20/予知の先
イリアが予知で見た時間が近付いてきた。
あと五分で、モルガナ(今の主導権はフェルスガリアにある)とスロウが接触する。
ただ、そこに至るまでに、世界の方はずいぶんと不味い流れへと変わっていた。
「おそらくもう大陸のほぼ全ての人間が昏睡しているでしょうね。起きているのは、わたしたちを含めたごく少数。そして薄汚い第一天使もアルドグノーゼの側に付いた。奴等は一緒に逃げるつもりなんでしょう。この世界を捨てて」
「……」
淡々としたリリスの説明を受けて、目の前にいるチュルは非常に不快そうな表情を浮かべていた。ここ最近人間に言いように振り回されて弄ばれているからか、相当ストレスが溜まっていると見える。
隣に顕現しているアブロイは、そんな彼女を特に気にする素振りもなく、
「状況は理解した。……それで、どうすればマウロの安全を約束してくれるんだ?」
と、訪ね返してきた。
今ここに彼等がいる理由である。リズの器を脅迫材料に、こちらが呼びだしたのだ。
「もちろん、邪魔なやつらの相手をしてくれたらよ。神子の相手は神子がするのが一番でしょう?」
「その間、君たちはなにをするつもりだ?」
「交渉よ。老いぼれとね」
「フェルスガリアか。なにを要求するつもりだ?」
「奴には一人きりで逃げてもらう」
「……なるほど、そういう事か。いいだろう」
「おい、本当に大丈夫なのかよ?」
とんとん拍子に話が進む事に不安を覚えたらしいチュルが眉を顰める。
「問題はない。おそらくな」
「では、行きましょうか。お前のお仲間の、薄汚い羽虫共に会いに」
そう言って、リリスは嗜虐を湛えた優雅な微笑を浮かべて見せた。
§
ルウォが来ない事に焦れたモルガナは、彼の元に赴き色々と駆け引きを駆使するがまったく相手にされず、部屋で不貞腐れつつペディキュアに興じていたが、途中で飽きたのかそれを止めて部屋を出た。
それから十秒ほど通路を歩いたところで、
「――そうだ、シャルロットに相談しよう」
と呟き、突然糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
それから数秒後、何事もなく身体を起こした彼女は、難しい表情を浮かべ、短く吐息を零した。
そこに、スロウとダノラウトの二人がやってくる。
全てイリアの予知した通りの光景だった。
故に、問題はここから。
「貴様かっ!」
やって来た二人を前に、フェルスガリアが激高する。
この反応から見ても、入れ替わったのは完全にモルガナの独断で、その所為で彼女の魂が夢に囚われてしまった事にフェルスガリアが相当焦っているのがよく判った。
そしてその焦りは、容易く殺意へと変換されて――
「ダメですよ。彼を殺したら彼女も死んでしまいます。取り込まれた魂たちは全て死ぬ。それは解放ではなくただの破壊なのですから。あぁ、でも、これは嬉しい誤算ですね。貴方が、足枷でしかない筈の人間如きに価値を抱いてくれているだなんて」
頬に手を当てながら、優雅な微笑を浮かべたスロウが釘を刺した。
ぎりっ、とフェルスガリアが歯を軋ませる。
その愚かさを嘲笑いつつ、リリスは物陰から姿を現した。
「なんだかお困りのようね、お爺さん。可愛い可愛いこのリリス様が、助けてあげましょうか?」
綺麗に気配を消していたおかげか、こちらにまったく気付いていなかったスロウが驚きを滲ませる。
しかし、ダノラウトの方に反応はない。天使よりもずっと感情的な男が、ずいぶんと大人しい事だった。
(自動的ね。やはり精神は夢の中か)
もしここにその精神があるのなら、フェルスガリアがしようとしたように殺してしまうのが正解だったのだが、おそらく向こう側とこちら側では時間の流れが違う。此処でどれだけ迅速に殺せたとしても、全てが断たれる前にダノラウトは道連れのスイッチを押せてしまうだろう。……まあ、今更昏睡している誰が死のうが、リリスにはもう関係もないわけだが。
「先日はどうも。貴方にはずいぶんと苦しめられました。本当に強いお方なのですね。でも、もうその強さはない。根幹となっていた核は、もうないのですから」
笑顔はそのままに、冷たい殺意を這わせながらスロウが言う。
その言葉は正解だ。
決定的な状況を生み出した『翼』の代わりはもう用意できない。新たな二等級も儀式までに一つ揃えられればいいところだろう。
「ずいぶんと見苦しい真似してるな、おい。この世界から逃げるつもりなんだって?」
一緒に出てこなかったチュルが、そこで顔を出した。
「……気配はうっすらと感じていましたが。アブロイ、まさか、我々と事を構えるおつもりなのですか?」
ため息参りにスロウが言う。
チュルに一切応対しないあたり、人間に対する見下しがよくわかった。
「カラエルとエルラカが潰えた以上、もはや貴様との共闘に価値はないだろう。まして、世界から逃げるとなれば尚更にな」
「神の義務ですか? 愚かですね。そんなものになんの価値があるというのですか? ルーメサイトなどなくても、我々は存続する事が出来るというのに」
堂々としたスロウの物言い。
瞬間、空気が異様なほどに張り詰めた。
元凶はアブロイだ。裏切り騙し討ちなど上等の第二天使だが、世界の管理者の席につく者としての矜持は、一応まだ保持しているという事なのだろう。
ともあれ、一触即発の空気に、否応なくフェルスガリアの意識も二人に向けられる。
しかも、そのタイミングで、ルウォとアルドグノーゼが別々の方位からやってきた。
ルウォは騒ぎを察知して。アルドグノーゼの方は、おそらくスロウの連絡を受けてだろう。だからこそ、後者の表情には勝利を確信した愚か者の笑みが携えられていた。
(老いぼれは殺せそう?)
胸の内で、ヴラドに問いかける。
理想的な仕掛け時だと思うのだが、
(殺せるならもう仕掛けている)
という、至極当たり前な答えが返ってきた。
(そう。やっぱり火力不足か。……ねぇ、ヴラド、わたし達にはもう此処で失って困るものはない。それでも、わたしに全部託せるの?)
重さをもった聲で問う。それで十分こちらの意図は伝わったのだろう。
ヴラドは微かに目を細めて――
§
(――っ、こいつ!?)
鋭く鋭く研ぎ澄まされた意識の死角を刺すような殺気に、チュルは全身が粟立つのを感じた。
だというのに、ルウォも、アルドグノーゼも、スロウも気付いていない。
さすがに矛先を向けられた当事者のフェルスガリアは察知したようだが、その顔色は酷く悪かった。そのまま実行されていたら、殺されないまでも深手は負わされたかもしれないという認識があったからだろう。
(ってか、交渉するんじゃなかったのかよっ!?)
(なんだ騒がしい。なにを焦っている?)
鬱陶しそうなアブロイの聲が頭の中で広がる。
(感覚共有しててわかんなかったのか? 今のが)
苛立ちを覚えながら説明をすると、なるほど、とアブロイは頷いた。
(一人で納得してないで、オレにもわかるように説明しろよ)
(少しくらい考えてもバチは当たらないと思うが、まあいいだろう。君の感じた事がその通りだったとして、それは一見すると酷く短絡的な行動だ。自殺行為に等しいと言ってもいい。だが、それ故に、我々が強固な協力関係にある可能性をフェルスガリアは疑った事だろう。そしてその意識は、察知できなかった者達にもすぐに伝わる)
(……たしかに、そうなったみたいだな)
ルウォ、スロウ、アルドグノーゼの順に、フェルスガリアの異変に気付いたようだった。
当然、その流れで元凶が誰なのかにも辿りつく。
(これが目的の牽制だったって事か?)
(おそらくはな。ただ、それだけでもないのだろう。アンフェノ・リリスの契約者である事を強く意識させる狙いもある気がする。仮に我々が味方ではない可能性も考慮すれば、その動きはまさに狂気の一言だからな。そして契約者とは波長が合うからこそ成り立つものだ。少なくとも、神子ではない者に関してはな)
(つまり、なにしでかすか判らないヤバい奴って印象を強調したかったって事か? で、それで何が得られるってんだよ?)
(選択肢の最大化だ。彼等は普通に考えればあり得ないと思うようなリスクにまで警戒をしなければならなくなった。これは、特にルウォには刺さる一手となるだろう)
(ルウォ? 狙われたフェルスガリアじゃなくてか?)
(奴への脅しはそこまで効果的には見えないな。せいぜい警戒心を必要以上に高めたくらいだ。他の連中に対する影響とそう大差ない)
(まあ、確かに、奇襲はもう成立しなさそうだしな。脅しに屈するような流れにもならなさそうだが……ってか、じゃあルウォは他となにが違うってんだよ?)
(無論、立場だ)
(立場?)
(一番の強みであるモルガナの助力が期待できなくなった。あげく将軍連中含め、殆どの者達が絶賛昏睡中。盤上で動かせる駒は既に限られている。そんな中で、アルドグノーゼとスロウが協力関係を結んだ事がはっきりしたわけだからな。奴は今、一人大きく沈んだうえで孤立しかけているんだよ。その状況下で、ヴラド・ギーシュはフェルスガリアの死を求めた。もちろん、アルドグノーゼとスロウはそれを拒むだろう。ルウォもモルガナは失いたくないだろうから心情としては同じはずだ。だが奴にそれは選べない。何故なら、選んだ瞬間にヴラド・ギーシュとの敵対関係が確定してしまうからだ。先程と同じようにリスク度外視で仕掛けられる恐れもあるし、最悪、ひとまず手を組んでどちらにとっても邪魔にしかならないルウォを始末しないかという提案を持ちかけられる恐れだってある。或いは、アルドグノーゼ側がそれを提案する可能性も出て来るだろう。いや、むしろ、スロウがいるのだから、その線の方が濃厚か。奴等にとって今最も優先するべきは、決闘に勝つことなのだからな)
(まあ、たしかに、脅しとしてはこれ以上ない一手って感じだな。……けど、このまま上手く支配できると思うか?)
(それなら楽で良いがな。さすがにそこまで容易い相手でもないだろう)
その言葉を裏付けるかのように、ルウォが動いた。
冷ややかな視線を崩さぬまま、呆れるようにため息を一つついて、
「……相応しくないな」
ぽつりと、そう呟く。
真っ先に反応をしたのはアルドグノーゼだ。
「どういう意味だ?」
「判らないのか? だからこそ自身が優位に立っているなどと思えるのか。相も変わらず御目出度い頭をしている」
「貴様――」
「場所を変えるのね。はたして何人来るのかしら?」
アルドグノーゼの怒りを無視するように、リリスが言う。
そこで、チュルは遠方よりこちらにやってくる複数の気配を捉えた。神子だ。偶々偶然、ここでの揉め事に惹かれて同じタイミングでやってきたなどという事はないだろう。予め、ルウォが招待していたと考えるのが自然だった。
次回は8月29日に投稿予定です。
よろしければ、また読んで頂けると幸いです




