28/貴方の騎士であるために
どういうわけか『剣』が使えないというハンデの中、シャイアがタシネルを始末するというのは、あまり現実的ではなかった。
これ以上なく順調に、追い詰められている。
殺したい相手に殺されるかもしれないという恐怖は、普段のシャイアが押し殺していた怒りを噴出させた。
だが、その程度の燃料では不利を覆す事は出来ない。
「さあ、今日の傑作よ。神子を殺す事だけに特化した怪物」
空をキャンパスに濡れた爪を躍らせて、タシネルは手足をもたない巨大な翼種を創造する。
顔には無数の鋭い牙があり、十二本の長い長い首はそれぞれが別個の蛇のようにうねうねと動いている。
「一体では少し心許ないから、複製もしてあげる」
その言葉に世界が従うように、彼女の周囲に五体ほどの同一種が浮かび上がった。
一斉に襲い掛かってくる。
信じられないほどの速度に、圧倒的な魔力。そしてシャイアの斬撃の魔法では致命傷を届かないほどの強度。
幸い、動き自体は単調だが、そもそもタシネルを守るように佇む四本腕の巨大な男という創造物相手に困らせていた中での追加戦力だ。
急速に終わりが迫ってきているのを感じる。
「――ぐっ」
死角から飛んできた翼種の口が、脇腹を噛み千切った。
痛みに乱れたところに突っ込んできた四歩腕の拳が、防いだ腕をへし折る。
衝撃で吹き飛ばされて、地面に叩きつけられ盛大に転げまわる羽目となった。
「……過大評価だったか。複製は必要なかったわね。まあ、興は乗った。だから、これは贐。派手に死ぬがいいわ」
指をまた躍らせて、タシネルは巨大な砲門を描く。
照準はしっかりとこちらに向けられていた。
避けられないし、防げない。
せっかくこの忌まわしい女を討つ機会を得られたというのに、結局自分は何も出来ずに敗北するしかないのか……
(……剣さえ、使えたら)
惨めな思考に涙が滲む。
それを呑み込むように、砲口が上がった。が、それはシャイアから大きく逸れ、周囲の空間に風穴を開けるだけで――
「相変わらず弱いね。シャイアは」
「――っ、貴様!」
切り落とされた手首から血を流しながら、驚愕と憎しみに満ちた感情を向けるタシネルの視線の先に居たのは、長短二本の槍をもったクーレ・サーランタだった。
「やれ!」
大きく距離を取りながら放たれたタシネルの命令に応じて、翼種がクーレに突っ込む。
だが、瞬き一つの間に彼の姿は消えていて、
「大丈夫かい?」
いつのまにか傍らにいた彼の指が、目尻から零れそうだったシャイアの涙を拭った。
「ラーサ、さま?」
「戦闘の継続は無理そうだね。じゃあ仕方がない。逃げようか。ちょうど足元の孔も増えた事だしね」
言って、彼はシャイアの無事な方の手を掴み、そのままこの世界の最下層へと飛び降りた。
落下の途中で重力を操作して、ゆるやかな下降へと切り替える。
「どうして、ここに?」
「たまたまだよ。たまたま幼馴染が殺されそうになっていたからね。それを見捨てるなんてつまらない真似は出来ないだろう?」
そう言って笑う彼は、あまりにも優雅だった。
否応なしに胸が高鳴る。
殺し合いの最中にこんな感情を覚えるなんて、普段ならば間違いなくそんな自分を恥じていただろう。だが、今はこの感覚に溺れていたいとすら思ってしまっている。
「さて、ここでの用もすんだけど、どうする? 僕と一緒に来る?」
何気ない一言が、トドメだった。
それは、きっと彼が国を出て行ってしまってからずっと、待ち望んでいた言葉だったから。
「……貴方様が、それを許してくれるのなら」
「じゃあ、ついて来て。此処から抜けだして、一緒に安全な世界に行こう」
颯爽とクーレは最下層を歩き出す。
頭上の驚異が追撃に来る事など、まるで考えていないかのような意識配分。
そんな悠長な背中を追い駆けながら、シャイアは彼の護衛騎士として傍に居た頃の事を思い出す。
自由気ままに無茶苦茶な事をするが、いつも最良の結果に着地する彼は、昔から世界に愛されているかのように特別だった。振り回される側のシャイアは当然のように大変だったが、苦痛だったことは一度もない。
むしろ、一番彼と言う存在にマイナスの感情を持っていたのは、出会う前の事だった。
お前は王を守るために生まれたのだと言われ、国の為に生きる事を強要され、幼いころから息苦しさしかなかったシャイアにとって、想像の中の王はまさに自分の人生を弄ぶ悪魔だったからだ。
面通しの日の事は今でも良く覚えている。印象次第ではこれまでの世界との決別も考えていた。
一目惚れだった。
あまりの衝撃で、息をする事すら忘れてしまうほどだった。
まさに杞憂の極みで、以降シャイアは彼の傍に居る事をなによりも望むようになった。だから、置いて行かれた時は独り自室で泣いたものだ。恨めしくて仕方がなかった。
でも、もういい。こうして自分を連れて行ってくれるのなら、彼の為に力を揮う機会を与えてくれるのなら、それだけで――
「相変わらず自分で考える事をしないんだな、君は」
呆れるような声が響いた直後、前を歩くクーレの右肩から鮮血が走った。
奇襲だ。まったく感知出来なかったほどの隠密性を持った敵。
驚愕に眼を見開きながら、シャイアは何より特別な君主を庇わんと前に踏み出して、
「――!?」
その敵の姿を前に、硬直した。
そこに居たのは、長短二本の槍をもった絶世の美女の如き青年たるクーレ・サーランタそのものだったからだ。
全てが、たった今傷を負った主と同じ存在。
「というか、さすがに騙るの下手過ぎない? まあ、それに騙されるような子が相手なんだから間違いではないんだろうけど、僕がわざわざ危険から逃げて安全な場所に向かう? 冗談でしょう? 死地や窮地を歩いてこその生だよ。あまりつまらない事を推奨しないで欲しいな。ただでさえつまらない子相手にさ」
呆れるような視線が、シャイアに向けられる。
高揚が一気に冷え切って、思わず後ずさってしまった。
その時点で、どちらが偽者なのかは理解出来ていた。……けれど、それを受け入れることは出来なかった。
「そう、それでいい。僕が本物だ。じきにそうなる。だから安心して、心を委ねればいい」
「……はい」
心地の良い言葉に、頷く。
頷いた瞬間、仕掛けてきた方のクーレは黒い獣の怪物となった。
§
はい、とシャイアが頷いた直後、自分に化けていたそいつの姿がぐにゃりと歪み、本来の姿を露わにした。
天上のスロウ。クリスエレスの神子。おそらくはこの世界の基盤の一つでもある。
予想通り過ぎる相手と予想通り過ぎる展開に、クーレは思わずため息をついた。
「正直さ、つまらない者同士勝手に仲良くしていればいいって突き放してやってもいいんだけど、兄上はそんなのが好きらしくてね。ほんと、趣味が悪いとは思うんだけど。……まあ、そういうわけだから、返してくれないかな?」
容赦のない本心を並べつつ、双槍を構え直す。
「お断りします。彼女には現実の方でやってもらいたい事がありますので。あぁ、それと、私たちに構っている余裕もないと思いますよ?」
くすくすとした微笑みに合わせるように、空が大きく裂けた。
タシネル・リャンタの幻影が降りてきたのだ。まるで待っていましたと言わんばかりのタイミングだった。
「やっぱり、君の思い通りに操れるということなのかな。或いは、その子の願望に動かされたのか」
「……」
もはやシャイアにクーレの言葉は届いていなさそうだ。憎しみに満ちた視線がこちらを向けられている。
一歩でも動けば、殺し合いが始まりそうだが、その前にスロウは逃げの一手を打った。
追いかける余地を潰すように、タシネルの攻撃もこちらに注がれる。
(無理して三対一の状況を作っても良いけど……)
と、そこで、こちらに近付いてきた別の気配を察知した。
彼が来ているのなら、その必要はなさそうだ。
「残念」
ちょっとした未練を抱きつつも重力をカットし、クーレは空に向かって大きく跳躍する。
敵の迎撃に合わせ今度は重力を増大、鼻先で横から飛んできた翼種の突貫を回避し、そいつを蹴ってタシネルとの距離を大きく詰める。
それ以上の接近を嫌うように、四本腕が整列して構えた。
おかげで突破は難しくなったが、こちらにリソースを割いている時点で目的は果たしている。
「――っと」
攻撃するフリをしてから大きく距離を取ったところで、突如発生した魔力が爆発的に周囲を呑みこんだ。
それにまったくと言っていいほど気付けていなかったタシネルと彼女の創作物は、為す術なく消滅する。
「良し! 今回の加減も上々だったな!」
快活なクウォンタの声が届いた。
「だがしかし、これはこれで物足りない。やはり奇襲はつまらなんな! 吾輩は真正面からやりあいたいぞ! ということで、どうだ? 今から少し殺し合ってみないか? クーレ・サーランタにはずっと興味があったのだ!」
「まあ、その気持ちは僕にもあるけれど……正直、彼次第かな?」
「それは現実の方ですればいい。夢の中でやるよりは有意義だ」
視線を向けた先に居たウィンは、淡々とした口調でそう答えた。
「ここから出る方法は見つかった? 色々と探っていたんでしょう?」
「今、この世界には大きな孔が開いている。おそらくはルナが生み出した永遠の瑕疵だ。そこからなら現実に戻る事も可能だろう。幸い表層にはプレタもいる。彼女の糸で引き上げるのが望ましい」
「魔力量は足りそうなの? 此処には肉体がないわけだし、精神とか魂だけの生成量じゃ難しそうに思えるんだけど。たしか六割くらいが肉体依存じゃなかったっけ?」
魔力の色の方も核依存なので、繋がりが薄くなっているこの世界では魔法が非常に使いにくいのだ。
まあ、幸いというべきか、それはスロウなどにも適応しているので、こちらだけが不利というわけでもないが。
「補助は私がする。それでなんとか届かせよう」
「場所は此処でいいの?」
「いや、出来れば中間地点が望ましい。……頼めるだろうか?」
「うん、いいよ。そこまで高度な魔法行使でもないしね」
言いながら、ウィンの重さを零にする。これで跳躍一つでどこまでの飛んで行けるようになった。まあ、夢の中なので、それ抜きでも上の階層に戻る事は出来そうだが。
「吾輩はどうするべきだ? ウィン」
「そうだな。貴方はまだ精神汚染されていないようだし、此処に囚われている者達の魔力を私の元に届けてくれると助かる」
「魔力統合か、あまり得意ではないが、まあ良し! それはそれで歯ごたえがありそうだからな!」
颯爽とした足取りでクウォンタが行動を開始する。
その背中を見送ったところで、
「そちらも、問題はなさそうだな」
と、まだ跳躍していなかったウィンが言った。
「不思議かい?」
「貴方の色格より、この階層の方が強いように私には見えているからな」
「あぁ、それは間違いないよ。影響の方も、もうすぐ出てくると思う」
「ならば貴方もすぐに上に戻るべきではないのか?」
「必要ないよ。その影響はきっと微々たるものだから」
「何故そう言える?」
「この世界に、これっぽっちも魅力を感じないからさ。君と同じでね」
さらりとそう答え、クーレは愚かな幼馴染を正気に戻すために駆けだした。
§
ウィンが上層に戻ったあたりでだろうか、いよいよクーレにも異変が訪れた。
何の予兆もなく突然に、ヴラド・ギーシュが現れたのだ。
最高の勝負が出来る好敵手を前に、否応なく胸の奥に歓喜が溢れてくる。
けれど、悲しいかな、その更に奥の部分は完全に醒めていた。都合がよすぎるからだ。なにより、既に抱いている大きな予感と比べて、その期待は弱すぎた。
彼は、おそらく『極日』を用いた儀式においての最後の障害だ。もっと大きな、決定的な未来を決する場面でまみえる事となる。
間違っても今ではないのだ。こんなつまらない舞台じゃない。たとえ目の前にいるのが本人だったとしても、ここでクーレが戦う事はなかっただろう。
(そういう機微も判らないような魔法ではね)
落胆のため息をつきつつ、クーレは自身に魔法を掛ける。
ヴラドという人間に対する感情の重さを零にしたのだ。結果、目の前の偽者も消え去った。
と、そこで今度はモルガナが姿を見せる。
確かに彼女も難敵だが、おそらく魔法が使えない状態では、これもまたそそらないわけで……
「……あれ? もしかして本物?」
世界に迎合しているような雰囲気ではない事を察し、そう訪ねる。
「それを口にする貴様も毒されてはいないようだな。良いことだ。あぁ、存分に褒めてやろう」
と、大仰な調子でモルガナは答えた。
どうやら本当に、本人のようだ。
「誰かを探しているのかい?」
「うむ、その通りだ、我が友がここに堕ちてしまってな。それほど深刻ではないと思っていたのだが、どうやら妙な事になっているようだ。そちらは、どの程度状況を把握しているのだ?」
「そうだね、とりあえず此処が良くも悪くもその人にとって無視できない大きな存在を生み出して虜にする世界だっていう事ははっきりと理解しているよ。ちょっとした遊びとして利用する分にはいいかもね」
「ちょっとした遊び…………うぅ、うぅ、それは試してみたいかもしれない。でも、なんか怖いし、虚しそうでもあるし、でも、でもなぁ、夢見てみたいかもしれないし、うぅ、うぅ……」
モルガナはその場にしゃがみ込んで懊悩を始める。
その状態が数十秒ほど続けたところで、
「ところでさ、今、外がどうなっているのかとか、わかる?」
と、躊躇いがちに訊いていた。
「さあ? そこまでは。ただ、君の契約者はきっと窮地に立たされているだろうね」
「どうして?」
「もちろん、君がここに居るからだよ」
「あ、そっか、じゃあ急いで帰らないとな」
思いのほかあっさりと、モルガナは立ち上がった。
「それでいいのかい? もしかしたら、ここに居る事が唯一、君の望む世界に繋がっているかもしれないわけだけど」
適当に思いついた事を並べただけだが、おそらくそれは真理だったのだろう。
ゆえに、彼女は再びその場にしゃがみ込み、ぼろぼろと涙を流して、
「やっぱりそうかなぁ、私もそんな気がするんだよなぁ……うぅ、あぁ、うぅ」
と、十数秒ほど悲しみに打ちひしがれてから、
「……陛下、今までありがとう。私、楽しい恋してた」
そこで、それはもう長い長い溜息を吐いて、
「また失恋かぁ、私そんなにダメなのかなぁ、ちゃんと美人で凛々しいうえに可愛いよねぇ? たしかに、胸とかあんまないけどさぁ、あんなのただの脂肪じゃん、私太るとお腹につくんだよぉぉお……まあ、もう済んだことだからいいけど」
随分とカラッとした声を最後に、すっと立ち上がった。
涙はもうどこにもなかった。
「受け入れるの、早いね」
「まあ、恋愛は趣味だし。爺やは家族だからね」
モルガナはあっさりとそう答え、
「さて、気を取り直してだ、私は友人を助けに来た――わけではないが、今はそのつもりだからな。シャルロットを探すぞ。そして、そのあとでこの世界から脱出する。さあ行くぞ同士よ! 我について来るが良い!」
と、物凄い速度で駆けだして行く。
「速いなぁ、魔法なしでもあの機動力なのか」
感心したようにクーレは呟き、その後を追い掛けた。




