10/堅実な選択
アステア・ディ・グゥオン。
シャルロットの母にして、この国の英雄。その影響力はスロウに迫るほどだったと、よく使用人たちは口にしていた。実際、下手をすれば不敬罪になりそうな事を平気で並べられるほどには、彼女の存在は傑出していたのだろう。
銅像の類もそれなりに建てられていたし、シャルロットが悪魔憑きになっても、彼女の名声が汚れる事だけはなかった。今にして思えば、それも随分と作為的な話だけど。
(……戻って来たって、生き返ったって事なのかな?)
スロウがそれを願い、カラエルとエルラカの力が成し遂げたという事なのか。
死者の蘇生。それも十年以上も昔の人の復活。普通に考えればあり得ないが、神が絡んでいる以上、ないとも言い切れないのだろう。
なんにしても、この目で見ない事には始まらないと、シャルロットは急ぎ足で彼らの後を追いかけて、祭りのピークのような人だかりに出くわす事となった。公道が完全に塞がれている。
「勝手な行動は取るな。それ以上人ごみの中には入るな。対処が難しくなる」
憮然とした表情で言いながら隣に並んだファリンが、シャルロットの腕を掴んで言った。
「……すみません」
彼女の力に逆らうことなく、そのまま三歩ほど後ろに下がる。
そこでファリンは手を放して、周囲を見渡し、
「それにしても、凄い数だな。これは一体何の催しなんだ? アステアという人物が原因のようだが、貴様の知り合いなのか?」
「……私の、母の名前です」
躊躇いがちに、シャルロットは答えた。
「貴様の? だが、貴様は神子だろう?」
「はい、だから、私を生んですぐに亡くなっています。でも、他にアステアという名前でここまでの影響力を持つ人は、この国にはいないと思います」
「なるほど。確かに、それなら気になるのも仕方がない、か」
口元に手を当て、眉間に皺を寄せながら、ファリンはやや困った表情でそう呟く。
呟いてから、
「む、無論、だからといって勝手な行動を許したわけではないぞ! それは違えるなよ!」
と、押し殺した声で続けた。
心なし頬が赤いのは、気のせいだろうか。
「と、とにかく、確認は必要だな。どこか見晴らしのいい場所、屋根の上にでも移動するべきだろう」
「それは止めた方がいい」
静かな声で、ノスティワが口を挟んだ。
「何故ですか?」
「誰もしていないから。不必要に目立ってしまうわ。そして多分、この相手の目につくような真似は避けた方がいい。スロウが関わっているのは、ほぼ間違いないのだから」
「そうですね。それに、貴女の肩でも借りれば、目立つ行動など取らなくても必要最低限の視線の高さは確保できるでしょう。こんな風に」
言って、マルテシアはおもむろにファリンの両肩に手を乗せて、軽いジャンプと共に腕を真っ直ぐに伸ばした。
そのタイミングで一際大きな歓声が左手から聞こえてくる。観衆の目当てが近づいて来ているのだ。
「……人間風情が、こちらの許可なく勝手なことをするな」
怒りを滲ませた声と共に、ファリンは背中の相手を振り落とそうと勢いよく身体を捻った。
それを完全に予期していたマルテシアは直前で身体を離し、
「では、彼女に許可してあげてください」
と、いつもの無表情でそう言った。
数秒ほど、睨み合いが発生する。
先に折れたのはファリンだった。
「……まあ、いいだろう。今回だけだがな」
「あ、ありがとうございます」
そっぽを向きながらぼそぼそと言う彼女に感謝を述べて、シャルロットは視界を遮っていた群衆の頭一つ半くらいの高さを手にする。
その状態で左手に視線を向けると、二頭の角突き白馬に引かれる馬車を確認する事が出来た。その前後を、四足歩行の召喚獣に乗った騎士たちが警備している。魔力の質からして精鋭。
(……お父様)
最前列で彼らを指揮している人物を前に、シャルロットは少し表情を曇らせた。
彼が此処に居るという事は、やはり馬車の中に居るのは、母という事なのか……
「――アステア様だわ! 本当にアステア様だ!」
窓が開かれ、そこから誰かが手を振ったところで、悲鳴のような声があがった。
その声は一気に伝播して、彼女の名前を呼ぶ大合唱となる。
(凄まじい喧しさだな。いっそ狂気的だ。……しかし、目的地は王宮か。外からゆっくりと馬車を使って、神の元に戻るという演出というわけだな。つまり最後はスロウが主役となる。その奇跡を為したものとしてな。まったく、白い羽虫共が好みそうなことだよ)
マヌラカルタがつらつらと言葉を並べて間にも、馬車は着実にこちらに近づいて来ている。
もう少しで横切る。
緊張感が高まってきているのが、手に滲んだ汗でわかった。心臓の様子も、いよいよ怪しくなってきている。
(……怖いのかな、私)
自分の感情が良く判らなかった。
ただ、眼は逸らせない。
そうして、シャルロットは馬車の中の人物を視界におさめた。
白金色の髪に、澄み切った蒼色の瞳、透き通った肌をした、クリスエレスという国の模範的な美しさをカタチにしたような女性。肖像画で何度も見た姿だ。
やはりというかレナリアによく似ている。けれど、彼女が纏うような暗い空気はまるでなく、そこにあったのは息苦しいほどの気品と自信だった。
まるで、世界の全てが彼女こそが正義だと吹聴しているような、そんな圧迫感。
そういう意味でも、間違いなく彼女はシャルロットの母親なのだろう。
なら、もう此処に用はない。
群衆から離れて、息を吐く。
吐いたところで、
「魔力の気配を捉えた。二人ともここに居るわ」
と、ノスティワが言った。
シャルロットが別の事に気を捉えている間も、並行して捜索を行っていてくれたようだ。
「場所はどこですか?」
申し訳なさと感謝を覚えつつ訪ねると、ノスティワはそこで少しだけ眉を顰めて、
「それが、酷く曖昧。なにもかもがぼやけているような感じ。魔力の鮮度は落ちていないから、生きているのは確かだけれど、それ以外が断定できない。おそらく、向こうもこちらをそう捉えている可能性がある」
「でしたら、なにかしらのアクションを起こして、その辺りの確認もしたいところですね。……ふむ、いっそ暴れてみますか?」
淡々とした口調で言いながら、マルテシアが細剣に手を伸ばした。
「なかなか物騒な事を言う娘だな。まあ、嫌いな選択ではないが」
と、ファリンも乗り気だ。
とはいえ、さすがにその選択はリスクが高すぎる。
「いえ、それは止めておきましょう。今はまだ地道に探した方がいいと思います。気配は捉えられているわけですし」
そう結論を出して、シャルロットたちは群衆から更に離れ、落ち着いて魔力探知が出来る場所へと移動する。
「……残念です」
その背後で、ぽつりと、マルテシアの淡々とした声が響いた。




