36/求めた状況
強敵も強敵だったが、なんとか始末できた。
だが、まだ止まるわけにはいかない。そのまま踏み込んで、ヴラドは最後の障害であろうスロウに長い刀を振り抜く。
が、さすがに奇襲にはならなかったか、あっさりと展開された結界によって弾き返された。
「実に鋭い攻撃ですね。あらかじめ結界を用意していなかったら、きっと反応出来なかったでしょう。それも含めて、素晴らしい見世物でした」
こちらの状態を前に既に勝った気でいるのか、スロウは感情の一切込められていない笑顔で言う。
「神を宿す身とはいえ、神子ではないのですから、貴方もこれで『極致』の称号を得たという事なのでしょうか。もっとも、所詮は戦いに不向きな神を宿した神子でしかありませんが」
「モルガナの次だ」侮蔑を込めて、ヴラドはそう言葉を返した。「お前程度の比じゃないな」
「随分と見当違いな評価をされているようですね。それはそうと、あれはどうやったのですか?」
特に苛立ちを見せる事もなく、スロウはそんなことを訪ねてくる。
まあ、こちらも挑発のつもりで並べた言葉ではなく、ただの事実だったので、別に感情を揺さぶる事を目的にはしていなかったが。
「何の話だ?」
「もちろん、ダリーメジェス様の防御を突破した方法です。あれは私の目から見ても、非常に強固でしたから。神子でもない人間風情が、どうやったのか、気になってしまって」
「答える必要があるのか?」
「今の貴方に、他に何かできる事があるのですか? まあ、それは私の方もそうですが、だからこそ私は新たな神の誕生までの暇も、出来れば有意義に過ごしたいのです。もしかして、こんなことも理解できないのですか?」
自身の口元に人差し指を押し当てて、スロウは困ったような表情で言う。言いながら、ディアとトォーベの方をちらりと流し見た。
向こうはまだ戦闘中だ。押しているが、契約が済むまでにこちらに加勢出来るとは思えなかった。だから、そんな奴らは無視してさっさと撤退しろと合図を送っておく。
「理解に乏しい羽虫にも教えてあげれば?」
人のなけなしの魔力を使って、リリスがこちらの影から姿を現した。
許可はしていない。まだ共有化が継続している所為だ。
「……身体に馴染ませただけだ」
ため息交じりに、ヴラドは答えた。
その言葉通り、行った事自体は簡単だった。相手の超振動の、こちらの接近を妨げていた部分を自身に定着させて無力化したというだけ。
ただ、もちろんあの出力と強度をもった魔法だ。不死特性を獲得し、何度も喰らうという行程がなければ、とてもではないが間に合わなかっただろう。アンナの雷撃を緩和した時もそうだったが、そもそも生きている相手の魔法を定着させるというのは、ヴラドにとってもまだまだ未知の領域だった。
「――あぁ! 来たぞ。ついに来たのだ! さあ、早く! 早く! 私が消えてしまう前に!」
心臓とでもいうべき器と魔力の供給源を失い、刻一刻と世界に溶けていっていたロマが叫んだ。
もはや殺す価値もないと放置していたが、戻ってくるタイミングをこちらにも教えてくれるとは、ありがたい話だ。
(リリス)
名を呼び、星舟の主砲をこちらに向けさせ、扉が再び開かれルナの姿が戻って来た瞬間に着弾するように発射させる。
そして、それに気づいたスロウが結界を頭上に展開した瞬間、ヴラドは地を蹴った。
残った魔力全てをつぎ込んで、大上段から振り下ろす。
咄嗟に展開された魔力衝撃によって防がれるが、その障壁の破壊には成功した。これでスロウを守る防御は完全に消えたことになる。
「――っ!」
余裕を崩しながらバックステップして間合いを外そうとするが、遅い。
「出来る事はあったな」
「そうだね。でも、それだけじゃ足りないんだ」
不意に、背後から知らない声が響いた。
認識すると同時に、銃声が鳴り響き無数の弾丸が身体を貫く。重点的に狙われたのは足だった。心臓や頭部には重点的に魔力を込めていたので、あまり効果はないと踏んでの事だろう。
刀を地面に突き刺して、なんとか転倒だけはこらえつつ、ヴラドは突然周囲に現れた兵士たちと、それを従える中性的な人物を睨みつける。
「完璧な隠密だったでしょう。これには自信があるんだ。なにせ、最悪の神の目すら誤魔化した得意技だからね」
(……カラエル)
リリスが、憎悪に満ちた聲を響かせる。
ただし実体化している肉体の方は、焦りを滲ませた表情で周囲を見渡しながら、握りしめた掌に意識を向けていて――
「裏世界への起動キーですか。まだ足掻くなんて、本当に見苦しい」
「足掻く? 違うわ」
押し殺した聲で、リリスが言葉を返す。
ちょうどそのタイミングで、契約の門が開かれた。
台座の上にルナが――いや、ルナの器の中に入った何者かが降り立つ。
その瞬間、この場にいたほぼ全ての意識が、その器に向けられた。否応なしの存在感が、そこにはあった。
ヴラドも例外ではない。誰もが決定的な隙を見せていた。……二人の例外を除いて。
「――え?」
間の抜けたスロウの声。
それを合図に、ヴラドは周囲の血の斬撃をばら撒いた。
ばら撒いながらスロウの元へと駆ける。
そのスロウの真後ろには、背中に触れてルナの魂を解放したククルと、彼女の魂を特注の保存石の中に回収したもう一人のリリスの姿があった。
「十分足りたわね。節穴が」
嘲笑を浮かべるリリスを抱き上げて、ヴラドはそのまま奥に開かれた裏世界の中に飛び込む。ククルもそれに遅れることなく続いて、攻撃を受ける前に世界を閉じる事にも成功した。
§
……逃げられた。
そんなつもりは微塵もなかったのに、してやられた。
飛竜の方もそうだ。ヴラドたちが離脱する前に突然急上昇をし、一気に戦線から離れてしまっていた。空戦士たちに移動に専念した飛竜を追いかける能力はないし、外周にいた兵士たちの攻撃も大した効果は得られなかったようだ。
それらの事実に、スロウは少しの間、いつもの微笑を忘れて完全な無表情という素顔を晒してしまっていた。
ドス黒い感情が、さっきからずっと胸の奥で渦巻いている。
散々こちらにぶつけられた言葉も、本当に不快だった。
全て、許しがたい。
必ず報いを受けさせる必要があるだろう。
……が、それは今ではない。今、このような感情を見せるのは悪手だ。
そう思わせたのは、ゆっくりと目を見開き、床に真っ白な足を下ろして、台座に腰かけたルナから紡がれた言葉によってだった。
「なるほど、最初に飛竜が結界に攻撃した時から、そこに分身を生み出していたのか。それでこちらに気付かれないように隠密魔法を駆使しながら、君に触れる位置にまで接近し、裏世界を開いて解の天使の力を使い、あの魂を取り戻した。二場面での戦いは全て、その本命の注意を逸らすための陽動だったという事だね。……でも、そうか、魂だけで良かったのか。力も使えないのに、良く判らない事だけど」
そこでゆっくりと立ち上がり、ルナは光を一切通さないあまりにも暗い髪を背中の方に手で払って、
「さて、他にまだ気になる事は?」
と、スロウの方に視線を向けて言った。
思わず片膝をついて頭を垂れずにはいられないほどに、圧倒的な存在感だった。
それで、頭だけでなく本能の方も契約が無事に成功したことを理解し、同時に自分たちが儀式の勝者になれたことを確信する事も出来た。
「いいえ、なにもありません。それより、器の方はいかがですか? ええと……貴方様の事はなんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
「シシカ・ギコードだ。これからは我々の事をそう呼んでくれ。悪くはないよ。この器の魔法との相性はあまり良くなさそうだけど、それくらいだ。馴染ませていけばその問題もなくなる。……さて、それじゃあ、さっそく候補者たちを神子に進化させていこうか。最適に変化させながらね」
「了解しました。――ダノラウト」
名前を呼ぶと、そちらの準備に当たらせていた彼が、配下の中で器の大きな者たちを連れて、この崩壊した玉座の間にやってきた。
そして真っ先に候補の一人でもあったダノラウトが、進化と変化の神となったシシカ・ギコードの奇跡を受ける。
見た目の方に変化は見られないが、内部は色々と作り替えられているのだろう。それに伴う苦痛をこらえるように、ダノラウトは歯を噛みしめ掌から血が出るほど強く拳を握りしめていた。
「大体、完了には一時間以上くらいはかかりそうかな」
涼し気な瞳でそれを見つめていたシシカ・ギコードが呟く。
その言葉を前に、
「シシカ・ギコード様、改めてお聞きしたいのですが、やはり予定通りルシェド・オルトロージュを先に?」
と、スロウは訪ねた。
今の状態によっては、予定が変わる事も十分に考えられたからだ。
「そうだね、正直もうどちらもいい気はするけれど、それでも油断は禁物だ。最大の脅威に最大の戦力で当たるためにも、揺り籠とやらからルシェド・オルトロージュが出てくるまでは、余計なことをせずに戦力の増強に努めよう」
にこやかに、シシカ・ギコードはそう答え――
§
――その答えを盗み聞きしていたリズは、安堵の息を零した。
場所はエンシェ城内にある救護室。そこにはマウロとリズの他に、この場所にぴったりな大怪我をおったチュルとアブロイ、そして二人の怪我を治療する最上位の医師の姿があった。
今まで限られた相手にしかその存在を認知させなかったリズが、一般人といってもいい医師の前に姿を見せているのは、もう隠す必要性が無くなった事を意味している。
儀式の権利を得られる勢力を決める、この途方もなく永い陰謀と戦争にも、いよいよ終わりが迫ってきたのだ。
「これで全ての条件が揃った。そなたのおかげじゃチュル、実に見事な敗走であった」
淡々とした表情と口調でリズは言った。
「……喧嘩売ってんなら買ってやってもいいんだぞ?」
「今のそなたにそのような力はないと思うが……あぁ、今の発言を皮肉と捉えたのか。心配せずとも本心じゃ。本当にそなたの失態には感謝しておる。実に自然な流れであったからな」
瞬間、チュルの空気が冗談では済まされないほど剣呑なものへと変わる。
「その物言い、あのイレギュラー共が来なかったら、てめぇが代わりにオレたちに何かするつもりだったってことか?」
「そこまでして、仕掛ける順番を守らせたかった理由はなんなんだ?」
今にも攻撃してきそうなチュルを片手で静止ながら、アブロイが訪ねる。
それに対しリズは、
「情報は既に足りていると思うが?」
と、微かに眉を顰めた。つまりはそれくらい自分で考えろという事だ。基本的に彼女はそういうスタンスなので、まあ、いつも通りと言えばいつも通りである。今の状況が、いつも、という枠に入っているのかは不明だが。
「……我々はこのまま静観でいいんだな? 最後の手前まで」
「あぁ、嫌でもそうなるからな」
それくらいのヒントならいいだろうという事か、リズはそんな表現をもって頷いた。
それである程度、視えてきたのだろう。
「儀式のあとに待っているクリスエレスとの関係は考えていない。考える必要がない。…………なるほど、そういう事か」
掠れた声と共に、アブロイが苦々しい表情を滲ませた。おそらくマウロと同じ答えに辿りついたのだ。にわかには信じがたい答えに。
「どういう事だよ? オレにも判るように説明しろ」
「簡単な事だ。原初の二柱をぶつけ、さらにルウォ・アルドグノーゼをぶつけ、最後にレティソラエールの剣すらも利用して我々が討つ。そこまでしなければ届かないほどにルシェド・オルトロージュは別格だった。9という評価はむしろ過小ですらあった。……そういう事なのだろう? リズ」
その言葉に、エンシェの女王は憂いを帯びた、どこか昏い微笑を浮かべてみせてみせた。
まるで、その言葉を憐れむかのように。




