24/復讐に至るまでⅡ
初潮が訪れた。
十三歳になったばかりの頃だった。早いのか遅いのかは判らない。
両親はずっとその時を求めていて、婚約者もすぐに決まった。
魔力の検査や血液の検査を何度も何度もして、相性のいい、この国にとって望ましい子供が生まれる可能性が高い相手を吟味して、ある貴族の次男が選ばれた。
ただし、まだ婚約者。他にもいい種が出てくるかもしれないという事で、結婚まで数年の猶予が与えられていた。この辺りは、グゥオン家の地位が相手方よりも上だったからこその流れと言えるのだろう。
……別に、どうでもいい。結局、顔も知らない誰かと結婚させられるという事実に変わりはないのだから。
(名前は、ダノラウト、か)
おそらくは自分と同じ、家にとっては売るしか価値の無い男。
会うのは数日後らしい。
急にやって来た憂鬱にため息を一つ零しながら、レナリアはここ最近よく顔を合わせる化粧の教師を、心にもない笑顔と共に自室に迎え入れた。
押し付けられた礼儀作法の賜物である。
§
パーティー会場は貴族の邸宅だった。
そこで互いの両親を交えて会う予定だったのだが、予定通りとはいかなかった。同日に別の貴族邸で行われるパーティーにスロウが出席する事が判明したことにより、どちらもそちらを優先させたのである。
そして傷物と売物の二人は、とてもではないがスロウには会わせられないからと予定通りの場所に送られた。おかげでより一層憂鬱で、いっそサボってしまおうかという考えに到るほどだった。
というか、実行した。
さすがに敷地の外には出なかったが、広い屋敷だったから迷子になってしまったという言い訳が思い浮かんでしまったのだから仕方がない。
結果、予定通りの時間にレナリアはダノラウトと出会う事となった。
偶然偶々、人気のない庭の隅で遭遇したのだ。
彼の方も家の都合に振り回されている現実に少しでも抵抗したかったのだという事が判ったのは、別れ際に自己紹介をしあった時。
可笑しかった。
あんなに嫌だ嫌だと思っていた婚約者と普通に話していた自分も、それを知った時に妙な胸の高鳴りと安堵を覚えた自分も、まるで自分じゃないみたいだった。
ともあれ、奇妙な出会いによって後ろ向きだった気持ちは殺されて、両親に怒られる事もなく、そのパーティーは久しぶりに楽しい時間をレナリアに提供してくれたのだった。
§
十五歳になった。
交際は順調だったと思う。恋人というものにはまだ遠い感じがしていたけれど、十分友人ではあれたし、ゆっくり関係を構築していく事に抵抗もなかった。
自分自身、まだ恋愛というものに馴染めていないというのもあったのだろう。わりかし手一杯で、だけど多分幸せで、その幸せに溺れていたのだ。
だから、彼が胸に抱えているものに気付けなかった。ところどころで不穏な表情や気配を覗かせていたのに、そこに触れる事が出来なかった。
(……頭が痛い)
この日は、朝からずっと体調が悪かった。熱も出ていたし、貧血気味だったし、吐き気も潮の満ち引きのように行ったり来たりを繰り返していた。
それでも、顔色の悪さを化粧で誤魔化してまで本日の祝勝会に出席しなければならなかったのは、ひとえにアステアがその主役だったからだ。
十日前、ある都市国家との戦争が終わった。
外の大陸からやってきた神子によって途端に脅威となったその勢力は、物凄い勢いでクリスエレスが保有していた二つの都市を焦土と化したが、これに対してスロウは自身で対処するのではなくアステアに任せるという選択を取った。エンシェとの緊張状態も高まっており下手に動けなかったからというのが主な理由だが、もしここで神子を打ち倒す者が現れれば、国の威光を高める事にも繋がるからという期待もあったのだろう。
それだけの評価をスロウは幼いアステアにしていて、そして彼女もまた期待通りの活躍をもって神子を討ち取った。
第一天使の恩恵ありきとはいえ、たった十三歳の子供が神子を打倒したのである。
その日を境に、彼女はただの天才ではなく、偉大な英雄として扱われるようになった。レナリアにとっても日に日に遠ざかっていった存在ではあったが、決定的に彼女は自分とは違うなにか――嫉妬や羨望の類からも、もう切り離された存在になったのを肌で感じた。
だから、素直に祝福する事が出来た。
今日はそんな彼女の祝勝会だ。凱旋の時のような異常な熱気はなかったが、スロウがやってくるという事もあり、会場は華やかでありつつどこか厳粛な空気も纏っていた。間違っても粗相はできない。
まあ、といっても、どうせ自分は端役も端役だ。吐き気止めの薬も飲んだし、遠目から妹を見ていればいいだけなので、特に問題も起きないだろう。そう思っていた。
「――」
主役が姿を見せた瞬間、眼を奪われた。
他の招待客も皆同じだった。
一体、自分の知らない戦場という舞台で何を得たのか、彼女に会うのは大体六十日ぶりくらいだったが、明らかにこれまでの彼女とは違っていた。サナギから蝶になったみたいに、劇的なほどの彩りを宿していたのだ。
もともと美しかった娘が、そう表現したくなるほどの変化。
これもスロウの恩恵なのかとも思ったが、魔力に変化はないし、成長期も成長期なのだから、きっと自然なものなのだろう。
いずれにしても、主役の彼女に多くの者が夢中になってしまったというわけである。
まあ、主役がちやほやされるのは普通の事だ。それだけなら、別段何も思う事はない。……けれど、こうして薬でも抑えられないくらいの吐き気を覚えたのは、その中の一人にダノラウトも入っていたから。
彼は、明らかに見惚れていた。造形にはそこまで差もないのに、その鮮やかで瑞々しい色彩にやられていた。
剣技で自分が負けたと思った時以上にショックで、しばらく呼吸が出来ないほどだった。
その不安を埋めるように、レナリアはダノラウトを連れ出して人気のない場所に行って、そこで初めてキスをした。
§
それから半年ほどが経っただろうか、英雄となった事で多忙を極めていたアステアが、また久しぶりに家に帰って来た。
その間に、グゥオン家はただの貴族から神子に次ぐ大貴族にまで出世していた。所有していた土地も収入も五倍以上に膨れ上がり、発言権も圧倒的に増して、父と母は大喜びの贅沢三昧。
他人に対する傍若無人な振舞いも増え、レナリアに対する侮蔑もより露骨になりだしていた。
まあ、元々そういう人たちだったので、特に深刻な問題というわけでもなかったが、アステアは果たしてこれを見て何を思うのか。
苦言の一つでも呈してくれればいいな、と愚かにも改善を期待していた。関りが薄すぎた所為で、彼女がどういう化け物なのか忘れていたのだ。
その彼女が、エントランスに入るなり言った。
「三日前にね、やっと初潮が来たの。これで問題なく子供が産めるわ。そのおかげかしら、どういう血が私に相応しいのかもわかった」
「……」
嫌な予感がした。
わざわざそんな事を帰宅してすぐに報告するなんて、普段の彼女の行動には思えなかったからだ。だから、それをする必要性があったのだと理解出来た。
出来たから「やめて」という言葉が、音にならないままに零れたのだと思う。
アステアは真っ直ぐに、今日家に来ていたダノラウトに向かって続けた。
「貴方よ、ダノラウト・デ・ラグダード。私の夫になりなさい」
§
アステアの決定は絶対だ。
彼女に反対することは、家の全て――いや、国の大半を敵にするに等しい。そしてそれは、生まれた時からずっと自身が穢れた魔法をもってしまった事を罪として刷り込まれてきたレナリアには到底無理な話だった。ダノラウトにも逆らうなんて選択肢はない。英雄の夫に成れるかもしれないのだから当然だ。彼の家がそれ以外を許さない。
結果、婚約はあっさりと破棄された。
その話をダノラウトの口から齎された時、レナリアは精一杯に強がった。
強がって、
「あの子は、少し自由なところがあるけれど、悪い子ではないから」
と、一度たりとも思った事もない言葉を並べて、それを祝福する姿勢を見せた。
別に貴方になんて本気になっていない。キスだって、別に特別じゃない。そういう風に見せたかったのだ。……いや、或いは、無意識のうちに彼が自分の元に戻ってきてくれる可能性を引き上げようとしていたのかもしれない。
だって、アステアには人間の心がない。仮に一目ぼれがあったとしても、あんな狂った奴を好きで居続けられるわけがない。
実際、母も父も内心ではアステアに怯えていた。だから、そんなあり得ない未来を信じて、受け入れたふりをしたのだ。
§
……もし、あの時なりふり構わずに貴方とずっと一緒に居たいと言って困らせたら、未来は変わっていたのだろうか。
十七歳になった日、レナリアは結婚した。
相手は何処かの貴族の三男坊。
婚約期間なんてものはなくて、相手の顔を知ったのは一週間ほど前だった。アステアの輝きに泥を塗らないように、早く穢れを落とせという、この国の神たるスロウの意向によって決定したらしい。
そして結婚式を挙げた今日、自分は知らない男に抱かれて子供を産む準備を始める。
初夜だ。
胃が痛くて、吐き気が止まらない。
眩暈がして、気を抜くとそのまま失神してしまいそうだった。
逃げ出したい。全てを捨てて自由になりたい。
だが、そんな事が出来るのなら、とっくにやっているのだ。
世界に逆らえなかったから、ここまで来て、そして――
(嫌だ、嫌だ、嫌だ……)
痛い。痛い。痛い。
気持ち悪い。悍ましい。
自分の名前を熱っぽく呼ぶ男を、八つ裂きにしてやりたい。
(早く、終わって。早く……)
呪文のように繰り返す。
呪いのように繰り返す。
そうやって、レナリアはこれまでの人生で最悪の夜を乗り切った。




