19/満たされるために動く
「これでぇ、良し。せっかくだし記録でもしておこうかしらぁ、ふふ」
昏睡しているウィンとクーレの顔に存分に落書きをして、ララエスタは満面の笑みを浮かべた。
真深夜の傭兵二人をこうも自由に弄べるなんて、なんて贅沢な時間だろう。楽しくて楽しくて仕方がない…………けれど、その高揚も長くは続かない。
「飽きたわね」
そう呟き、ララエスタはしゃがんでいた身体を立ち上がらせた。
サラヴェディカに居る者達は今、みんな同じように昏睡している。人間の器を使っている天使たちも昏睡しているので、人間以外にも影響を齎しているようだった。
無事なのは、魂の入っていない無垢の天使だけ。彼等だけは機械的に求められた役割をこなし続けている。
(それにしても、神子までやられているとなると、これはかなり特殊な魔法のようねぇ。……やっぱり、条件は睡眠かしら)
つまり、なにかを喰らって昏睡させられたのではなく、眠りに落ちるという条件を満たしたが故に発現した魔法という事だ。
それなら、大体五日もあればほぼ全ての人間が条件を踏むだろうし、現状にも納得できる。
まあ、ララエスタは基本的に眠る必要のない身体だし、そもそも色格的にもこの手の干渉系の魔法は効かないので、このように何の脅威にもなっていないわけだが。
(ほぼ全てが夢の中、か。その中で精神世界を繋げている? レナリアがまだ目覚めないのも、きっとその所為よねぇ。……もしかして、私が関与できないところで彼女の問題に決着がつく?)
それは、ちょっと許せない。
(一体誰の仕業なのかしら? 神子でもなければ不可能な所業に思えるけれど、こんな魔法を持っている神子は聞いたことないし……やっぱり、カラエルとエルラカの遺産という線が濃厚なのかしら)
どういう意図かは知らないが、くだらない願望の匂いがするのはきっと気のせいではないだろう。
傲慢で愚劣な支配者の匂い。
そういう相手をグチャグチャに潰してやるのは、いつだって贅沢で素敵な娯楽だ。
「さて、私はどうしましょうか? 誰がこのつまらない状況を破壊できるのか……なんて、考えるまでもないわね」
くすりと微笑んで、ララエスタはその人物の元へと向かう事にした。
§
「ということで、団長にはして欲しい事があるのよねぇ。お願いできるかしら?」
ノックもせずに玄関のドアを開けたララエスタはルシェドに向かってそう言い放ち、そこで先客の存在に気付いて眉を顰めた。
「あら、ルナじゃない? 貴女って本当魔力を感じさせないわねぇ。もしかして殺し合いでもしてたぁ? 二人とも怪我してるだなんて、初めて見たわぁ」
どちらの血も、魅入るほどに綺麗な色をしている。
ルシェドのは少し黄金が混ざっていて、ルナのに到っては底無しの闇を液体にしたみたいに黒いのだ。
(固めて宝石に出来たらいいのに)
残念ながら一目見た瞬間、それが無理だというのは判った。色格に差があり過ぎる。
(でも、魔力は感知出来ないのに色格の差はすぐにわかるっていうのも、変な話よねぇ。どういう原理なのかしら?)
わりかしどうでもいいことを考えながら、ララエスタは言った。
「それで、どっちが勝ったのぉ?」
被害が多いのはルシェドだ。きっと不意打ちが成功でもしたのだろう。
無言を通す両者を前に、ララエスタは一人納得する。
「……そう、まだ途中なんだ。ふふ、この世界の命運を決める場面に立ち逢えるなんて、これも日々の行いのおかげかしら」
「君の悪評は、私の耳にも届いているのだがね」
呆れるような言葉と共に、ルシェドが警戒を解く。
「大半の人間なんて生きているだけで害悪なんだから、それを減らしている私はとっても善良よぉ? 違う?」
「なるほど、たしかにそれは一理あるか。……まあ、いずれにしても、君が関与できる事はないと思うよ」
ララエスタが此処に来た理由に当たりをつけたのだろう。にこやかな笑顔のまま、彼は拒絶を示してきた。
途端、悪寒が全身に襲い掛かる。
常人ならばその時点で狂ってしまいそうな圧力。だが、ララエスタは気にしない。
「そうかしら? 私、団長よりは舌が回ると思うわよ? 団長よりは他の事も色々と考えているしぃ……よし、決めた。貴女の味方をしましょう。貴女の方が、私の希望に上手く応えてくれそうだしねぇ」
「え? 私?」
自分に矛先が向けられるとは思っていなかったのか、ルナが首を傾げた。
「これ、交渉の一環なんでしょう? 助言してあげる。その代わりぃ、上手く行ったら私を特等席に連れて行ってほしいの」
「私に出来る事なら、いいけど」
「決まりね。では、始めましょうか」
空気の一部を固定させ、それを椅子代わりに使用して、ララエスタは優艶と微笑み、世界最強の神子と向き直った。
§
なんだか妙な事になったなぁと思いつつ、ルナは自身の行いを振り返る。
ルシェドに攻撃を仕掛けたのは、今なら脅威を覚えさせる事が出来ると思ったからだ。
脅威がなければ要求を通すことは出来ない。交渉というものは結局、対等でなければ成り立たないものだからだ。
そしてルシェドはルナの能力を真の意味では把握できていない。もちろん他の者よりは詳しいが、今回の奇襲でそれを強く認識した事だろう。
その際たる理由は、ルナの自傷行為。
ルナは自分が傷つくのも厭わずににルシェドへの攻撃を優先し、結果傷を負った。それはつまり、その気になれば自殺も出来るという事を示している。
殺される危険性と自殺される可能性、この二つの武器を軸に交渉を行う。それがルナのプランだった。
ただ、具体的にどういう要求を呑ませるのかについては曖昧だったし、そもそもそういった経験値も無いに等しかったので、ララエスタが補佐してくれるのはきっと喜ばしい事なのだろう。
「それで、君は私になにを要求したいのかな?」
「儀式に今生きている人たちの命まで捧げないで欲しいの。これまでに蓄積させたものだけで済ませて欲しい」
真っ直ぐにルシェドを見据えて、ルナは言った。
「拒むつもりなら刺し違えてもいいって? あぁ、その意志は確かに伝わったよ。いつ以来だろうね、なにかに対して脅威を覚えたのは。私にも死があるのだという事を思い出した。刺激的で素晴らしい体験だったよ。……だが、それは無理な相談だ」
「どうして?」
「もちろん、それでは彼女を還せないから」
「本当にそれしか方法がないの? 違うよね?」
「なんだい? もしかして代案でも出してくれるのかな?」
「うん。だから、必要な物を具体的に教えて」
「……ふむ。まあ、いいだろう」
口元に手を当て小さく頷き、ルシェドは左手に椅子を創造して、そこに腰かけてから話し始めた。
「まず、彼女を上に連れていける舟が必要だ。君という舟だな。生半可な強度では、それこそ辿りつく前に圧潰してしまうからね。次に必要なのは舟をそこまで移動させる莫大なエネルギーだ。この世界の全てを用いた儀式なら、純度も量もなんとか足りるといった具合かな。最後に、上位世界の障壁を穿つ強制力も必要となってくるね。それは君の魂の中に溶けた『夜』だけが可能としている。次元が一つ上くらいなら他の手段でも良かったのだろうが、彼女が堕ちてきた世界はもう一つ上だからね。つまり、だからこそ最大限の儀式と君の二つが揃わないと達成できないというわけだ。なかなかに難儀な話だろう?」
「……」
当然といえば当然なのかもしれないけれど、すぐに代案が思い浮かんでくる事はなかった。
「ねぇ、必要なものはわかったけれど、そもそもどうして還そうと思ったの?」
と、ララエスタが訪ねる。
「上位世界の存在は、私にとって神のようなものだからだよ。優先するべき尊き存在だ。そして他に優先するべきものもない」
「それは嘘ね。だったらこうして交渉になんて乗っていないでしょう? 彼女の話に耳を傾けるという事は、彼女を天秤に乗せているという事。愛着のない神と、愛着のある子猫、私なら猫を選ぶかなぁ。感情の方が大事だもの」
その発想はまったくなかったので、正直少し驚いた。
でも同時に、きっとそうなのだろうという確信めいたものも抱かされる。あんまり認識したことはなかったのだが、どうやら自分は存外彼に大切に想われていたみたいだ。道具としてではなく、ヒトとして。
「あと、そうそう、時間は重要なのかしら?」
ルナが不思議な感慨に浸っている間にも、ララエスタは別方向へと切り込んでいく。
「残念だけど、次は選べないんだ。他の目的であるのなら私も彼女も永遠に近しい身だし、それでも良かったのだけどね」
「なるほど、到るべき座標も儀式の一部に組み込まれているのね。次の保証がない」
「ああ、その通りだ。理解が早く助かるよ」
両手を組んで、ルシェドは微笑む。
こちらを試すような眼差し。
「……とりあえず、器以外の問題は別の方法で解決できるわぁ。『最疫』を解き放つの。それで無限と無制限の力を借りてぇ、ルナが自身の魔法を器に注げばいい」
「たしかに、それを実現させる事が出来るのなら、それもありかもしれないね」
「同意を得られて幸いだわぁ。では、一番の問題に関する質問よ。器の強度について。最低ラインはどこ?」
「原初の神、だろうね」
「なるほど。でも、それなら――」
「もちろんそれを宿せる人間という意味ではなく、本体という意味だよ。本体と同程度の強度でなければ、ルナの器には届かない。まあ、仮に本体であっても届かないだろうが。それでもギリギリ彼女を宿す事は出来るだろう。絶対とは言えないがね」
「つまりぃ、原初相当の神の器を奪えばいいというわけね。それも貴方なら簡単だと思うのだけど?」
「それは買いかぶりだね。私でもこの人間界以外に足を踏み入れる事は叶わない。当事者である彼等もそうだ。どんな神も生まれた世界から本体を持ち出すことは出来ない。他者が持ち出す事も、もちろん不可能だ。これは、ルーメサイトにおける最も強固なルールと言えるだろう。なにせ原初の七柱全ての権能をもって作られたものだからね」
「例外はないのかしら?」
「外神は例外だね。彼等は本体でこの世界に降り立てる」
「実は、貴方も外神そのものだったりしないのぉ?」
愉しげにララエスタは微笑む。
なかなかに凄まじい発言だった。要はお前が生贄になればいいんじゃないのか、と言っているわけだから、怖いものなしにもほどがある。
しかし、ルシェドもルシェドでまったく感情を動かさない。
「私はただの神子だよ。ここより上位の世界の神の天泪を宿した人間でしかない。それも、強度においてはルナに大きく劣るね。私が他の神子と決定的に違うのは、初めから主導権が器の方になかったという点だけだ」
「じゃあ、他には?」
「他? どうだろうな、あまり考えたことはないが…………あぁ、そうか、そうだね、あるにはあるのかな。まったくもって現実的ではないけれど」
「それって団長基準で?」
「もちろんそうだよ。……蒼黒の太陽。あそこはあらゆる意味で例外となっていてね、全ての法則がとうに破壊され尽くしているんだ。もしあの相克が崩れたのなら、そこにある二つの器はこの人間界に降り立つことになる。そして、レティソラエールの器には魂がない。あの器なら、十二分の余裕をもって彼女を宿せるだろう」
「なら、トールヴェンさえなんとかすれば、儀式を用いる必要もなく全て解決するというわけね。……それで、貴方とルナの二人掛かりで言う事をきかせる事は出来ないの?」
「それは無理だろうね。仮に私が人間の器ではなく、かつて在った本体を行使できたとしても、ただ勝つことすら容易ではないだろう。或いは『夜』が本体で戦えたのなら可能性はあるかもしれないが。その状況を用意するには、それこそ上位世界でこれよりも大きな儀式をする必要が出てくるだろうな」
「ふぅん、なるほどねぇ。――だって。参考になったぁ?」
ララエステの視線がルナに向けられる。
「うん、凄くなった。ありがとう」
ルシェドを討つのは不可能だ。それは今回の件ではっきりした。けれど、こうして交渉に持ち込むことは出来た。
トールヴェンを従えるのも無理らしいが、知性をもった存在である以上、交渉の余地がないという事はないだろう。なら、まだまだ望みはありそう。
「……ねぇ、お義父さま、そのトールヴェンについて教えて欲しいな。お義父さまの知ってること全部」
次回は8月27日に投稿予定です。
よろしければ、また読んで頂けると幸いです。




