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君>世界   作者: 雪ノ雪
第七章『遠い半身』
109/112

25/歯牙にもかけない

 チュル・ウルフェンファングは、神子でありながら未開と言ってもいいくらい情報に乏しい地域で生まれた所為で、神子という存在自体を知らず、ただ強力な魔力を有した戦士の卵として育てられてきた。

 おかげで他の神子と違い、多くの修羅場を潜り抜けてきたし、血肉に染みついた確かな技術も有していた。

 そんな彼女が契約者になったのは、二十歳になったばかりの頃だった。

 戦場で出会った契約者経由でこちらを知ったらしいアブロイの幻影が接触してきて、大真面目な顔で口説いてきたのだ。

『その特異性は他の神子に対する圧倒的なアドヴァンテージと言えるだろう。彼等の多くは、手にしている武器が強いだけの素人だからな。あぁ、だから君はきっと最強格の神子に、誰よりも価値のある戦士に成れるはずだ。私がそれを叶えよう』 

 今でもよく覚えている。

 その言葉が嘘偽りない本心である事を示すように、アブロイは即座にその機会を用意し、そしてチュルは契約者となってすぐに敵の神子を殺してみせた。

 自身が積み上げた経験と技術をもって、出力に勝る相手を打ち倒したのだ。

 それは戦士として生まれ戦士として生きてきたチュルにとって、なによりも誇らしい戦果であり、自身が真に特別な神子であるという自負を支える巨大な柱でもあり――


「……ふざけんなよ、クソ共がっ」


 全てが真っ赤になりそうなほどの怒りが、神経を駆け巡っている。この怒りが無ければ、おそらく意識を保つことは出来なかっただろう。

 手足の感覚がまったくない。

 視界も半分以上が潰れていて、状況の把握は困難だった。

 理解できている事は一つだけ。背中にアブロイがいる。顕現させていなかった彼が、状況の不味さを前に出てきたのだ。

(眼もやられたか。すぐに共有する。代わりに大人しくしていろよ)

 言葉が終わると同時に、自分の頭頂部が視界に入る。続いて、両肘の下、両太腿の下がない自分の身体が目に入った。

 おびただしい出血。異常だ。まるで止まる気配がない。完全にこちらの魔力が機能不全を起こしている。

 ただ、それより異常なのは、それを成した蒼い魔力の爆発が静止しているという現象だった。


「――仮にもそれだけの能力を持っているのなら、あの程度の攻撃くらいは凌いでほしいものなんだけど、所詮はただの神子ということなのかしら? どちらの極致にも程遠い凡人」


 のんびりとした、嘲りを孕んだ笑い声。

 その声は、ちょうどアブロイの左前方から響いてきて、視線を向けるとそこには空中でぴたりと静止する三つ目の女がいた。

 忌子だ。たしか、ノイン・ゼタの看板の一人で、名前は……なんだっただろうか。さして興味がなかったので情報不足だった。

「まあ、いいわぁ。間に合ったし。それより、ねぇ、まだ?」

「……」

 言葉の意図が読み取れなかったアブロイが眉を顰める。

 それに対して、三つ目の女は心底残念そうにため息をついて、

「感謝の言葉よぉ。助けてもらったのに、そんな事もわからないの? 躾のなっていない天使と神子ねぇ。この蒼い爆発、また動かしてもいいんだけど」

 チュルはもちろんの事、アブロイもかなりやられている。殆ど動けない今の状態でそれをやられたら間違いなく死ぬだろう。

 だが、それがどうしたというのか、

「傭兵風情が、ずいぶんと調子に乗ってんじゃねぇか? その前にテメェをぶち殺してやるよ」

 と、吐き捨てようとしたが、その前に後ろの天使に口を押えられた。

「彼女の分も感謝しよう。ありがとう。これで良いか?」

「ええ、いいわぁ。天使に言葉を強要するなんて、なかなか贅沢な体験だった。ええ、だからぁ、もう死んでいい」

「――は?」

 自分をたった今助けた女が、急に口にした反対の言葉に、さすがのアブロイも理解が追い付かなかったようだが、それが本気だというのは背後から迫ってきていた暴力がすぐに教えてくれていた。

 共有した感覚が、死を予期する。アブロイは反応できていない。だから、チュルは残っている二の腕を思い切り払ってアブロイの身体を大きく傾け、心臓に到達するはずだったデザインナイフの位置をずらした。

 さらに自身の血に魔法を込めて赤黒色の茨を生成、周囲に張り巡らせて、伏兵を跳び退けさせる。

「てめぇ、レナリアか?」

 自己治癒によって治った視界が、敵の姿をはっきりと捉えてくれた。

 チュルの魔法である『荊棘(けいきょく)』は、彼女の『死陰』の魔法よりは色格に劣るが、圧倒的な出力差によって、ある程度のダメージを与える事には成功したようだ。

 とはいえ、浅い。顔を庇った腕と、左の太腿くらいが戦果といえるレベルだろうか、それでも並みの相手なら茨の侵食で殺せるのだが、傷口についたチュルの魔力はすでに死陰によって消し去られている。

「一体、どういうつもりだ?」

「見たままよ。上辺だけならまだしも、本格的に奴等と手を組むなど、許せるわけがない。まったく、そんな事も判らないとはね。これだから見た目だけの粗悪品は」

「はっ、ぬかしたな、裏切りしかできないような女が――」

「優先順位を、違えるな!」

 苦しげな声を上げながら、アブロイが翼をはためかせる。

 なにかを避けようとする動き。そこで、こちらを狙う雷の軌道をチュルも認識した。

 茨を生成して壁を作る。が、相手の方が速い。

 被弾し、視界が真っ白に染まって意識がまた飛びかける。神子の圧倒的な魔力で肉体を保護していなければ、炭化していただろう。

「最大出力だったんだけど。これで死なないとか、本当に面倒くさいな」

 先程まで戦っていたアンナ・リベルリオンが気だるげに呟く。

 その相方だったクウォンタは、長い鎖を左腕にぐるぐると巻いて、復元を始めた斧の回収を緊張感なく行っていた。

(そうだ、こいつが……!)

 この男が、今のチュルの惨状を齎したのだ。

 おそらく攻撃の隙間を狙われたのだと思う。まったく感知出来なかったが、それは魔法による効果ではなかったからだ。

「――っと、クウォンタさん、せめて規模は加減してくれませんか? 傾き始めたし、これ墜落するんじゃない? というか、墜としてもいいけど、それならちゃんと殺し切って欲しかったかな。もう一手早く撃てたでしょ? 回転数上げる事も出来ただろうし」

「はは、アンナは辛辣だな! だが、そっちだってララエスタが来ることは想定していなかっただろう? というか、どうしてこんなところにいるんだ? お前さん」

「もちろん神子がいるからよぉ。そういうゲームでしょう? あ、そうだ、せっかくだから貴方とも賭けをしましょうか。相手はスロウに限定で、先に殺した方が勝ち。アンナの手を貸りてもいいし、なんならここでの負けを貴方の勝利で打ち消せるという温情もあげる。どう? 楽しそうでしょう?」

「どうするんだ? 吾輩は構わんぞ。こっちはもうじき終わりだしな」

「そうですね、ララエスタさんが彼女を殺した場合はお願いします。私の大事な人権の為にも」

「……ゲーム、だと? だから守ったってのか? このオレを……!」

 凄まじい屈辱を前に、魔力が猛る。

 瀕死の身体には相当な毒だが、抑えられない。

 そんなチュルを前に、

「他にどう受け取れるのかしら? もしかしてぇ、頭悪いの? 貴女」

 と、ララエスタは心配そうな表情でそう言って見せた。

 ぶつん、と頭の中でなにかが切れる。

 サラヴェディカを壊さないために規模を極限まで絞っていたが、もう知った事か。この世界もろとも引き千切ってやる、とチュルは心臓の核をフル回転させ、

「止めるなよ、アブロ――!」

 ――がん、と口の中に突然なにかが入ってきて、言葉を中断させた。

 それが小型の魔法銃だと気付いた時にはもう引き金は引かれていた。

 そこから飛び出すのは、最高級の魔石で作られた特注の弾丸。

 魔力の保護は間に合うが出力が足りない。間違いなく死ぬ。すっかり存在を忘れていたリグチラとかいう小娘に、脳味噌をぶちまけられてしまう。

(クソが……!)

 反射的に後ろに跳び退きながら、チュルは自身の間抜けさを呪う。

 しかし、呪うだけの時間を経てなお、まだ衝撃は訪れない。

 理由は蒼色の爆発と同じ。魔法の弾丸は、時が止められたかのように一切の動きを封じられていた。おかげで、間に合うはずがなかった回避に成功する。

 成功したところで、止まっていた弾丸が動き出し壁を盛大に消し飛ばした。

「まったく、本当に隙だらけ。感謝される価値もないほどとは思わなかったわぁ。はぁ。……ところで、貴女はアンナの側なのかしら?」

 こちらに興味を失ったのか、ララエスタはリグチラに視線を向ける。

「それはまだ決まっていないね」

「私は貴女たちよりもスロウの状態を理解しています。そして私たちの行動はルナ様の為にある。……あと、そうですね、彼女より、私の方がウィンさんとは仲良しです。多分だけど」

 そう言って、アンナが視線をある一点に向けた。

 ララエスタの眉が、微かに険を滲ませる。

「貴方もいるの? 本当に退屈しない場所ねぇ。……今は誰の味方なのか、非常に気になるところだわ」

「今の私はシャルロット・デ・グゥオンの味方だ」

 淡々とした口調で答えながら、自身が顕現した水の球を踏みつけ軽やかな跳躍を繰り返し、ウィン・クラヤナードがこちらに近付いてくる。

 サラヴェディカの傾きはもはやピークに達しており、通路は完全に垂直となっていた。

 本来なら翼をもっているアブロイ擁するチュルが優位な環境だ。逆転の機会といっても差し支えはないように思える。実際、アンナは壁に突き立てた自身の剣の腹の上に乗っていて武器を手放しているし、クウォンタは壁に足の指を突っ込んで固定し壁を起点にしないと動けなさそうだし、レナリアも壁から伸ばした影の上に乗っているので空中で自在に動ける感じはしない。ララエスタだけはまったく制限を受けている感じがなく空中でピタリと静止しているが、他の面々は間違いなく不利を背負っているように見えた。

 だが、そんな認識を微塵も抱けないのは、彼等がまるでこちらを恐れていない所為だろう。本当にコケにされている。

「それよりも、スロウの状態とはどういう意味だ?」

 淡々とした口調で、ウィンがアンナに訪ねた。

「今、あの身体に入っているのはルナ様だという意味ですよ。移植という罪を用いれば、その神子なら可能でしょう?」

「たしかに、クリスエレスにおいて臓器などの部位移植は罪とされているな。複数の神が関与すれば、成立は十分現実的か。……わかった。そちらを味方と認識しよう」

「じゃあ、後はお願いします。……あぁ、ちなみに、私たちが先に神子を殺せば、彼女が景品になるので、報酬はとっても美味しいですよ」

 アンナがちらりとララエスタを見遣る。

 胸糞の悪い全容が明らかになった瞬間だった。

(暴れるなよ? 復讐の機会を失いたくなければな)

 慌てて手綱を握るように、やや口早なアブロイの聲が脳裏に届けられる。

(……算段でもついたのかよ? この状況から逃げられる)

(あぁ、彼女の手を借りるのは気が引けるが、仕方がない。幸い、こちらは軽視されているようだからな、時間は稼げそうだ)

 そう言われると、ますますハラワタが煮え繰り返るが、ここは我慢して、無力な聴衆になる事を受け入れる。

「ところでレナリア、貴女は今逃げようとしている、そこの死にぞこないを何秒で殺せるかしら?」

 どこまでも軽い口調でララエスタが言った。

 それに対し、レナリアの方はさすがに重苦しい気配を携えていて、

「刃は届いた。邪魔を防いでくれるなら、二十秒あれば問題ないわ」

 しかし、吐き出された言葉が傲慢そのものだった。

「そう、それは素晴らしいわぁ。ねぇ、聞いた? 貴女はこれから普通の人間に殺されるみたいよ? お願いだから惨めな顔を見せて死んでね。それを肴に今日はいいお酒を飲みたいから。……さて、というわけだから、私も久しぶりに本気を出そうかしら。誰にも彼女の邪魔はさせない。そういうわけだから、ウィンさんも手は抜いてね。私という賞品を台無しにしない為にも」

 無茶苦茶な事を言いながら、ララエスタが第三の眼を大きく見開く。

 瞬間、空気が激変した。他の連中の顔色も一斉に変わる。チュルを前に怯えの一つ見せなかった奴等が、明確な恐怖を見せたのだ。

「善処しよう」

 ただ一人、変わらず凛然としていたウィンが静かにそう答え、

「全員下がっていてくれ。私一人の方が良い」

 そうして、瀕死のチュル対レナリア、ウィン対ララエスタという二つの戦いが勃発したのだった。


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