39/弱者の末路
シシカ・ギコードの進化と変化の魔法によって、ダノラウトはルプテとの契約を果たした。
使い捨てにすらなれなかった自分が、大天使を宿すに至ったのだ。
「あの程度の器で、私を宿せるようになったのですね。素晴らしい」
驚きは自分よりもルプテの方が大きかったのだろう。それほど付き合いがあったわけではないが、彼女らしくない高揚を滲ませて、自身の感覚を確かめている。
「魔法の方もほぼ全て使えそうです。今の貴方は紛れもなく神子だといって差し支えないでしょう。十分、戦力として数える事が出来る」
その奇蹟を為し遂げた絶対的たるシシカ・ギコードは、今も着実にこの世界を作り上げた『進化』と『変化』の魔法をもちいて、新たな神子を産みだしている。順調に行けば、ルシェドとの戦いまでに七人ほど用意出来るとの事だった。
「ところで、アブロイからはまだ連絡がないのですか?」
「はい、今ところは」
「おかしいですね。ここで味方としての立場を示さない? 確かに今やって来たら捨て駒にされる事は明白ではありますが、それでも味方にならないのであれば、彼一人の死では済まなくなる。本当にどういうつもりなのか」
口元に手を当てて、ルプテはそれを酷く気にしているようだったが、正直ダノラウトにはどうでも良かった。そんな事よりも、神子の魔力と、全く別のものに変化した自身の魔法への理解の方が重要だったからだ。
(今の私の魔法があれば、一度たりとも忘れた事のない願いを叶える事だって出来る。この魔法を、完璧に扱う事さえ出来れば)
それは、偉大なるクリスエレスの神たるスロウが教えてくれたこと。
だから疑う必要など、どこにもない。
「いずれにしても、今は目の前の敵について考えるべきかと」
「……そうですね。時間もありませんし、お互いの魔法への理解を進めるとしましょう」
そうして魔法の理解を優先させる事に成功したダノラウトは、スロウへの感謝を抱きつつ、狂気的な熱量をもって願望達成の第一歩を踏み出した。
§
ルシェド・オルトロージュが帰ってくる日が訪れた。
具体的な時間は不明だが、気配が完全に消えたのが早朝だったこともあり、おそらく四時間以内であろうとリズは想定していた。
その猶予を使ってした事は、ザーラッハの神子たるシャイアとの接触だった。
「チュル・ウルフェンファング? 何をしに来た?」
「話をしに来たのです」
そう答えのは一緒についてきたマウロである。
「貴様はだれだ?」
「私はマウロ・バレンタインと申します」
「……なんの話だ?」
「儀式についてですよ。きっと色々な陣営が貴女様に声を掛けてきたと思いますが、どこにつくのが利口なのかという話です」
言って、マウロはカラエルとエルラカが一つの器に収まった事実やクリスエレスの現状などを話し始めた。
その途中で、凄まじい揺れがこの簡易駐屯地を襲う。
まったく探知できなかったのは、そういう『変化』が攻撃魔法に込められた所為だろう。
複数人の神子の一斉攻撃。狙いは、どうやらザーラッハのノイン・ゼタ特区のようだった。
「……これが、奴等の意志というわけか」
自国への攻撃に険しい表情を滲ませながら、シャイアは臨戦態勢へと入ろうとする。
しかし、その身体は不意に脱力した。
恐ろしいほど自然にシャイアの懐に入り込んだマウロが、リズの魔法を撃ちこんだのだ。
「貴、様っ……!」
彼の事を神子だとは認識していなかったのだろう。だからこそ、チュルの事は警戒していても、マウロの事はあまり警戒していなかった。もちろん、そのためにチュルを連れてきたわけだが、
「命令系統を一時的に麻痺させました。こんなところで無駄死にされては困りますのでね。貴女の魔法は特別ですから。……あぁ、それと、別に貴女が動かずとも彼等は死にますよ。おそらく彼等ではルシェド・オルトロージュには勝てませんからね。全ての戦力を投入しなければ、あれは打倒できない」
その断言に応えるように、異様な――あまりにも異様な魔力が大陸を覆い尽くす。
帰って来たのだ。不可侵にして不可解な不明領域から、この世界最大の特異点たるルシェド・オルトロージュが。
§
つまらない仕事を済ませ、ギリアムがのんびりとザーラッハに戻ったところでそれは起きた。
地中一ヘクテルほどの真下から空に向かって、埒外の暴力が吹き荒れたのだ。
ノイン・ゼタの特区全てと隣接する地区の半分ほどを巻きこむ超広範囲。余波だけでも、首都全域に甚大な被害を齎したはずだ。
間違いなく神子の力である。
咄嗟に結界を展開したがが、到底守りきれるとは思えない。
その認識を抱いたところで衝撃が走り、ギリアムは意識を失った。
途絶していた時間は、おそらく三十秒程度だろうか。覚醒のきっかけは、敬愛するべき彼の聲。
「よく生きていたね、神子の加減なしの攻撃を受けて。さすがはララエスタの『極小』すらも通さない結界と言ったところかな」
「それは、貴方様への攻撃の余波でしかなかったからでしょう」
ルシェドがここに居なければそう思う事もないが、彼がいる以上、神子たちの攻撃はたった一人に集中していたと見るのが自然だった。
「まあ、それはそうなのだろうけれど。……それにしても、酷い事をする」
周囲を見渡して、ルシェドが微かに眉を顰める。
ただのポーズである。そこには、なんの感情も含まれてはいない。
「この首都には一体何人が暮らしていたと思う?」
「約三千三百七十五万人ですね」
と、ギリアムは答えた。
「そう、そのおおよそ三分の一ほどの数の魔力と可能性が儀式の前に消えてしまった。塵芥は鮮度の落ちが早いからね、とてもじゃないが、その日までは耐えられない。あぁ、ただ、幸いなことに、他の看板たちは無事なようだね。そもそも此処には居なかったのか。……うん、アンナも無事みたいだ。ずいぶんと遠くにいるけれど、生きているのなら問題はないか」
またアンナだ。
ルシェドは彼女の事をずいぶんと評価している。でも、その理由はよく判らない。最も価値のある傭兵は間違いなくウィンであるはずだからだ。
「彼も素晴らしい可能性の保有者だが、彼女はそれ以上の可能性を秘めているからだよ」
こちらの心を読んだのか、ルシェドはそう答えた。
もちろん驚きはない。彼に出来ない事など存在しないからだ。
「ヴラド・ギーシュもそうだ。彼等の可能性は神子よりも遙かに価値が高い。もちろん君も彼等ほどではないが、神子よりは価値がある。儀式に必要なのは魔力と可能性の二つ。神子は魔力こそ高いが可能性には乏しいからね、だからこそ『真深夜』の価値は神子よりも高い場合が多い。そもそも君たちは神子よりも希少だしね。……と、見つけた。うん? なんだろう、妙な事になっているなぁ。身体が違う。中に入っているのは原初か。――まったく、分不相応にもほどがあるな」
瞬間、空気が変わった。
全身が粟立つ。意識を保っているのが難しいほどの圧力が世界を侵食していく。
「出来るだけ極日の前夜か当日あたりに片付けたかったんだけど、仕方がない。消すか」
そう呟きながら、ルシェドはゆらりと空へと昇って行き――
§
全ての神子の魔法が食い合うことなく一つになるように整えて、スロウはルシェドへの攻撃を開始した。戻ってくると同時の完璧なタイミングだった。防御など間に合うはずがない。
それでも、ダメージらしいダメージは殆どなかった。
(ですが、魔力は使わせた)
これは消耗戦だ。準備されていた二度目の総攻撃の後、一人ずつ神子を投入していき、最後にシシカ・ギコードで仕留める。皆すでに分散も済ませているし、次の一撃を放ったらすぐに安全圏まで逃げる算段も付いている。一斉にやられる心配はない。
正直、過剰なほどの体勢だが、相手は得体のしれない外神を宿した存在だ。神経質なくらいでちょうどいい。
(といっても、五人ほど犠牲にすれば問題なく処理できそうですわね)
一応バックアップは用意してあるが、自分まで番が回って事はないだろう。
なんてことを考えながら、次の一手を放つ。
それは、ちょうどルシェドが上空へと避難したタイミングの事だった。
スロウは指示役でもあるので、完全な安全圏までは下がらずに、遠目で事態を見守る。
二度目の総攻撃もまた全て防がれたが、防御に専念させている事自体が有効の証だ。これは順調に事が進んでいると見てもいいだろう。
予定通り他の面々が距離をとって避難を済まし、一人が仕掛けはじめる。神子としての力の使い方はまだまだ甘いが、火力は申し分ない。事実、ルシェドは回避に専念していて――
「紛い物の神子か。魔力はそこそこだけど、可能性がないな。……まあ、最低限の贄にはなれそうだし、塵くらいは残るよう、気を遣って潰すとしようか」
瞬間、突貫した神子が消えた。
なにが起きたのかは、まったく分からなかった。
判らないままに、シシカ・ギコードによって生み出された新たな神子たち全てが、同じようにふっと消えた。
そして――
「たしか、スロウだっけ? 二番目のカテゴリーか。じゃあ、これくらいかな。そうだね、君は弾けて死ぬといいよ」
その言葉を最後に、彼女の意識は消失した。
抵抗も理解も何一つ許される事無く、クリスエレスの頂点は内側から破裂し絶命したのだ。
§
正直、急造の神子程度で勝てるなどとは、シシカ・ギコードも露ほどにも思っていなかった。
それでも間違いなく消耗させる事は出来ると思っていたし、スロウが最後にトドメを刺すくらいの流れを彼等は期待していた。
大外れもいいところだ。
だが、焦りは特にない。それくらいなら今の自分でも問題なく出来ることだったためだ。
愚かにも、シシカ・ギコードは自身を見誤っていた。文字通り、次元が違う事をまったくもって理解出来ていなかった。
その事実を、彼等はまもなく思い知らされる。
「とりあえず、その身体は返してもらおうか。……あぁ、心配しなくても代わりの身体は用意してあげるよ」
「――なっ!?」
肉体から魂が引き離された。
次いで、ルナの器と交わした契約も綺麗に剥がされる。
それと同じくして、目の前にマネキンのような肉の塊が現れた。
その中に、否応なくシシカ・ギコードの魂は呑み込まれ、何の破綻もなく受肉が成り立つ。並の神子では宿す事も叶わない原初の二柱という存在を、即興で生み出したような肉の塊が許容して見せたのだ。
これほど冒涜的で悍ましい現実は、永遠に近い時を生きてきた神にとっても初めての事だった。
「やっぱり歪だな。儀式の贄には使えないか。まあ、元より分かっていた事。特に問題もないね。それよりも――」
ぶつん、と頭の中で何かが切れる音が鳴った。
何かしらの魔法で意識が遮断されたのだと気付いたのは、目の前からルシェドの姿が消えていたからだ。
「怪我はないね。でも、少し肌が痛んでいる。健康的な生活が数日できていなかったみたいだ。これは、ますます許せないな」
背後から響いた声に慌てて振り返ると、そこには脱力したルナを優しく抱きかかえるルシェドの姿がった。
危機感が膨れ上がる。それに対処せんと、シシカ・ギコードは新しい肉体に変化と進化の魔法を施していく。
あっという間にアルドグノーゼの魔力量や出力を超え、目の前の敵を容易く塗りつぶせるだけの色格へと変貌していく器。
今なら、簡単に星の一つや二つ消し飛ばせることだろう。
だが、まだ上限じゃない。まだまだまだまだ性能は上昇を続けている。
それを、しかしルシェドは一向に止めようとしない。ひたすらに冷めた眼差しで、その終わりを待っているかのようだった。
そして、現状の上限に至ったところで、落胆の息を吐く。
「こんなものか。やっぱり脆弱だな、今のルーメサイトは」
「――」
ふざけた寝言を黙らせてやろうと世界を変化させる。空気も重力もなにもかも、ルシェドという個を殺すためだけに存在する暴力へと塗り替えていく。
先程ルシェドが行ったように、この魔法ならたとえ千の神子を相手にしようとも一方的に皆殺しに出来るだろう。それだけの万能性をもった、殺意の具現化だった。
けれど、届かない。
「満足したかい? それでは、さようなら」
何の感情もない声と共に、全身に激痛が走った。
腕が千切れ、足が裂け、ハラワタが溢れ出る。脳が爆ぜ、心臓が溶けて、血液が沸騰する。
相変わらず意味不明な攻撃だが、ダメージを解析しつつそれらに適応できる身体に変化させる事で対処する。
……無事完了。
「なかなか痛かったよ。いい刺激ではあったかな。まあ、それだけだけど」
壮絶な負荷に眩暈を覚えながらも軽口を返しつつ、先程の攻撃に進化を加えた一撃をお見舞いする。
しかし、やはり届かない。出力も色格も勝っているのに、触れる事すら出来ない。完全に魔力のルールを無視した現象だった。
「別に無視はしていないよ。ただ擬態しているだけ。色々と皆が私を軽視してくれるようにね。……あぁ、けれど、もうその必要もないのか。他でもない君たちのおかげで。なら、そのお礼に、少しだけ消耗されてあげようかな。私相手に善戦した証としてね」
穏やかな微笑を浮かべ、ルシェドはゆっくりと左上空の雲に向かって手を伸ばし――ちょうど腕が伸びきったところで、当たり前のようにシシカ・ギコードの胸に触れた。
攻撃を行った際に距離も取っていたので、優に十ヘクター以上は離れていたのに、足を動かすことも、空間に干渉する事もなく、この男はその結果を手にしたのだ。
(――ありえない)
陳腐な台詞が胸の内から零れる。
それが、シシカ・ギコードという名の新生の神の最後の思考だった。
「受け取るといいよ。これが、平和的なお願いではない、私の正真正銘の暴力だ」
ルシェドの掌から、彼本来の魔力が溢れ出す。
抱いた自身も傲慢も何もかも、あまりに容易く蹂躙する、次元の違う魔力の質と量。
そこから生み出された真っ白な閃光が、原初の神の全てを殺し尽くす。
抵抗という意志すら、抱く余地はなかった。
極限の光は空を裂き、宇宙を燃やし、射線に入っていた二つほどの衛星を爆発させながら、ルーメサイトという長大な楕円形の銀河系に風穴を開ける。
蒼に染まった外の世界が顔を出したが、ルーメサイトの自己防衛機能が、即座にその風穴を黒界で埋め直していく。
だが、残り続ける光がまた世界に孔を開けて、破壊と再生が繰り返されて――
「――っと、少しやりすぎてしまったかな。このままでは余波熱で全て死滅してしまうか。それにちょっと眩しいし、修復機能をもった夜にでも差し替えておこう。彼女も、夜の方が良いだろうしね」
独白に世界が応えるように、突然夜になった。
「あとは、そうだ、街も直しておかないと」
言葉と共に、神子の攻撃で消し飛んだ特区周辺が、時間が巻戻ったみたいに修復された。死んだ人間たちも、当然のように元通りになる。
「ルシェド様、これは、一体……」
呆然とした様子で、ギリアムが呟いた。
「残念ながら死者の復活ではないよ。建物と同じく、ただ複製を用意しただけ。そこに魂はなく、そこに未来はない。魔力も私のものだ。けれど、まあ、我々が生活する上で困る事はないだろう。彼女が不便する事もない。ということで、そろそろ私は大事な娘を迎えに行くとするよ」




