21/世界の命運を握る場所
広い円卓に腰かけ、チュルたちが待つこと数分。
ボーゼス、カンゼリッツァ、そしてオセが姿を見せた。
シャイアとマウロが夢に囚われている事を考えると、ルシェドを除くこの大陸の全ての神子が招待されたと見てもいいだろう。
或いは、大陸外からも何人か来ているのかもしれないが……
(……どうでもいいか)
『極日』を用いた儀式の存在を知っている勢力ならとうに来てなければおかしいわけだし、それすら知らない蚊帳の外の連中などユーリッヒにも劣る存在だ。居てもいなくても何も変わりはしない。
なのにきっと、そいつらは今も世界は自分を中心に回っているのと信じているのである。そう思うといっそ哀れですらあるが、まあ、そんな連中の事をこれ以上考えても仕方がない。それよりも、この場に神子以外で唯一やって来れたオセの付き人の事を考える方が有意義だろう。
シャオ・ワグナード。
アルタ・イレス唯一の『真深夜』だ。
口元を布で覆い、ニット帽を深々と被って野暮ったい傷んだ深緑色の髪を抑えつけている。常に俯いていて、なんだか卑屈そうな女だった。とても強そうには見えない。
とはいえ、その程度の情報で油断など出来はしない。
ルウォとアルドグノーゼは、決闘が行われている期間、強力な対神子の都市魔法陣を起動しており、この場の全ての神子が神子以外に殺される危険性を内包しているからだ。……もっとも、仮に都市魔法陣が発動していなくとも、ここ最近『真深夜』の傭兵にボコボコにされたばかり身なので、警戒を緩めるなんて愚、したくても出来なかっただろうが。
「それで、どういった用件だ?」
自分で呼んだのではないのか、ルウォは不快そうにオセに視線を向けた。リリスも似たような視線を向けている。
(呼んだのはアルタ・イレスであって、オセではないという事だろうな。まったくもって場違いな男だ)
ため息交じりにアブロイが呟く。
その感想が事実である事を示すのように、この緊迫した空気をまるで読めていなさそうな男は、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、
「困ってるんだろう? お前等全員」
と、嘲りを含んだ声で言った。
「そうですね、大変困っています。貴方さまは、それを解決できるのでしょうか?」
いつもの心にもない微笑を湛えて、スロウが訪ねる。
「この世界から出てしまえばいいだけだろう? 簡単な事じゃねぇか。まあ、お前等の殆どには出来ない事みたいだけどなぁ」
「見返りはなんでしょう?」
「股を開け」
「…………は?」
さすがの大天使も、その要求は完全な想定外だったようだ。
まあ、かくいうチュルもそうで(この状況で、頭湧いてんのか?)という感想を抱かずにはいられなかった。
しかし、当人はいたって本気なのだろう。下劣極まりない発言と不愉快極まりない視線をここに居る女性陣――リリス、チュル、スロウ、そしてフェルスガリア(モルガナ)に向けて――
(あ、死んだなこいつ)
その直感とほぼ同時に、オセの全身がバラバラに引き裂かれた。
フェルスガリアが空間行使を行ったのだ。
(防衛本能によるものというよりは単純な嫌悪による殺人だな。無罪)
当たり前のように、アブロイがそんな判決を下す。こちらもまったく異論はない。
(つーか、この露出狂前にして魔力領域一つ展開せずに突っ立ってるとか、正気かよ。零距離で攻撃され放題だぞ)
愚かな奴だという話は聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。
が、多分、アルタ・イレスにはそれが必要だったんだろう。或いは、そうでないにしても、それが最もローコストで表に出られる手段だったのか。
(――)
オセの生体反応が止まったところで、急に空気が変わった。魔力の質が変貌したのだ。
同時に、溢れ出た紅い血が銀色へと変わる。
銀の血液は独自の生物のように蠢き、みるみるうちに人の形となっていく。
そして最後に、飛び散ったオセの眼球の一つを空洞の眼窩にはめ込んで目蓋を生やし、彼女は静かに完成した。
ゆっくりと、その双眸が見開かれる。
オセの方には光が灯り、彼女を人間のように見せている。だが、空洞のままだった右目は――
「……アルタ・イレス」
慄きを孕んだ声を、スロウが零した。
他の面々も同じく、畏怖という感情を滲ませ、彼女の右目を注視する。
そこには渦があった。それは液体から個体に代わった身体の中で唯一液体である事を保ちながら、ぐるぐるとうねり続けている。
あの、奥底にあるものは――
(あまり見るな。あれは、見ない方が良い)
鋭い聲で、はっと我に返った。
途端に背筋が震えあがる。理解してしまったのだ。あれが、あれこそがアルタ・イレスの本質だと。そしてそれは致命的に全てを蝕むなにかなのだと。自分では、絶対に勝てない存在なのだと。
「逃亡の、算段、か?」
悍ましき外神が、耳鳴りのような音で囀った。
異音だ。人間のものとは根本的に違う、だけど正しく理解することは出来る、どこまでも奇妙な言語。
「ええ、その通りです。貴女に可能だというのは本当でしょうか?」
気を取り直すように、スロウが笑顔を貼りなおす。
「これだけ、の、数の神子、を、奴が、逃す事はない。貴様たち、は、儀式のために、まだ生かされている、だけ。仮に、許される、としても、一人か、二人程度が、限度」
頭上をぼんやりと見上げながら、アルタ・イレスは答える。
「けれど、貴女はまだこの世界に居る、つまり、貴女は逃げるつもりがない。そう認識しても構わないのかな? あの化物に対抗できるだけの力を、貴女は持っていると」
カンゼリッツァが確認を込めて言う。
たしかに、勝算もないのならとっくに逃げているだろう。普通に考えれば。
(けど、こいつは普通なのか?)
そもそも、どういう経緯でこの世界に居るのかもわからないのだ。知っている事は、儀式の準備が始まる前からいたという事と、常に監視がされている中で、特に世界に関わる大きな動きはせず、普通に傭兵団をやっていた事くらい。
ただ、その情報だって魔法が不明な以上真実である保証はなく、そういう意味ではルシェドと同じくらいに得体の知れない存在である事に違いはないのだが……。
「スゥー、ヴィ、エ」
突然、ぽつりと彼女はそれを口にした。
誰もそれがなにを指しているのかは、理解してはいないようだった。
「これを、見たら、どう思った、事、か。……この世界は、果たして、存続に、値、する、のか」
「スゥーヴィエとは、どなたの事を指しているのでしょうか?」
躊躇いがちに、スロウが訪ねる。
「最疫を、解き放て、ば、対抗手段は、得ら、れる」
それが答えだったのか、それともただ話を逸らしただけなのか、アルタ・イレスはそう言った。
追い縋るという選択をスロウは取らなかった。これ以上この話題を続ける事に、嫌な予感でも覚えたのかもしれない。
「……そうですね。或いは『最疫』ならば、ルシェド・オルトロージュを討つことも可能でしょう。いえ、もしかしたら、造作もないのかもしれない。けれど、その先にある結果は同じ。全てが蒼く燃え尽きるだけです。なにより、あれは最優先で我々が処分しなければならない仇敵でもありますしね」
「それ以前に、顕現させる術もないだろう。……それとも、君にはあるのか?」
鋭い視線を添えて、アブロイが訪ねる。
「ない。アルタ・イレスの、力、は、せいぜい、ルウォ・アルドグノーゼを、殺せるくらい、だ」
淡々とした調子で、アルタ・イレスは答えた。
プライドの高い支配の王が、それをスルー出来るわけもない。
「自らの世界を失った異邦の神風情が、我を討てると嘯くか?」
「今の貴様なら、私でも簡単に殺せるぞ」
刺すような声で、フェルスガリアが口を挟む。
その眼差しには殺意が滲んでいて、それが軽口の類ではないのはすぐに分かった。夢の中に囚われたモルガナの安全性を少しでも高めるために、脅しをかけているのだ。
「――」
と、そこで、奇妙な異音が響いた。
一瞬、それがなんなのか、チュルには理解出来なかった。
アルタ・イレスの笑い声だと気付いたのは、全く笑っていない顔の、口だけが釣りあがっていた様を見て。
「……なにが可笑しい?」
フェルスガリアが問う。
「モルガナ・レッテンハイネ、と、貴様は、違う。釣り合いが、取れて、いない」
と、アルタ・イレスは答えた。
何を言わんとしているのか、チュルはすぐに把握出来なかったが、投げかけられた相手には十二分に心当たりがあったようだ。
その表情には、昏い苦さが滲んでいた。チュルが理解を得たのは、その表情を前にして。
(……そうか、こいつもそうなのか)
釣り合いとは、要は感情値だ。
自分が半身に抱いている想いと、相手が自分に向けているものは果たしてどの程度近しいのか。
波長が合っているという事実や、ある程度の感覚は共有出来ているという関係であっても、根っこの部分までは判らない。本当の意味で心を理解することは叶わないのである。そういう意味では、どこまでいっても他者でしかなくて、でも器を共有している以上疎遠になる事も出来ないから、その問題はどちらかの魂が磨滅するか、誰かに殺されるまで永遠に続く。
「自覚、は、ある、のか。だと、いうのに、どうして、固執、する? 貴様、の、最善は、独り、この世界を去る、事。これは、良い、機会」
(人質の価値を潰しに来たな。器を傷つけられた腹いせか? だとしたら、ずいぶんと熱のある事だが……まあ、展開としては悪くない。リリスも望むところだろうしな)
こちらの複雑な心境など知る由もなく、アブロイはその効果にのみ着目している。
他の面々、特にアルドグノーゼは焦燥を眼に見えて滲ませていた。顔に出過ぎだ。同じ心境であるはずのスロウが澄ました笑みを浮かべているあたり、どちらが格上なのかが判らなくなる。
そのスロウが、慈しむような気色の悪い眼差しをフェルスガリアに向けながら言った。
「それは良い提案ですね。私にも経験がありますから、今の貴方の気持ちはよく判ります。私も半身を愛していましたから。焦がれるほどに。けれど、彼女は私を煙たがるようになってしまった。私は何も変わっていないのに。彼女は変わってしまった。とても、とても哀しかった」
「だから殺したってのか?」
思わず、チュルは口を挟んでいた。
「まさか。それでも大切な子でしたよ。彼女が死んでしまったのは、彼女が人間だったから。心が永遠の重さに耐えられなかったから。……あぁ、そういえば、モルガナ様は、たしかもう五千年以上生きているのでしたね。ふふ、そう怖い顔をしないでください。どうも誤解をされているようですが、我々は貴方に提案をしているのですよ。世界を整える二つの力があれば、人間であっても、永遠に耐えられるのではないかと」
甘い言葉。
フェルスガリアの心を揺さぶるには、それで十分だったのかもしれないが、残念ながらここにいるのは彼だけではない。
「お前たちの力は水と油でしょう。拒絶し合って終わりよ。魔力の色を見たら、莫迦でも判ると思うけれど」
侮蔑を露わに、リリスがくすくすと笑みを零す。
彼女はさらに他の面々にも毒を吐いて、険悪な雰囲気を加速させていき、
「まったく、これだけ神子が居てなんの解決策も出せないどころか、まともな話い合いすらもできないとはね。能無しの極み。ほんと、呆れるわ」
「……では、建設的な話に戻そう。まず、ハッキリさせておくが、エンシェはアルタ・イレス殿の案に乗る事はない。『最疫』の復活も、ルーメサイトからの逃避も、この世界の神がしていい事ではないからな。まあ、前者に関しては呪いの件もあるので、そもそも不可能だが」
堂々とした口調で、アブロイが言った。
それから、咎めるような視線で周囲を見渡して、
「他の者達もそうであると私は信じているが。君たちのスタンスも是非、今ここではっきりさせて欲しいところだ」
「……」
ボーゼスは答えない。代わりに彼はカンゼリッツァにちらりと視線を向けた。
アンガラ共和国とムルカ連合の関係は昔から良好ではあったが、ボーゼスがここまでカンゼリッツァに信頼を寄せているというのは正直知らなかった。前からそうだったのか、ここ最近でそうなったのか……いずれにせよ、カンゼリッツァの発言力が高くなった事だけははっきりしたわけだが。
「彼と平和的な交渉をするという選択はないのかな? 執り行う儀式の規模を抑えてもらって、この世界を少しだけでも残してもらうように頼むとか」
そんな彼は、当たり前の事を口にするようなトーンで、会議室に静かな驚きを走らせた。
「き、貴様は、忌々しい外神の軍門に下れと言うのかっ!」
驚きから怒りへと、最短でシフトしたのはアルドグノーゼだった。
「世界を捨てて逃げる事と、そう大差はないでしょう?」
吹き荒れる威圧を前に、カンゼリッツァは涼しげだ。
そうしてより露わになってしまった協力相手の小物臭に憐れみを覚えたのか、
「あれだけ絶対的な力をもった存在が、ここまで巨大な儀式にしてまで必要としている願いですよ。それ以上を求める事はあっても、抑える事はないでしょう。この世界は確実に、全て生贄にされてしまう」
と、フォローするようにスロウが言った。
「確かにその可能性は高いだろうね。だが、まだそれは我々の認識でしかない。それとも、すでに誰か彼に確認を取ったのかな?」
沈黙が過ぎる。
「つまり、まだ確定的な情報ではないということだ。決断をするのは、それを確かめてからでも悪くはないと思う。どうかな?」
「私は反対だ。愚行の主一人が死ぬ分には問題ないが、それ自体が全てを終わらせる引き金となる可能性も十二分に考えられるからな。時間的猶予が無くなるのは望ましくない」
アブロイが強い口調で言った。
それに対して、スロウも小さく頷く。
「私も同感です。先にあげた二つの選択以外に、余地はありません」
「その二つの先にも、救いなんて待っていないけれどね」
可笑しそうにリリスが水を差した。
そうして、話の進行がまた遮られる。
(長期戦になりそうだな、これは……)
普段なら面倒になって勝手にやってろよと退散するような事態だが、さすがにそんなわけにもいかず、チュルはこれから幾度となく繰り返されるであろう不毛という名のストレスを嘆息と共に受け止めた。
次回は8月31日に投稿予定です。
よろしければ、また読んで頂けると幸いです。




