう。ヴラド・ギーシュ殿です」
「…………え?」
虚を突かれたままの反応が零れた。
そんな話は一切聞かされていなかったからだ。色々と驚かされる事はあったけれど、体験入学四日目にしてこれが一番の驚きだった。
だって、こういうイベントごとに参加するような性格だとは、さすがに思っていなかったためである。一瞬、同姓同名の別人を疑ったくらいだった。
けれど、登場したのは、間違いなく自分がよく知る、カードにも描かれているらしい有名人で、訓練場は一気に浮足立った雰囲気へと変わった。
「さすがに、これは予想外ですわ。シャルロットさんも人が悪いですわね。先に教えてくれても良かったのに」
「私も、知らなかったので」
「そうなのですか? 意外とお茶目な方なのかしら?」
それは、どうだろう? ないとは断言できない部分も、時々顔を出す事はあるが……
「貴重な機会です。時間が惜しいので早速実戦訓練を始めましょう。自由に戦って構いません。それを見て、ヴラド殿が指摘を加えてくださるそうなので。希望者は――」
「はいはい!」
先生の声を遮って、一人の男子が手をあげた。
たしか、ピーターという名前の生徒だったと思う。ノリが良いタイプの男子で、シャルロットにも人懐っこい感じの挨拶をしてくれていた。
そんな相手が挨拶だけだったのは、ラミアたちのグループとはそこまで仲が良くなさそうだったからだ。そういう派閥めいたものも、薄っすらだけどクラスには存在していた。今も、そういう空気が、ひそひそとした声の中に混じっている。
正直ちょっと苦手な雰囲気だが、ヴラドが鞘から訓練用の刀を抜いた瞬間、そういった弛緩は消し飛んだ。
ピーターの表情にも緊張が走る。が、思い切りのいい性格でもあるのか、
「よろしくお願いします!」
と、恐怖や緊張を腹から吐きだしつつ、彼は訓練用の剣を構え、前のめりに突っ込んだ。
シャルロットがやったら、滅茶苦茶に怒られる行動である。
けれど、そのやや露骨な姿勢に罠を感じたんだろう、ヴラドは少し大げさに回避して視野角を広く取り、ピーターが仕込んでいた本命の一撃――振りぬいた直後に自身の影から飛び出してきた刃物を即座に捕捉して、悠々とそれを鞘で弾き返し、歩くような力身のなさで刀をピーターの首筋に突きつけた。
「魔力の動きが露骨だ。見えている奇襲を奇襲とは言わない」
淡々と、ヴラドが言う。
言われてみるとたしかに、ピーターの魔力の動きは狙いを主張しているようでもあったが、言われなければ大半の人が気付かないくらいには巧かった。
そのあたりは、さすが名門の生徒というべきか。既に彼等の大半は、一般的なこの国の騎士よりも優れているのである。
「あ、ありがとうございました!」
一瞬死を感じたのだろう。冷や汗を垂らしながら、それでもピーターは溌剌とした笑顔とともに頭を下げた。
「次」
ヴラドの視線が周囲に流れる。
数秒の沈黙。
牽制し合うように、視線が飛び交う。
そんな不毛さを嫌うように、エイダが手をあげた。
「……お願いします」
押し殺した声と共に、彼女は訓練用の細剣を構える。
ヴラドは自分からは動かない。基本的には受けに回ると決めているようだ。
その好機を最大限に活かすべく、エイダはしっかりと魔力を高めていき、周囲に複数の水の玉を顕現させていく。
髪の色からもしかしてと思っていたけれど、彼女は相当に高い水への魔力適性をもっているようだ。
水の玉が刃を模る。刃は彼女の周りを高速で旋回していく。
そうして防御を整えたところで、同時に背後に配置されていた水球から弾丸が放たれた。
(――速い)
だが、ヴラドはなんなくそれを刀で払う。
エイダもそれくらいは想定済みだと、弾丸の発射頻度を上げながら、接近を試みようと前足に力を込めて――
「――っ!?」
高速で回転する刃をなんなく潜り抜けて間合い入ったヴラドの刀を首筋に付けつけられ、その冷たい感触に息を呑んだ。
「隙間が多い。回転が足りていない。この間合いでの対処は?」
「……ありません、参りました」
水の魔法が解ける。
ヴラドはゆっくりと刀を戻して、また「次」という言葉を口にした。
今の二連戦を見て、意気揚々と挙手する者はいなくなったが、それでも挙手自体が無くなる事はない。元より、負けて当たり前の相手という認識があるからだろう。
多くの者が挑戦し、あっという間にやられていく。
「……やっぱり、『真深夜』は別格ですわねぇ。素敵ですわぁ」
その光景を前に、ラミアはうっとりとした様子で呟いた。
ただ、ヴラド・ギーシュをよく見ているシャルロットから言わせてもらえば、今日の彼の動きはかなり悪い。
ただ手を抜いているというのではなくて、一つ一つの動作がなんだか妙にぎこちないのだ。シャルロットとの訓練でも、ここまで鈍い感じを見せた事はなかった。
それを知ってか知らずか、
「ずっと見てるけど、お前はやんないのか?」
「どうしようかな、だってシャルロットさんの師匠なんでしょう? 勝って恥を掻かせても気まずいしね」
ゼクスの問いかけに、ククルはこちらをちらりと見てから、気乗りしない様子でそんな言葉を返していた。
少し、いや、かなりイラッとした。
「そんな心配しなくてもいいです。ヴラドさんは絶対に負けませんから。それと、油断もしない方がいいと思いますよ。……恥を、掻くことになるから」
もしかしたら、曖昧に笑って流すのが正解だったのかもしれないけれど、それをする気にはなれなかった。お試しでしかない、というリリスの言葉があったからかもしれない。
「偉そうな事を言ったんだから、手をあげなさいよ」
と、エイダが言う。
「わかってるよ。先に謝っておくね。ごめん」
……ナチュラルな傲慢さに、微かな後悔も消えてくれた。
ククルが挙手をして、模擬戦闘が始まる。
今まで、ヴラドは等しく待ちの一手だったが、この戦いでは違った。
開始の合図と同時に地を蹴ってククルの前足を踏みつけ、咄嗟に重心を逃がそうとした後ろ足に鞘を叩き込んで完全に体勢を崩したのち、首筋に刀を突きつけたのだ。
最短の勝負あり、だった。
「次」
他と一切変わらない淡白さで、ヴラドが言う。
他の生徒なら、ここに文句など挟まなかっただろう。けれど、クラスの中で最も強い少年は、
「ちょっと待てよ、最初はこっちの動きを見るんじゃないのかよ?」
と、身体を起こしながら不満を露わにした。
先生がため息を返す。
「そんなルールはありませんよ。貴方が勝手にそう思い込んでいただけです」
「う、それは、そうかもしれないけど、もう一回! もう一回やらせてください。次はもう油断なんてしないから」
よっぽどこの負けがショックだったのか、ククルは焦った表情を浮かべながら口早に言う。
それを、ヴラドは嘲るように冷ややかに、鼻だけで嗤った。
「戦場でその言い訳を並べるのか? 間抜けな死体が。……次」
「ま、待てよ! まだ終わってないって言ってるだろう! 大体、俺にだけ対応を変えるなんておかしいじゃないか! 小賢しい真似だ。そうしなければ勝てないと思ったんでしょう?」
「止めなさい見苦しい! ヴラド殿の言った通りです。戦場でそんな言い訳は通用しない。貴方が生きているのは、ここが訓練場だから、ただそれだけだ」
「だったら今度は正攻法で、『真深夜』の傭兵の強さを見せてくださいよ。これは訓練なんだから」
「御託ばかりだな」
食い下がるククルにため息をついて、ヴラドは模擬刀を先生に手渡した。
武器を捨てたのだ。
「……どういうつもりだよ?」
「見ての通りの油断だ。お前と違って負ける事はないがな」
「――」
その挑発に突き飛ばされるように、ククルは駆けた。
凄まじい魔力に、圧倒的な速度、そして訓練を忘れた一撃。
だが当たらない。同時に放たれていたカウンターの拳が、ククルの腹部を捉えていた。
くの字に身体が曲がった事で下がった顔面に、追撃の膝蹴りが叩きこまれる。
それで終わり。意識を刈り取られたククルは、そのまま仰向けに倒れて、ピクリとも動かなくなった。
ヴラドの視線がククルから外れる。その視線の先には一人の教官の姿があった。
教官は小さく頭を下げ、足早に去っていく。
「これで終わりのようだな」
つまらなげに呟き、ヴラドもさっさと訓練場から出て行ってしまった。
直前のやり取りに気付けた者は、訓練場にはいなかった。シャルロットもそうだ。或いは、ずっと彼の事を見ていれば気付けたのかもしれないが、
「……ほんと、見苦しい。まったくもって残念ですわ」
というラミアの呟きに意識を持っていかれてしまって、出来なかった。
しかも、それを皮切りに、ククルに対する陰口が叩かれ始める。
偉そうにしていた割にとか、訓練で強いだけでは意味がないとか、普段の傲慢さに対する反発を吐きだしているようだった。
「……」
なんだろう、見たくないものを見せられた感じ。
幸いなのは、気絶している彼にはそれが伝わらない事だろうか。
ともあれ先生の「静粛に」という言葉で事態は収まり、授業は何事もなく続行された。
§
ククルが抱えている欠点を徹底的に突いて叩き潰して欲しい、という依頼をヴラドは完璧な形で果たしてくれた。
他の傭兵だと善戦される恐れがあったので、本当に彼が来てくれて良かったという感想を抱きつつ、テスラは感謝の意を込めて頭を下げ、訓練場から視線を外し歩きだす。
「安易な見切りと増長を修正するという考えには賛成ですが、これはやりすぎではないのですか?」
角を曲がったところで待ち構えていたマルテシアが、開口一番にそう言った。
相変わらずその声に感情はないが、生徒の心配をしているのは確かだろう。
「あの手の類は簡単に壊れる。これから間違いなくスランプに陥るでしょうし、下手をしたらそのまま沈むだけという事もあり得ますよ」
「だが、あのままなら戦場ですぐに死ぬ。臆病になった方が長生きは出来るだろう」
「ですが功績はあげられない。それはつまり傭兵以外の道を選ぶという事ですからね。我々にはあまり益がない」
「中途半端な功績なら彼でなくても立てられる。彼は『真深夜』に至れるかもしれない素質をもった生徒だ」
「可能性に賭けたいという事ですか?」
「その方が学院にとっても有益だろう?」
「確かにそうですね。建前には納得しました。それで、本心はなんでしょうか?」
醒めた眼差しで、マルテシアが訪ねてくる。
適当にはぐらかすというのは、彼女相手には危険だ。
「……彼の両親とは少し縁があってな。出来れば戦場には踏み入れさせたくないと、生前よく口にしていたのだ」
「相変わらず死者には律儀なのですね。そして公私混同。ですが、まあいいです。この件は知らなかったという事にしておきます」
「良いのか?」
「私は納得しましたから」
「貴女も相変わらずだな」
だが、これでひとまず面倒事が追加される心配はなくなった。
ちょうどそのタイミングで朗報もやってきたようで、一羽の小鳥が窓枠の前に降り立ち、
「テスラ様、影が踏まれたとの事です」
と、男の声を吐きだした。召喚士の使い魔である。
「掴めたのか?」
「はい、痕が付くほどに強く」
「そうか。では、狩りの準備は本当に完了したわけだな。それは良かった」
ヴラドに話を持ちかけた時、実はまだ状況は整っていなかった。多めに見積もってはいたが、最悪引き伸ばしもあり得たので、これは大変な朗報である。
ただ、哀しいかな悪い報せもあったようで、
「それと、本日ルシェド・オルトロージュも帝都への帰還を果たしました。例の『眠り姫』と共に」
「その眠り姫について、情報の更新はあったか?」
「どうやら国潰しの功績が増えたようですね。それに伴い、彼女を『蒼黒』に認定すると協会は決めたようです」
「そこまでの評価なのですか?」
珍しく、本当に微かだが驚きを滲ませて、マルテシアが訪ねた。
「二十万の敵を一人で処理したとの事ですから、妥当かと」
「二十万、ですか。一体、どのような上位存在と契約をしているのか……まあ、いずれにしても、今この国にはこちらの管理の外にある大量殺戮兵器が三人もいるという事になる。結界があるとはいえ、この国が保有している神子よりも一人多い。あげく彼等は敵対関係にあると。まったく、テロリストなどどうでもいい気持ちになってきますね。この際、本当に教官だけをやるのも良いのかもしれません。それか、いっそ長期休暇をとって大陸の外にでも避難するか」
「人手が減るのは困るのだがな」
苦笑気味にテスラが言うと、
「私は困りません」
と、マルテシアは真顔でそう言葉を返してから、
「もちろん冗談です。ここは私の故郷ですし、身内には愛国者もいますしね。……まあ、あの人を攫って逃げるというのも良さそうですが」
と、やはり真顔でそう続けた。
それが本気なのか冗談なのかは、テスラには判らなかった。
§
本日の授業が終わった。
医務室に運ばれたククルは、教室には帰って来なかった。
まだ気絶しているのか、戻ってくるのを嫌っているのか、どちらにしても彼が負ったダメージは相当なものだろう。
それを行ったのがヴラドだというのは少し複雑ではあるが、それ以上に複雑なのはラミアたちの態度だった。
誰も、医務室に行こうとはしなかったのだ。
(友達なのに……)
或いは、友達だから彼のプライドを考えて放置しているのだろうか。
少なくともゼクスとエイダの二人に関しては、別に陰口を叩いたりはしていなかったし、そう解釈する事も出来る。でも、ラミアもそこに当て嵌める事は出来ないのだ。
そのラミアは、真っ先にシャルロットの元にやってきて、
「ねぇ、シャルロットさん、一つお願いがあるのですけど、いいかしら?」
と、甘い声を掛けてきた。
「なんでしょうか?」
「私を、ヴラド様に会わせて頂けないかしら?」
「……どうして、ですか?」
返した声には、この上なく警戒の色が滲んでいた。
しかし、こちらの感情など興味ないと言わんばかりに、彼女は不思議そうに首を傾げて、
「どうして? そんなの決まっているじゃありませんか。ククルよりずっとずっと強かったからですわ。本当に凄かった。今も胸の高鳴りが収まらないほどに」
と、うっとりとした笑みと共に答えた。
「ラミアさんは、強い人だけが好きなんですね」
これは、シャルロットからしたら結構攻めた皮肉だった。通じたかどうかは判らない。
ただ、どちらだったとしても、きっと意味はなかったのだろう。
「だって弱い人は誰も守れないでしょう? そして誰も殺せない」
……ラミアの瞳の奥には昏い炎があった。父が自分を見ている時に宿していたものと、よく似た炎だ。
そのドロドロとした熱を前に気圧されてしまったシャルロットに、ラミアは淡く微笑んで、
「ありがとう」
突然、抱きしめてきた。
言動の意味がすぐに理解出来ずに困惑していると、彼女は穏やかな口調でこう続けた。
「ククルの事を心配してくれているのでしょう? でも、大丈夫、彼はもっと強くなりますわ。この経験で。だって、私の幼馴染ですもの。私に失望されないように、必死に頑張ってくれる。必ず」
夢見心地な物言いには、歪な幼さのようなものがあった。
が、そこに異常を感じる事は出来ない。彼女に抱きしめられた瞬間、その体温の高さと甘い匂いに、頭がぼんやりしていた所為だ。
身体が離されても、その熱は続いていて、
「さあ、行きましょう。あぁ、でも少し緊張しますわね、他の方の家に行くのは久しぶりだから」
こちらの手を引いて歩き出したラミアに、まったくといっていいほど抵抗する事が出来なかった。
そうして為すがままに、シャルロットは友人を欠陥に塗れた自宅へと招き入れる事となった。
§
「……これは、なかなかに、凄いお家ですわね」
若干引き攣った表情で、ラミアが呟いた。
シャルロットがこの屋敷に住んでから数日が経過したがが、その異様さは時間を経るごとに増していっていた。部屋の配置が知らない間に変わっていたり、灯が急についたり消えたり、どこかから呻き声が聞こえてきたりと、それはもう刺激に事欠かない仕様となっていたのだ。
もし自分一人で暮らしていたのなら、精神的に参っていたかもしれない。ただ、一緒に住んでいるのはヴラドとリリスなのである。
二人は、それらの不穏にまったく興味がなかった。気にしていたのは足元だけ。つまりはリリスが三日間生き残れるかどうかの勝負だけで、そこにあった緊迫感が、全ての異常をどうでもいいものに変えていた。
ちなみに、勝負の結果はリリスの辛勝で終わった。それはもう本当に色々なトラブルとの戦いだったが、護衛の甲斐もあってか、リリスは実体化を手放す事は無く、改装は正式に中止となったのだ。
だから、それに加担したシャルロットも、この不便さにはしっかりと慣れて行く必要があるわけだが……。
「……ええと、その辺りには見えない落とし穴があるので、近づかない方がいいです。というか、私からあまり離れない方がいいかもしれません」
言いながら、シャルロットは魔力を絶えず波紋のように広げて周囲の把握に努めつつ、足を踏み外さないように気を遣いながら階段を上って、自室に入った。
「ここが、貴女のお部屋なのですね」
周囲を見渡しながら、ラミアが興味深そうに呟く。
それから彼女は視線をシャルロットに戻して、
「そういえば、貴女たちはどうしてザーラッハに? やっぱりノイン・ゼタやアルタ・イレスが関係しているのかしら? とても気になりますわ。貴女たちの事をもっと良く知りたい。ねぇ、教えてくださらない?」
「……私たちの事を、ですか?」
微かに戻ってきた警戒を塗りつぶすように、ラミアが密着してきた。
甘い匂い。温かな体温。蕩けるような囁き声。……また、頭がぼんやりとくる。
「私達、もうお友達でしょう? 友達に隠し事なんてダメですわ」
「そう、ですね……」
なにから話せばいいだろう?
冷静さを奪われたシャルロットは、自分が不死の神子であることや、ヴラドがアルタ・イレスに加入するため、デューリ・コンクの始末に動いている事などをぽろぽろと零してしまった。
このまま二人きりの状況が続いていたら、もしかしたら情報以上のものだって渡してしまっていたかもしれない。
だが、そうはならなかった。
窓を鳥かなにかが叩いた直後、ラミアが身体を離して、
「あら、もうこんな時間なのね。名残惜しいけれど、私は帰りますわ。また、色々とお話しましょうね」
と言って、いそいそと帰って行ったからだ。
そこで、溶かされていた冷静さが戻ってきた。
戻ってきて、胸の奥が一気に冷たくなっていくのを感じた。漏らすべきではない情報を漏らしてしまったという自覚があった所為である。きっと目の前に鏡があれば、そこに映る顔は酷く青ざめていた事だろう。
(ど、どうして、私……)
身体を抱きしめて、震えを必死に抑える。
けれど、罪の意識がそれをけして許さない。
そうこうしているうちに、ヴラドが帰ってきたようだ。
鋭く研ぎ澄まされている彼の気配は、強く主張しているわけじゃないけれど、多分臆病な者には嫌というほどに強く刺さる。
(お、お迎えしなきゃ……)
別にそんな指示を受けた事は一度もないけれど、それをしないと落ち着かないという事もあり半ば習慣化していた行為を、焦った頭で実行する。
部屋を出て、歯抜けの階段を下り、ホールに向かうと、そこには気配通りヴラドの姿があった。
リリスの方は見当たらない。今日もまた、彼女は単独行動をしているようだ。
「お、おかえりなさい」
発した声は、若干裏返っていた。
自分でもはっきりと自覚できたくらいだ。当然ヴラドも気付いていて、
「なにかあったか?」
と、眉をひそめて訪ねてきた。
「い、いえ、大丈夫です」
「そうか」
「は、はい。お、おかえりなさい」
もう一度、言葉を繰り返して、シャルロットはそそくさと自室へと逃げ帰った。
自身の失態を報告しなければならなかったはずなのに、怖くて出来なかったのだ。
それによって、ますます後悔と恐怖に苛まされることになって、この日はなかなか眠ることが出来なかった。




