05/知らないのだという事を知る。
以前、二人で食事をしたお店にやってきた。
ルナが記憶障害の演技をしていると確信できたのは、ルシェドの眼が潰えて少し経ってのことだ。
いつもだったら定期的に首を左右に動かして今自分がどこにいるのかを探るのに、それを全くせずに目的地に向かって一直線で歩いている事が決定打だった。
「記憶は、大丈夫なんですね?」
席に座り飲み物を注文したところで、アンナは一応の確認をする。
「うん、大丈夫」
ルナは静かにそう答えて、やって来たジュースにストローをさし、それをぐるぐると四回転くらいしてから、一口飲んで、
「お父様を殺すの?」
さらりと、物騒な言葉を放ってきた。
まったく想定していなかった言葉に、さすがに少し驚いてしまう。……が、彼女の立場を考えれば、それは自然な発想なのかもしれない。
ヴラド・ギーシュを死なせないためには、他の誰かがルシェドを止める必要があるわけだが、現状ではそれが一番有力な方法に思えたからだ。
『……そういえば、訊いてみたかった事があるんですけど、団長とルナ様が殺し合ったら、どっちが勝ちますか?』
以前、アンナがそんな質問をした時、彼はこう答えていた。
『そうだなぁ、今は私が勝つだろうね。さすがに経験が違いすぎる』
『つまり、有している能力自体は五分だと考えているんですね』
『おおよそは、そうだろうね』
多少の含みは感じられたが、嘘をついているようには見えなかった。
極日の儀式を巡った戦争の最終局面まで、おおよそ二十日程度。その程度の時間で得られる経験で、実力差を埋めるのは不可能に近いだろう。
ただし、それはあくまで真正面からぶつかった場合の話だ。今の状況なら不意打ちが成立する可能性は高い。ルナもそれを見越して演技する事を選んだのだろう。だとするなら、暗殺を優先させた方がいい気もするが……
「……いえ、それも選択の一つではありますけど、今は交渉が主体です。そちらに期待できるうちは、強硬に出る必要もないでしょう。こちらにはルナ様もいる事ですしね」
やはりルナにリスクを負わせるのは避けたかったので、アンナはそう答えた。
「たしかに、私が一番お父様から聞き出せるものね。うん、がんばる」
静かにルナは微笑む。
そのいつもの柔らかな声になんとなしの安堵を覚えながら、アンナはジュースをちびちびと飲みつつ、まずはサラヴェディカの情報を共有、続いて彼らが求めている情報をどのようにして聞き出すかのシミュレーションなどを行って時間を費やした。
§
夕方になったところで、ルナと別れ久しぶりに自室に戻って来た。
看板であるアンナも当然一フロアを丸々自由に使えるわけだが、利用している部屋は限られている。非常階段付近の一室だけだ。別に私物が多いわけでもなし、それ以上必要ないというのが大きな理由だった。
特に弄ったりもしていないので、内装はホテルのスウィートルームのままだ。ベッドメイキングなどは頼んでいないので、前に出た時と全く同じ状態を維持している。
住んでいる者の人物像などが窺える要素は、鏡台で眠りこけている化粧箱とテーブルの上に置かれた複数の少女小説、あとはベッドの左手にある棚に置かれた時計の隣に寝かせてある櫛くらいだろうか。
(……いや、服で背丈も判るか。年齢はどうだろ?)
どうでもいい事を考えつつ、細剣をベッド脇の壁に立てかけて、適当にクローゼットから着替えを取り出す。
適当な店で買った無地のシャツにパンツ、寝間着とかはない。戦闘用の衣装を着る際の邪魔にならない程度の分厚さだったらなんでもいいからだ。
脱衣所で脱いだ服を、右手の壁に設置されている衣服用のエレベーターの中に突っ込んで、ボタンを押す。
これで専用の従業員が綺麗に洗濯乾燥をして、翌朝には部屋にまた届けてくれる。此処のサービスの一つだ。綻んでいたりしたら、それも直してくれるらしい。まあ、そこまで傷んだ服を預けたことはないが。
ともあれ、素っ裸になったので、早速浴室のドアを開ける。
広々としたお風呂。そこに備え付けられているボタンを押すと、中に入っている水石と熱石が反応して、ものの十秒ほどで浴槽を熱湯で満たした。
まずはシャワーを浴びて、汚れを落とし、それからお風呂に使う。
それがマナーだと教えてくれたのは、果たして誰だったか……なんとなく、遠い昔の事を思い出しつつ、心地よさに目を閉じる。
ちょうどいい熱さだ。魔力の防護を捨てた状態で肌がひりひりするくらいがちょうどいい。
そうして二十分ほど温まってから出て、タオルで身体を拭き、これも衣類用のエレベーターに放り込んで、頭を左右に振って水気を飛ばしてから、火石と風石によって機能するドライヤーで髪を乾かしていく。
「……ふぁ、ぁ」
欠伸が零れた。
ほどほどに乾いたところで、寝室に戻り、光石の灯りを消して、壁に立て掛けた得物の位置を微調整して、ベッドに潜りこむ。
「さすがに、疲れたな……」
思えば、昨日も一昨日も眠っていないのだ。
神子狩りなどという遊びから始まって、本当な大変な数日だった。一刻も早く眠って、体調を整えるべきだろう。
しかし、なかなか眠れない。
身体は熟睡を求めているのだが、頭がそれを嫌っているような感じ。
まあ、いつもの事だ。多分職業病で、アンナはこれまでに一度も失神などの例外を場合を除いて、深い眠りについたことはなかった。
(ウィンさんとか、クウォンタさんとかはどうしてるんだろう?)
さすがに眠らないという選択はないだろうし、やっぱり自分と同じく周囲の変化に鋭敏であることを優先して、浅い眠りしか出来ていないのか。
(ララエスタさんの魔法があれば、私も眠らなくて済むのになぁ)
まあ、それはそれで時間の潰し方に困りそうではあるが…………
(……眠くなってきたな。五時間、いや、今日は七時間くらい寝よう。たまにはそれくらい休む必要もあるだろうし)
体内時計に、起きる時間をセットする。
目覚まし時計などを使わずにそれが可能なのは、ちょっとした特技といえるのかもしれない。まあ、小道具一つで事足りる技能など、あまり自慢できるものでもないが。
(そういえば、ルナ様は、今もずっと眠たいのかな? あれって記憶障害の影響なのか、それとも……)
そこで、アンナの意識は途切れた。
復帰したのは六時間後。奇妙な気配を感じての事だった。
ベッドから跳ね上がり、壁際にかけていた細剣に手を掛ける。
魔力を広げて周囲を感知。……やはり、嫌なざわつきが胸に纏わりつくような感覚があった。
「なに?」
予定していた睡眠時間が潰されたを事に眉を顰めつつ、戦闘衣装に着替える。
異変は近場ではない。今すぐ対応しなければならないなにかという事もなさそうだった。
(三つ編みは、まあいいか)
焦る状況ではないと判断しながらも、外出の行程を一つ省き部屋を出る。
すると、非常階段を数段飛ばしで駆ける音が鼓膜に届いた。
非常口を開けて外に出ると、ちょうどこの階に降りてきていた男と目が合う。
どこかで見たことのある顔。おそらくはギリアムの関係者だ。
「なにがあったんですか?」
「そ、それは、その……」
第七位の席につくアンナの事を当然知っている彼は、不安を滲ませるように視線を彷徨わせ、言いよどむ。
「私には言えない事なんですか?」
「い、いえ、そういうわけではないのですが……」
意を決したように顔を上げ、彼は「団長が襲撃を受けて生死不明である」という理解に苦しむ意味不明な言葉を口にした。
§
階段を駆け上がり、最上階の現場に辿りついた。
ぱらぱらと降る小雨がところどころ肌を打つ。天井は完全に消滅していた。そして部屋の大半は闇に呑まれている
触れたら最後だと確信できるほどの死の気配。なのに、魔力は一切感じられない。きっと、関知能力自体殺されているからだろう。
だからこそ、これがルナの魔法だというのは、疑いようがなかった。
彼女が『夜』と呼んでいるあの魔法だ。つまり、彼女がこの惨状を引き起こした。
何のためかなど、考えるまでもない。愚問もいいところだ。
ルナは、ルシェドを始末しようとしたのである。それが可能な状況になったからなのか、殺す事を決意し、実行した。
(……ギリアムさんは死んだかな)
今、この状況で此処に居ないという事はそうなのだろう。
心底どうでもいい思考が、頭の中を飛び交っている。要は混乱しているのだ。目の前の現実を、受け入れたくないと心が喚いている。
「この状況から察するに、ルナ・オルトロージュ様が謀反を起こし、ルシェド・オルトロージュ様と同士討ちとなったと見るのが自然かと」
そんな中で、心底どうでもいい男の心底どうでもいい部下が、莫迦でもわかる言葉を並べたてた。
反射的に首を撥ねなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
「……根拠は?」
返した言葉は自分でも驚くほどに冷たかった。
視線を男に向けて、もう一度問う。
「死体は見つかったの?」
「いえ、ですが――」
「だったら、迂闊な事ほざかないで」
「も、申し訳ありませんっ!」
恐怖に引き攣った顔。
八つ当たりの自覚はあったので、ため息一つでその感情を吐き捨てる。
「……この件の調査および対処を行います。動ける人間を総動員してください」
指示を出しつつ、今後の動きについて考える。
自分も含めてだが、ノイン・ゼタの傭兵で冒険者をやっている人間は非常に少ないので、調査能力には疑問が残るが、経験豊富な冒険者が手駒として運用すれば使い物にはなるだろう。
(プレタ・リリエッテだったっけ、あの人に任せるのがいいかな)
それと冒険者ギルドで何人か雇えば、此処で何が起きたのかは正確にわかる筈だ。
それが、今自分が抱いている結論を覆してくれることを祈りつつ、アンナは冒険者ギルドに向かうべく非常階段から躊躇なく飛び降りた。




