23/復讐に至るまでⅠ
ルシェドと別れたルナは、ララエスタと共にサラヴェディカへと訪れていた。彼女との約束を果たすためだ。
実現可能かどうかには少し不安があったが、昏睡するレナリアを前に、自分が何をすればいいのかは即座に理解する事が出来た。
彼女の魂は遠い場所に囚われている。そこまでの障壁を穿ってしまえば、ララエスタもそこに辿りつける筈。
試した結果、彼女は今ルナの膝の上で眠っていた。
何とも無防備な姿だ。でも、けしてそれはこちらを信用しての事じゃない。抵抗してもどうせ無駄という諦めから来ているものなのだろう。或いはそれで死ぬならそれでいいという消極的な願望から来ているのかもしれない。
(……憎しみの行き場、か)
彼女とはこれまで殆ど付き合いがなかったけれど、それでも、いつも優艶に微笑みながら、まったく笑っていない瞳で世界を睨みつけていた事は知っていた。奥底にあるものが世界を殺しかねないほどの激情である事は判っていた。
『どうして、その人に固執しているの?』
『波長が合ったからよぉ。その上で、私と違う結末を迎えられそうだから。……私はね、全部手遅れだったの。私が関与する前に、みーんな死んじゃった。だからね、知らないの。知りたいのよ。彼女がどんな道を歩いてきたのか、そしてそれを果たしたらいったいどうなるのかを、知りたいの』
眠る前にした問い掛けにそう答えた彼女の、頬にかかった前髪を静かに外側に払う。
「貴女たちの暗闇が、少しでも晴れるといいね」
そう呟きながら、ルナもまた祈るように目を閉じた。
§
この国では、生まれが全てだ。
天使が好む魔法をもっているか、天使が好む色や姿をもっているか、それだけで進める道は決まる。彼等が嫌う要素を持って生まれた時点で、まともな未来はないと言ってもいい。その癖、この国から安易に出る術もないのだ。出たいという結論を抱かせないようになっている。
だからせめて、生まれより悪くならないように必死にしがみつくしかない。
『死陰』と呼ばれる魔法をもって生まれたレナリアもまた、貴族でありながら外れた存在として扱われ、そのように生きる事を要求されてきた。
幼い頃の記憶で最も強く刻まれているのは、聞いているのは赤子だからと気にせずに堂々と行われた父と母のやり取り。
『やはり処分するべきか』
『でも、魔力は非常に高いわ。家を継がすのは無理でも、補佐をさせる事くらいは出来るかもしれない。それに髪の色も目の色も美しい白金色と蒼だもの。魔法さえ封印すればきっと大丈夫。少なくとも、次の子の出来を見てからでも遅くはないわ』
……それが、我が子を生かすための方便だったのか、本心だったのかは判らない。
それから半年が経過して、レナリアが二歳になったばかりの頃に妹は生まれた。
アステアと名付けられた彼女は、『赤白の太陽』の魔法に、圧倒的な魔力、神子に届きそうなほどの器、白金色の髪に、蒼色の瞳、透き通った肌と、まるでクリスエレスの理想を体現したかのような特性を持っていて、その時点で後継ぎはもう決まったようなものだった。
§
五歳の時から花嫁修業が始まった。
そちらの需要はそれなりにあると判断されたためだ。配合によっては魔力の色を調整できるという点も、多少の救いにはなっていた。
毎日、使える時間のほぼ全てを習い事に費やした。
全ては商品価値を高めるため。
大半の習い事は苦痛でしかなかったが、剣の稽古だけは嫌いではなかった。無心になれる瞬間、相手を打ちのめす快感は、日々の鬱屈を晴らすにはもってこいだったからだ。
幸いな事に才能もあって、強くなる事への愉しみも見いだせていて、だからだろう、このころはまだ妹の事をそこまで憎んではいなかった。
その妹はとはいえば、実に子供らしい生活をしていた。友達と遊びに行ったり、人形を集めたり、絵をかいたりと、したい事をたださせてもらっていたといった印象だ。
共通していたのは教養と護身術。それも別に熱心にやっていたわけではないから、この時はまだ本当に普通の子供だった。
そう見えていた時代があったのだ。あの化物にも。
§
十二歳になった頃、レナリアの武芸は師事していたオルガの抱える騎士団の上位騎士に勝利する事が出来るほどの域に達していた。
「そこまで!」
それをこの上なく証明する、オルガの厳かな声が届く。
負けた騎士は悔しそうだった。魔法込みの戦いなら負けないという気持ちがあったのだろう。こちらは魔法を使う事が許されていないので、実際やればその通りになる。
とはいえ、平民相手ではないのだ。いくら傷物とはいえ貴族の娘を相手にそのような態度を取る莫迦はいない。
相手の騎士は感情を殺し、こちらから目を逸らした。
そんな部下にやや複雑な視線を向けてから、
「……よく頑張ったな。文句なしだ」
と言って、オルガは特位騎士級勲章をレナリアに授けた。
この年齢でそれを手にした者はいないので、卓越した武の才をもった娘という賞品価値は確固たるものになったといってもいいだろう。
ただ、裏を返せば、これ以上価値を高める必要はないという事でもある。つまりは卒業だ。
「ありがとうございます、オルガ様」
嬉しさよりも寂しさの方が強くて、少し声が震えてしまった。
その心情を、どの程度推し量ってくれたのかは不明だが、彼自身色々と思うところもあったのだろう、
「あぁ、それと、これを」
と、やや躊躇いがちに、オルガは勲章の他にもう一つ、成果の証として深い蒼色のデザインナイフをプレゼントしてくれた。それは、見た目だけではなく実用性も兼ねた最高級の一品だった。
§
家に帰ると、そこには何故か父と母がいた。
今日が卒業となるかもしれない日だという事を一応彼等も知っていたとは思うが、間違ってもレナリアの報告を待っていたなんて事はないだろう。
その確信のままに、少し遅れてアステアが帰ってきた。
血塗れだった。
当然のように二人は驚くが、
「これはただの返り血よ。今日はね、魔物を狩りに行っていたの。どんなものなのかなって、知りたかったから」
と、彼女は淡々とした口調でそう答え、
「それよりも、どうしたの? 二人してお行儀よく待っているなんて珍しいね。なにかあった?」
「え、ええ、貴女の絵が受賞したという報せが届いたのよ。それも大賞よ。大賞」
「……あぁ、お母様がそこに飾っていた天使ね。賞に送っていたの?」
「知り合いの画家の方が、それを見て、もっと多くの他人に触れるべきだと仰ってね。だから」
「そう」
興奮する母と違い、アステアは冷めた反応だった。
「だったら、ご褒美には剣が欲しいな。細剣がいいわ。一緒に参加してくれた騎士の人が格好良かったから、そろそろ剣術も本格的に習いたい。魔法の勉強はもういいし」
「え、いや、ですがそれは――」
「先生の方が、私に教えられる事はもうないと仰ったのよ。そういうわけだから、手配の方はよろしく頼むわ。あぁ、それと、せっかくお姉さまもいるのだし、魔物は簡単すぎてつまらなかったから、今ちょっと稽古をつけてもらいましょうか。いいよね、お姉さま?」
こちらに視線を向けた彼女が笑う。
子供らしい無邪気な笑顔。
「……止めた方が良いわ」
押し殺した声で、レナリアは答える。
「どうして?」
「怪我をさせてしまうからよ」
「殺してしまうから、の間違いではなくて?」
笑顔の種類が、小悪魔っぽいものへと変わっていた。
ぞわりと肌が粟立つ。自分でも自覚していなかった本心に、土足で踏み込まれたような感覚だった。
「まあ、どっちでもいいわ。むしろ、それくらいの気持ちで来てくれないと、私は私の真価を計れない。さぁ、遊びましょう、お姉さま。場所は庭でいいわよね。――ほら、何をぼけっとしているの? 早く二人分の刃落とし剣をもってきて」
父をまるで小間使いのように扱いながら、アステアは悠然と庭へと向かっていく。
その背中を見つめる自分の表情は、きっと嗜虐的な喜びを孕んだ醜悪なものだった事だろう。
それをとっさに掌で隠しながら、レナリアは庭に出た。
軽く準備運動を済ませ、その間に届けられた同じ重さと長さの刃落とし剣をそれぞれが手にする。
審判は父が務める事となった。
こちらに向ける視線は厳しく、わかっているな? と訴えかけて来ている。
その視線から眼を逸らしつつ、中段に剣を構える。
対するアステアの構えは適当だ。魔物を狩る場で見た騎士とやらの真似事でもしているのだろう。まあ、それでも、ただの剣技自慢が相手なら魔力差で押しつぶす事もできたのだろうが、レナリアとアステアの魔力の質にそこまでの差はない。負ける要素なんて皆無のはずだった。
……けれど、勝負は思いのほかに白熱する。
最初こそ押していたレナリアだが、徐々に拮抗状態へと押し返されてしまったのだ。
悍ましいほどの理解度と対応力。
込み上げてきた恐怖に突き動かされるように、レナリアは猛攻を仕掛けた。その時にはもう、本気で殺すつもりだった。
だが、そこで急に身体が重くなった。思うように動かない。
(おかしい、鈍りだしたのはアステアの方で、私は――)
形勢が逆転した。
最後は手首に一撃を受けて、剣を手放してしまい敗北を喫する。
「ふふ、愉しい戯れだった。一緒に魔物狩りをしたどの方よりも、お姉さまは強かったわ。素晴らしい価値ね。お父様もお母様も、これなら満足でしょう?」
ちらりとそちらに視線を向けて、アステアは微笑む。
両親は、ただただ茫然とした表情で相槌を打つばかりだった。
まったくついて来れていなかったのだ。完全に二人の動きを見失っていた。
蛇から龍が生まれたと、きっと彼等はその時思った事だろう。
でも、認められるのは一人だけ。
だからこそ、負ける事だけは許されなかったのに……負けてしまった。
レナリアは逃げるようにその場を立ち去って、自分の部屋で声を殺して泣いた。
強いなんて言葉、なんの慰めにもならなかった。




