37/きっと最後まで残るもの
裏世界の中心たるペドリツァーノの腕は、ディアの手綱に結び付けた保存石の中に入っていたので戦線からの離脱は難しいものではなかった。(ちなみに、その保存石に実体化したリリスの分身体も入っていた)
悠々とターカスを抜けて、ザーラッハの領域に入ったところで、近場の森に着陸する。
そこで、ディアとトォーベを裏世界に招き入れた。
「よく耐えた」
ヴラドがディアの頬をポンポンと叩く。
彼女は弱々しく鳴いて、静かに眼を閉じた。数年ぶりに死の危険に晒されたのだ、彼女も相当に疲れた事だろう。
(良くやったわ、本当にね)
リリスも労わるようにその頬を背伸びしながら撫でつつ、こちらに向けられたヴラドの視線を受け止めた。
その視線が意味するものがなんなのかは、共有なんてしなくても判る。
「大丈夫。彼女の魂はちゃんと安定しているわ」
言いながら、懐からルナの魂が入った魔石を取り出した。
本来は一等級の核を収めるのに使う、極めて高い強度と普遍性をもった特注の保存石だ。とはいえ人間の魂にとって望ましい環境ではないので、この状態を長引かせるのはよろしくない。
「少し、そうね、二時間ほど休憩したら移動する。――聞こえたわね? 記者もどき。わたしたちが回収ポイントにつくまでに無垢の天使の製造機能を復活させておきなさい」
『いや、私たちも、もうザーラッハに引き上げたんですけど……また戻れと?』
「ええ、そうよ」
『私たちだけで制圧は無理ですよ。復旧も、もうある程度は進んでいるでしょうし』
「なに? 本当に必要最低限の仕掛けしか施せなかったの? ならどうしてノスティワを始末しなかったのかしら?」
『しなかったんじゃなく、出来なかったが適切ですね。というか、仮にやったところで権限を奪えるわけではないですよね? 契約者の元に意識が戻るだけですし』
「そうね。言ってみただけよ。まあ、想定内。人質を使うわ。二人ほど解放する代わりに無垢の天使を一つこちらで製造できるように交渉しておきなさい。猶予は判っているわね?」
ため息交じりにそう命じ、リリスは耳につけていた通信石を外して懐に入れる。
と、そこで、ヴラドの鋭い視線に気付いた。
「……問題はないんだな?」
「本体以外の器としては最適よ。少なくとも祖語は生じないわ。魂が擦り切れる事もない」
「ならいい」
息を吐くように呟いて、ヴラドはその場に座り込みディアに身体を預け、そのまま静かな寝息を立てはじめる。ただし、それは安堵による結果ではない。次の戦いに向けた休息だ。
ヴラドはルナの身体を取り戻そうとしている。可能性はゼロに等しいのが判った上で、もし機会があるのならその可能性に迷わず飛び込むつもりなのだ。
(これ以上なにも奪わせはしない、か)
先程までの共有の残り香だろうか、そんな言葉が聞こえた気がした。
「……ところでさぁ、なぁ、その、オレ様に言う事とかさ、なんかないわけか? こっちもマジで頑張ったんだけど」
もはや此処に居る意味もない男が、なんだか悲しそうな表情で鳴く。
怒りを吐き出す気力もないくらいに、彼も彼でボロボロだった。
「依頼には含まれていない余計なお世話だったわね。それで感謝を求めてくるの?」
微かに目を細め、淡々とした口調でリリスはそう言う。
その皮肉な返しに、うっ、と狼狽えたところで、
「ありがとう、本当に助かった。……どちらも本心よ。追加の報酬を用意する。そこの家に治癒石の入った箱もあるから使うといいわ」
と、リリスは悪戯っぽい笑顔と共に、赤の他人に向けるには久しぶりな、ただただ優しい声を贈ったのだった。
§
二時間後、サラヴェディカに戻って来た。
イリアは上手く話を通したようだ。ゼクスとエイダを引き渡すことを条件に、無垢の天使の生成権を得る。
「さて、外見はどうする? ある程度のカスタマイズなら出来るけれど」
「……」
ヴラドは沈黙を返してきた。
きっと、当事者であるルナの要望に応えるべきだと考えているんだろう。
「でも、今の彼女と意志疎通は出来ないわ。当人以外の誰かが決めるしかない」
「…………任せる」
「そう。……まあ、お前の美意識に従っていたら大変な事になるでしょうしね。いいわ、任されてあげる」
システムにアクセスし、無垢の天使の生成を開始。
身長などのサイズは元と同じにして、造形はある程度近く、髪や肌の色も本来の美しさからは程遠いが黒と白のコントラストが映えるように設定させる。
翼は四対。エネルギー確保を優先させるタイプにしておいた。
二十分ほどで設定どおりの肉体が出来上がる。あとはそこに魂を入れれば完成だ。過去にも天使に人間の魂を入れるという行いはされてきたので、複数の成功例もある。
これがルナでなければ、なんの心配もなかっただろう。ただ、彼女の魂は異質だ。あまりにもその色は深かった。天泪の影響が肉体だけではなく魂にも注がれたということなのかもしれない。
(いずれにしても、こちらがするべき事は変わらないか)
無意味な不安を拭いつつ、ヴラドに魔石を渡す。
「それを胸の上に置いて」
「……あぁ」
両手で包むように魔石を受け取ったヴラドは、石鹸の泡を割らないようにするみたいな慎重さで、それを天使の胸元においた。
その確認を終えたところでシステムを操作、魂と肉体の融合を行う。
魔力の色がルナのものになったのを確認したところで、リリスは息を吐いた。成功を確信できたためだ。
こちらの反応でヴラドも理解したのだろう。ルナから背を向け、当たり前のように部屋を出ていこうとする。
「……いいの?」
思わず、訊ねてしまった。
ルナの記憶が戻っている事をリリスは把握していたからだ。その上でヴラドには教えていなかったわけだから矛盾もいいところなのだが、この物言いはそれをヴラドに示していると言っても過言ではなかった。
幸い、気付かれはしなかったようだが、その分罪悪感のようなものが胸を締め付けてくる。
「ここは安全だと思うが?」
「……そうね。でも、わたしたちの裏世界の方が安全だわ。おそらく最終局面ではね」
根拠のない言葉だ。実際は大差などないだろう。にも拘らず、これがヴラドとルナの最後の機会になる可能性を嫌ってリリスは横槍を入れた。
そうして彼女を連れ帰る事に成功したわけだが、当然これは必要のない行為だ。
(……まったく、中途半端な事ね)
思わず零れた吐息には、自己への嫌悪が滲んでいた。
§
サラヴェディカとの交渉で、裏世界に囚われていたゼクスとエイダが解放された。
おかげで、今ククルの傍にはラミア一人しかいない。
気まずさと苛立ちが胸を締め付ける。それをなんとか表に出さないように抑えていると、リリスがやってきた。
「お疲れ様。よくやったわ。恩恵程度でここまで機能するなんて、本当にその契約者は凄い。それがわたしの味方になってくれるなんて感無量ね。おかげで、お前はまだも大役を担う事が出来る。まあ、どういう場面で使う事になるのかは判らないけれど、腐る事はないでしょう。その時は誇って死になさい。未練は残さないようにね」
非常に投げやりにそんな事を言って、彼女はまたすぐにこの裏世界から出て行った。
重たかった空気が、更に重くなったのが判る。
(未練、か)
ちらりと地面に座り込んで俯いているラミアを見る。
自分の人生の大半は、ラミア・シャーレの為にあった。本物の彼女の為にあった。けれど、もう彼女はいない。
偽者に復讐を果たせばまた歩き出せるのかもしれないが、そんな気持ちも正直もうなかった。
がらんどうだ。
それを必死に埋めようとしてくれた友人には申し訳ないが、悪魔の契約をもって命を握られた今、別に死んでもいいやという気持ちが強い。少なくともヴラド・ギーシュの為に死ぬことに、そこまでの抵抗はなかった。リリスの口から、彼の動機を知らされていたからだ。
「……」
なんとなく自身の胸に手を当てて、契約した解の天使を意識する。
天使と言ってもそれは生きているわけじゃない。シャイアの契約者と同じ武器、道具の類だ。
今はうっすらと繋がっていて、吐息のような魔力が恩恵として機能している。そこに自分の魔力を流してお互いがリンクした状態になれば、解の天使は圧倒的な魔力と存在の強度を顕現させて、この器を内側から破る事だろう。代わりに、自壊の間際に一度だけ解の天使の魔法を行使する事が出来る。
それで、誰かの大事な人をふざけた運命から解放できるのなら、こんな人生もけっして無意味ではなかったと思えるのだろうか?
「受け入れているのね、貴方はもう」
ぽつりと、ラミアが呟く。
それから彼女は数秒ほど思案するように沈黙して、
「本当に私を殺さなくてもいいの? 私を殺さない事は、貴方の未練にならないの?」
と、訊いてきた。
投げやりなトーン。それが、非常に腹立たしかった。
ククルは衝動的に、腰に携えていた短剣をラミアの前に放り投げる。
「死にたいなら、自分ですればいいだろう?」
「……そう、ね」
寂しそうに笑った彼女が短剣に手を伸ばしたところで、後悔が押し寄せてきた。
慌てて剣を鞘から抜こうとした彼女からそれをひったくる。
「嘘に決まってるでしょ? それくらい、判れよ」
言って、ククルは近くにある無人の屋敷の中へと逃げ込んだ。
§
「体調はどう?」
と、魔力がある程度回復し、戦闘が多少可能になったところでリリスが訪ねてきた。
「問題ない」
「そう、それはよかった。でも、ルナの身体を取り戻すという選択には賛同できないわ」
「……」
視線を鋭く引き締めて、理由を問う。
納得できなければ、その時点で内側に閉じ込めるつもりだった。
当然、リリスもそれは感じ取っているだろう。ルナの件に関してだけは、ヴラドは一切妥協しないという事をよく知っているから。
だからこそ虚飾を捨て、真っ直ぐにこちらを見返しながら彼女は言った。
「明日、おそらく儀式を行える者が確定する。こちらの勝算はそれなりに高い。少なくとも、今の状況を維持できたのなら、ね」
「カラエルとエルラカの二柱が、奴と衝突するからか?」
「ええ、そうよ。そしてそれはルナの身体でなければ叶わない。三割の勝算が五割になるかもしれない可能性を潰してまで肉体に固執するのは愚かでしかないわ」
「愚か、か」
他の奴が口にしていたら、多分その瞬間にハラワタを引き裂いていただろう。
だが、リリスが言う以上、それは歴然たる事実だ。吟味しないわけにはいかない。
「……他にまだ、言う事はあるか?」
「そうね、力というものはとても価値があるものよ。わたしもお前もそれは身をもって知っているでしょう。でも、神子の力は埒外で、どうしたって多くの世界の中心に沿えられてしまう。暴君をするのなら、それでもいいのでしょうけどね。無垢の天使の身体の方が、きっと気楽に生きていけるわ」
「…………たしかに、そうかもな」
追加された諦める理由の後押しを受けて、ヴラドはなんとかそれを受け入れる事が出来た。
ルシェド相手に欲などは出せない。あれは、それだけの埒外なのだから。
「それで、どうする?」
「小娘を――不死を確保する。サラヴェディカへの細工は上手く行ったみたいだから、問題なくこの裏世界に彼女だけを転移させられるはずよ。タイミングは、お前に任せるわ」
一見するとこちらを気遣うような物言いだが、その猶予はむしろ自分の為に用意したものなのだろう。
リリス自身自覚しているのかどうか知らないが、ずいぶんとシャルルットを気にしているのが判る。
「今すぐでいい」
「……そう。聞えたわね? 起動させなさい」
パウに命じると共に、リリスは表情に宿していた憂いを消し去った。
ヴラドも全身にゆっくりと魔力を充足させて、臨戦態勢に入る。
程無くして空間が歪み、シャルロットが姿をみせた。狙い取り一人だ。この事態はまったく想定していなかったようで、ただただ間抜けた表情を浮かべている。
そんな彼女に、リリスは小悪魔的な笑みを張りつけた。
「はぁい、小娘」
「……リリスさん」
「大言壮語を現実にする算段は立てられたかしら?」
「それは――」
「どちらにしても、時間切れよ」
「――っ」
「――抗うな」
動こうとしたシャルロットの喉元に、長刀を突きつける。
「嫌です!」
当然のように抵抗の意志を返してきた。
臆病でこちらの顔色を窺うばかりだった小娘が、本当によく変わったものだと思う。きっと、それは良い変化なのだろう。
不死を失った先でもその生き方を徹せることを願いつつ、ヴラドはバックステップをしながら鞘から抜かれた剣を蹴り一つで弾き飛ばし、間髪入れずにこめかみに一撃を叩き込んで、脳を壊さない程度に揺らして彼女を失神させた。
それを防ごうと実体化したマヌラカルタの首を、造作もなく刎ね飛ばしながら。




