02/或る未来
「……一体、どういう感覚をしているんだ」
星舟内の与えられていた個室で数時間先の未来視を行っていたイリアは、自身の視線が察知された事実に泡立つような恐怖を覚えていた。
「支配種の特性なんじゃないかな。ヴィレアーシュだっけ? 多分、時間にも耐性があるんだと思う。或いは、武芸や魔力技法の極致にいる者特有の理不尽か」
傍らにいたパウが言う。
この場合は後者の方が濃厚そうだが……なんにせよ、心臓に悪い経験だった。
「それよりも、この情報はどうするべきだと思う? やっぱり彼女にも伝えるべきなのかな?」
「パウはどうしたいの?」
「そうだね、現時点ではまだわからない。……だからこそ、その未来を視る必要はあると思う」
少し間をおいてから紡がれた言葉には、硬さがあった。
イリアを気遣っての事だろう。ルシェドとリリスの戦争の行く末という未来を見るには、ただの未来視では駄目だから。
「……今から、サラヴェディカの補助システムを介さず、ルーメサイトに直接アクセスする」
静かな口調でイリアは言った。
おそらく、緩衝材を失ったこの器はしばらく多くの機能不全に見舞われ、数か月以上未来視が出来なくなる。その代わりに、最も精度の高い予知が可能となるだろう。
星の位置的にも今日が最適だ。その疑似的な魔法陣を用いれば成功率はさらに上がる。まあ、それでも正確性は八割程度といったところだが、八割も信用できるのなら其処から多くの情報を得ることも出来る。
既に思いつく限りの未来視は済ませており、今他に見るべき未来もないので、きっとこれが正解。
そう自分に言い聞かせながら、イリアは両の手の甲の瞳を最大に開き、この世界に初めて直接的なアクセスを試みる。
瞬間、時間の流れが止まった。
圧倒的な情報の本流に襲われ、全身が硬直する。
パウがなにか叫んだようだが、もう現実の音は聞こえない。
見ている光景がぐちゃぐちゃに歪んでいき、やがて灰色の世界へと投げ出される。
その世界もまた忙しなく揺れて、揺れて、揺れながら別のなにかへと変容していき――
「――最後に残ったのは、やはり君たちだったか」
左手から、悍ましい魔力で構築された声が響いた。
慌てて視線を向けると、そこにはルシェド・オルトロージュの姿。虹色の瞳をこれ以上ないほど輝かせ、真っ直ぐに一点を見据えている。
その瞳に反射して、ヴラドとリリスの姿が確認できた。
世界全ての命運を決める戦いの火蓋が切って落とされる、その直前の未来に辿り着いたのだ。
認識すると同時に、灰色の暗幕が取り払われる。
舞台は限りなく広い夜の荒野。やけに黒く淀んだ一帯だった。
星の位置から見るに、此処はザーラッハの首都アンシェルだったのだろう。それがもはや見る影もないのは、間違いなくルシェド・オルトロージュの所業だ。
そうだと確信できたのは、彼の頬と二の腕に傷があったから。
衣服も傷んでいて、戦闘の痕跡がはっきりと刻まれていた。
相手はおそらくルウォ・アルドグノーゼとアルタ・イレス。もしかしたら、モルガナや他の神子も参戦したのかもしれない。
しかし、これは、はたして善戦と見てもいいものなのか……。
「あの程度の手勢に、ずいぶんと手間取ったものね。これは彼等を褒めるべきなのかしら、それとも過大評価だったとお前に失望するべき?」
愉しそうに嗤うリリスの方に視線を向けると、こちらは完全な無傷だった。
万全も万全、理想的な状態で勝負の場に立てた事を物語っている。
「彼等に感謝するのがいいんじゃないかな? 本当、儀式場に傷がつけられそうでひやひやしたよ。誰にも手出しさせないようにするのに時間がかかってしまった。つまり、もうその手は通じないという事だね」
「元よりそんな愚策を用いるつもりはないわ。か弱い奴等と違って、わたしにとってお前はただの通過点だもの。儀式という目的の障害に過ぎない。……ねぇ、もしかして、まだ勘違いしているの?」
声のトーンが変わったのと同時に、リリスの姿が成熟した女性へと変貌する。
以前にも見た事がある姿。
だが、その姿は、傍らのヴラドと血のくちづけを交わした途端に金と朱色の炎に包まれ、さらに別のものへと変わっていく。
二種類の炎は、彼女の髪と瞳の色が燃え落ちていく様であり、その奥底にある本来の色を露わにするための通過儀礼のようでもあった。
(……あぁ、そうか、これが、本物の蒼)
これほど眩く神聖でありながら、これほど昏く禍々しい色は、きっと世界に一つしか存在しない。
彼女から自身の正体については仄めかされていたし、だからこそイリアたちも自らの意志で彼の側につく事にしたわけだが、それでもずっと半信半疑だった。そんな事が本当にあり得るのかという疑問が付きまとっていた。
今、全てが燃え尽きた。
腰まで届く蒼色の髪に、それよりも濃厚で昏い蒼色の瞳、そして蒼白色の巨大な六枚の炎の翼。
それは、かつて無数の外世界を灰塵に帰した女神とまったく同じ輝きで――
「……トールヴェン。そうか、『夜』が君たちに繋がりを許していたんだね。あの時点でそこまでルナに協力的だったというのは盲点だったな。あぁ、たしかに、君を相手に気を緩めるわけにはいかないか」
ルシェドの眼の色が変わる。
歓喜すら感じさせる微笑み。
直後、世界が大きく揺れ、いたるところで次元が裂けだした。
黒界が歪み、『極日』の儀式に必要ではない複数の星までもが連鎖的に爆発していく。
元凶である両者の姿をイリアはまるで視認できず、ただただルーメサイトという名の銀河系が凄まじい速度で破壊されていく様を焼き付けるしかない。
まごう事なき、世界の終わりの光景。
その、あまりに壮大で絶望的な時間がどれだけ続いたのだろう。一際大きな衝撃が発生したところで、急に全てが静まり返った。
(……これは、どういう状況なんだ?)
そこから更に数分ほどが経過したが、世界は依然静かなままで……そこでようやく、イリアは戦いが終わった事を理解する。
どちらが勝ったのかは、まだ判らない。
しばらく次の段階が訪れるのを待ってみたが、変化なし。
これは、もしかすると共倒れになったのかもしれない。或いは、ヴラドが勝利して儀式を放棄でもしたのか。
(どちらかだとは思うけれど、確認する事は出来そうにない、か)
未来視の終わりを肌で感じる。
それに合わせて、両手の甲にある瞳がひび割れ、赤い血を流し出した。
剥き出しの神経をざらついたもので撫でられたような、非常に過敏な痛みが全身に届けられる。
それを抑え込むように目を閉じ歯を食いしばりながら、イリアは自身の意識が現実に戻るのを待ち――
「――イリア!」
安堵を与えてくれる声を聴いて、ゆっくりと目を開けた。
目の前にパウがいる。
いつの間にか、彼はイリアの手を強く掴んでいた。
そこから伝わってくる熱に集中するようにもう一度目を閉じて、乱れていた呼吸を整える。
「よく頑張ったね」
震えていた手が落ち着きを取り戻したところで、パウは手を離し、優しい表情でそう言った。
「……大げさ」
苦笑を返しつつ、イリアは自身の両手の甲をもう一度見る。
未来視で見たのと同じように、そこにある二つの瞳はひび割れ、まるで鉱物のように固まってしまっていた。
当たり前のように視えていたものが見えないという現実に、心細さが膨らむ。
独りだったら、きっとそれに耐えられなかっただろう。
「共有、する?」
と、少しのショックで済ませてくれた半身に訪ねる。
彼は静かに頷き目を閉じて、先程見た光景をイリアと同じように味わい、やがて長い息を吐いた。
「……なるほど、彼女は本当にトールヴェンだったんだね。そしてどちらも、本当にどうかしているくらいの規格外だったわけだ」
「パウは、どっちだと思う?」
「そうだね、私はヴラド・ギーシュが勝ったんだと思うよ。だから儀式の権利は彼が選んだ誰かに渡るんだと思う。それが誰なのかは判らないけれど、多分二択」
「ルナ・オルトロージュ一択じゃないの?」
「なんとなくだけど、彼女を任せられる人に託す可能性もあるんじゃないかって思ってね」
「だとしたら、シャルロット・デ、グゥオン、か」
ヴラドが良く知る人物で、それを任せそうな相手となれば彼女くらいしか思い浮かばない。
しかし、もしその通りだった場合、彼女は一体どんな事を願うのだろうか。
ヴラドの復活? それとも時間の巻き戻し?
正直、後者は望ましくない。まあ、彼女が世界を進んで悪化させるとは思ってないけれど、善性というあやふやなものに身を委ねられるほど、こちらも楽観主義者にはなれなかった。
「……とりあえず、まずは予定通りの行動を取るとしよう」
直近の不穏な未来を摘み取りながら、今視た未来の先を最良のものへと変えていく。
その決意を胸に、イリアは血で濡れていた手の甲をハンカチで拭い、腰かけていたベッドから立ち上がった。
次回は10月23日に投稿予定です。
よろしければ、またお付き合い頂けると幸いです。




