26/極致の攻防
(さて、本当に二十秒で出来るのかしらぁ?)
臨戦態勢に入りつつ、ララエスタは先程のレナリアの発現を吟味する。
正直、あまり信用はしていない。
四肢欠損、出血多量、相棒の天使も深々とナイフを突き立てられてという状態のチュルは、超高出力、広範囲の攻撃をもう満足に撃てないだろうから、勝負にはなると思うが、それでも『真深夜』程度の実力は要求されるからだ。近い実力はあると思うが、アンナやクウォンタみたいに、今のチュル程度なら単騎で殺せるだろうという楽観は抱けない。
(――と、余所の事を考えていられるほど、私の方も楽観はできないのよねぇ)
たった一歩分の距離が縮まっただけで、神経に針が刺さる。
凄いプレッシャーだ。二十秒程度なら絶対に負けないという確信があるのにもかかわらず、負けを意識してしまう。
いっそ、リグチラとか言う娘を使って戦いをすすめようかとも思ったが、
「もっと下がってくれ。そこだと邪魔になる」
と、ウィンは牽制の言葉を放ち、アンナなら普通に対処できる距離まで下がらせた。早速、企てを潰されたわけである。
「味方を本当に使う気がないだなんて、余裕ねぇ」
「貴方を相手に数の優位はない。不意打ちが成立する事などないからな」
「それは過大評価じゃない? 神子を除いたら、私を打ち負かせるのはむしろ数の暴力だと思うのだけど」
「十万の兵を使えるのなら、そうだろうな。一人一人矢継ぎ早に投入して数時間魔法を使わせ続ければ、最小限の被害で済む」
(大正解の解答ね。……あぁ、でも、その場合、私は何人殺せるのかしら?)
おそらく、良くて半分くらいだろうか。
一斉に来てくれたら簡単に皆殺しに出来るのに、そんな手段一つで半分くらいしか殺せない。そういうところは、非常に神子的だとも思う。
いっそ神子として生まれたら良かったのに、そうすれば……
(……ダメねぇ。また、どうでもいい事考えている)
彼との死合が怖いから、そこから目を背けようとしているのか。……まあ、それも理由の一端ではあるのだろうが、一番は魔眼をフルで使う事への億劫さによるものだろう。
(現状、ウィンさんは私を殺しにはこない。代わりにレナリアを潰しに来るのでしょうねぇ。確実にこちらの勝機を潰すため、そしてこちらの行動を制限するために)
まったくもって面倒くさいが、少なくとも今はそれを捨てたい気分でもない。
深く息を吸って、額の魔眼を完全に開く。
瞬間、周囲の動きが全て止まった。
止まっているようにしか見えないほどに、緩慢な時の流れの中に身を置いたのだ。
一秒が最大で一日を越える世界。ここでは雷すら雲より遅い。
未来を演算するというどこぞの悪魔の血によって生まれた魔眼と、『静死』という名の魔法の合わせ技。
これこそが、アンナやクウォンタが絶対にララエスタに勝てない理由だった。速さや意識の隙間を生み出す駆け引きなどといった武器は、このララエスタにはまったくもって無意味なのである。
ゆえに武の極致の一つである、認識不可の間隙というものも通用しない。そして静死の粒子は、この世界の中で唯一遅さを感じることなく動ける、あらゆるものより早く結果に結びつくことが出来る魔法だった。
といっても、それが可能なのは半径六ヘクテル(六メートル)程度なので、攻撃においても最速とは言いきれないのだが。
(……さすがに強くし過ぎたか。これでは負担が大きすぎるわね)
少し、感度を抑える。
微調整が非常に難しいので、この辺りは神経を使う。
案の定、少しのつもりが、完全に止まってたウィンの身体が軽く走るほどの速度にまで上昇してしまった。
これだと速すぎるので、スーパースローになる程度にまで引き上げ、足場にした水球を強く蹴ってゆっくりと近づいてくる難敵を見据える。
この調子だと、火蓋を切るまで体感で七分くらいかかるだろうか。まだ少し過剰な気もするが、相手が相手だ。
長い戦いになる覚悟を済ませ、集中力を高めていく。
それがあるラインに到達したところで、鋭い頭痛が左のこめかみあたりに突き刺さった。思わず痛みの発生源に手を伸ばしたくなったが、この世界においてララエスタの身体は一ヘクト(一ミリ)も動かない。多分、彼が到着するまで力を加え続けてもそのままだろう。
特殊な魔法の弊害なのか、混血の弊害なのか、ララエスタは目を除くすべての身体機能に魔力を付与する事が出来ないという欠陥を持っていた。だから自己治癒は出来ないし、身体強化も不可能だ。多分義務教育で最低限の魔力の扱いを覚えたどんな人間よりも身体能力で劣る。
だが、だからこそ、魔法の扱いに関しては看板の中でも一番だという自負もあった。今事を構えているウィン・クラヤナードと並んで一番という自負だ。
(……両極の頂き、か。相変わらずデタラメねぇ)
たった今、そのウィンの背後に顕現された無数の水の蛇。
展開速度も動きも全部バラバラなのに、細部まで淀みなく流麗で、全てに意図がある。
こんな素晴らしいものを見せられたら、守り一辺倒なんて退屈な事は出来なくなってしまう。
存分に愉しみたい。この極致との殺し合いを贅沢に貪らないなど、それはララエスタのする事ではない。
あれだけ気が重かったのに、もう虜だ。
自分は彼が好きなのかもしれない。けして手に入らないものとして、ただ純粋に好きなのかもしれない。それこそ、夜空の星のように。
(……そろそろ、本番ね)
互いの距離が七ヘクテルにまで狭まったところで、ウィンの速度が変わる。ただのスローモーション程度の速さにまで跳ね上がったのだ。
もし感度を今より落としていたら、接近と同時にこちらの防御領域の外からレナリアに向けて振り抜かれていた水の刃への対処は間に合わなかったかもしれない。
(予想通りね。そして、私が気を引き締める手前で仕掛けてきた。やっぱり私の中にある境界線に気付いている)
この極小の魔法もまた彼には感知されているのだ。アンナの時と違って、視えるように装飾などしていないのに。
(魔力を圧縮して密度を高めているのは判るけれど、私の魔力を逃がさないほどに細かな網を張るなんて本当に可能なのかしら?)
たしかに水の魔法は圧縮にも希釈にも向いた色をしているが、あくまで融通がきくというレベルの話だ。それに特化しているわけではない。
その魔力で完璧な密閉状態を再現するには、それこそ掌サイズの紙を百回折れるくらいの圧力が必要な筈だった。つまりは不可能である。
やはり、魔力ではないなにかを感じて、こちらの攻撃を読み切っていると見るべきなのだろう。魔と武の両極に到った者だけが踏み入る事が出来る超感覚のようなもの。……まあ、いずれにしても、レナリアを守ると同時に飛ばした粒子は過不足ない距離感で回避された。
間合いも六ヘクテルの半歩手前で膠着。
ウィンは四方八方を魔力で囲み、複雑怪奇な動きをもった水をもって攻防の駆け引きを要求しながら、こちらへの攻撃を継続させてくる。
(手数と展開の幅では分が悪いか)
このままだと、残り八秒あたりでレナリアに干渉されそうだ。それで片足でもやられようものなら即終了。なんとか打開する必要がある。
(この負傷だし、もしかしたら届くかも?)
あまり期待はしていないが、一応チュルに干渉を試みる。
効果なし。ルシェドにもやった事があるが、あの時と同じ、百ヘクテル級の巨大な魔物にミツバチの針を刺したような手応えだった。防がれてはいないのだが、大海の如き白を染め変えるには、インクの量が圧倒的に足りないといった感じである。さすがに魔方陣もなしではどうしようもないという事なのだろう。やはり、これからは常に使えるようにしておいた方がよさそうだ。
(とりあえず、今は他に何か使えそうなものでも探しましょうか)
第三の眼の認識範囲を広げ、あまり嬉しくない存在を見つける。
クーレ・サーランタだ。誰かと喋っていたのはなんとなくわかるが、さすがに過去まで視れるわけではないので内容までは把握できなかった。
(始末したいけれど、まだ朝ではないのよねぇ……)
悪魔の契約をした手前、今奇襲は出来ない。
それは向こうも同じなので、彼がこちらに攻撃を仕掛ける事も出来ないが、それでも無視をするのはよろしくない。
(眼の負担も増して、また頭痛がやってきそうねぇ)
考えている矢先にやってきた。
今はまだ軽いが、あと十数秒後にはどうなっている事やら。
(……いいわぁ、リスクも犯しましょう)
防御に置いてある粒子を攻撃に回して、本格的にウィンを殺しにかかる。
正直、そこまでやっても届かない可能性の方が高いし、今が仕掛け時というわけでもないのだが、気が変わった。
今死ねたら、それはそれで贅沢な気がしたからだ。
(命懸けの殺し合い、か。久しぶりどころではないわね。いつ以来かしら? ねぇ、ララエスタ)
最初に殺した最後の飼い主の名前を胸のうちで呟き、ララエスタはそれを実行した。
§
レナリア・ディ・グゥオンは、男を奪われた嫉妬心と自身を正しく評価しなかった国への怒り、つまりは自尊心の為にエンシェについた俗物だというのが、マヌラカルタから齎された評価だった。
(あの節穴が……全然違うじゃねぇか!)
奴が見ていたのは上っ面だ。
向き合っていれば嫌というほどに伝わってくる。あまり暗く冷たい眼差しが、これ以上なく物語っている。
そこにあるのは絶望と怨嗟。そして、それ以上に深刻な後悔だった。
懺悔を孕んだ狂気。自分だけで完結している人間には持ちえない色だ。
こいつは大切な誰かを奪われた。おそらくはスロウに。それが誰なのかは知らないし、具体的な背景にも興味はないが、この怨嗟の深さはけして軽々しく扱っていいものではない。
(……クソが)
認めたくないが、自分はこいつのその狂気に臆しているのだ。そして明確に追い詰められている。
「――くっ」
デザインナイフがアブロイの頬を抉った。
それに合わせて魔法を放つが、あっさりと回避され鳩尾に蹴りを打ちこまれた。
魔力障壁で致命傷には届いていないが、何度も耐えられるものじゃない。次受ければ多分呼吸が止まり、決定的な隙を晒す事になる。
(まだなのか?)
ついつい漏れ出た弱気に舌打ちする。
忌々しい事にリズを求めている自分に、本気で腹が立った。
(おい、捨てろ)
(捨てる?)
(さっさと両手を使えるようにしろって言ってんだよ。守るのは終わりだ。こいつを仕留めるぞ)
(勝算があるのか?)
(知るか。いいからやれ!)
(……断っても勝手に暴れるだけか)
ため息と共に、アブロイがチュルを手放した。
自由落下が始まる。両手両足がない今の自分には姿勢制御すら難しい。だが、茨を身体に絡みつかせて操作すれば、移動に問題はない。
更に流れる血を全て茨に変えて、それを鞭のように振り回す。
それに合わせてアブロイも魔力の塊を両手に装填し、砲撃の構えを取った。と同時に翼にも魔法を宿し、羽根を射出させる事によって放つ。
どのような『罪』を込めたかは不明だが、当たれば行動を強制されるわけだからレナリアにとってはこちらの方が致命傷だ。ゆえに『荊棘』への対応は難しくなる――と、いう浅い考えを嘲笑うように、レナリアはそちらを完全に無視しながら攻勢を強めてみせた。
不規則な棘の射出によって右目を抉られても、気にせずにこちらの命を取りに来る。ならばと自身を切り刻む覚悟で茨を躍らせるが、それも致命傷だけを避ける形で無視された。
「ずいぶんと必死ね、偉大な神子が、ただの人間相手に」
酷薄な微笑。
それを見た瞬間、死ぬことになっても殺してやる、という最後のスイッチが入ってしまう。
そういう性なのだ。もう止められない。
攻撃に全神経を集中させる。その愚策をつくように、茨によって破れ舞っていたレナリアの衣服の残骸の影から、黒い刃が突き出された。
完全な死角からの一撃。それを目視出来たアブロイが気付いた時にはもう手遅れで――だからこそ、その決定打を防いだのは彼ではない第三者の魔法だった。
具現化の魔法。突然現れた盾が、その一撃を完璧に受け止めたのである。
「なんとか間に合ったようですね」
落ち着き払った声が、背後から届いた。
直後、レナリアの眼が大きく見開かれ、糸の切れた人形のように力を失い堕ちて行く。その足の甲には羽根が一つ刺さっていた。
「自身が抱いている罪を想起させる魔法ですか、彼女には効きそうですね」
そんな事を呟きながら、マウロはチュルの腰に手を回し、転移石によって開かれていた空間の中へと戻り、アブロイが入ると同時にその亀裂を閉じた。




