20/か弱い娘
「……ところでぇ、この状況は面白くなってきたのかつまらなくなってきたのか、どちらなのかしら? 貴方には判る?」
玉座に腰かけ、ワインをちびちびと呑んでいたララエスタが隣の従者に訪ねた。
もちろん気の利いた答えなんて期待していない。ただの暇潰しだ。明日は愉しみだが、今日が退屈になってしまった事への不満でしかない。
その不満で殺されるかもしれない男は間違いなく不幸だが、丁度そのタイミングでにわかに外が騒がしくなってきた。
「どうやら、情報の効果が出始めたようですね」
「みたいねぇ。口約束を信じて本当にしちゃうんだから、人間って面白いわぁ」
そう言いながらララエスタの眼は笑っていない。そもそも彼女が本当に笑う事など滅多にない。
込み上げているのは、度し難いほどの嫌悪だけ。
それを笑顔に隠して、彼女は言う。
「では、見に行きましょうか」
そうして外に出たララエスタは、法だ秩序だ、天使の加護だと上等ぶった連中の浅ましい姿を目の当たりにする事となった。
何もかもが予想通りの光景だ。しっかりと他人様の金品を奪って引き上げる者と、それすら奪おうとする輩との間で争いが勃発している。
今はまだ。スロウが完全に無力化されて影響力を失ったと考える者はいないようだが、時間が経てば住居を手に入れようと居座る輩も出てくる事だろう。
(さて、どうしてやろうかしらねぇ)
ここで掌を返して皆殺しにしてやるのも面白そうだし、身内を誰か一人殺さないとその権利を与えないというルールを付加して、さらに欺瞞を剥いでやってもいい。
なんて事を考えていると、血走った目の男たちがララエスタと従者を取り囲んでいた。
(……はぁ、なんて滑稽)
こいつらはララエスタを惨状の元凶だと判っていなくて、この地区の貴族の生き残りかなにかだと思ったのだ。ちょうど吹いた風によって第三の眼が前髪で隠れていたことが最大の原因だろう。彼等にとっては何とも不運な話。でも、これはこれで面白い道楽に出来そうだ。
(ちょっと怖いけれど)
途中で気付かれないよう、第三の眼をしっかりと閉じて忌子である特徴を隠しつつ、声色を変えて言う。
「な、なんですか、貴方たち」
その際、従者の身体により沿って、彼になにを求めているのかを伝えた。
ちなみに彼は常人だ。平和な国で生まれたのだろう、従軍経験もなく魔力操作にも乏しい。傍においている理由は顔だけ。……いや、他の顔だけよりは察しが良いというのも魅力の一つと言えるだろうか。だから、十日以上まだ傍に居る。
「は、離れろ! こ、この方に手を出すことは、けして許されない!」
「こ、言葉が理解出来ないのかしら? これだから下賤な民は……」
やや震えた声で煽ってやる。タブーの熱に侵されている今の彼等はそれで十分だろう。
案の定、その気になった。兵士の死体から取ったであろう武器を抜いて、じりじりとにじり寄ってくる。
顔だけの男は、どこまでララエスタの騎士を演じられるのか。
(……あ、終わった)
都合十秒、三度攻撃を防いだところで鮮血が舞った。
ただ、傷は浅い、相手も素人だから鎖骨を断ち切れずに肉の浅いところだけを裂くに留まっていた。とはいえ、暴力に馴染みのない人間にとっては十分戦闘不能といっていいダメージだ。
それでも彼は立ち上がるのか、それともララエスタに命乞いをするのか。
(後者、かなぁ)
予想に反して、従者は腰に携えてたお飾りの剣を握り直し、暴徒に横一閃の斬撃を放った。
欠伸が出るくらいに遅いが、暴徒はギリギリで躱し尻餅をつく。
それを隙と捉えて踏み込もうとしたところで、側面に居た暴徒の仲間の一撃を首に喰らって、従者は倒れた。頸動脈をバッサリ。放っておけば死ぬ。でも頑張った。
「ふふ、いいわぁ、貴方、ええと、名前忘れちゃったけれど、ちょっと格好良かった。少しだけお姫様の気分を味わえたし。だから、はい」
胸につけていた宝石を放り投げる。
従者は掠れた声で、助けて、と訴える。
「ダメよぉ。ダメ。アウト。命を失う事になっても私を守る、その姿に価値があるのでしょう? そこは、逃げて、って言わないと」
「……」
「白けちゃった。もういいわぁ。貴方たちも消えていい」
しっしと手で払う。
この様を前にララエスタこそが元凶だと気付くのは、正直道理だと思っていた。
だが、脳味噌を他人に預けている信奉者という人種には、そういうものもないらしい。或いは、ララエスタの美貌と肢体に欲情でもしてしまったのか。
「まったく、嫌になるわねぇ」
第三の瞳を開く。代わりに保険として皮膚の内側に流していた『静死』の魔法を解除した。
モードを攻撃に以降する。
皆殺し――いや、何人か残して、彼等にこいつらを殺させよう。他人の人生を見世物にする贅沢を満喫しなければ、ララエスタらしくない。
(……私らしい、か)
先程のクーレの言葉が、不意に頭に過ぎった。
結構、引き摺ってしまっているようだ。
そんな自分が少し可笑しくて、寂しかった。
なんだか、急に全てがどうでも良い気分になる。
そのまま押し倒された。胸をまさぐられる。それだって、どうだっていい。
その無反応が気にいらなかったのか、空いた手で首を絞められた。
苦しい。意識が遠退いて行く。大人の男の力だ。きっと首筋には青あざが出来ている事だろう。それが蝶のように綺麗ならいいのに、と少し思う。
(あぁ、私、死ぬのね)
こんなどうでもいい奴に、精神の切れ目をつかれて殺される。
悔しいという気持ちが芽生えれば、或いは回避できたのかもしれないが、そんな気力も湧かなかった。
「――貴女、なにをしているの?」
意識が途切れる間際、声がとどいた。
苛立ちに満ちた声だ。眼を開けると、鮮血が視界を埋めた。
自分を組み伏せていた男の首が宙を舞う様を、第三の眼が捉える。綺麗な横一線の斬撃。
それを行ったのは、白いブラウスに黒いパンツを穿いた金髪蒼眼の妙齢の美人だった。右の泣きボクロが印象的だ。
奇襲で一人殺した美女は、その勢いのままに暴徒を次々と深い蒼色のデザインナイフで殺していき、遠巻きにこの様子を見ていた他の略奪者を見据えて、
「神が居ようがいまいが、どこまでも反吐の出る国。――早く、私の視界から消えなさい」
足元の影が、周囲の炎の揺らめきとは関係なく、激しく揺らめいた。
濃密な死の気配。死陰の魔法だ。珍しい。
気の抜けた感想を抱いている間に、広がった影が無数の棘となって周囲に居た人間を刺し、濃密な死を全身に広げていった。
もだえ苦しみ、死んでいく暴徒。
「貴女の所為で、服が血で汚れちゃったわぁ」
ゆらりと立ち上がったララエスタは、気持ち悪い血の感触を前にひとまず文句を言ってみた。
「それが嫌なら、自分で解決すればよかったでしょう?」
「それは、たしかにそうねぇ。……で、貴女はどうして私を助けたのかしら?」
こう言っては何だが、どう間違えても善人には見えない。陰謀と死の匂いが、その身体には染みついていた。
「スロウを、殺すつもりなのでしょう?」
「あぁ、なるほどね、復讐かぁ。でも、それだけじゃない。諦観、後悔、贖罪、そのあたりも混じっている。だから、そんな色をしているのね。貴女の瞳は」
憎しみなんて色は見飽きているけれど、このバランスは珍しい。
だけど、なにかが足りない。
もう一つ色を加えたら、素敵な宝石になりそう。そして、それは諦観の象徴でもあっただろう神子の死によって得られるのかもしれない。
そんな予感に、少しだけ気分が盛り上がった。
「貴女、名前は?」
「レナリア、よ」
「どうしてスロウを殺したいの?」
「そういう仕事だから」
「エンシェの人間という事? でもぉ、貴女ぁ、この国のヒトよねぇ。そういうの私、色で判るのよぉ。この国の人間の色って独特なの。鱗粉がねぇ、肌の内側にまで染みついてるみたいで、本当に気色悪いのよぉ。貴女は、貴女の色が濃いから気にならないんだけど。どうしてスロウを殺したいの?」
相手の心情などララエスタには関係ない。
欲しいものはどんな手段を使っても手に入れる。それが贅沢というものだから。
「貴女に答える必要は――」
言葉の途中でレナリアの動きがピタリと止まった。
驚愕の気配だけが、面白いくらいに周囲に放たれている。
彼女にはララエスタの攻撃がまったく見えていなかったのだ。もちろん、それは恥じる事ではない。そもそもこの魔法が見える人間など、おそらく誰もいない。アンナたちには見えるようにしてあげていただけ。実用性のない装飾の魔法をもって、ゲームにしているだけなのである。
「もし、勘違いしているのなら教えてあげるけれど、私、貴女なんて簡単に殺せるのよぉ?」
ゆったりとした足取りで近付き、そこらに落ちていた短剣を手に取って、そこに魔力を込め刃先を胸に押し当てる。
硬質な魔力がそれを拒んでいるが、出力となっている核機能を止めてしまえば魔力行使は一切出来なくない。
程無くして、朱い粒が肌に浮かびあがる。
と、そこで、首から上の静止を解き、喋る権利を取り戻させてやった。
「これは、貴女の意志で語れる最後のチャンス。ねぇ、どうして殺したいの? 私にも、貴女の痛みを教えてよ?」
「……私は、惨めな真似だけはしないと決めているの。どんなことがあってもね」
「そう」
短剣に力を込める。
肌を突き破り、心臓に近付いていく。
痛みと恐怖でレナリア身体には大量の汗がにじむ。表情も引き攣っている。
だけど、唇はしっかりと締められたまま、悲鳴一つ上げてなるものかという意志を感じる。それを挫くべく、神経を痛めつけてやるのも面白そうだが――
「――伏兵か」
音を殺した不可視の刃が、背後から迫ってきていた。
いいタイミングだ。背中も見える眼が無かったら、きっと死んでいたかもしれない。
「でも、遅いわぁ。遅すぎて止まってる」
その呟きに合わせて刃を静止させ、ついでにそれを仕掛けた伏兵の動きも止めてやる。
見開いた目に絶望が滲んだのが分かった。もう打つ手は無いようだ。
そう思った矢先、彼女の唇から血が零れた。
自身の舌を噛んだのだ。初めから失敗すれば自害するつもりだったのだろう。ただし、それは少々無知な行いでもあった。
「人間、舌を噛んで死ぬのは難しいのよ? 出血量が足りないの。窒息死もあまり現実的ではない。お婆さんや子供ならともかくね」
優しい口調で言いながら、短剣を放り捨てる。
からん、という乾いた音を聞きながら、出血を静止させる。
「でも、そうね、そのプライドの高さは微笑ましいわ。矜持ほど無駄で、だけど知的生物である事を証明するものはないものね。とっても贅沢。……いいわぁ、答えは聞かない。一緒にスロウを殺しましょう。貴女も参加させてあげる」
「――っ、かっ、ごほぉ」
喉に入った少量の血で咽ながら、レナリアは口元を抑えた。
舌の一部を吐きださないあたり、噛み千切るまではいかなかったようだ。直接的な自傷には慣れていない。それが許される環境でもなかったからだろうか。
そんな彼女は、ララエスタが差し出した手に戸惑いを見せながら、ハンカチを取り出して自身の血まみれの手を拭いてから、握手に応じた。
「そうだ、私の方はまだ名乗っていなかったわね。ララエスタよぉ、よろしくね、レナリア。じゃあ、さっそく、向かいましょうか。多分ムルカ連合よね、アンナと一緒だったっていうなら」
懐から転移石を取り出したところで、大気が震える。
異様な魔力だった。
視線をそちらに向けると、空の上に巨大な島が佇んでいる。
「どうやら、思っていた以上に色々な人が動いているみたいねぇ」
第三の眼の感度を最大して、状況の把握に努める。結果、そこにクウォンタの飛龍が向かっていくのが確認できた。アンナもいる。スロウはいないようだが、その隙をついてスロウを探すよりは、あの空の島に向かったほうが得られるものは多そうだ。
「ズィナーグ、来て」
声に魔力を乗せて自身の飛龍を呼ぶ。
そうして、舞台の中心はサラヴェディカへと移ったのだった。




