33/理不尽に死んでいく
整髪料で逆立てた髪をつついたり、顔を覆う仮面の感触にもどかしさを覚えつつ、トォーベは小さくため息をついた。
「これが、神子を失った国の末路って奴か」
少なくとも五日前までは、このターカスの首都の生活は以前と変わらないものだった。
だが、今目の前に広がっているのは、魔法陣を描くように並べられた無数の民衆の死体の山だ。事情は聞いていないが、これがなにかの儀式なのは判る。
「胸糞悪い光景見せやがって」
ターカスの軍服を着ている(おそらくミッドラインダ帝国の兵士ども)に鋭い犬歯を見せて、トォーベは臨戦態勢に入る。
敵の数はざっと見て一万以上。
こちらの目的は敵の数減らしと陽動だ。とりあえず半壊させて増援を何度か呼ばせたら成功となる。
『頃合いよ、始めなさい』
耳に嵌めた通信石から、リリスの声が響いた。
と同時に遠方から凄まじい魔力が伝わってくる。他の奴等も動きだしたのだ。それが誰かも聞いていないが、これで自分が役目を果たせなかったらルウォの四大将軍の沽券に係わるだろう。ヘカテあたりが嫌味を言ってくるのが嫌でも想像出来た。
(まあ、逃げ道も用意されてるわけだしな)
徹底的に暴れまわっても問題はない。
最初からフルスロットルで行く。
「さあ、行くぞ行くぞ行くぞぉお! ルウォの死神様のお通りだ!」
自身の精神を戦場にふさわしいテンションに無理やり持ち上げて、トォーベは得物の大鎌を回しながら敵陣目掛けて突っ込んだ。
仮面をする意味なんて、忘れてしまっていた。
§
ターカスの王宮だった場所を中心に形成された儀式場の護衛に努めていた、ミッドラインダ軍の多くにとって、このタイミングでの襲撃は当然のように想定されたものだった。
故に、大多数の兵が配備され、防衛用の魔方陣なども、儀式場の邪魔にならない程度にではあるが設置されている。
盤石の一言だ。神子の相手は神子がする以上、自分たちが対処できない脅威などない。多くの兵たちはそう認識していた。たとえ『真深夜』が相手だろうが、問題ないと考えていたのだ。ミッドラインダ帝国がある大陸には、『真深夜』の傭兵なんて一人もいなかったから。
「襲撃を受けているのは第七師団か、敵の数は?」
「それが、どうも一人だそうです」
「一人だと? まさか神子が襲撃してきているのか? ……いや、だったら、ダリーメジェス様がすでに動いているはず」
自分たちが当事者だとは思っていない第五師団の兵士たちに、緊張の類はまるで見当たらなかった。
だから、異変に気付くのも遅すぎた。
発端は全ての兵士に携えられているナイフの微かな振動。
次に、大気の匂いが少しだけ苦くなった。
ほぼ全ての兵士たちが感知出来たのは、雲もないのに振り出した雨の冷たさ。
それが妙に重たいなと感じた一部の兵士が、次の瞬間穴だらけになった。
噴き出した血が毒を撒き、苦い空気が一気に膨張する。
それにともない一部の雨が大地を溶かし、溶けた大地は強力な酸性を帯びて、地面の真上に雲を作りだした。
師団はパニックに陥ることなく共同して強力な結界を展開したが、雲は結界を容易くすり抜けて、周囲の魔力を変質させ、彼らのネットワークを遮断、それが切れる瞬間に発生するエネルギーを電気に変えた。
電気は空気に触れた瞬間爆発を引き起こし、その余波である爆風は冷気を伴って兵士たちの防具や武器を凍らせ、凍った武器は爆弾花のように砕けて弾け、死体の数を増やしていく。
そして生命を失った死体からは急速に植物が生えて、その植物の実から魔物が誕生し、雨に撃たれてすぐに死んで、溶けた大地の代わりとなった。
ドミノ倒しのように続いていく、意味不明な地獄絵図。
全てが理解の外にあって、対処など誰も出来ない。
培われた理性も規律も、回り続けるこの地獄を前には無力で、誰かが絶叫を上げたところで、彼らは完全に抵抗する術を失ったあげく同士討ちまで始めて、完全な瓦解を披露し続けた。
一万七千の兵士が、全て死に絶えるまで。
§
別の場所で地獄が繰り広げられている最中、第三師団の前に一人の男が現れた。
高級そうな深緑色のスーツを纏い、縁なしの眼鏡をかけた、長身痩躯の男だ。不健康そうで神経質そうな見た目をしている。あまり付き合いたいとは思わないタイプ。
だが、そんな些末な事を気にするものは誰もいなかった。
息をする事すら忘れるほどの魔力が、その男からは溢れ出していたからだ。神子にすら匹敵しかねない、圧倒的な魔力が。
「くだらぬ仕事に時間は使いたくない。二万の兵を直ちに差し出せ。そうすれば、それ以外は死なずに済む」
男は面倒そうに、そんな事を言う。
瞬間、
「――散開っ! 隊ごとに間隔を開けろ! 急げ!」
と、師団長は叫んでいた。恐怖に突き動かされての衝動的な行動だった。
「……なるほど、魔力の色を見て、おおよそを掴んだのか。そういう魔法か、或いは技術でもあるのか。まあ、いずれにしても無駄なことだ。どれもこれも、無駄なことを私にさせる。まったく、不愉快極まりないな」
「砲撃隊、撃て!」
指揮官の指示に従って様々な攻撃魔法が殺到する。
だが、届かない。彼の身を覆う結界が、全てをシャットアウトする。
そして、同質の結界がおおよそ四千の人間を包囲し、駆け足の速度で範囲を縮めていった。
このままでは圧殺される。それを避けるべく、内外から一斉に破壊を試みたが、やはり結界には傷一つ付ける事が出来なかった。
じわじわと空間を奪われ、中の人間がこれ以上ないほどに密集する。空にも地中にも逃げ場はない。
やがて、結界内を完全に満たすように、兵士たちは一部の隙間もなく接着し、肉と骨が潰れ、微塵になるまで圧縮されて、結界はどす黒い小石のような姿へと成り果てた。そこに至るまでの音が外に零れる事は一切なかった。
「――っ、師団長!?」
部下の一人が引き攣った声を上げる。
いつ展開されたのか、更に結界が二つ三つと、二、三千人規模の隊が閉じ込めていた。
そのタイミングで四千人を閉じ込めていた結界が解かれ、爪先ほどのの大きさに圧縮された服や武器や肉や骨や体液を混ぜ合わせたものが、決壊したダムのように足を掬う。
……熱い。異様な熱だ。
遅れて届けられた臓物の匂いが引き金になったかのように、部下たちが仲間を統一性のない攻撃に走った。
「取り乱すな! 術者さえ討てば結界は解ける! 後衛は八番隊の補助に専念! 八番隊は乾坤一擲に備えよ。他は集中攻撃を続行!」
統率を締め直すべく、隊長は魔力を乗せた声を轟かせる。
信じがたいほどに強固な結界だが、複数に展開するとなればその強度も落ちるのだ。集約させた一撃があれば勝機はある筈。
それは実に正しい認識だった。結界という魔法のセオリーから、敵の魔法は別に外れていないのだから。
「――撃てぇええ!」
準備が終わるのを確認するや否や命じる。
多くの魔力を束ねた一撃は、災王すら絶命させるだけの威力を宿していた。
……だが、届かない。まったくの無傷。
手段は間違っていない。だからこそ、本当にどうしようもないという絶望に行きつく。
そこに追い打ちをかけるように、展開された結界が二つほど解除され、また数千人の人間をミキサーにかけたような体液が洪水となって襲い掛かった。
同時に、指揮官は自身の終わりを悟る。
四方を囲う薄紫色の結界。駆け足で近づいてくる絶対的な死の気配。
破壊は不可能だと悟ったうえで、それでも指揮官はあらん限りの力を持って抵抗し――
§
――ぐちゃ、汚らしい音を聞く事もなく、おおよそ一万六千の兵を始末した。
増援もこちらに投入されたようだし、陽動も成功だ。
あと四千ほど殺せば依頼は達成される。
(くだらぬ時間だな。どこまでも)
苛立ちを多分に含んだ吐息を零し、眼鏡を中指の腹で軽く持ち上げながら、ギリアムはゆっくりと後退しつつ敵を殺していき――敵軍が本格的に三つの襲撃者を鎮圧しようと神子を除く最大勢力を投入してきたタイミングで、頭上を飛龍が駆け抜ける様を目の当たりにする事となった。




