18/また堕ちる
十回ほど得物を交えて解ったのは、出力の差はそこまで大きくないという事。
ただ、技術の差は相当なもので、アステアの攻撃は防御に専念しているシャルロットを容易く突破し、既にいたるところから血を流す結果を齎していた。
なんとか致命傷は避けているが、この調子では――と、考えてうちに、その時が訪れる。
ノーマークだった鞘を不意に突き出されて、鳩尾への直撃を許してしまったのだ。
一瞬、呼吸と身体が止まった。
決定的なその隙を逃す筈もなく、アステアは刺突を放たんと腕を引き、だが突き出すことなくバックステップした。
直後、ナイフが彼女の眼前を横切る。
「間一髪だったね」
視線を声の方に向けると、そこにはリグチラの姿があった。
そして彼女を抱えて空へと現れたファリンが、翼を大きく広げ、敵の回避先に閃光をばら撒く。
それを自身の閃光で相殺し、アステアは微かに目を細めた。
「天使がなぜ、悪魔の味方をするのかしら? エンシェの匂いはしないようだけど、他にも悪魔を許容する度し難い勢力がいるという事? まったく、酷い話ね。本当に、酷い話」
その声には、熱があった。
比喩ではない、広がった音が大気に灼熱をもたらしたのだ。
蜃気楼のようにアステアの身体が揺らめく。その揺らぎの中で、彼女の背に純白の翼が顕現した。
焔と光によって構築された翼だ。シャルロットと同じ太陽の魔法によって生み出された翼。
「審査の時間はもう終わり。残念な結果だったわ」
ゆらゆらと揺らめく翼が、鞭のように振り抜かれる。
まともに受けるのは危険そうだ。それに、不自然な魔力の動きも感じられる。見えている翼のほかに、視認できない翼も展開されているのだ。視覚に頼っていると、その奇襲に対処できない。
(二人は大丈夫)
当然のようにそれを看破して、対処してくれている。
だったら、とシャルロットは両目に魔力をより強く込めながら、大きく距離をとり、二人が隙間を作ってくれることを期待して、最大出力の攻撃を連発できるように魔力を展開し――
「――その暴力でなにをするつもりだ? この汚点が!」
突然、父の声がした。
マヌラカルタを抑えている筈の彼が、背後にいたのだ。
驚く間もなく、背中に熱い痛みが走った。
咄嗟に身体を捻ったから致命傷は免れたけれど、右肩を剣で貫かれる。
リグチラもファリンもその気配には全く気付けなかったのだろう。完璧な奇襲を前に意識を逸らしてしまって、そのわずかな隙をついて放たれた閃光に撃ち抜かれ、それぞれ利き腕と軸足を潰された。
「良くやりました。やはり貴方は役に立つ。さて、どうしましょうか?」
アステアの視線がちらりとこちらに向けられる。
「このような穢れに、貴女様が手を下すほどの価値はありません。この汚点は、私が始末します」
手にしていた剣を強く握りしめ、ダノラウトが言った。
「おとう、さま……」
「汚らわしい悪魔憑きが! 気色の悪い言葉を並べるな!」
怒りに任せて振り抜かれた一撃を細剣でなんとか受け止めたけれど、続けて放たれた頭突きに反応出来ず、脳を揺らされる。
立っていられず片膝をついたところで、間髪入れずお腹に衝撃が走った。
「死ね! 死ね! 死ね!」
ダノラウトは何度も何度も爪先でシャルロットを蹴る。
内臓の破裂を防ぐために差し込んだ左腕が折れる音が、嫌に大きく響いた。
「――っ、止めろ! 薄汚い人間が!」
焦りを滲ませた怒声と共にファリンがこちらの援護をしようと翼を広げるが、
「感情的ね、まるで取りに足らない凡人のようだわ」
つまらない呟きと共に接近を果たしていたアステアによって、その翼を斬り裂かれてしまった。
そのまま続けて振り抜かれた斬撃は、なんとか間に入ったリグチラによって防がれたが、半死のシャルロットをフォローする余裕まではなさそうだ。
視線を二人に流し、それをしっかりと確認してから、
「ふふ、あははは! これで、これでようやく私は、全てを取り戻せる」
と、ダノラウトは恍惚に満ちた笑みを浮かべ、それからまた憤怒如き表情でシャルロットを見下ろして、
「まだ苦しめ足りないが、今度こそ終わりだ。さぁ、死ぬが――」
言葉の途中で、ダノラウトの首が一回転した。
がくんと頭が下がって、両膝を地面につき、前のめりに倒れる。
まったく予期していなかった光景に、シャルロットが呆然としていると、
「あ、あれ? もしかして、やっちゃダメな奴だった?」
一切の気配なく頭上から降り立つとともに、ダノラウトの顎を蹴とばしたモルガナが不安そうな表情をこちらに向けた。
「い、いや、でも、もう一人近くにいるし。なんか蹴ってよさそうな顔してたし、実際私の友人に手を出してた不届き者っぽいし、私の行いはこの場の最善だった! …………で、あってる、よね?」
彼女は本当に不安そうだ。
ここですぐに感謝の言葉を述べられたら良かったのだが、さすがにショックが強くて何も言えなかった。
自身に生じた混乱と衝撃を振り払うように、シャルロットはよろよろと立ち上がり、呼吸を整えて周囲を見渡す。
いつのまにか、アステアの姿は消えていた。どういう方法でそれを行ったのか、リグチラとファリンも理解できなかったようで、きょろきょろと視線を彷徨わせながら警戒を強めている。
「――え?」
と、そこで、目の前に居たダノラウトの死体も忽然と消えていたことに気付き、シャルロットは間の抜けた声を漏らした。
「これは一体どうなっている?」
戻って来たマヌラカルタが、困惑した様子でモルガナに訪ねる。
その問いに、むしろモルガナも困惑を覚えたようで、
「どうって、見たままではないか? 他に何を言えと言うのだ?」
「それがどうして起きているのかを聞いているんだ」
「原理なんて私に求められてもなぁ、夢の事なんて私も良く知らないし」
「……夢? それって、どういうことですか?」
聞き捨てならない言葉に思わずシャルロットが反応すると、モルガナは驚いたように目を見開いて、
「え? なに? もしかして、そこから判ってないの? 此処、おかしなことだらけじゃん。契約者の力は使えないし、死人が生きてるなんて矛盾にも塗れてるし……あぁ、そっか、それも疑えない段階なのか、この階層は」
「階層って、どういうことですか? ここは、夢の世界なの?」
「そうだよ。といっても、もちろんただの夢じゃない。なにせ、此処に居るほぼ全てがそれを共有してるし、現実の方が活動停止してるみたいなものだし。……ふむ、この場合、果たしてどちらが人類の世界と言えるのだろうな? まあ、いずれにせよ、この場にもう用はない。静かに話が出来る場所に移るとしようか。我が友よ」
途中で大仰な芝居がかった口調を取り戻したモルガナが、こちらに手を差し伸べてきた。
まだ事態は呑み込めていないが、状況をより詳しく知るためにもモルガナとの会話は重要だ。拒む理由はないとシャルロットはその手を掴み、
「……あれ?」
忘れ物を思いだしたようなモルガナの反応に触れることになった。
彼女はきょろきょろと視線を彷徨わせ、眼を閉じて眉を顰め、両手で頭を抱えて、やがてその場にしゃがみこみ、
「そうじゃん。そうじゃん。私も爺やの力使えなくなってんじゃん! ヤバい、自力で帰れなくなっちゃった! うわぁ、やっちゃった、やっちゃったよ私……」
うぅ、うぅ、と呻き声を交えながらぶつぶつと独り言を零しだした。
それを数秒続けたところで、はっと、我に返り、
「だが、まあ、問題ない。魔法が使えないくらいで、この私の絶対性は揺るがないのだからな。何故なら、そう、私は万能の天才なのだから!」
と、また舞台役者のような振る舞いを取り戻すが、その言葉を聞き終わる前に、シャルロットの身体は脈絡のない落下に襲われていた。
この世界に、無数の穴が開きだしたのだ。その最初の現象に巻き込まれた。
そうして声を上げる間もなく、シャルロットは最下層の夢の世界へと落された。
§
「……ふむ、この穴、私は落とさないのか。我が友ほど侵食されていないという事なんだろうが……まあ、壊すことは出来そうだな」
自分を呑み込まない足元を冷めた表情で眺めていたモルガナが、そこで少し表情を曇らせて、
「でも、どうしよう、さすがに最深部に行くのは怖いなぁ。でもでも、友人のために死地に飛び込むとか、なかなか経験できない事だよね? 私友達いないし……いや、零ではないけどね、ないよね? ……ねぇ、爺や、って、今はいないのか。寂しいなぁ……ってか、私、何しにここに来たんだっけ? 観光? いや違う違う。そうだよそう! 私は相談に来たのだ! ならば、助けに行けない道理など、どこにもないな! よし、やる気が出てきたぞ!」
感情を行ったり来たりさせながら、最終的に結論を出したようだ。
立ち上がり、魔力を込めた右足を大きく振り上げ――と、そこで、足を止めて、モルガナはリグチラに視線を向けた。
「その前に、他の子にも聞いておこうか。ちょうど、いい感じの年齢の少女がいっぱいいるし……」
流した視線がファリンで止まったところで、
「少女?」
自分の発言に疑問を覚えたようだ。
その失礼な反応にファリンも少し眉間に皺を寄せたが、怒りを返すほどではなかったようで、周囲の警戒へと戻った。
面倒にならなかった事に安堵を覚えつつ、リグチラは彼女がまた口を開く前に訪ねる。
「貴女の恋の相談に乗る事は問題ないけれど、その前にいくつか教えてくれないかな? ここは具体的にどういう場所なのか、どのような影響力をもっているのか、そしてこの世界を構築しているのは誰なのか。あぁ、脱出方法なども聞きたいところだね」
「……多くない? まあ、いいけど」
そこで咳ばらいを一つしてから、モルガナは高慢な女王のような表情をつくり、
「ここは第二層だ。第一層と違い多くの事に疑問を抱けないようになっている。その下にある最下層まで落ちれば、不自然のなにもかもを受け入れる事となるだろう。そして、この世界は常に沈み続けており、いずれは全ての存在が最下層に行きつく構造となっている。行使者については断言できないが、多分、さっき蹴とばした奴だろう。同じ階層に二人もいたしな。脱出方法については、現状は叶わない。少なくとも、こちら側からは無理だ。現実世界でさっきの奴を始末する必要がある」
「けれど、神子も呑み込んでいる夢なんだろう? 今、外で起きている人なんているのかな?」
「神子で此処に落とされたのは、シャイアとシャルロットの二人くらいだろう。あの二人の魔力は全てに行き届いていないからな、隙間をつかれたのさ。他の神子には届かんよ。私のように自主的に来ない限りは、影響を受けていない筈だ。それと、この魔法は出力よりも色格の方が価値をもっているようだからな、神子以外でも何人かは無事なはずだ」
「つまり、そのうちの誰かがこの状況を看過しないのを期待するしかないという事だね。貴女に心当たりがあるのなら、ここで安堵の息を吐きたいところだけど、どうなのかな?」
「……」
モルガナは口元に手を当て、視線を彷徨わせ、その場を意味もなく歩き回り、ゆらりゆらりと上体を左右に揺らし、左に最大まで傾いたところでぴたりと止まって、
「あれ、もしかして、本当に不味い……?」
と、実に絶望的な言葉を漏らして見せた。
安堵ではないため息が零れる。ファリンにいたっては蔑むような視線をモルガナに向けていた。
「べ、べ、別に、私がやったことじゃないし! なんで、そんな目で見るのさ。やめてよ。つらい。へこむ」
その場にまたしゃがみこんで、モルガナはぐすぐすと泣き出した。
情緒が不安定なのは相変わらずのようだが……
「……どうしよう? 私、帰れないの? 独りぼっちで死んじゃうの? 一人、また一人……」
ちょっと、本気で危なそうな感じがする。
(何か声を掛けた方がいいか)
そんな事を思ったところで、こちらに近づいてくる気配をリグチラは捉えた。
ノスティワだ。ジュード社に置いてけぼりになっていた彼女が、翼を広げてこちらにやってきたのだ。
そして、
「可能性はあるわ。正直、頼れるかどうかは難しいところだけど、ね」
と、不安の残る救いの言葉をくれたのだった。
次回は8月25日に投稿予定です。
よろしければ、また読んでやってください。




