08/可愛い愚者
そうしてマウロを監禁し、デューリの姿をリグチラに戻したところで、彼らの面倒をククルとラミアに押し付けて、ヴラドたちは再びルウォへと戻って来た。
水分補給だったり間食にも少し時間を取ったが、離れていた時間はせいぜい二十分程度だったと思う。
そのわずかな時間で、異変は病院どころか街中に蔓延していた。
「本当に無差別だったみたいね。感染速度もずいぶんと――いえ、これは同時期に発症した、潜伏期間をもった魔法という見方をした方が良さそうか。まあ、いずれにしても、この混乱は我々にも有益。今のうちに、都市魔法陣の一部を破壊しておきましょうか」
「何故?」
「他の逃走手段を確実に無くすためよ。腐っても支配の王だからね。潰せるものは出来るだけ潰しておきたい」
「わかった」
リリスの提案に頷き、早速行動に移る。
要所の警備は当然のように厳重だったが、肝心要の兵隊の方が漏れなくやられてしまったようで、まともに警備が出来る状態にはなかった。
なので特に暴力に訴える必要もなく、魔方陣の支点にはめ込まれた魔石の破壊に成功する。
それを三度ほど繰り返したところで、ようやく障害に出くわした。
魔方陣を守護している施設に入ろうとしたところで、背後からナイフが迫ったのだ。
上体を逸らして回避し、刀の柄に手を乗せつつ振り返ると、そこには見知った不快極まりない顔が一つ。
「……なんだ、誰かと思ったらクリスエレスの残り滓か。なんでお前がこんなところにいるのか、全く興味が湧かないわね」
心底つまらなそうに、リリスが言う。
その挑発に、ダノラウトとかいう名前の男は大きく目を見開いて、
「忌々しき悪魔憑きが!」
と叫び、直後に血反吐をぶちまけた。
その口の中にお返しのナイフを投擲してやったからだ。角度的に脳には届かなかったようで致命傷とはいかなかったが……まあ、別に構いはしない。
徹底的に痛めつけてから、最後に自らのハラワタで絞め殺してやろうと、ヴラドは軽やかに地を蹴って、長刀を振り抜いた。
狙いは足首。未だ自分のダメージに意識が向いているダノラウトはこちらの接近にろくに気付くこともなく、殆ど無防備で――
「――結局、元騎士も変わりませんね」
呆れるような独白と共に、ダノラウトの背中から光の粒子として現れたルプテが、具現化と同時に翻した翼をもってこちらの斬撃を受け止めた。
そして翼の後方に展開していた閃光を乱発して、ヴラドを遠ざける事に成功する。
「……紛い物の神子、カラエルとエルラカの遺物か。奴等がもっと苦しんで死んでくれていれば、今わたしの胸に内に湧き上がっているこの怒りも、少しはさらさらしたものになっていたのかしら? ねぇ、お前はどう思う?」
「変わりはしないでしょう。穢れた火は憎悪しか生み出せないのですから」
顕現した光の槍を両手で構えながら、ルプテが六枚の翼を大きく広げる。
全ての翼を展開しているという事は、万全に近い状態という事だ。全力で攻撃に専念されたら死ぬしかない。
ただ、魔方陣を守りに来たのなら、此処で神子の本領を発揮することは出来ないだろう。
それなら特に大きな問題もない。
長刀に魔力を収束させつつ、再び地を蹴る。
優先して潰すのはルプテだ。ダノラウトの方はその合間に削っていけばいいだろうという考えで追い詰めていく。
「――っ!?」
三秒程度で、右肩、左腕、左脇、右頬、左膝に損傷を負わされたルプテが、恐怖に歯を食いしばった。
向こうの強度の所為で、まだ動脈にまでは届いていないが、同じ個所を抉っていけば、いずれは届くだろう。
「どうして……?」
「以前は互角以上に戦えたのに、こんな一方的な展開になっているのかって? 簡単な話よ。お前に進歩がないから。それだけ」
優しい口調でリリスが言う。
実際、その言葉通りルプテの動きは前回とまったく同じだった。こちらが相手の癖や速度、技術などを前提に戦い方を組み直したのに対して、あまりにも無策だったのだ。
まあ、ここで戦う事になるとは思っていなかった、というのが大きな要因ではあるんだろうが。それにしても想定が甘い。
(とはいえ、殺し切るのはやっぱり難しそうね。これ以上追い詰めるのは止めた方がいい。なりふり構わず捨て身をされたら防げないしね)
(逃がすのか?)
(ええ。そのうえで尾行して、背景を洗っておきましょう。それでいいわよね?)
(……いや、その前に男の方の魔法を確認しておきたい)
そう言葉を返して、ヴラドはおもむろに距離を取り、いつものごとく奇襲用に奥歯に仕込んでいた核を砕いて、氷の散弾をダノラウトに放った。
ルプテは自身の防御に専念していて、そちらのカバーは出来ない。必然的にダノラウトだけの力で対処する必要がある。
そしてこの男の魔法は、以前のままだったのなら光に纏わるものだったはずだ。そういう色をしていた。足の置き位置も良くないこの局面なら、まず間違いなく魔法による迎撃を取るはず。出力ではヴラドを上回っているのだから、迷う必要もない。
だが、ダノラウトは不格好な回避という選択を取り、躱し切れなかった礫の一つによって右の足首を失った。
まったくもって悪手もいいところだが……
(……得物でつけた傷も魔法でつけた傷も、同じ速度で治ったわね。ただの自己治癒能力でも魔法でもない。契約者としての器以外の部分も相当に弄られている。疑似的な不死が備え付けられていると見ても良さそうか。だから強度にそこまでの魔力を注いでいない。……いや、注げないのね。それは羽虫の方が担っているから。代わりに、羽虫の方も軽度の傷を未だに治せないでいる。契約者として共有できるものが極端に少ない。或いは多すぎて分担するしかなくなっているのか。まあ、なんにしても、紛い物らしい特性ね。核の方も間違いなく歪められているみたいだし、こういうのがまだ他にもいるのだとしたら、安易な尾行も考えものか)
リリスがそんな結論を出したところで、頭上から急速にこちらに近づいてくる気配を捉え、ヴラドは挟撃を避けるように、大きく右後方に飛び退いた。
直後、六枚の翼を携えた天使がもう一人、天井をぶち破って姿を見せる。
スロウだ。ルシェドに処分されたはずだが、こちらも復活したらしい。また新たに再契約したという事なのだろう。それがすぐに行われるような保険が掛けられていた。まあ、こちらはまだ本調子ではなさそうだが。
「日頃の行いのおかげでしょうか、頭痛の種の一つをこんなところで処理できるとは、まさに僥倖ですね」
冷ややかな微笑を湛えながら、スロウが臨戦態勢に入る。
逃げ道は既に確保出来ているが、向こうのスタンス次第では不味そうだ。
「ルプテ、此処の魔方陣は諦めます。それよりも、裁きを優先させてください」
(ブラフよ。その気はないわ。こいつらは魔方陣を残したい。少しでも生存確率を上げるためにね)
確信を持った聲でリリスは言った。
そこに強い怒りが滲み出ているのは、この世界を放棄するという選択を神が選んでいるという事に対してだろうか。
まあ、なんにしても、制限なしで仕掛けてこないのなら、此処での目的を果たしてからの撤退も十分視野に入れても良さそうだ。
掌を裂いて、そこから溢れさせた血液に、コートの内ポケットに入れてる三つの核を取り込ませる。
雷と炎と魔法だ。それを導火線のように施設内にある魔方陣に向かって走らせながら、ヴラドは三対一という一見不利な戦いに身を投じる。
(どうやら気付かれてはいないようね。技法だけで出し抜けるなんて、お前を褒めるべきなのか相手を蔑むべきなのか、少し悩むところだけど……それはそうと、先程よりも楽そうね。どうしてかしら?)
(足手まといの使い方に慣れてきたからな)
愉し気なリリスにそう返しつつ、ヴラドはダノラウトを蹴とばして、こちらに攻撃しようとしていたスロウの射線を潰した。
こうやって常にダノラウトを間に入れてしまえば、面白いくらい簡単に天使共は攻撃を中断する。もちろん、それは彼女たちの善性から来ているものではないだろう。
(思った以上に重要な駒みたいね、そいつ)
と、そこで、新たに近づいてくる気配をヴラドは察知し、小さくため息を零した。
(なに? 何か問題でも――)
そこで、リリスも気付いたようだ。
動揺からか少し思考が停止し、そのあと怒り嘆きを孕んだ感情を漏らす。
そのタイミングで、迫ってきていた気配がスロウ目掛けて閃光を放った。
出力はかなりのものだ。下手に防ぐと消耗が大きくなると判断したのか、スロウは大きく後方に飛び退くことでそれを処理する。
「なんで避けるの? 大人しく当たって死ねばいいのに……」
やって来たそいつは、不貞腐れたような表情でぼやき、
「……まあいいや。すぐに殺しても退屈だしね」
と、大きく広げた四枚の翼に魔力を集中させて、閃光を乱発しはじめた。
精度も展開速度も申し分ないが、こちらを全く配慮していない上に、狙い自体も単調すぎる所為か、簡単に対処されて、あげく敵が団子になる状況を許してしまう。
これではもう、アドヴァンテージは活かせない。
(お前の指示か?)
(……そんなわけないでしょう?)
いつもだったら不快感を露わにするか、小馬鹿にするように言葉を返してきただろうが、今回は元凶が実の娘だからか、リリスの声にはまるで力がなかった。
(とにかく、中身がばれるのは不味いわ。上手く回収して。……お願い)
(だったら、もう余計なことをしないように指示を出せ)
今アンフェノの器となっているのは、ルナが魂を元の器に戻したことで空になっていた無垢の天使を回収して彼女用にある程度弄った代物だった。
本番以外でも戦力になるようにという保険で用意したものだったが、本当にどうでもいい場面で披露されてしまったものである。
「……まだ当たらない。当たれ、当たれ、当たれ! 当たれって言ってるでしょ! ムカつく! こいつらムカつく!」
成果が出ない事に癇癪を起したアンフェノが、両手に光の剣を具現化した。
「いいもん、だったら切り刻んで殺してやるんだから! そっちの方が新鮮だし、楽しめそうだしね!」
嗜虐的な笑みを浮かべ、眼を大きく見開いて、アンフェノはすぐにでも実現してやると言わんばかりの直情さで、地を蹴って――
「――え?」
その身体をまるで制御できずに、あらぬ方向へと突っ込み、咄嗟にブレーキしようとしたが上手くいかずに、盛大に頭から地面にすっころんだ。
こちらへの警戒を維持しつつ迎撃の構えを取っていたスロウもルプテも、これは全く想定していなかったのか、唖然とした様子だ。
(……破壊は諦めだな)
魔方陣に差し向けた魔法を途中で起爆し、そちらにも注意を向けさせつつ、ヴラドは懐から煙幕と閃光と爆音を宿した魔石を複数投げつけ、アンフェノの元に向かいその足首を掴んで、さっさとこの場を離脱した。




