01/主を決める戦い
「ルシェド・オルトロージュ。想定通りの脅威度だったわね。まあ、他の奴等にとっては想定外もいいところだったんでしょうけど」
空っぽになった屋敷の中で、リリスがくすくすと笑う。
そこにいたルナとシャルロットはもういない。リリスが解放したからだ。
理由は、あのまま此処にルナを置いていたら、星舟の中身までルシェドに知られる事になったから。
ヴラドもこの局面でアンフェノの存在が知られる事――芋づる式にリリスドール・エル・トールヴェンの存在も明るみになる事の不味さは理解しているので、そこに文句はない。
ただ、シャルロットまで含めた事には不満が残っていた。こちらに関しては完全にリリスの独断でもあったからだ。
「まだ怒っているの? 事前に説明しなかったのは悪かったけれど、そんなに気にする事じゃないでしょう? 回収はいつでもできるんだから」
「御託はいいから理由を話せ」
刺すように、ヴラドは言った。
すると彼女は微苦笑を一つ浮かべて、
「勘よ。ただの勘。なんとなく、一緒に切り離した方がいい気がしたの。ルシェド・オルトロージュがついでに助けそうな気がしたから。……ふふ、怖い顔。だから言いたくなかったのよ。本当の事でも、お前は絶対に疑うから」
「……もういい」
それは間違いなく嘘で、ヴラドに話すと面倒になる事を隠しているのだろうが、今必要な措置だったのはおそらく真実で、だったらこれ以上追及しても意味はなかった。
「アルドグノーゼへの対処と言っていたな。どういう意味だ?」
「そのままの意味よ。かろうじて消耗戦が出来る神子の一人を、この儀式の適応範囲から逃がさないために、色々としないといけないという話」
「逃げる?」
「逃げるわよ。だって勝ち目がないって自覚したんだもの。あの臆病者は世界を捨てて逃げる。お前もアルタ・イレスだけじゃ不安でしょう? だから、奴には原初の神らしく、どうあってもこの世界の為に死んでもらわないとね。あっはは」
昏い喜びを宿した声でリリスは嗤う。
平常運転だ。色々と予定外の事は起きているが、当初想定した勝算から大きく外れてはいない。少なくとも、彼女の中ではそうなのだろう。
なら、ヴラドもそれを信じるしかない。
全てが上手くいって最後の敵になるまでは、この『最疫』以上に確かな味方はいないのだから。
§
そうしてルウォ帝国に舞い戻ったヴラドたちは、まずは貸し与えられていたホテルの一室に向かう事にした。
入り組んだ迷路みたいな地下街を、淀みない足取りで進んでいく。
「今表に出ているのはアルドグノーゼのはず。けれど、動きがないという事は問題が生じている。ルウォという名の片割れの問題がね。奴等はそれを解決するために重い腰を上げる事になる」
「器の主導権を巡る『決闘』か」
「そう、わたしとお前の最終局面、それが発生する。力の上では臆病者が優位。けれど、それ以外の全てで凡庸顔が優位と言った構図ね」
「力そのものは半分に分けられるものじゃなかったのか?」
「練度まで共有はされないわ。それによって扱える魔力の出力にも差が出る。些細な、けれど致命的な差がね」
「だからこそ、アルドグノーゼの方が都合がいいという事か」
「あの露出狂が戦力になるのなら、断然人間の方で良かったんだけどね」
最高峰のモルガナですら、そのラインには立てていないというのがリリスの見解であり、そしてそれはこの上ない事実だった。
故に、初めからリリスは候補としてアンフェノ・リリスとアルタ・イレス、そしてルウォ・アルドグノーゼだけを照準に定めていたのだ。他の神子には価値がないと判断していた。
「まあ、理想は奴らが精神を融合でもさせて最大限の性能で器を行使し、かつ露出狂が一度か二度補佐して死ぬような状況ではあるんだけど、さすがにそれは無理だろうし……とりあえずは様子見ね。他の将軍、絡んでくる奴等、誰がどちらにつくのかを見定める事にしましょう」
「支配に置いている神子が、決闘の全てじゃないのか?」
「そこは真っ先にどちらも使えないようにするわよ。戦うにしても逃げるにしても、神子という戦力は残しておきたいでしょうし、この争いには投入されない。少なくともガリブロード公国の二人はね。更に言えば、その過程で相当に力も制限されるから、相対的に他の手駒の価値も高くなる。もちろん、わたしたちも候補に入れられているでしょう。おそらくは最高戦力としてね。――ほら、それを証明するように、言ってる傍から来たわ」
ホテルに着く前に、こちらを探していたのだろうアルドグノーゼの使者が周囲を警戒しながら駆け寄ってくる。
その様に微笑みを見せつつ、リリスはヴラドの中へと避難した。ルウォはともかく、アルドグノーゼとの接触には露見の恐れがあるためだ。
『――じゃあ、そっちは君にまかせるね。わたしは、そちらを抑えるわ。……ふふ、だめよ。今回はわたしの意見が優先。危ない事もたまにはしないと、鈍ってしまうもの。君も、たまにはハラハラしてみたいでしょう?』
魂が触れた影響か、誰かの声が頭の中で再生される。
甘く、どこか悪戯っぽい少女の声。
これまでに何度か聞いたことがあった。これは、スゥーヴィエと呼ばれている存在の声だ。
やはり、少女時のリリスの喋り方に似ている。特に間の取り方とか、語尾の感じがそっくりだった。違うのは、相手の呼び方くらいだろうか。
『そんな感情は要らないわ。私が根絶やしにした方が早い。これは別に意地悪とかじゃなくて、正しい役割分担よ。だから――っ、ちょっと、私の話を聞きなさい! その魔力の使い方は危ないから! あと前に出すぎよ! ……判った! それでいいから! だから、せめて私の補佐は受けなさい!』
続けて聞こえてきた声は、なじみ深い。
大人の姿をしている時の、本来のリリスの声だ。
ただ、今の彼女と違い、威圧感や冷徹さは皆無で、むしろ弱々しさの方が前面に出ている。
微笑ましくもあり、苦々しくもある記憶の欠片。
どれくらい昔の出来事なのかはわからないが、リリスは今もこの時と同じか、それ以上の感情を失われた半身に抱いているのだろう。
記憶の共有というやつは、本当にそういう事を強く実感させてくれるもので、だからこそお互い最後は――
「すみません」
目の前にまでやって来た使者の声が、他者の記憶をかき消した。
心地良くもあったからか、自然と眉間に縦皺が寄ってしまう。その所為で使者の重心が露骨に後ろに傾いたが、緊張以上の表情を出す事はなかった。
「アルドグノーゼ様がお呼びです」
そう言って、使者はこちらに背を向けて歩き出す。
ついて来ない、という考えはなさそうだった。まあ、支配の神の命令に逆らう愚か者などいるわけがないという認識は、そう間違ったものでもないが。
(相変わらず認識が甘い。これは凡庸顔の勝ちかしらね)
(無視するか?)
ホテルには当然監視もついているだろうし、此処で待っていればルウォの使者もやってくるはずだ。
(いいえ、今どんな顔をしているのかも興味あるし、付き合ってあげましょう。奴本来の姿を見るのも、これが最後かもしれないしね)
§
正直、時間の無駄だと思っているが、リリスの要望に従い、ヴラドはルウォが居を構える地下城と同じ構造の、別の地下城へと足を踏み入れた。
元々ここには商店街があったはずだが、それらは今、城の左手に並んでいる。
空間操作と複製の魔法に拠る結果だ。おおよそ全ての魔法を支配できるアルドグノーゼなら造作もない奇跡と言えるだろう。
ただ、その強度自体はかなり低い。これなら神子以外の存在でも破綻させる事が出来そうだった。
(思った以上に潰し合っているのね。この分だと外野に殺されそうで心配だわ。もしそうなったら、お腹を抱えて笑ってしまいそうだけど)
リリスの言葉を聞き流しながら、使者の後に続いて玉座の間へとたどり着く。
使者はそこで呼吸を一つ整えてから、こんこん、とドアをノックして、
「ヴラド・ギーシュ様をお連れしました」
「よくやった。……もう良いぞ、去れ」
気だるげな声が、異様なほどに甘く重く胸に落ちてきた。
初めて聞く声。だが、魔力の方には覚えがある。ルウォが時折溢れさせていた、不快な色。
それを浴びた使者は陶酔したような表情を浮かべ、
「はっ! 失礼しましたっ!」
と、わかりやすく上擦った声を上げて、頭を深々と下げてから、スキップしそうな軽やかな足取りで去っていった。
この使者にとって、中にいる神子は、他にいないほどに特別な憧れのようなものなのだろう。それが、けして使者自身の胸の内から生まれたものではなかったとしても。
(……そう、今はこういう支配が好みなのね)
(入るぞ、存在はもっと隠しておけ)
静かに胸の奥に潜む半身に告げて、ヴラドは両開きのドアを開けた。
瞬間、さらに強烈な支配の魔力が全身に纏わりついてきたが、やはり強度自体は相当に弱くなっているようで、嫌悪以外の感情が込み上げてくることはなかった。
「貴様が、ヴラド・ギーシュか」
玉座で頬杖をついていた男が、微かに目を細める。
艶やかな黒髪に金色の瞳、星の灯りのような幻想的な色合いの肌をした、傲慢さと力強さを全面に押し出したような美貌の青年。没個性なルウォとはまるで正反対だ。
(これが、アルドグノーゼの本来の姿という事か)
そういえば、ここの教会にも、今目の前にいる奴に似た石像があった。ああいうのも自分で拵えたのだとしたら、なかなかのナルシストだが……
(……お前までイラつかないでよ、制御役がいなくなっちゃうでしょう?)
そう言うリリスの声には、感心するほどの憎悪が滲んでいた。
まあ、黒幕が誰であったとしても、彼女にとって最も許しがたい元凶はこのアルドグノーゼという事なのだろう。
「要件はなんだ?」
その元凶の大間抜けを睨みつけるように見据えながら、ヴラドは訪ねた。
途端にアルドグノーゼの機嫌が悪くなる。敬語で話さなかったことが、主な原因だろう。
「礼儀も知らぬ身か」
繕った言葉では隠しきれない稚拙な怒りと共に、支配の魔力がさらに濃くなる。
それに対抗するように、ヴラドもヴィレアーシュの力を解放し、その瞳を真っ赤に染め上げた。
「……まあ、良い」
今の状態では簡単には支配できない、と認識したようだ、アルドグノーゼはつまらげにため息を零して、
「これから決闘が行われる」
と、本題を語ることを優先した。
内容は概ね言葉通り。
今日を含めた四日間で手駒を揃えて準備をし、五日後の最終日に小規模な戦争を行って、全ての駒を失った段階で一対一での戦いに移行し、勝敗を決する。
そして勝った方が器のもつすべての権利を得て、負けた方が全てを失う。
悪魔の契約の方も両者の間で既に交わされており、互いが棄権を表明しない限りは最後まで行われるとの事だった。
ちなみに、この決闘の最大の利点は、どちらが勝ったとしても半身に阻害される心配がなくなり、原初の神本来の力を存分に揮う事が出来るようになる事だ。
どちらに転んでも、最低限ルシェドに対する消耗品としての価値は約束されている。
もちろん、その価値を最大限に高めるために、是非とも彼等には全身全霊を賭して決死の覚悟でルシェドに挑む精神状態に至って欲しいわけだが――
「貴様にはまず、紛い物となったもう一つの城の方で破壊工作をしてもらう」
当たり前のように、アルドグノーゼはそんな言葉をのたまった。
既に彼の中ではヴラドは手駒の一つとして認識されているらしい。
その傲慢さを鼻で嗤いながら、ヴラドは言った。
「以前ルウォにも言った事だが、ルシェド・オルトロージュを討て。奴への宣戦布告が最低条件だ」
「――」
怯えを滲ませた目に、やや強く噛みしめられた歯。
仮にも世界の支配者なのだからと半信半疑な部分もあったのだが、どうやら本当にこの男は逃げるために半身との決闘を選んだようだ。
さすがに失望を覚えずにはいられない。
「此処に来たのは、やはり時間の無駄ったな」
「我に否を向けるというのか? 後悔程度では済まぬぞ?」
明確な殺意が、世界の色を歪ませた。
紅い瘴気が、じわじわと体内に入り込んでくる。これはただの特性ではない。魔法の一種だ。
ならばと、予め奥歯に仕込んであった核を砕き、こちらも魔法で抵抗力を高めつつ、軽く握りしめていた左手を開いて、
「初日で全て台無しにしてみるか?」
と、掌に忍ばせていた『対消滅』の核を露わにしながら、ヴラドは言った。
対ルシェドの切り札であるこの魔法は、当然アルドグノーゼにとっても大きな脅威として機能する。負ける事はないにしても、致命的な代償を支払う恐れがある可能性を、この原初の神も無視はできない。
その読み通りに、アルドグノーゼは白けたような反応を装いながら、こちらを威圧していた魔法を自身の内側に仕舞った。
「愚者は度し難いな。……もうよい、消えろ」
半身と同じように、しっしと手を振って、退散を促してくる。
つまらない綱渡りを終えたこちらも、お望み通り紛い物の地下城をあとにした。
そうして外に出たところで、
「どうやら無事破談となったようだな」
という声が、右手から届けられた。
覚えのある声、振り向くとそこには軍服を身に纏ったヘカテの姿があった。
「この件に関わる気があるのなら、ついてこい。ルウォ様がお待ちだ」
淡々とした口調で言って、さっさと歩きだす。
先程と似ているようで、これっぽっちも同じではない対応に苦笑を覚えつつ、ヴラドは彼女の後を追いかけた。




