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君>世界   作者: 雪ノ雪
第七章『遠い半身』
101/112

17/増える課題

 そのまま街の外まで何とか無事に到着した。

 地面に降り立って身体を休めていたクウォンタの飛龍が、面倒そうにこちらをちらりと見てくる。

「貴方のご主人様、まだ生きてますか?」

「――」

 アンナの問いに苛立つように呻り声を上げつつ、飛龍は魔力を放出した。

 正確な意図はわからないが、多分早く戻って来いと主に訴えているのだろう。

 ともあれ、いつでも逃げられる状況は確保できたので、医者の頬を叩いて起こし、治療を再開させる。

 こちらに対する不信はあれど、スロウが重傷を負っている事実を前に、医者は大人しく指示に従った。

 そうして十分くらいかけて、肩の傷を表面上は消し去ったところで、二度目のクウォンタの魔法が大地を揺らす。そのタイミングで、ようやく彼の現在位置を補足できた。

 それと同時に、ララエスタの魔力も感知する。

 だが、それは本来ありえない事だ。アンナの場合彼女の魔力は極端に研ぎ澄ませた目でしか捕捉できないためである。なにか普通じゃない事が起きている。

「上空から街を見たい。お願いできますか?」

「――」

 ため息を一つつき、飛龍が上昇をはじめた。

 その背中に飛び乗って数秒後、息を呑む。

 無数の黄金の蝶が、王宮から都市全体に広がろうとしていた。

 その波紋に呑まれるようにして、人々が糸の切れた人形のようにバタバタと倒れていく。

 医者が見れば間違いなく死亡と判断する状態。だが、彼等はまだ生きている。今は全てが止まっているだけだ。とっても、じきに死ぬのは確実だし、彼女のさじ加減一つで今すぐ終わらせる事も出来るわけだが。

(あの人、どこまでやる気?)

 まだ生きているからこそ色を統一し利用できる魔力をもって、ララエスタの蝶たちはどんどん勢力を広げていく。

(……五秒くらい、かな)

 それくらいで、ここまで届くだろう。

 しかし、彼女は何故この殺戮を決定したのか。

(莫迦な傭兵が逆鱗にでも触れた?)

 一番あり得そうなのはそれだ。多分一人だけじゃなく、複数人がアウトを喰らったのだろう。そしていちいち一人一人処分していくのが面倒になって皆殺しに舵を切った。こんなところだろうか。

「なんだどうした! 大怪我をしているじゃないか! 珍しいな! いや、最近は多いのか? なら良い事だ!」

 煩い声と共に、クウォンタが戻ってきた。

 外壁の上から飛龍の背中までの三百ヘクテル(大体三百メートル)を跳躍一つで埋めて、こちらの隣に降り立つ。

「そっちも満身創痍のようですけど、誰と殺り合っていたんですか?」

「アルタ・イレスの看板だ! 多分な! 吾輩としては血沸き肉躍る激闘を望んでいたのだが、気配がまったく把握出来なくてな、なかなかに困っていた!」

「始末は出来たんですか?」

「わからん! さっきの一撃は離脱の為に打ったものだったからな」

「意外、そんなに劣勢だったんですね」

「いやいや、続けていれば勝てたとは思うぞ。もうじき掴めそうではあったからな。ただ、ララエスタが怖くてな! 続ける気になれなかったのだ!」

「それは……まあ、賢明ですね」

「というわけで、出来ればさっさとここから離れたいのだが、下はどういう状況なんだ? 吾輩の記憶が正しければ、あれはスロウだと思うのだが」

「ええ、そうですね。でも今はルナ様でもあります」

「んん? なんだって?」

「魂が入れ替えられたという事です。そういう魔法に心当たりはありますか?」

「……すまん。上手く聞き取れないんだが。もう一度言ってくれないか?」

 スロウの身体からは四十ヘクテルくらい離れているのだが、ここでも認識阻害は機能しているようだ。

(魔力ももう仕舞っているのに機能してるってことは、魔力の放出量は関係ないのか)

 てっきりそうだと思っていたのだが、どうにもこの魔法の法則を正しく理解出来ていない感じである。

 まあ、とはいえ、やる事自体は変わらない。

 アンナはひょいと飛龍から飛び降りて、治療中の医者の前に立ち、

「肩の傷、完治までにはどれくらい必要ですか?」

「数時間は掛かるだろう」

「そうですか。五十万リラ払います。私たちについて来て、治療を完遂してください」

「……選択の余地はなさそうだな」

「いえ、別に今帰ってもいいですよ。その場合、その方は死ぬことになるでしょうけど」

「それこそ、選択など許されない罪だ」

 苦々しい表情と共に、医者は条件を呑んだのだった。


                §


「……う、うう」

「あ、起きた」

 頭上から、気の抜けた声が届けられた。

 シャルロットが眼を開くと、そこには金髪の美女が居た。……訂正、絶世の美女のような男性のクーレが居た。

 やや不格好な形で抱きかかえられている。

「やぁ、一人で立てるかい?」

「あ、ご、ごめんなさい」

 慌てて身体を起こし地面に降り、そこで彼の状態に気付いた。

 片腕の肘から下がない。

「それ……」

「あぁ、君をノックアウトした彼女にやられた。けど、まあ別に器の設計図が壊れたわけでもないし、大した問題じゃないよ。少なくともこの街の惨状よりはずっとマシだろうね」

 そう言って、彼は後ろに振り向いた。

 シャルロットもつられて視線を向け、息を呑む。

 蝶だ。黄金の蝶が空を舞っている。一番目の内壁の中で留まっているようだが、あれは一体何なのか。

 他にもなにか異変はないかと視線を彷徨わせていると、そこにプレタがやってきた。

 彼女が無事だった事に安堵を覚えると共に、その顔色の悪さに不安も抱く。

「……私、どれくらい気を失っていたんですか?」

「二十分くらいかな。蝶が発生したのは七、八分くらい前。首都全域を呑みこむかとも思ったけど、全滅は王宮に近い方の内門の中だけで済んだみたいだ」

「全、滅……?」

 上手く飲み込めなかった。

 そこに追い打ちをかけるように、声が届く。

 全市民向けにいたるところに設置されている拡声器からだ。


『あー、あー、ええとぉ、この都市に生きる人たちに素晴らしいお知らせがあります。貴方たちの神であるスロウはぁ、貴方たちを守らなかった。その結果ぁ……何人だったかしら? 三十万? そう、三十万人もいたのね。が、死亡しました。王宮の周りが空き家だらけになってしまったの。だから、生ごみを処分してくれた人達にはもれなくプレゼントしてあげる。財産なんかもそこら中に転がっている事でしょうから、急いだ方が良いでしょう』


 甘ったるく、それでいて酷く冷めた声。ララエスタだ。

 彼女の話が本当なら、ほぼ全ての貴族が死んだ事になる。それに仕えていた使用人はその十倍近く亡くなっている事だろう。

 スロウが動けなかったのは怪我の所為。あれは、相当な深手に見えた。

(……でも、どうして彼女が)

 そんな神子を助けたアンナの事を少し考える。

 あのとき、彼女は助ける代わりにルナを確保する事に協力してもらう事になったと言っていた。気は乗らないけれど、ルシェドにはどうせ抗えないから仕方がないと、後ろ向きな敵対宣言をしてきた。

 まあ、妥当な理由なのだとは思う。ルナはアンナに大きな信頼を置いているようだったけれど、アンナの方も同じとは限らないわけだし、誰だってただの他人のために命なんて掛けたくはないだろう。

 ただ、いくつか違和感もあって、全面的に彼女の言葉を信じたわけでもなかった。

 なんというか、ちぐはぐな感じがするのだ。

 本当にそれを選んだのなら、最高峰の『真深夜(レドゥフォドゥン)』の傭兵がわざわざ会話から始めるとは思えないというか、ミッドラインダ帝国の空戦士が仕掛けるまでそのモードでいた事がどうにも引っかかるというか……

(何を考えているのかは知らないが、ひとまずサラヴェディカに戻った方が良いんじゃないか?)

(……うん)

 マヌラカルタの提案に頷き、クーレにその事を伝える。

「そうだね、手札を揃え直す必要はありそうだ。じゃあ、とりあえず門の傍に移動しようか」

「はい」

 そうしてサラヴェディカと繋がっている場所に赴き天使に呼びかけるが、反応なし。何度か繰り返すが、やはり応答がない。

「これは、やられたかな」

「やられたって、どういうことよ?」

 クーレのつぶやきに、プレタが反応する。

「チュルだっけ? あの神子の後ろ盾を得て、もう一度抵抗する気になったんじゃないかな、原初の神様も」

 どこか楽しそうに、クーレはそう答えた。

 まるで、こうなる事が判り切っていたみたいな落ち着きっぷり。

「なんか余裕そうだけど、どうするわけ?」

「とりあえず先に怪我を治そう。医者か病院で治癒石を貰うか、どっちにするのがいいか――」

『あぁ、そうだ、不死の御嬢さん。貴女とはまたお話がしたくなったから、来て。お友達も一緒にね。来なければ、そうねぇ、次はみんなを溺死させましょうか』

 クーレの言葉を遮るようにララエスタの声が届き、黄金の蝶がふっと消えた。

 それに合わせるように、周囲に喧騒が広がる。

「不死のって、まさか」

「やっぱりあの悪魔の所為で……」

「ほ、本当に死んでる!? 本当に死んでるぞっ……!?」

 ショックの彼等の内から湧き上って来たものは、欲望だ。

 豪邸を含めた死者の財。

 得体のしれない何者かの甘言を信じるなどどうかしていると自制するものが大半を占める中で、少数の人間が誰かに破壊された内門の中に足を踏み入れた。

 止める者は居たが、スロウの名はもはや彼等には無力だった。

 この国の崩壊が、ハッキリとした形で浮き彫りになってきている。そしてそれはシャルロットたちの行いの結果でもあるのだ。

「さて、どうする?」

「どうするって、そんなの――」

「君が彼等を見捨てても、僕は別に何とも思わない。そもそもそんな価値があるとも思えない。そして、あの蝶の領域に足を踏み入れるのは非常に危険だ。一刻も早くここから離れた方が良い」

「……でも、見捨てられるのは、嫌だから」

 寂しそうにわらって、シャルロットは王宮に向かって踏み出す。

 その選択を、しかしクーレは嬉しそうに受け止めて、

「いいね。じゃあ行こうか」

 と言って、すたすたとシャルロットの前を歩き出した。

 明らかに、その足取りは弾んでいた。

(もしかして、試されたのかな?)

(そのようだな。良かったじゃないか? その責任を負うのが嫌なだけという事実に気付かれなくて)

 相変わらず嫌な物言いをする悪魔だが、その通りだ。

 でも、それでいいと思える自分が今は居る。

「あたしも行くわよ。お友達ってあたしの事でしょう? だったら、あたしが行かないと不味いだろうし」

「死ぬかもしれないよ?」

「死ぬのが怖くて逃げてたら、冒険者なんて出来るわけないでしょう?」

 クーレにそう強気に返して、プレタも続く。

 そうして内門を入って惨劇を確認した時に抱いた感想は、怒りでも嫌悪でもなく、虚しさのようなものだった。

 選ばれた者としてこの国で生きてきた彼等が、神の庇護を当たり前に得られていると信じていた彼等が、本当に簡単に死んだのだ。

 みんな、綺麗な死体だった。倒れた際に出来た傷しかない。半数以上は無傷だ。凍ったように死んでいる。

 血生臭くない事が、ここまで異様に思えるという惨状。

 そんな道を進んで、王宮に辿りついた三人を迎えたのは、二十代半ばくらいの男性だった。傭兵とかではないと思う。そしてこれまた非常に整った顔立ちをしていた。ただ、残念ながら、血の気の引いた真っ青な顔に魅力のようなものは感じられなかったが。

「どうぞ、こちらに」

 強張った声で言って、男は歩き出した。

 それについて行き、玉座の間に到着する。

 ララエスタは自身がこの王宮の主人であるかのように玉座に堂々と腰かけ、真っ赤なお酒をちびちびと飲んでいた。その左右には、これまたすらりとした美貌の男性がいつでもグラスにお酒を注げるようにボトルを構えている。こちらも真っ青な顔だ。恐怖に引き攣って見ていられない。

「あら、他にも一人いたのねぇ。それも大物。貴方、クーレ・サーランタでしょう?」

 額にある眠たげな瞳が、少し大きく見開かれた。

「噂以上に美人なお姉さんの顔をしているのね。ちょっと、欲しくなってきたかも。どうかしら? 私のものにならない?」

「残念だけど、君には魅力を感じないね」

「あら? この顔も肢体も、巷では大変好評なのだけど。……貴方はどういう女性に魅力を感じるのかしら?」

「そうだね、モルガナとかかな。彼女はいいね。どう足掻いても勝てそうにないところが本当にいい。あの不可能は、挑戦のし甲斐がある」

 本気で言っているのが分かったのだろう。ララエスタは少しぽかんとした反応を見せてから、

「狂っているわねぇ、貴方」

 と、可笑しそうに微笑み、

「君の方は普通だね」

 その切り返しの言葉に、今度は戸惑いの反応を覗かせた。

「私が、普通?……初めて言われたわぁ、そんな事。ちょっと驚いちゃった。どうして、そう思ったのかしら?」

「どうしてもなにも、見たままでしょう? 君はこれを愉しめていない。ただ憎んでいるだけだ。あげく、それに虚しさも覚えている。失ったままの人間。そんな人、そこら中に居るでしょ?」 

 自身の目の下を、残っている方の手の一指し指で軽く叩きながら、クーレは言った。眼を見たら判るという事なのだろう。

「それより、早く本題に入ろうよ。僕たちをここに呼びつけた理由はなに?」

「……状況確認よ。こちらではスロウを見つけられなくてね、貴女たちの方はどうだったのかなって。彼女、本当にここにいないのかしら? まあ、居ないなら居ないで地下の魔法陣を手にして他の神子をやるだけだから、別にいいんだけど」

「他の神子? ……いや、そもそも、貴女はどうしてスロウを狙っているんですか?」

「どうしてって、的だからよ。神子の首を取ることが今しているゲームの勝利条件なの」

 シャルロットの問いにララエスタは驚愕的な解答を示し、そのゲームについての具体的な説明をしてくれた。

 なので、こちらも最低限の情報を返す事にする。

「……そう、アンナと一緒にいたんだ。つまり、もう死体だったということ?」

「いえ、深手は負っていましたけど、生きてはいました」

「それは妙な話ねぇ。……うーん、団長になにか命じられていたのかしら? だから、私の遊びに乗ったとか?」

「貴女は、本当に何も命じられていないんですか?」

「えぇ、あの子と違って私は信用されていないから。これまで何回も命令無視しちゃってるし。でも、生きているのよねぇ。どうしてかしら? ……まあ、いいわぁ。それより、私も事情を話したんだからぁ、貴女たちの事情も教えるのが筋じゃないかしら?」

「必要ないでしょう? 勝手に解釈して勝手に始められるんだから。君は」

 ため息交じりにクーレが口を挟む。

 露骨なくらいに冷めた対応だ。

 しかし、それに対してララエスタは優艶な笑顔を仕舞い、

「貴方、本当に面白いわねぇ。ちょっと、本気で欲しくなってきたかも。ねぇ、賭けをしない? 悪魔の契約を使った賭け。お互いの全てを賭けて勝負するの」

 影から、拷問の限りを尽くされたような、おぞましい悪魔が姿をみせた。

 それに息を呑むシャルロットやプレタを尻目に、クーレは醒めたまま、

「アンナって子と既にしているんじゃないの? 彼女はずいぶんと手ごわそうだったけど」

 と、指摘する。

「そうね、だから、あちらとの勝負も全力でやらないといけない。貴方にとっては有利な話。内容は、そうねぇ、私に一滴でも血を流させたら貴方の勝ち。私の方は、貴方の仲間を二人殺したら勝ちという事にしましょうか。これなら、契約をした方がお得でしょう?」

 拒んだとしても関係なしに殺すというなら、たしかに見返りがあった方が望ましいだろう。

「……わかった。明日だけならいいよ。今日はそれどころじゃないからね、明日の早朝から夕方までなら付き合ってあげる。あぁ、どちらも条件を満たせなかった場合は、僕の負けでいいよ」

「それは素敵ね。では、契約と行きましょうか」

 傷だらけの悪魔から朱い糸が伸び、それはララエスタの小指にまずは絡みついて、次にクーレの小指に伸びていく。

(……意味のない行為だな。だが、なるほど、そういう悪魔か)

 胸の内にマヌラカルタの聲が木霊する。

(なにが判ったの?)

(とりあえず、あの悪魔には心臓が二つあるな。一つは自身のもの、もう一つはおそらく人間のものだ。どういう方法で得たのかは知らないが、そのおかげで奴は二つの魔法が使える)

(つまり、彼女自身も含めて三つ魔法をもっているという事?)

(魔眼を入れて四つだ。といってもその一つはゴミだがな。『装飾』の魔法。概念干渉の域に到っているのなら脅威だが、この感じだとそうでもない。まあ、そこらの人間の心臓に入っていた魔法なんだから当然と言えば当然だが)

(もう一つの方は?)

(おそらくは肩代わりだ。それも、受け持つ方に特化した、な)

(それって――)

(良かったな、共通の話題が見つかって)

 と、そこで、契約が完了した。

「今日一日、私は貴方たちになにもしないわぁ。この城でもそこらの屋敷でも自由に使わせてあげる。だから、しっかりと策を練って、私を愉しませてね」

 そう言って微笑むララエスタの目は、怖いくらいに昏く、まるで笑っているようには見えなかった。


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