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君>世界   作者: 雪ノ雪
第七章『遠い半身』
118/129

34/難敵

 ディアの背中に乗って、ヴラドは一直線で目的地に向かって近付いていく。

 三人の特化戦力は無事役目を終えて、敵の配置数を大いに狂わせ、魔力のバランスを崩し、王宮への侵入を防ぐ結界の効果を著しく減退させてくれた。

 これで、神子ほどの出力がなくとも内部に侵入する事が出来る。

 理想の展開としては、三人の誰か、或いは全員の排除に神子が攻撃を仕掛けた合間をついて突入する事だったが、王宮を陣取る神子は三つの脅威になど目もくれずに迎撃の構えを維持していた。

(そこまでの間抜けではないか。というか、覚えのない神子がいるわね。ミッドラインダの隠し玉か。想定していた奴より躱しやすい相手だったら保険を切らずに済みそうだけど。――来るわよ。集中しなさい)

 言われずとも判っている。

 コートの内側に残していた核を一つ溶かし、強化の魔法をディアに注ぎ、彼女の性能を極限に、結界の綻びを身体一つでぶち破ったところで、世界が大きく揺れるほどの魔法が放たれた。

 突破できる箇所が上空しかなかったため、加減は一切ない。

 魔法の種類は『超振動』か『沸騰』か、どちらにしても直撃すれば致命傷は避けられないだろう。同時にどれほどの速度を追求しても、躱し切るのはほぼ不可能と言えるほどの規模と速度でもあった。

 なけなしの魔力障壁をやすやすと突破して、暴風の只中のような轟々とした音を伴って訪れた埒外の揺れが、一瞬で全ての要素をぐちゃぐちゃに歪ませていく。

 体感二秒でなんとか範囲の外に逃れたが、ヴラドの身体もディアの身体も、もはや原形を留めてはいなかった。

 普通なら即死だ。

 敵もおそらくそう認識しただろう。

 しかし、飛竜はそこで翼を大きく広げる。その動作の間に、全ての機能を取り戻し、規模を抑える必要のある低空へと逃れる。

(あの刻印塗れもなかなかに埒外ね。準備ありきとはいえ、このレベルの損傷をここまで速く治せるなんて)

 感心したような呟きを吐きながら、リリスは被弾する直前、裏世界に移したヴラドとディアの心臓と脳を元の位置に戻した。

 肉体との再接続を確認。ヘカテの魔法によって、切断された神経も時間を巻き戻すような速さで修復される。

 殆ど不死に近い効果だが、これは彼女の言った通り準備あってのものだ。それに、今ので効果を増大させていた刻印は全て焼き切れてしまったし、行使者であるヘカテの魔力も著しく減退している筈なので、次も同じ効果は期待できない。

(結界はあと一つ。……ディア、やれるわね?)

 ある種の仮死状態に陥りながらも飛翔速度を落とさず駆ける飛竜に、リリスは少しだけ躊躇いを滲ませた声で言った。

 立て続けに危険な橋を渡らせる事に、負い目を感じているのだ。まあ、それはこちらも同じだが、彼女がいなければ目的達成は遥かに困難になる。なにより、彼女自身がそれを受け入れてくれているのだから、久しぶりにリスクを背負ってもらう。

(そんな事より、契約者の方は判ったか?)

 迷いを諫めるように、ヴラドは言う。

 リリスはその振舞いに少しむっとしながら、硬い声で答えた。

(贄の魔神ロマ。儀式に最適な『保存』の魔法を有している奴よ。だから、戦闘において気にする必要はない。奴の魔法はおそらく、異世界の侵略者絡みで死んだ二人の神子と、クリスエレスで死んだ神子、そして多分数日前に供物にしたお仲間の存在の価値を正しく維持する事に相当なリソースを割いているはずだからね)

(そうか)

 随分と簡単に死に過ぎるとは思っていたが、内々で暗殺計画がなされていたのなら納得だ。

 当然といえば当然だが、誰もが儀式の勝者になる事を最優先で考えている。

 果たして、その中の誰が儀式を担うのが望ましいのか。

 そんな、今はどうでもいい事を考えつつ、ヴラドはディアの首筋のあたりを二度ほど軽くたたき、

(そろそろ行くぞ。邪魔にはなるなよ?)

(それはこちらの台詞よ。人間に毛が生えた程度の神経しか持ってないんだから、私の領域に触れて壊れないでよ?)

 さすがにもう覚悟は決まったか、いつものように嘲りを含んだ笑みを湛えながら、リリスは共有の糸をこちらに伸ばしてきた。

 契約をして初めての、魔法の共有だ。

 もちろん現状リリスの魔法は使えないので、全てヴラドの魔法の共有化だが、これからその補佐が必要な魔法を行使する。

(……感覚はどう?)

(問題ない)

(わたしの方もそれなりね。時々お前の神経に触れて気持ち悪いけど、必要なタイミングまでには調整も終えられるはずよ)

 その言葉を聞きながら、心臓や脳と同じく裏世界に預けていた、核を収めた保存石を身体の複数個所から溢れさせた血液で呑み込んで、いつでも定着できる状態を確保しつつ、もう一つの結界を突き破らんとディアが一際大きく翼を広げたところで、ヴラドは手綱に魔石を一つ外れないようにしっかりと接着させてから手を離した。

 直後、結界が破壊され、この領域の移動を制限していたすべてが剥がれ落ちる。

 これでルナへの障害は神子だけになった。

 視線を、その最後の障害のいる方位に向けつつ、切り札の一等級――災王の核を体内に取り込む。

 ただの暴力ではなく、世界のルールに干渉するこの『翼』の魔法は、ヴラドでは上手く扱えない。処理しなければならない情報が、人間には膨大過ぎるためだ。

(やっぱり、外の因子も宿していたわね。いくつか他の魔法も借りるわよ? それで上手く噛み合わせるわ)

 血液の二割程度が勝手に動き出し、背中を突き破って翼の形を模した。

 その翼は根を張るように世界に浸透していき、リリスが意図したルールを構築していく。

 それが完了したところで、翼の感覚がヴラドの中に加わった。

 初めての感覚だが、なんとなく動かし方は判る。これもリリスの恩恵だろう。

 ただ、馴染むまでには少し時間がかかりそうだった。

 もちろん、敵がそれを許す道理もなく、ミッドラインダ帝国の空戦士たちが続々と空にあがってくる。全員『黒潰石(ルダナウェル)』程度の力はありそうだ。それが三十八。なかなかの脅威である。普通に戦えばだが。

(悪手ね、後悔させてやりなさい)

 高揚を孕んだリリスの聲。

 その彼女が抱える『翼』は、神子の攻撃に備えて恐ろしいほどに鋭敏な感覚をこちらに押し付けてきている。

「これより、命知らずの愚者の討伐を開始する!」

 空戦士の隊長らしき男が、怒りに満ちた声をあげた。

 気迫も十分。油断の類もありはしない。

 けれど、決定的に色格が足りていなかった。

「飛竜の方は――」

 言葉が途中で止まる。

 それを不審に思う意識すらも失って、のこのこと空にやって来た愚か者たちは、陶酔した表情でこちらを見るしかない。

 そんな彼等に、


「――お前たちの神子を討て」


 と、なによりも鮮烈でなによりも深い朱色の瞳をもって、ヴラドは命じた。

 自身の身体に流れるヴィレアーシュという種族の血の特権である支配の発動だ。ウィンとの戦いでは彼の魔力操作の妙によって相当に効果が減退されていたが、ここにそれが出来るような存在はいない。

 結果、矛先を向けられた神子は、迫ってきた彼らを真下から空に向けて解き放った超振動によって一掃した。

 やはり、魔方陣が刻まれている地表へのダメージは極力避けたいようだ。いかにそのポジションを上手く利用できるかが、この戦いの鍵になる。

「無駄撃ちをしてしまったのだわ。これなら最初から任せるのではなかった。少し、侮っていたかな。改めましょう。貴方は、正しく私の敵なのだわ」

 愉しげに呟きながら、ミッドラインダ帝国の神子は自身の魔法で消し飛ばした王宮の半ばほどを失った柱の上に跳び乗り、真っ直ぐにこちらを見据えて、

「……よく見ると忌子なのだわ。それも随分と珍しそう。凄い。感動を覚えるくらいに鋭利で美麗。だから、名前も聞いてあげましょう。この記憶に残してあげる。これはとても栄誉なこと。それを誇って、死ぬがいいのだわ」

 声に悍ましいほどの魔力を込め、けれど特に威圧は含めず、むしろ優しい口調でそう言った。

 独特な気配が、世界に広がっていくのが判る。

 ……どうでもいい。

 そんな些末事に意識を向けて暇など、ヴラドにはなかった。開けた王宮の中に、彼女の姿を見つけたのだから。

 情報はずっと追っていたけれど、この目で見たのはあの日以来。

 当たり前と言えば当たり前だけど、ずいぶんと大きくなっていた。自分とシャルロットのちょうど間くらいの背丈だろうか。髪の長さは同じ。ただ、あの時と違って何一つ傷んではいないし、やけに昏い。

 反面、肌の色はより一層に白くなった気がする。これも健康になったおかげなんだろうか、それとも神子として覚醒した結果なのか。

(……ルナ)

 台座で眠っている彼女の胸は緩やかに上下している。

 生きているのは間違いないが、そこに彼女の魂がない事を、ヴラドは本能で感じ取っていた。

(どこにいる?)

 魔力を探るまでもなく、傍らにスロウが現れる。

 瞬間、胸の内に安堵が溢れた。その中に、まだ彼女の魂があることを感じ取れたからだ。

 これで肉体と精神の無事が確認できた。なら、あとはもう取り戻すだけ。

「あぁ、そういえば、こちらもまだ名乗っていなかったのだわ。これは失礼を。私はダリーメジェス・カンターノット。ミッドラインダの現当主なのだわ」

 大抵の神子は、ここまで蔑ろにされたら間違いなく不快を見せるものだが、彼女はむしろわくわくした様子で、自身の胸に手を当てて軽やかに名乗りを上げた。

 そして、なんだかキラキラした目でこちらの自己紹介を待っている。

 付き合ってやる理由はないが……

「ヴラド・ギーシュ」

 落ち着いてルナの状態を確認できた礼として短く告げ、自身の背にある『翼』を大きく広げる。

 現状の脅威はダリーメジェス一人だ。スロウは肉体に戻ったばかりで、まだ上手く魔力を構築出来ていなかったし、ルナの身体の傍らで片膝をついている魔神ロマも、先ほどリリスが言っていた通り戦いに割けるリソースを持っていない。

(あの魔神を殺せば、儀式は潰せるか?)

(愚問ね。わたしを殺して、わたしが黙る?)

 呆れたようにリリスが言った。つまり、所詮は儀式用の実体化でしかないので、何度でも続行可能という事だ。

 確かに愚問である。

 そんな自分に少しだけ呆れつつ、ヴラドは長刀を抜き――ほぼ同時に放たれた超振動の波を置き去りにする速度でダリーメジェスの背後に回り、斬撃を叩き込んだ。

「……凄い、殆ど見えなかったのだわ」

 その口から、感嘆の声が漏れる。

 刻み込んだ赤い線から、血が垂れた。

 ただし、狙った首ではなく、差し込まれた左手の甲から。

(今のに対応するのか……)

 速度を乗せた一撃なら問題なくこの神子にも傷をつけられる事が早々に証明できたのは良いが、瞬間的に手の甲に魔力を集中させる魔力操作の技量の高さと、仮に防げなかったとしても致命傷にならないように手首一つの犠牲で済むような捌き方をしていたという点は、それ以上に厄介な情報だった。

 性能だけの神子じゃない。武芸も魔法技術も、相当に高い水準にある。さすがにほぼ全ての神子の共通欠陥である規模の調整能力はそこまで高くなさそうだが、それでも接近戦を徹底するだけで優位を取れるほど簡単な相手ではなさそうだ。

 ならばと、一定の距離を保ちながら、雇った三人が拵えてくれた六万近い血液と核との定着をここで成立させる。

 この魔法は手にした魔力よりも損耗する魔力の方が圧倒的に多いので、他人の魔力を略奪したところで長期戦は不可能だが、上手く節約すれば、それなりの時間神子に匹敵する出力で戦えるだろう。まあ、それでも対等とは言い難いが。

(――ディア)

 合図を送ると共に翼を羽ばたかせ超高速で飛び交いながら、相乗効果を発揮できるように複数の魔法を混ぜ合わせ、巨大な砲撃を撃ちだす。

 超振動の波とその魔砲撃が衝突し、わずかな拮抗の果てに砲撃が打ち消された。側面から同時展開していた不可視の風刃も全て消し飛ばされる。

 ただ、片手間で処理している感じではない。

 その証拠に、こちらが続けて展開した弾幕の対処以外にダリーメジェスは手をつけなかった。儀式のための魔方陣に攻撃を始めたディアにノータッチだったのだ。そこまで手が回らないと見るのが自然だろう。

「……少し困りそうだったけれど、どうやらこちらの準備も済んだみたいね。では、その飛竜の始末の方はお願いするのだわ」

 ダリーメジェスの言葉に従うように、再び空戦士たちが顔を出した。

 今回姿を見せた連中には、スロウの魔法が宿されているようだ。

 この感じだと、さすがにヴィレアーシュの『支配』も効かない。……いや、というより、こちらの力を分析するために最初の空戦士たちは差し出されたと見るのが自然か。

 それを物語るように、このタイミングでおそらく全ての空戦士が一斉に投入された。

 四百人以上はいるだろうか。これだけの数に狙われては、いかにディアとて長くはもたない。

(リリス)

(わかっているわよ。お前は神子だけ見ていなさい)

 言葉と共に、ヴラドの意志とは関係なく翼から放たれた無数の血の槍が、稲妻のような軌道をもって執拗に彼らを追い立てていく。

 精度の方は見事だ。次々と超高速で飛び交う空戦士を撃ち落としていっている。これだけの数を相手に、ここまで正確に魔法を操る事はヴラドにも出来ない芸当だった。

 しかし、効率性の観点で言えば最悪。出力と規模に全てのリソースを割いているかのように、信じられない速度で魔力が減少していっている。六万の補助がなければ、とてもじゃないが成立しない戦い方だ。そしてそれは彼女の本質に纏わるものなので、是正のしようもない。

「……結局、私が全部やるしかなさそう。神子はいつも孤独な存在なのだわ」

「させると思うか?」

 空戦士の処理にリソースを割いた結果、弾幕が少し弱まったタイミングを見計らってディアに照準を合わせたダリーメジェスに二度目の接近を果たし、ヴラドは長刀を振り抜く。

 首への軌道から、その首を守ろうと動かされた二の腕の下の筋を狙った一撃。

 今度は手ごたえがあり。やすやすと骨にまで届いた。

 刹那、背筋が慄く。

 あの初手を紙一重で防げるほどの相手が、この程度の奇襲にここまでの深手を負う事なんてありえないからだ。つまり、ダリーメジェスは自身の守りよりもディアを殺す事を優先していて――


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