01/捨てれぬ意識
リリスが星舟の玉座にある制御装置を操作していると、訪問を告げる耳鳴りのような音が響いた。
相手はリグチラ・コンク。サラヴェディカにルウォ帝国、そしてこの星舟を行き来する蝙蝠女だ。
だが、此処に来た時という事は、いよいよ身の置き場所を固めたという事なのだろう。
手土産の想像はついていた。
ルートを制限しつつ此処まで来ることを許可してやると、五分ほどしたところで両開きの自動扉が開かれリグチラが姿を見せる。
その手には案の定、覚えのある存在を宿した魔石が握られていた。
「こちらが催促する前に動いてくれるなんて感激ね。おかげで貴重な核を切らずに済んだ。でも、本当に良かったのかしら? 後悔はしない?」
「私個人なら最後まで彼女の側についても良かったのだけどね、これでも平和主義者の同士たちの命を預かる身だ。明確であるのなら、当然勝算の高い方を選ぶよ」
静かなトーンで答えながら、リグチラはその魔石をリリスに差し出してきた。
受け取ったところで、星舟の魔力を魔石に注ぎ込み、中に入っていたマヌラカルタを顕現させる。
そうして姿を取り戻した彼は、周囲の状況を確認する事もなく即座に片膝をつき、頭を垂れて、
「ようやく理解できました。貴女が何者なのか。貴女こそが、私の終点だったのですね。トールヴェン様」
と、微かに高揚を孕んだ声を吐き出した。
そこに敵意の類はない。つまり、強制指令という名の呪いは機能していないという事だ。
おおよそ想定通りである。
どのタイミングで発動するか判らない呪いに身を任せてしまっては、最悪自身の手でその機会を潰してしまう恐れがあるためだ。目的のために多くを費やしてきた者がそんな不備を残しておくはずがない。不死の保険を潰せている時点で、それが可能な事も判っていた。
まあ、仮に残っていたとしても人格を消すだけの話だったので、正直こちらにとってはどちらでも良かったわけだが。
「わたしはリリスよ。ただのリリス。それ以外の名前で、気安くわたしを呼ばないでくれる?」
「殺しちゃえば、そんな煩わしさもなくなるよ。ねぇ、殺しちゃおうよ、ママ」
その情報を共有していたからか、近場に潜ませておいたアンフェノが口を開いた。
まったく感知出来ていなかったのか、一瞬二人に動揺が走る。
それ自体は、星舟の機能の高さを証明しているようなものなので大変よろしいのだが、潜ませていた意味はこれで台無しになってしまった。
(少し感情優先が過ぎるわね。どうしたものかしら……?)
内心でため息をついていると、小馬鹿にするようにマヌラカルタが鼻で嗤った。
「今の貴様では到底無理だろうがな、アンフェノ・リリス」
「……へぇ、本当に死にたいんだ? お前」
アンフェノから溢れ出た殺意が、空気をどろりと液体めいた重たいものへと変えていく。誰でもいいから殺したくて仕方がないと言った様子だ。
もっとも、今の天使の身でマヌラカルタを殺せるわけもなし。それに直近に些末な戦争も控えている。もろもろの発散はそこでしてもらうのが良いだろう。
「不死は手にした。けれど、彼等は必ずそれを取り戻しに来るでしょう。お前の価値はそこで示しなさい。……期待、してもいいわよね?」
静かな口調で問うと、アンフェノは満面の笑みを浮かべて、
「――うん! 任せてママ! 私が皆殺しにしちゃうんだから!」
と、声を弾ませた。
マヌラカルタへの憎悪は、もうどうでも良さそうだ。こういう点は非常に扱いやすいともいえるが……
「ところで、彼はどうしたのかな? 挨拶がしたいのだけど」
わざとらしく周囲を見渡しながら、リグチラが言った。
「さあ? 誰かと悪巧みでもしているんじゃない?」
投げやりなトーンで、リリスはそう答える。実際ヴラドとは今完全に情報の共有を断っているので、その可能性もなくはなかった。
「……そうか、貴女たちも決闘の準備を始めたんだね」
「準備はずっと前から行われているわ。ただ、昨日からお互いの事がよく見えない状況になっているというだけよ。お互いの眼を盗む手間を省くためにね。もちろん、それがルシェド・オルトロージュを始末する上で問題になる事はない。奴に勝つことが最優先。元より、この私であっても不利な戦いなのだから。……お前たちも、くれぐれもそれは理解しておきなさい」
そう言ってアンフェノとリグチラの二人に釘を刺しつつ、リリスは自身の本心に踏み込ませない事に成功する。
正直、今更お互いの共有機会を減らしたところで、得られるものなど何もない事は判っていた。
では、なぜそんな真似をしたのかといえば、ルシェドとの戦いの後、間違っても油断しない為だ。まだ最後の敵が残っている事を見落とさないために、リリスはこのつまらない手を打ったのである。
(……お前はきっと、迷いも見落としもしないのでしょうけどね)
胸の内で零れた溜め息もまた、誰にも気付かれる事はなかった。
§
なんとなく、リリスの奴がこちらに感情を向けてきたような感触があった。
おそらくは気のせいだろう。彼女が何をしているのか、何を考えているのか、今のヴラドにはまったく分からなかった。
正直、清々するものとばかりと思っていたのだが、むしろ居心地の悪さを覚えている現状に、少しだけ自嘲が抱く。
(ずいぶんと贅沢になったものだな)
選べるものは、いつだって一つだけでいい。その一つさえ強く握りしめていられるのなら、他の全てを切り捨てても構わない。
それは、ルナと出会ってからずっと持ち続けた信念であり願いだ。十年を経て多くを手にした今も、けして変わる事はない。
ルシェドという最悪を討ち、リリスという最疫と共に終わる。
そのための万全を為すべく、ヴラドは今日も訓練に勤しむ。
魔力の操作を研ぎ澄まし、身体への負荷を高め、血の流れを完全に支配し、意識の脆弱性を削り取っていく。
仕上がりの方は上々だ。おおよそベストな状態でその時を迎える事が出来るだろう。
ただ、得物の方には少し不安を覚えていた。ここ最近、ずっと魔力の乗りが悪いのだ。見た目に大きな変化はないが、確実に内部に問題が生じている。
原因の方には、心当たりがあった。ダリーメジェスとの戦いで切った『星火燎原』というカードだ。最後に奴を斬った時、まだ効果を残していたあの炎に長刀も触れてしまった所為か、多分どこかが破綻している。
まあ、別に武器なんてもの、魔力の消費を抑えるための消耗品でしかないが――
――ピキッ、
刀身から嫌な音がした。
見ると小さなヒビが入っている。
横薙ぎから逆袈裟、続けて袈裟懸けに振り抜く一連の動作負荷に耐えられなかったのだ。自己復元も機能する事はなかった。
決戦前にそれが判ったのは幸いだが、否応なくため息は漏れる。同時に込み上げてきた苛立ちを抑えることも出来なかった。
そのタイミングで、
「ずいぶんと剣呑な気配だな」
と、背後から声を掛けられた。
たった今、訓練場として利用しているこの星舟の広間に誰かが入って来たことは察知していたので、驚きは特にない。
長刀を鞘に仕舞い振り返ると、そこには初めて見る異形が佇んでいた。
顔に何のパーツもついていない、影のない男。ただ、魔力の色でリグチラの契約者だというのは判る。
たしか、ヌゥスーというか名前だったか。
「用件はなんだ?」
端的に問うと、顔のない男はこちらを観察するように数秒ほど押し黙ってから、
「ルナ・オルトロージュの記憶障害は解決され、彼女はシャルロットの味方となった」
と言った。顔の奥から反響するように聞こえる声だった。
「……どうやって?」
彼女の『夜』は異質だ。そこらの神子で解決できるような問題ではない。だからこそ儀式を必要としていたのである。まあ、最優先の問題はルシェドを討つことではあったので、調査不足感は否めなかったが。
「彼女自身の力によってだ」
嘘ではなさそうだし、それならば解決は可能なようにも思えた。
しかし……
「何故、そんな事を教える?」
「彼女はいまだ蝙蝠だ。そして状況もまた、それしかないと断言できるほどには固まっていない。我々はより良い未来を常に求めている。だからだ」
そう答えて、ヌゥスーは颯爽とした足取りで去って行った。
……もし、彼の言葉が本当だとするなら、確かに今ある望み以上の結末に辿り着ける余地もあるのかもしれない。
もっとも、それをこちらが求めるかどうかは別の話だ。そもそも話を持ち掛ける相手を間違えている。
方針を定めるのは、いつだって――
「――」
不意に、誰かに視られている感覚に襲われた。
咄嗟に視線を彷徨わせるが、誰もいない。ヌゥスーの気配も順調に遠ざかっている。
(気の所為か?)
念のため周囲に魔力を散布して最大限感知にリソースを割いてみたが、これといった収穫はなかった。
こちらが知らされていない星舟の機能の一種だろうか? だとしたら、今の内容はリリスに知られる事になりそうだが……
(……別に、それで困る事もないか。どうせルナの件も、既に把握していたんだろうしな)
そう結論を出して、ヴラドは訓練を再開した。
次回は10月20日に投稿予定です。
よろしければ、またお付き合い頂けると幸いです。




