24/牙を向く夜
ファリンの後に続いて、シャルロットはルナを抱きかかえるプレタと、それを取り囲む天使たち、そして困ったように彼女を見つめるノスティワの元に辿り着いた。
「命令の中断。適切な距離を取ったのち待機行動を取れ」
天使の指揮権をファリンに完全に預けていたのか、天使たちはその命令に従ってノスティワから少し距離を取り、片膝をついて機能停止する。
「……天使が、私を裏切るの?」
茫洋とした声。ショックを受けているようにも怒りに翻弄されているようにも見える表情だった。
「裏切る? 我々を先に裏切ったのは貴女だ! ミカエラ様を殺した貴女だ!」
恐怖を滲ませながらも、ファリンが強い声を放つ。
「そんな貴女を、それでもあの方は支えるべきだと言っていた。私も天使としてそうあるべきだと信じたかった。けれど、もう無理だ。貴女では勝てない。貴女にこの世界は守れない」
「だからこそ、正しい器を手に入れるという話でしょう? 貴女が邪魔さえしなければ――」
「獣炎人魔が来て終わりだ。無垢の天使をどれだけ使えたところで、意味なんてなかった。それとも他に手段があるのか? 私が加わった程度で勝てるような手段が。だとしたら見せてくれ。翻弄されてばかりの愚かな私を、後悔させてくれ」
苦しみに押しつぶされたそうなか弱い声と共に、ファリンは泣きそうな顔で微笑んだ。
立場と感情の板挟み。そういうものを目の当たりにすると、彼女が非常に身近な存在として感じられた。きっと、こう言ったら怒るだろうけれど、人間とそんな変わらないのだと思えたのだ。
そして、それを前に言葉に窮するノスティワもまた、理解不能な神には見えなかった。
「器さえ手に入れれば、ノスティワは正常に戻れる。儀式に勝利さえすれば、失ったものも全て取り戻せる。だから……」
「同じ言葉を繰り返すしか出来ないとはな。本当に欠陥だらけだな、貴様は。大体、あの器が貴様のものになるという筋書きは本当にあっているのか? まさか悪魔の契約だけで確実になったとでも思っているのか? あんなものいくらでも抜け道はあるんだぞ? 愚者相手ならいくらでもな」
呆れた様子で、マヌラカルタが吐き捨てる。
「悪魔の戯言に、耳を貸す愚を犯すつもりはない」
「戯言、ね。では訊くが、何故チュルはクーレを最優先で殺しにいかず、よく判らない二人組の警戒なんて選択を取ったのだ? 奴が死ななければ再契約は出来ないのに、何故それを後回しにする?」
その問いに、ノスティワは微かな驚きを示した。
向こうの動きを把握できていなかったのだ。本当に、悪魔の契約さえしていれば裏切りはないと信じていたのかもしれない。いや、或いは、裏切れない理由があると信じていたのか。
だが、それが全て間違いだったことを、彼女はすぐに知る事になる。
「もちろん、それは貴女などに白紙の神子を与えるつもりがなかったからです」
ばたりとなにかが倒れる音と共に、おっとりとした優雅な声が響いた。
声は違うが、覚えのある口調。
嫌な予感を覚えて振り向くとプレタが倒れていて、気絶し彼女に抱えられていた筈のルナが、すっとこちらに向かって腕を振りぬくさまが映った。
ぶつん、と音を立てて胴体が切断される。
(――っ!? 全て不死に回す! 主導権を寄越せ! 早く!)
酷く焦ったマヌラカルタの聲が広がるが、まったく頭に入ってこない。
意識が、急速に薄れ始めていたからだ。
典型的な死の予兆。ただ、今回はいつもとは違うのだろう。このままだと本当に死ぬ。それに対する本能的な恐怖が、多分マヌラカルタの要望に応えた。
不死の発動。意識の復活。
身体も普段と比べてあまりにも遅いが、元に戻っていく。
「さすがはマヌラカルタですね。この色格の一撃を受けても即座に復元できるだなんて。一定ラインまで下回れば魔力も自動で復元する点といい、本当に隙がない」
冷たい瞳が、こちらを見降ろしている。
「貴様、スロウか? だが、入れ替えなど貴様には出来ない筈だ」
「ええ、ですから、同盟を組んでいるのです」
マヌラカルタの問いにそう答え、ルナの身体を乗っ取ったらしいスロウは自身の綺麗な白い手を見つめて、それからあまりに深い夜のような黒髪に触れ、うっとりと目を細めた。
手にした戦利品を見せびらかして、勝ち誇っているのだ。
その嗜虐を向けられたノスティワは、不安を抑えるように自身の胸に左手を押し付けて、
「……原初の神の相手が出来るのは同じ原初の神だけ。でも、カラエルでは不足。そしてエルラカはアルドグノーゼが処理した。対である私こそが最適解」
だから彼女は信じたという事なのだろう。
しかし、それは前提を間違えていたら容易く破綻する理論だ。
「アルドグノーゼが始末したのが本当にエルラカ様であったのなら、そうでしょうね」
「違うとでもいうの? あの男が脅威を間違えることなんてありえないわ。恐怖が彼の本質なのよ。その醜さゆえに、彼だけが生き残った。他の全てを犠牲にし最後にレティソラエールの力を暴走させて、全てを保留させた」
『最疫』の事を思い出してか、ノスティワが身体を震わせる。
そんなただの少女のような彼女を、スロウは嘲るように微笑み、
「確かに、恐怖の対象を前にあの方は神経質です。けれど、それでも、しっかりと準備さえ出来たのなら欺くことは十分可能。なにせ、ルウォというノイズに晒されていますからね。貴女ほどではないにせよ、今のあの方には不備が多い。……まだ呑みこめないのですか? それとも理解すら出来ていない? あの戦争で死んだのは、貴女とレティソラエール様だけなのですよ」
「…………それこそ、あり得ない。貴女も見ているでしょう? あの絶望的な蒼色を。このルーメサイトを孤立化させた星火燎原を。敵と認識されたら終わりなのよ。捕捉されたら滅ぶしかない。逃げられるはずが、ない」
「可哀想な主観ですね。同じことを言わせないでください。準備さえしっかりとしていれば欺くことは可能なのです。憎悪に呑みこまれ、視野狭窄した相手なら尚更に」
「……待て、つまり奴等が全ての元凶だというのか? アルドグノーゼやノスティワに愚を犯させ、蒼黒の太陽を生み出した」
胴体の切断されたシャルロットを守るようにしながら、マヌラカルタが微かに震えた声で言う。
そのショックの大きさは、契約している身だからこそ、より強く伝わってきていた。混乱の極致といった有様だ。それだけ、『最疫』がらみの話は、多くの者がそうだったと疑わずに呑みこんでいたというで事でもある。
「知っていますか? あの太陽こそが儀式の肝なのですよ。あれがあるからこそ、上位世界の絶対法則すら凌駕する奇蹟が起こせる。この世界の停滞を、これ以上ない形で突破する事ができる。我々はようやくルーメサイトに与えられた義務を果たす事が出来るのです。……あぁ、それにしても、この器は本当に素晴らしいですね。私には大きすぎる。原初の二柱を合わせてなお、あり余るくらいに」
「――っ、まさか」
「ええ、これが、アルドグノーゼをどうするのかという疑問の答えです。ルーメサイトは強大過ぎるからこそ本来一つであるべき原初の神を二つに分けた。貴女とアルドグノーゼには出来ない。だって貴女たちは、世界より自分を選んだのだから」
にこやかに微笑み、スロウはその手に漆黒の剣を顕現させた。
「さて、無駄話ももう終わり。この魔法の感覚も、ようやく掴めてきましたしね。では、さようなら、お母様」
「――させ、ない」
ようやく胴体が完全に繋がったのを感じると共に、シャルロットは閃光を放ちながら地を蹴り、首を跳ねられそうだったノスティワを押し倒す。
間一髪、間に合った。別に意識体に過ぎないのだから放っておけば良かったものを、というマヌラカルタの聲が聞こえてきそうだったが、この魔法は普通じゃないのだ。万が一を考えて動かないと後悔する。
「ファリンさんのところに!」
即座に立ち上がりノスティワの背中を押しつつ、腰を低く構える。
ちらりと倒れているプレタの様子を確認。まだ息はある。シャルロットと違って明確な攻撃は受けていない。異常な魔力に中てられて気絶しただけだ。
(あれも回収するつもりか? まあ、色々と痒い所には手が届く駒だからな、見捨てるわけにもいかないが)
まさか、この悪魔から同意が得られるとは思っていなかった。まあ、得られていなかったとしてもシャルロットが取るべき道に変更はなかったが。
「この娘を見捨てたくないのですね。たしかに、煩わしい能力を持っているようですし、利用価値はありますか」
口元に手をあてて、スロウがこちらの行動理由を思案する。
(……同じ事考えるんだね。貴方たちって)
(止めろ)
心底嫌そうな聲が返ってきた。
おかげで、勝負を仕掛ける前に少しだけ緊張が解れる。それにちょっとだけ感謝をしつつ、周囲に光の球を展開し、
「彼女を連れて安全な場所に、急いで!」
と、ノスティワがファリンのもとに到着したところで告げ、シャルロットは一斉に閃光を放った。
これの狙いはダメージではなく視界不良だ。威力ではなく光量、明るさに焦点を置いている。
どの程度効果が期待を出来るのかは不明だけど、微かな動揺を見せたあたり無意味という事はないのだろう。そう信じて一歩踏み込む。
直後、目の前に濃密な闇が横切った。
牽制の一撃だ。様子見を兼ねていなかったら当たっていたかもしれない。反応もかなり良いから、こちらの速度で肉薄するのは難しそうだ。
悪い情報が一つ増えた。けれど、良い情報も一つ。
(……やっぱり、プレタさんを巻き込むことを嫌った)
足元の低い位置に居るから巻き込まれても死ぬようなリスクはないと踏んではいたけれど、それにしても今の牽制は高かった。
それは何故か? 考えるまでもない。彼女は人質という保険を残しておきたかったのだ。その必要性が出てくる可能性を多少なりとも考えている。魔法の感覚を掴んだと言っているが、まだまだその身体を扱う事に不安を覚えているというわけだ。問答無用にプレタを殺すという姿勢で来られたら助けようがなかったので、これは本当に朗報だった。
「危ない危ない。危険な真似は避けて貰いたいものですね」
プレタに照準が向けられる。
順当な流れ。
「さあ、早く抵抗を止めてください」
「……ここから、どこに逃げるつもりなんですか?」
「もちろん、ミッドラインダ帝国が居を構えるターカスにですよ。もうじき、向こうから迎えが来るので、それまで大人しくしていてください。そうすれば誰も死なずに済む」
嘘に決まっている。
その瞬間この天使がプレタを殺すのは想像に容易かった。だが、逆に言えば、それまでは大丈夫という事だ。
「……無駄死にはさせません」
脅しには屈さないという意志をもって、プレタを狙えばその隙をついて仕留めるという決意をもって、周囲に展開した光の球に魔力を流していく。
極限まで威力を高め、更に空気を派手に裂けるように干渉範囲も広げていく。
それが極限に達する直前、
『三秒後。おねえちゃんを、たすけて』
と、耳元で声がした。
レーニィスだ。初めて彼女の言葉を聞いた。
三秒後になにが起きるのかは不明だが、自分の半身が絶体絶命のこの局面で無意味な事は言わない筈だと信じる事にして、閃光を一斉に解き放つ。
もっと消極的になると考えていたらしいスロウは少しだけ驚きを見せたが、すぐに微笑を張り直して、その身に夜を纏う。
薄靄のような、けして大きな魔力で生成されたわけではないそれは、しかしシャルロットの渾身の砲撃を造作もなく呑みこんだ。
空気を切り裂く凄まじい音が轟く。この音の狙いはプレタの意識を起こす事だ。威力を上げたのはその目的を悟らせない為。
狙い通り、プレタの指が少し動いた。
彼女は一流の冒険者だ。こちらの位置取りなどを見て、今自分がするべき事をすぐに理解してくれるだろう。これが、シャルロットのプランだった。
おそらくは分の悪い救出作戦だ。好転するかどうかは、三秒後のなにか次第。
(あと一秒)
シャルロットがプレタを取り戻そうとしているように見えるように、何度も接近を試みる。
その度に牽制の攻撃が翻され、なかなかに深い部分まで切り裂かれる事となった。
複数個所からドバドバと噴き出る血液が床をたたく。どう足掻いても、こちらの能力では間合いの内側に入れない。それを向こうも確信すれば、こちらへの警戒に全てを費やす事もなくなってしまう。そうなれば終わりだ。そしてその終わりは、レーニィスの口にした三秒後くらいな気がしてならなかった。
「……なるほど、それにしても綺麗な隠匿ですね。技術は一級品」
停止していた天使の足に絡みつけたプレタの糸が、気付かれた。
引っぱる前に断ち切られる――という確信を抱くより早く、炎の弾丸がスロウへと直撃した。ガジャだ。三秒後とはこちらの危機を察した援軍の到着を示していたのだ。
派手な爆炎から身を守るために、スロウは慣れない魔法で全面防御を行う。それはプレタが安全圏に離脱するには十分な猶予だった。
「全力だ! 少しは喰らえよ、くそったれが!」
怒声から熱風が生まれる。
サラヴェディカの壁をドロドロに溶かすほどの威力は、大抵の生物なら瞬く間に燃え尽きるほどだったが、やはりスロウには届かない。
しかし、攻撃に転じる余裕はまだなさそうだ。いや、もう必要ないと判断したのか。
丁度そのタイミングで、彼女の背後の空間が開いたのだ。迎えが来た。
「まあ、良いでしょう。見逃して差し上げます」
そう言って、スロウはこちらに背を向け、サラヴェディカを後にした。
それに一息を付く間もなく、再び大きな揺れが襲い掛かる。
「もういいな? 俺はもう行くぞ! 止めたら殺すっ!」
有無を言わさずガジャが駆けだした。全身に纏った炎で周囲を黒く焦がしながら、弾丸のように駆けてく。
クーレ達の方に、なにか大きな動きがあったのだろう。
追いかけなければ――そう判断し、足を踏み出そうとしたところで、立っていられないほどの振動に襲われた。
今までとは明らかに違う。というか、傾いている。
「これって、もしかして――」
「サラヴェディカが一部領域をパージした。墜落しているのは此処を含めた四区画」
待機状態にあった天使の口から、ノスティワの声が響く。
「マルテシアは回収した。これから制御室に向かい海域への強制転移を行う。転移機能の具合次第では高出力の魔力が必要になるので、貴女たちにも来てほしい」
そう言って、機能を取り戻した天使たちはシャルロットとプレタを後ろから抱き上げて、大きく羽ばたいた。




