22/現実と悪夢
アルタ・イレスの登場はリリスにとっても予想外ではあったが、それ以外は悪くない展開だった。
実に愚かな主張の押し付け合いを、彼等は繰り返してくれている。
現状、明確に優位な勢力はなし。まあ、強いて言うなら、上手くやれば夢の中のモルガナを掌握できるかもしれないスロウとアルドグノーゼだろうか。
劣勢だったルウォは少し立て直した。少なくともこちら一択ではなく、カンゼリッツァの側に付く選択肢は得られたので、多少は動きやすくもなったのだろう。とはいえ根本的な主義がかみ合っているとは思えないので、一時凌ぎの関係に過ぎないが。
(それにしても、彼女の名前を、他者から聞くことになるなんてね)
正直、驚きを顔に出さなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。或いは、そこに割くリソースすらなかったタイミングの良さに感謝するべきか。
(これも日頃の行いのおかげかしら? ねぇ、スゥーヴィエ)
もし彼女がこの場に居たら「じゃあ、これから悪い事が起きるね」と笑顔で辛辣な言葉を返してきた事だろう。
スゥーヴィエ・ゾラ・レティソラエールという神は、他にはのほほんとした弱腰な反応を返すだけなのに、リリスにだけはいつも遠慮がなかった。
……その時が近いからだろうか、最近はよく二人だった時の事を思い出す。
今は傍にアルタ・イレスがいるからか、異世界の一部を受け入れる決断をした時の記憶が脳裏に過ぎっていた。
『そもそも、あれは何故この世界に来たんだ?』
スゥーヴィエがその提案をした時、最初リリスは懐疑的だったのだ。
直接的に否定はしなかったけれど、撤回して欲しいというニュアンスを多分に含めていた。
しかし彼女はどこ吹く風で、
『可能性を求めて、だと思うわ』
『惨めな抵抗だな』
『ええ、そうかもしれない。けれど、抵抗に意味はある。何故なら、その足掻きの先に突破を果たした世界というものも、極僅かとはいえ確かに存在しているのだから』
『手遅れの段階から修正するより、最初からやり直した方がよほど可能性はあると思うが』
『でも、また同じ過ちを繰り返す恐れもあるわ。部分的なリセットがそれを示唆している。きっと、今はまだ間違えた選択しか、わたしたちにはないのよ』
『だから外界を取り込むというのか?』
『気色が悪い?』
『当然だ。大体、それこそがこの世界の守護たる私たちの本質だろう?』
『そうね。でも、わたしたちは排他システムそのものではない。そのシステムを繰る者よ。感覚に踊らされてはいけないわ。必要な毒は呑み込むという判断も下せなければならない』
『それが致命傷にならない保証がどこにある?』
『相変わらず心配性ね。でも、わたしも君も、彼女くらいなら造作もなく処分出来るでしょう? まして、自らを『天泪』に貶めてまでそれを望んでいる相手なんだから、寛大な心を見せるのも、この世界の代表として必要な事だと思うの』
『……知っているか? お前がそういう御託を並べる時、決まって本当の理由は別にあるんだ』
『ふふ、君はわたしのこと、本当に良く見ているのね、嬉しいわ』
時々見せる悪戯っぽい微笑が忌々しいくらいに好きで、その時不覚にも見惚れてしまっていた。
そんなリリスから、視線を空に向けて、
『愉しそうな子だったから、お友達になってみたかったの。それが一番の理由かしらね』
と、スゥーヴィエは言った。
『友達? なんだそれは?』
『人類が手に入れたもの。お互いにとって有意義な他者の事』
『そんなものを手にしてどうする? どうせ私だけで十分なのに』
『未来の事は誰にもわからないわ。だからこそ、手に入れられるものは全部手に入れておきたいと思うの。可能性を広げておきたい。いつか、それが君の窮地を救ってくれるかもしれないから』
遠い目でそう言った彼女には、もしかしたらある種の予感があったのかもしれない。
(……救い、か)
そこで、ふと脳裏に浮かんだのは、不死の少女。
リリスが傲慢を求めた彼女は今、どの程度の可能性を手にしているのか。
たかが人間。どこまでも無力な存在でしかない。あの小娘が大局を動かすなんてあり得ないのは火を見るより明らか……なのに、それでもまだ自分は彼女の大言壮語に、一縷でも期待をしているというのだろうか?
(猶予も、もう本当にないというのにね)
神子共のつまらない主張合戦はまだ続いている。
その雑音を聞き流しながら、リリスは小さく息を吐いて、
(お前が今居る夢の中が現実なら、この期待もけして愚かではなかったのかもしれないけれど――いや、そこにはきっと悪夢しかないから、むしろ現実よりも遠いのか)
§
「――余計な事をするな! 悍ましい悪魔憑きがっ!」
敵の注意を引く動きをした事が気にいらなかった自警団の一人が、シャルロットの鳩尾を思い切り蹴りつけながら吐き捨てた。
「テメェはただ囮になって殺されてりゃあいいんだよ、それ以外誰も何も望んじゃいないんだからな」
そう言って、別の誰かが手にしていた剣を腹部に突き立ててくる。
激痛に悲鳴が漏れたが、それを塞ぐように口を思い切り踏みつけられた。
脳が揺れて、意識が沈む。
「騒音を立てるな、周りに迷惑だろう?」
どこかで聞いたことのある、冷徹な声。
それが誰なのかも思い出せないまま、シャルロットは譫言のように、ごめんなさい、を繰り返した。
どれだけ繰り返しても、けして慣れる事のない苦しみ。
でも、これは罰なのだから仕方がない。好奇心で悪魔と契約をしてしまった愚かな自分にくだされた罰。だから、今日も明日も明後日も、肉盾となって何度も何度も殺されなければならないのだ。
もう慣れた日常。今更そこに不満もなにもない。ただただ無心に、耐えればいい。
……そのはずなのに、シャルロットはまた余計な事をした。
側面から現れた魔物の出鼻をくじくように、手にしていた錆びついた剣を投擲したのだ。
狙い通りの結果にはなったが、不意打ちを喰らいそうだった男には、自分に危害を加えようとしたように見えたのだろう。魔物の討伐を終えるや否やこちらに近付いてきて、大上段からシャルロットを斬り捨てた。
「無力を味わい苦しみ続ける事が貴様の役目だろうがっ!」
予期はしていたから、踏ん張る事は出来た。
けれど、それも気に入らなかったのだろう。そのまま太腿に剣を突き立てて、乱暴に捻られる。
立っていられず、シャルロットはその場に倒れた。
「もっとだ苦しめ! もっとだ! もっと! もっと!」
「そうだ、永遠に償え!」
「死ね! 死ね!」
「その薄汚い心が浄化されるまで、死に続けろ!」
無数の罵声が浴びせかけられる。
ごめんなさい、という心の声が繰り返される。
(謝ったって許されるわけじゃないのに、どうして、こんな無駄な事をしているんだろう?)
彼等はただ暴力と正義という免罪符に酔っているだけだ。彼等自身の中に、正当性なんてどこにもない。
(……って、なんで私、そんな事を考えているの?)
罪人が、罪悪に潰れる以外の事など許されるわけがないのに……これは、間違いなく罪だ。
許されない。許されない。許されない。
(――許しなど、必要なのか?)
不意に、小馬鹿にするような聲がした。
それに驚く間もなく、自分の頭を踏みつけようとした男の足が失われた。
自身の影が刃のように、男の足を切断したのだ。
意味が、解らない。
「間抜けが、いつまで寝惚けている? 私はもう目覚めたぞ?」
影の中から、見知らぬ青年が姿を見せた。
……いや、違う。自分はこの男の事をよく知っている。最も忌まわしい男。自分を悪魔憑きにした元凶。
「――っ、」
頭が痛い。
身体が硬直するほどの鮮烈さ。
(……あぁ、そうだ)
ここが夢の中で、この夢の中の設定と現実の自分は違う事を思い出す。
瞬間、頭の中を支配していた偽りの記憶が剥がれ落ちた。
「悪魔憑きが、こんな事をして許されるとでも――」
「そうだね。私にはもう、彼等の許しなんて必要ない」
雑音を潰えさせるように言い放ち、シャルロットは立ち上がる。
大きく深呼吸を一つ取ってから、彼等を見据えると、たちまち憎悪は怯えへと変わった。
「実に滑稽な連中――いや、滑稽な男というべきか」
愉しげにマヌラカルタが言う。
「……そう、これがあのヒトが私に望んでいる事、なんだね」
この世界は、父の魔法だ。世界を構築している者の中に彼の魔力を感じ取れたことで、確信できた。
「正確には貴様の父とスロウの望んだ世界だ。記憶を触媒にした世界を、奴の魔法が都合よく色づけしているといった感じだな。そうでなければ、おそらく正しい記憶の方が優先されるつくりをしている。その意味では、優先度の低い相手が見ているのはただの過去の記憶という可能性が高そうだ。まあ、記憶自体おぼろげなものゆえに、それが正確な過去というわけではないだろうがな」
「こんな世界を作って、スロウはなにをするつもりなの?」
「目的は信仰の確保だろう。なにかしらの手段を用いてルーメサイトから離脱し、再建を果たすまでの間、奴はこの世界を自身の王国にするつもりのようだ」
「私の記憶障害は、下の階層に堕ちた影響?」
「まあ、おそらくはそうだろうな」
「不死が戻っているのはどうして?」
「いいや、私の不死の力は戻っていないぞ。だが、ここは夢の中だ。現実よりよほど不死という奇蹟は起こしやすい」
「たしかに、そうね。……じゃあ、貴方が正気なのはどうして? 精神干渉系には弱いんじゃなかったの?」
「どんな時も貴様の力になれ、彼女との悪魔の契約は下手な精神干渉より優先度が高いというわけだ。そんなことより、これからどうするんだ?」
「……討つわ、ダノラウトを。そうしないと、この世界から出られないんでしょう?」
「その可能性は高いだろうな。だが、本当にやれるのか? 今まで散々その機会を棒に振って来た貴様に」
茶化すように悪魔は言う。
懸念はもっともだ。自分でも判らない。それでも、これが最後の機会だというのは理解出来ていた。
「貴方には、どう見える?」
真っ直ぐに問う。
するとマヌラカルタは、くすりと微笑んで、
「良い顔だ。あぁ、今の貴様ならやれるだろうさ。私が手など加えなくとも――」
言葉の途中で、その上半身が消滅した。
それを認識すると同時に、シャルロットの胸にも大きな孔が開く。
即死だった。
そうして、悪夢は続けられる。
何度でも何度でも、完全にこの世界に染まり切るまで。




