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君>世界   作者: 雪ノ雪
第八章『死者の未来』
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09/報せ

 星舟に戻ったところで、ヴラドは掴んでいた足首を離した。

 それなりに長い時間引き摺ったからか、鼻から血を垂らして、その顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。

 ちなみに、ここまで暴れることなく大人しかったのは、雷の魔法を用いて神経を麻痺させていたからである。もしその処置を施していなかったら、アンフェノの状態はもっと酷い事になっていただろう。

「こ、殺す! 殺してやるわ! お前っ!」

 その麻痺がちょうど解けたところで、立ち上がったアンフェノが周囲に光球を展開し、臨戦態勢に入った。

 リリスが制止する間もなく、閃光を乱発しながらこちらに向かって地を蹴り、またもお粗末な身体制御の所為で真っ直ぐに進めずに、壁に正面衝突する。

「う、きゅ……」

 衝撃でひっくり返り、変な声を漏らしながら失神した。

 いっそ、芸術的なレベルの醜態である。

「これをまだ運用するのか?」

 ジト目で、ヴラドはリリスに問うた。

「するわよ、もちろん。戦力が足りないのは事実だもの。それに、わたしの娘なんだから呑み込みは早いはず。きっとすぐに肉体の扱い方にもなれるわ」

「お前が一向に慣れていないのに?」

「わたしの場合は、お前が魔力を渋ってる結果でしょう? わたしは運動音痴ではないわ。むしろ、こんなに少ないエネルギーしか与えられていない中で、見事な効率で身体を動かしているのだから、卓越していると評価するべきね」

「なら――」

「だからわたしはこのままでいい。余計な事とかはしなくていい。そんな事よりも、お前が意識を向けるべきは、この現状をどうやって改善するか」

 こちらの言葉を遮って、リリスは口早に言った。自分が運動音痴であると認めるのがよっぽど嫌らしい。

「う、うう、痛い、ぐす、ママ、慰めて……」

 意識が戻ったアンフェノがよろよろと身体を起こしながら、そんな事をねだる。

 それにため息を零しつつ、リリスはヴラドのコートのポケットからハンカチを取り出して、彼女の涙と鼻水塗れの顔を拭きながら、

「次、勝手な行動をしたら、最終日まで星舟の中で待機だから。わかった?」

 冷たい笑顔でそう言った。

 すると、アンフェノはまたぽろぽろと涙を流し、鼻をすすり、

「……はい、ごめんなさい、ママ、だから嫌いにならないで」

 と、縋りつくようにしがみ付きながら謝った。

「わかればいいの。じゃあ、これから、その男に身体の使い方を学びなさい。接近戦が出来ないのは、さすがに厳しいからね」

「えっ!? な、なんで?」

「接近戦が出来ないのは厳しいからよ。今言ったでしょ?」

「じゃなくて! ……な、なんで、こんな奴の言う事聞かないといけないの?」

「わたしの半身だから。これも前に言ったわ。あぁ、別に拒んでも構わないわよ。星舟で大人しくさせるだけだから」

 有無を言わさない口調に、アンフェノは絶望的な表情を見せてから、こちらを殺意に塗れた視線で睨みつけ、うぅ、うぅ、と唸り声をあげてから、またリリスに視線を戻し、

「こ、心の準備が必要です。今すぐは無理!」

 と、叫んだ。

 リリスへの依存度は高いが、ヴラドへの嫌悪感も相当に高く、両者が拮抗しているといった感じだ。ある意味では、自然な依存ともいえるのかもしれない。

「心配しなくても、今すぐじゃないわ。こちらも今すぐ確認しなければならない事が見つかったしね」

 そう言うリリスの声には、抑えきれない憎悪の色があった。あの場にスロウが現れたことが、よほど気に入らなかっただ。

「というわけだから、今からクリスエレスに行くわ。そこに行けばきっと、色々とはっきりするでしょうしね」


                §


 プレタが消息を絶ったという報告が、自室にいたシャルロットの耳に届けられた。

 定時連絡の時間になっても連絡がなく、彼女に持たせていた『番石』もクリスエレスに入ったところでその発信を止めてしまったらしい。

 何故クリスエレスに向かったのかは現時点では不明だが、その直前に「アンナと行動を共にすることになった。詳しい事はある程度状況が見えてからする」という報告が届けられていたようだ。なので、さすがに無関係という事はないだろう

「……判りました。その対処は私が行います」

 報告をくれた天使にそう告げて、シャルロットは外出の支度をしながら、今このサラヴェディカには誰がいるのかを確認する。

 場所が場所なだけに、さすがに一人で行くのは心細かったのだ。かといって場所が場所なだけに、他人に丸投げする気にもなれなかった。

(ちゃんとした戦力は揃えて行けよ? 貴様のお守りなど、私にはストレスでしかないのだからな)

 影の中にいるマヌラカルタがため息交じりに言う。

 こちらだってこの悪魔の手を借りるのは基本的に嫌なので、まったくの同意見なのだが……何度確認しても、ウィンとクーレの不在が覆る事はなかった。

 どこに行ったのかも、いつ帰ってくるのかも不明。この二人に頼るのは諦めた方がよさそうだ。

 とりあえず募集をかけてみる。

(たしか、この端末の、ここを押せば、全員に情報を送れるんだよね?)

 恐る恐るその旨の発信をすると、返答はすぐに届けられた。

 了解してくれたのは、ノスティワ、マルテシア、ファリンの三名。

 やや意外な面子だが、二人の次点の戦力としては十分だ。

「では、クリスエレスへの同時転移をお願いします」

 サラヴェディカのシステムを管理してくれている天使に告げ、シャルロットは目の前に発生した空間の裂け目の中に飛び込む。

 出た場所は、プレタが拠点にしていたレナリアの屋敷の中だった。

 そこにノスティワとマルテシアが同じ空間の裂け目から現れて、少し遅れて別の裂け目からファリンもやってくる。

「……嫌な場所だな、早々に出るべきだろう」

 閉め切られて淀んだ空気の所為か、それとも此処にこびりついているらしい感情を嫌ってか、ファリンはそう言ってすたすたと出口に向かって歩き出した。

 特に此処に用があるわけでもないので、大人しくそのあとに続いて外に出る。

 曇天の空が迎えてくれた。今にも雨が降りそうだ。

「傘を持ってくれば良かった」

 ぽつりとノスティワが呟いた。

 いつもの無表情のようでいて、どこか憂鬱そうな気配。これも、これまでの彼女にはなかった機微である。

「道中で買えば問題ありません」

 淡々とした口調で、マルテシアが言う。

(そういえば、同じ空間から出てきたんだよね)

 ということは、ノスティワとマルテシアは同じ場所にいたという事だ。

 少し複雑な関係の二人だけど、お互い歩み寄ろうとしているのがわかって、他人事ながら安堵を覚える。

 覚えたところで、不意にマルテシアの視線がこちらに向けられた。

「そういうわけなので、先にお店に寄りたいのですが。よろしいでしょうか?」

「はい、大丈夫ですよ。場所も判っていますので案内しますね」

 四人はレナリアの邸宅をあとにし、周囲に魔力の波を飛ばしてプレタの気配を探しながら、ひとまず繁華街へと足を運ぶ。

(それにしても、静かだな)

 まあ、此処は二つの内門の中にある領域なので、元々人口密度は薄いのだが、それにしても人が殆どいない。

(……あぁ、そうか)

 その理由を、大破した内門を目の当たりにしたところで思い出した。

 ララエスタの凶行によって、此処に住んでいた人は皆殺しにされたのだ。つまり、今此処に居るのは外から入ってきている人たちの筈で――

(――待って、おかしい)

 略奪や争いの気配がまるで感じられないのは、一体どういうことなのか。

 まだそれほどの時間が経っているわけでもないのに、この落ち着きようはどう考えても普通ではない。

 それに、死体がまるで見当たらないというのも不自然だった。統制が失われた状況で、そんなところが最優先で処理されるとも思えないからだ。

「どうやら、スロウは再臨を果たしたみたいね。カラエルとエルラカの力があれば、器を用意する事自体はそれほど難しくもないでしょうし、保険でもかけていたのでしょう」

 口元に手を当てながら、淡々とした口調でノスティワが言う。

 たしかに、彼女が自ら行動すれば、秩序の維持も死体の処理も簡単だろうし、そう考えるのが自然だが……。

「いずれにせよ、今我々が優先するべきは、ルナ・オルトロージュにとっての重要な要素と考えられる、アンナ・リベルリオンの発見だろう。そちらの疑問はついでに回収すればいい。違うか?」

 影から顔をだしたマヌラカルタが言った。

 他意はなさそうだ。まあ、元より利敵行為は出来ないので、そこを疑う必要もないのかもしれないけれど。

「それでは、当初の予定通り二手に分かれて探しますか? それとも有事に備えて一つに纏まって行動しますか?」

 マルテシアの視線が、再びこちらに向けられる。

 決定するのは、やはり旗頭であるべきという考えなのだろう。

「そうですね、では、このまま――」

「おい、急げ! もう始まってしまうぞ!」

 背後から響いた大きな声が、シャルロットの声をかき消した。

 見ると、屋敷から出てきた人たちが慌てた様子で駆けだして行く。向かう先は、どうやら大破した内門の外のようだ。

 その足音をきっかけにするみたいに、続々と人が外に出てきて、皆一様にそちらに向かって移動を始め、

「ほら、みんな急いで! アステア様の凱旋なのよ! 絶対に最前列で見るんだから!」

「……え?」

 子供の手を乱暴に引きながら母親と思しき女性から紡がれた名前に、シャルロットは間の抜けた反応を浮かべる事しかできなかった。


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