表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君>世界   作者: 雪ノ雪
第二章『災禍の恵み』
10/23

04/小さな成果

「大胆な事をするものだな。依頼主をこのような形で裏切ったとなれば、冒険者としてはもう終わりだぞ、デービス・ウルジルカ」

 手足を縄で縛られて担ぎ上げられ、ある場所で乱暴に降ろされたローマンは、自身を誘拐した相手を睨みつけながら静かな口調で言った。

「どの道、今日で冒険者は廃業さ」

「それで傭兵か殺し屋にでもなると? 愚かな。そもそも逃げられると思っているのか? たとえ私の護衛が依頼の根幹ではなかったとしても、私がいなければ報酬の支払いに不安が生じるのは誰でもわかる事だ。なにより今後の仕事にも影響が出る」

「だろうな。だからこそ、間違いなく総出であんたを助けにくる。あんたは太っ腹な依頼主だし、なによりプレタ・リリエッテの恩人だからな。一部を除けば非常に信頼の厚い彼女に、決定的な選択が委ねられる可能性が高い以上、そうならない理由を探す方が難しい」

「……動機は、彼女に対する私怨か?」

「ん? 突然なんだ? そんな素振りを見せた事があったかな?」

「かつて君たちは同じところからスタートし、同じ速度で頭角を表していった新鋭だった。だが、ある依頼で明白に優劣がついた事によって、全てが変わった」

「そういえば、その依頼に関わっていたのはあんただったかな」

 懐かしむように、デービスは眼を細めた。

「あぁ、たしかにあそこで俺が勝っていれば、今とは立場が逆転していたかもしれない。だが、それもただの可能性だ。大体、俺は有名人になりたいわけじゃないからな。冒険者をやってるのも簡単だったからだ」

「……」

「納得できないって顔だな? どうやらあんたは自分が危険に晒されている事に、大きな理由がないとおかしいと考えているらしい。そういうのを自意識過剰っていうんだが……まあいいや。では、俺が何故こんな事をしたのか、親切に教えてやるよ。といっても、あんたのよりもずっと美味しい依頼だったからってだけの話なんだがね。そして、その狙いの中心にいるのも、あんたじゃない。もちろん国内止まりの有名人でもないな」

「ヴラド・ギーシュか」

「それも外れ――いや、半分はあたりか? あんたがどの程度の評価をあの男にしているのかは知らないが、あれは埒外のバケモノだ。対面した瞬間、勝てるわけがないって確信したのは生まれて初めての経験だったよ。おかげで、そんなのに簡単に噛み付ける他の奴等の勇気が胸に染みたし、奴の警戒の度合いもよくわかった。盤石とは言い難いが、無理をしてまでボーナスを稼ぎにいっていい仕事じゃないってな」

「……そうか、不死の噂のある少女、依頼主はエンシェという事か」

「御明察。でも遅い。捕まった後に気付いたって拍手は貰えないぜ? 少し鈍ったんじゃないか? それとも愛人との戯れにうつつをぬかしすぎたか?」

 その言葉に、ローマンの表情が一瞬強張る。

「おいおい、まさか隠してたつもりだったのか? あの秘書の空気なんてまさにそうじゃないか。色々と刺激が欲しかったんだろう? 慣れた順調ってのは退屈でもあるからな。だから自ら赴いた。部下や傭兵共の士気や規律意識を高めるなんて名目でな。仕事こそがついでだ。俺と同じ。……あぁ、だからこそ、本当に羨ましく思うよ。こんな場所に真剣にやってきている奴等がね」

 微かに目を細めて、デービスは自嘲気味に微笑んだ。

「……私を、どう使うつもりだ?」

「別にどうも。最低限の役割はもう済んでいる。奴等は必ず此処に来るからな。そこを連中は勝手に叩くだろう。後の事は知らない。俺は俺で勝手にやる。……ふむ、そうだな、あんたのお気に入りの冒険者様とタイマンでもしてみようか? 実力差があるから、俺は深手の一つでも負えば負けって事にしよう。で、あんたはどっちが勝つか賭けるんだ。当たったら、あんたは殺さない。あんたの昔話のおかげで思いついた遊びだからな。あんたも関わらなきゃつまらない、だろ?」

 ……この男の言葉には嘘がない。本当にその程度の認識で、この行動を起こしたのだ。

 強いが詰めの甘い男、だからこそ大成しなかった燻っている冒険者という認識が、今ここで崩れた。多くの人間と関わる関係上、人を見限るのも早いのがローマンの特徴でもあったのだが、それが仇となった形である。

「そう深く考えなくてもいいと思うぜ? 当たろうが外れようが、戦場になるこの場所であんたが生きていられるかどうかは、それこそ運次第でしかないんだからな。気にしても仕方がない。……さあ、選んでくれ。あんたはどっちに乗る?」

 プレタとデービス、どちらが強いのか判るほど、ローマンは戦いに詳しくない。だが、おそらく目の前の男の方が殺し合いは上なのだろう。

 今は二人きりだ。勝てる方を選んでも問題はない筈。

(本当にそうか?)

 罠である可能性は捨てきれない。隊商には通信石や記録石というものがあったのだ。ここでの発言がのちのち彼女との関係に歪みを入れる恐れもある。プレタが一人で戦う事になるとも限らないのだから、尚更だ。

(そういった懸念も込みで、この男は選べと言っているのか?)

 だとしたら、自分はどこに命を張るべきか…………

 と、そこでローマンは自身の信条を思いだし、吐息を一つ零してから、力みのない穏やかな声で答えた。

「そうだな、では、私は――」


                §


「一体どういう状況になってんの?」

 隊商に戻るなり、プレタが強い口調で秘書を問い詰めた。

 その表情には焦りの色が強く滲んでいる。もっとも、対面の秘書はそれ以上の狼狽と恐怖に晒されているようで、話を聞く相手として適切とは思えなかった。

「ねぇ、そこの、お前が説明しなさい」

 移動に支障が出るのが判りきっていたので解いていた実体化を、ここでまた行ったリリスが、中央の陣地でよく見かけていた男に声を掛ける。

 結果、秘書よりもずっと冷静だった男は、淀みなく事態を説明してくれた。

 なんでも、通信石に報告が届く三分くらい前に、ふらりと中央の陣地にやってきたデービスが突然護衛を務めていた傭兵を切り殺し、ローマンを攫い、隊商を離れたとの事。

 その際、通信石と番石を一つずつ盗んでいたことも確認されている。当然、それは意図的に見せられた情報だろう。連絡を寄越してくる事を示していた。

 ただ、その連絡は残念ながらまだ来ていない。

 指揮系統が乱れている段階では、行いたくないという事なのだろうか。だとしたら、デービスは紆余曲折を経て固まった結論を期待しているという事になる。

 それはなにか? おそらくは隊商が本気でローマンを助ける事だ。ちなみに、ここでいう本気とはヴラド達の協力を指している。

 こちらの目的は災王だ。依頼主の安否をどこまで優先するか、デービスには判らない。しかし、災王を狩るにはこちらも隊商の力が必要で、でなければそもそも単騎で行動しているというのは想像も容易い筈だ。そのうえで、悪辣な悪魔が交渉を担い、より大きなイニシアチブを得ようと画策するところまでは読めるだろう。

 つまり、下手なタイミングで横槍をいれて、ヴラドの交渉役である悪魔が隊商を見限る可能性を恐れたというわけだ。

 なんとしてでも伏兵を潜ませている場所に隊商を誘導したい。そして、その中にはヴラド達がいて貰わないと困る。

(本命はシャルロットの死か)

 なら、デービスの背後にいるのはエンシェという事になる。

 まったくもって、しつこい連中だ。よほど不死の魔神を自由にしたいのだろう。

(わたしはどう転んでも構わないけれど……ふふ、どうでもいいのなら、大切な半身を尊重するべきなのでしょうね。きっと)

 頭の中に、悪魔の聲が響いた。

 だから自分にまかせろ、余計な口は挟むなという事のようだ。どうやら悪巧みがあるらしい。

 特に拒む理由もないので、この場は任せる事にする。

「……状況はわかったわ。それで、災王はいつ始末するの?」

 ため息交じりに、リリスがさっそく口火を切った。

「い、今はそれどころでは――」

「お前の男と結んだ契約には、災王の討伐を最優先させると記されている。そして調査の結果、災王の居場所も習性も掴めた。依頼主の捜索は、この契約条件を違えているわ」

「酷い寝言だな。依頼主の声がなければ、そもそも状況は始められないわ」

 ため息交じりにプレタが噛みつく。

 それに対して、リリスは失望の吐息を返した。

「お前は莫迦なの? 今しているのは、そんな話ではないわ。わたしは、そちらの落ち度をどうやって償うつもりなのかという話をしているのよ」

「一体、何が所望なのでしょうか?」

 ローマンの愛人である事を言い当てられた事にやや動揺を見せていた秘書が、硬い声で訪ねる。

「あの商人の代役は、お前でいいのかしら?」

「問題ありません。責任者が不在の時は、私が代行する事になっていますので」

「そう、それはよかった。では、色々と、釣り上げれそうね」

 足元を見る気満々の台詞だった。性格の悪さがよく出ている。

 それに対して、激しい怒りを見せたのはプレタだ。彼女にとってもローマンは特別な人物なのだろう。

「……ないものは、差し出せませんよ?」

 頑張って苦笑を浮かべながら、秘書が一方的にはさせないという心構えを見せる。

 それを鼻で嗤って、

「増援を用意させなさい。そうね、第一級の魔法陣を運用できる程度の質と数は欲しいわ」

「第一級だなんて、そのような戦力――」

「軍がいるでしょう? お前たちは国の調査にも絡んでいる。それなりに深い付き合いだという話も聞いたわ。交渉は十分可能な筈。もちろん、その状況を用意するのには時間がかかるでしょうけど、その時間こそが、わたしたちが依頼主に割ける時間という事にもなる。……この言葉の意味、解るわよね? はっきり言ってお前たちでは足りないの。この制域にいる災王は想定していたよりずっと強い。居ても居なくてもいい連中のために、無駄な時間は使えない。価値を示しなさい」

「……国の最精鋭を借りるというのは、いかにローマン様でも無理です。ですが、第二級の魔法師団なら、交渉できるかもしれません。それが、我々の限界です」

 リリスの言葉は嘘だらけだが、秘書のこの言葉に嘘はないだろう。

 かなりの身を切る事を覚悟で、彼女は「お願いします。どうか、力を貸してください」と頭を下げた。

「……哀れね」

 侮蔑に満ちた声で、リリスが呟く。

 そのあまりの冷たさに、秘書は身体を震わせるが、

「あぁ、お前に言ったんじゃないわよ。たった一匹の裏切り者を始末するのに、余所の傭兵に頼る事が最優先となってしまっている凡百共に言っているの。まあ、でも仕方がないのかしら? わたしのご主人様も、あの男の事は少しは手間取りそうだと評価していたくらいだしね。いいわ。それで手を打ちましょう。 ――ねぇ、露払いくらいは任せてもいいのよね? この国一の冒険者さま?」

 視線をプレタに向けて、リリスは冷ややかな微笑を飾る。

 彼女が契約を結ぶ前であったのなら、それはとても自然な、この悪魔らしい態度だった。

「……あらあら、弱いのにプライドだけは一人前」

 感情任せの行動か、意図を察しての演技か判らないままに、会議用テントからプレタが出て行ってしまう。

 その結果を前に、リリスは部屋にいる全ての人に聞こえるくらいに大きな音量で鼻を鳴らして、

「白けた。移動で疲れたし、あとは任せるわ」

 と言って、実体化を解いた。

 そうして、この場においてヴラドとシャルロット以外認識出来ない状態になったところで、

「足早ね。まさか鵜呑みにしたの? そこまで莫迦とは思ってないんだけど」

 そんな事を呟きながら、翼を羽ばたかせ、プレタの後を追いかけていった。

 それから十秒も経たずに、折り畳み式の長テーブルの上に置かれていた通信石が振動し、デービスからの要求が届けられる。

 その内容は、隊商の人間すべてを連れて一時間以内に指定した場所に来いというもので、条件を守れなかった場合は即座にローマンを殺すという脅し付きだった。


                §


 召喚された魔物たちが翼を命一杯に動かして、人間たちを乗せた金属の板を運んでいく。

 向かう先は、デービスが指定したポイントだ。

 空が溶けている場所を避けて進む必要があるために、かなりの速度で移動している。明らかにオーバーペースなので、目的地についたあとはしばらく休ませる必要があるだろう。

 つまり、そこでの選択肢はかなり限られるという事だ。

「果たしてこの隊商は無事に大事な金蔓を取り戻して、生きて制域から出られるのかしらね」

 どこか愉しげに、実体化を解いているリリスが嗤った。

 それをプレタが視認できているのは、リリスがそれを許可しているからだ。悪魔の契約によってリンクしている故の恩恵なのだろう。

「不快な物言いは止めてくれない?」

 傍から見たら独り言なので、彼女だけに聞こえる最小限の音量で返す。

「じゃあ、お前の所為で巻き込まれた、哀れな依頼主としておきましょうか?」

「……」

 目的地に移動を開始してから数分後、追加で一つデービスから要求があった。

 それは、プレタとデービスが一対一で戦うことで、プレタが勝てば人質は解放されるだろうというものだった。

「お前たちの因縁に興味なんてないけれど、勝てるの? あの場でわたしが言ったヴラドの評価は本当よ。あれはお前よりも強いと言っていた」

「今は違うわ」

「契約者になったから? たかがシルフィと契約しただけで、ずいぶんと調子づくのね」

「あんただってただの淫魔(リリス)でしょう? あの子を、レーニィスを侮辱できるような立場なわけ?」

「あら、知らないの? 美貌も知性も、人間界ではとびきり強力な手札になりえるものなのよ。それを巧みに扱えるわたしは、少なくともただの風の精霊よりはずっと優秀だわ。事実、わたしはその力を持って悪魔なら誰でも使える契約を用いり、お前をいつでも殺せる立場になった。なんなら、今実証してあげましょうか?」

「――っ」

 言葉に魔力を感じた途端、心臓が縮まるのをプレタは感じ取った。

 交わした悪魔の契約の影響だ。こいつが死ねと命じれば、自分は多分自殺する。もちろん、今そんな事をするほど莫迦な女ではないという認識あっての喧嘩腰なわけだが、それでも死の気配は膨張を続けていき……

「……まあ、冗談はさておき、契約者になったという切り札はちゃんと最後まで伏せておきなさい。一対一の状況はおそらく避けられないのだからね。さあ、目的地が見えて来たわ。いい場所ね。霧が深いし、気配を捉えるのも難しい」

「たしかに、奇襲には打ってつけね」

 身代金をプレタ一人に運ばせるとか、そういう要求をせずに隊商全て巻き込んでいる以上、彼一人という事もないのだろう。ローマンを潰したい奴が絡んでいるのは間違いない。

 それが誰かなのかは、プレタの視点からでは断言できないが――

『――十、九、八、』

 懐に入れていた番石が反応を見せ、直後、通信石からデービスの声が響く。

 それがカウントダウンだと気付いた瞬間、プレタは殆ど衝動的に駆けだしていた。


                §


 そろそろ敵に動きがありそうだと、ヴラドがなんとなく刀の柄に手を置いたタイミングで、突然プレタが陣地を飛びだし霧の奥へと駆けだした。

 その先に意識を向けると、微かにだがローマンの気配を感じ取れる。傍らにはデービスもいるようだ。

 通信石も番石もプレタが持っていた。それはデービスの要求の一つだったが、どうやらなにかを仕掛けてきたらしい。もちろん、彼女にしか聞こえない、感じられない仕様にはしていないので、近くにいた者はすでに状況を把握している筈。

 そのうちの一人であるリリスからの報告が入る前に、それは起きた。

 霧の中に潜んでいた気配が、一斉に牙を剥いたのだ。そしてプレタと隊商の合流を拒むように、こちらを取り囲む。

 統率された動き。数も多い。二百人はいるだろうか。覚えのある気配も一つ見つけた。殺し屋の片割れだ。肝心な弓使いの方は見つからない。

 それにしても、ずいぶんと引き抜いたものだと感心する。

「エンシェも太っ腹ねぇ。一体どれだけの宝石を奴等の足元に転がしたのかしら? これは、増えるかもしれない数よりも、減る数の方が多くなりそう」

 シャルロットを連れて、リリスがこちらにやって来た。

 隊商は既に臨戦態勢に入っており、防御の構えを取っている。下手にプレタを追いかけても各個撃破を喰らうだけなので、まあ妥当な選択だ。

 デービスは巧いタイミングで仕掛けて、望み通りの状況を手に入れた。なら、本当に一対一での戦いに興じる可能性も高そうだ。

 これでプレタが勝てるのであれば放置してもいいのだが、まず間違いなく彼女は負ける。

 契約者というものは、自身と契約対象の二つの魔力と魔法を扱える極めて強力な存在だが、成った時点で即それを使いこなせるという訳ではないからだ。特に戦闘において二種類の魔法を同時に扱うというのは、非常に高度な技術とセンスと経験が求められる。……まあ、これはクーレの受け売りでしかなく、そんな戦いを一度もした事がないヴラドには、どの程度難しいのかもわからないわけだが。

「あの娘、どれくらい耐えられそう?」

「一分半が限度だろう」

「では、一分以内に戦況をひっくり返さないといけないわね。依頼主も助けてあげないといけない。あの女を上手く使えば、出来るかしら?」

 リリスの視線が秘書に向けられた。

 強張りきった表情。今すぐにでもローマンを助けたいが、その感情を必死に堪えて、ひとまずは現状維持に努めているのが手に取るようにわかる。

「懸命ねぇ。あとどれくらいの強さで背中を押してあげれば、男の為に愚行を犯してくれるのか、確かめてみるのも面白そうよね。ふふ」

 愉しげに嗤いながら、リリスはそんな秘書の元に向かっていく。

 そこにどうしようもない不安を覚えたのだろう、シャルロットが「あ、あの――」と声を上げていたが、その音は凄まじい金属同士の衝突音によって掻き消された。

「余計な事に意識を向けるな。剣を抜け、自分を守れ」

 刀を抜いた右手に痺れが残るほどの威力をもった矢。潜んでいた双子の片割れの一撃だ。ヴラドが弾いていなかったら、シャルロットの心臓には風穴が開いていた事だろう。

「――右手前方、魔物の群れです!」

 誰かの報告が届く。

 その声に合わせたかのように、こちらを囲んでいた敵兵たちが睨み合いを止めた。

 開戦だ。

 ヴラドを殺したら報奨金でも出るのか、そこそこの数が近場を無視してこちらに向かってきている。どれも取るに足らない有象無象だが、回避や反撃の手間はかかるのだ。完全に無視はできない。

 そんな状況下で、あのレベルの射手の攻撃から足手纏いを守らなければならないというのは、いかにヴラドと言えど容易ではなかった。魔物との交戦距離に入れば、さらに難しくなるだろう。

(……殺し屋二人は、どこまで把握しているか)

 この大陸でヴラドが魔法を使ったのは、クリスエレスの神子との戦いだけだ。それ以外の局面では、基本的に刀と魔力技法のみを徹してきた。使う必要がなかったからというのが一番の理由ではあるが、特性をあまり知られたくなかったからというのも大きな一因となっている。

(一つ見せておくか)

 右の奥歯の仕込んであった核をかみ砕き、自身の魔力で包み込み溶かし、それを呑みこむ。

 大地に纏わる魔法だ。母数が多く、補充しやすいのが利点。

(発生は遅いが規模は大きめ。純度は並)

 殺した奴は忘れたが、そういう特性を持った核だという情報が、自身の世界に定着させる過程で入ってくる。

(二、三、集団の処理に使って捨てるのがいいか)

 定着が完了した瞬間から、それを維持するための魔力消費が始まる。

 解除しない限りずっと続くその代償は、非常に貪欲だ。相性の良い魔法であっても三分程度、そうでない場合は一分もあればこちらの魔力を吸い尽くす。

 だからこそ、さっさと使ってさっさと破棄するのが定石となる。

「そこで止まれ」

 前に出ようとしていた味方集団に魔力を乗せた声を届かせ、それに彼等が反応したところで、右足で地面を強く踏む。

 その衝撃に乗せた大地の魔法が、味方集団に向かって襲い掛かっていた一団の足場を崩壊させた。

 優位は作れたので、あとは勝手に処理してくれるだろう。

 続けて左右に展開している奴等に攻撃を仕掛ける。

 今度は大地を突起させ、強制的に宙を舞わせてやった。それに合わせて矢の群れが襲い掛かり、撃ち漏らしを跳躍した髭面が両断する。

 特に示し合わせたわけでもなく綺麗に合わせてくるあたり、集団戦の練度はかなりのもののようだ。まあ、二人ほど拙い動きの傭兵がいるが、初日の轍を踏んでか、カバーもしっかりできている。

(そちらは見なくても良さそうだな)

 おかげで意識配分に余裕が出来た。

 定着を解く。体感五秒程度の接続時間。これくらいなら、そこまでの負担にはならない。

「離れるなよ」

 シャルロットに短く告げ、ゼルの方向に向かってゆっくりと近づいていく。

 ここからは、しばらく得物一つだ。

 襲い掛かってきた敵を派手に斬り飛ばし、余波の衝撃で二、三人を巻き込んで殺すほどの威力を見せ付ける。

 正直、魔力の無駄使いもいいところだが、これをする事で抑止力が生まれる。

 その証拠に、こちらにはもう勝てないと早々に認識した敵兵達は、じりじりと後退るか標的を変えるかして、ヴラドの周りにぽっかりとした空間を作り上げてくれた。

 これで射手の対処も楽になる。あとは片割れであるゼルの手足でも切り落とし、それを盾にしながら見つけ出して殺すだけだ。

「――そこか」

 初手とは全然違う方向から飛来した矢を、進行上にいた敵に向かって弾き飛ばし、そうして出来上がった死体が持っていた剣を取って、ヴラドは気配がまた消える前にそれを投擲する。

 距離がありすぎるのでさすがに当たりはしないが、そこそこ近い距離を穿つことは出来ただろう。これで次の攻撃までの間隔が、もしかしたら少しは遅くなるかもしれない。

 その間に周囲を見渡して、改めて状況を確認する。

 数的不利は否めないが質では勝っている。人間同士の争いではこちらが優勢だ。人質がよほど上手く機能しない限り、この流れは変わらない。

 問題は魔物の動向だ。これだけ盛大に争っているのだから当然といえば当然だが、次から次へとこの餌場にやってきている。

 今はまだ様子見が多いが、それはこちらの戦力に警戒しているからであり、バランスが崩れた瞬間、奴等は一気に雪崩れ込んでくるだろう。そうなったら面倒は避けられない。

 だからこそ、出来るだけ早く決着をつけて、戦力の低下を最小限にする必要があるわけだが――

(……早速崩れた)

 最初にこの餌場を嗅ぎつけた魔物どもが、一斉にこちらに向かって疾走を始めたのだ。近くにいる仕留めやすい獲物には目もくれず、ヴラドの方に向かってきている。

 血走った眼。どいつもこいつも酷く興奮している。それ自体は自然だが、この度合いは少しおかしい。

(なにかされたな。だが、なにをされた?)

 その答えを示すかのように、思っていたよりもずっと早い間隔で次の矢が来た。

 しかも、場所がほとんど動いていない。前の二つと比べて、溜めが弱かったのか威力も乏しかった。

 つまり、リスクを犯してダメージを期待出来ない攻撃をしてきたという事になる。

(……匂い、或いは色か)

 人間の眼や鼻では感知できないなにかが、矢には宿されていたのだろう。(これ自体はニルの魔法ではなく、別の誰かの魔法だ)そして、それを弾いたヴラドの身体に今纏わりついている。

 一応、乱暴に魔力を放出してみたが、払えた感じはしなかった。

 手持ちの核を何枚か消費すれば解決は出来そうだが、それなりに貴重な核をこの程度の局面では使えない。

 ひとまずは放置、解析が済むまでは耐える方向で行く。

「尾に注意しろ」

 シャルロットに告げたところで、魔物が交戦距離に入った。

 彼等に駆け引きはない。直線的に、一斉に飛びかかってくる。

 周りが見えていないのがよく判るように、お隣同士でぶつかり合って、こちらへの進路がずれる個体も何体かいた。

 それらが覆い被ってきたタイミングで懐から核を一つ取り出しつつ、口の中に放り込み、噛み砕み、その中に入っていた誰かの血を、自身の血の世界へと定着させていく。

 使うのは先程と同じ系統だ。違う魔法だと気付くのは難しい。だが、魔物の行動を制限するために即座に使わなかった事は、不審に思われる要素となるだろう。

(……手間取りそうだな。初日に殺し切っておくべきだったか)

 ちょっとした後悔が滲む。

 一秒程度だ。混沌とした戦場でのミスなんて必ず起きるものなのだから、いちいち引き摺ってはいられない。

 それよりも、これをどう凌ぐか。

 躊躇なく群がってくる魔物共はそれ自体も脅威だが、射手の攻撃を最大限機能させる状況を作っている事が一番の問題だ。

 まずはそのリスクを軽減させんと、周囲に岩の壁を作りだす。そこで大地の魔法を破棄。左手前の敵を切り裂きながら、少し強引に位置を変える。

 と、その直後、岩の障壁を貫いて一本の矢が正確無比にヴラドの心臓に迫った。

(見えているのか? それとも、もう狙いが必要ないのか……)

 必中や自動化など、色々と思いあたる魔法はあるが、これだけでは絞り込めない。

 こちらが模索する間を嫌うように、増援の魔物が矢によって生じた穴を突破口に入って来る。

(いっそ打って出るか?)

 自分一人なら迷う事はなかっただろう。

 けれど、シャルロットを連れては行えないし、彼女を置いていくというのも論外だ。

 攻めあぐねている間に、次の一撃が放たれた。

 魔物の攻撃をいくつか捨てなければならない嫌なタイミング。偶然か必然かは定かではないが、仮に前者だったとしても回数が増えればそれを引き当てる可能性は高くなる。

 威力も上がってきているし、さすがにリカバリーの効く方法だけで凌ぐのは難しそうだった。

(ディアに……いや、それも悪手か)

 この環境では敵を補足できないし、彼女は最後の保険だ。隊商が全滅するような状況に陥った時、逃げの一手として用いりたい。だからこそ、彼女には万全で居て貰わないと困る。

(二等級を切るか……?)

 コートの内ポケットに空いている手を突っ込んで、保存石に収められている希少な核たちに触れる。

 正直、どれも使いたくはない。より重要な局面で必要になる可能性があるからだ。

 待つという選択に、まだ天秤は傾いている。

 それは保留に近い意識。戦場ではあまり望ましくない在り方だった。宙ぶらりんな状況というのは、どうあっても隙間を生むものだからだ。

 そこを狙っていたのかは判らないが、ちょうどそのタイミングで敵の射手は奥の手を切って来た。

 ここまでヴラドが弾き返しそこらに散らばっていた複数の矢が、射手の渾身の一撃に合わせて、一斉に役目を思い出したのである。

 察知は間に合ったが、数が多すぎた。自分だけならともかく、シャルロットまでは守れない。

 ならばと、ヴラドは咄嗟に彼女を突き飛ばして――


                §


 突然の衝撃にまったく対処できず尻餅をついたところで、鮮血がシャルロットの頬を濡らした。

 最初は魔物のものだと思った。さっきからずっと、ヴラドの斬撃によって紫色の魔物の血がばら撒かれていたからだ。

 けれど、頬についたそれは真っ赤だった。

 状況を忘れて酩酊しそうなほどに、艶やかな朱色。

「――っ、ヴラドさん!?」

 自分が庇われた事を認識すると共に、悲鳴が零れた。

 右の脇腹と左の肩に刳り貫かれたような痕が出来ていて、背中と右の太腿に魔物の爪痕が深々と刻まれている。……重傷だ。

 しかし、それをまったく感じさせない鋭さで、ヴラドは目の前にいた二体を流れるような太刀で両断し、

「余計な事に意識を割くな。自分の安全だけ考えていろ」

 と、低い声でシャルロットにそう命じた。

 命じながら、目の前に迫っていた魔物から背を向けて、驚愕を晒して無防備になっていたシャルロットに襲い掛かろうとしていた一体の首を撥ねる。そして即座に身体を沈めながら左に傾ける事によって、背後から迫っていた爪が頭部を切り裂く未来を、肩口を抉るだけに留めた。

 視認できない速度で再び刀が走り、背後の魔物の首も飛ぶ。

 冷たい紫色の鮮血が、また肌を叩いた。

 でも、背筋が震えたのは、その所為じゃない。

(……私の所為だ)

 今ここに自分が居るから、彼は怪我をしている。

 一人だけだったら、きっと何の問題もなくこの包囲を突破して、彼は殺し屋の元に向かっていた事だろう。

「ご、ごめ――」

 身に沁みついている自己嫌悪を、寸前で噛み殺した。

 今するべきは、そんな事じゃない。

 愚鈍な頭をフル回転させる。

 昔は自分が盾になっていればよかった。囮になればそれだけで良かった。

 だけど、今は違う。自分が死なないようにしながら、この窮地を脱する方法を考えないといけない。よっぽど難しい。なにも浮かばない自分の至らなさにウンザリする。結局は自己嫌悪に着地するのだ。……でも、それでも、そこでは止まらない。まだ何かある筈だと必死に考える。

 そうして、見つけた。

 不意に、ヴィジョンが浮かんだのだ。

 それはシャルロットであってシャルロットではない者の凶行。誰かの喉を焼き切る漆黒の閃光を放った、自分自身の姿だった。

 どこまでも滑稽な話だが、その映像を前に、シャルロットはようやく自分の魔法を思い出したのである。不死になって何度か死を体験してから使えなくなっていた、己が武器の事を。

(……今なら、また使えるかもしれない)

 使えなくなった理由は、おそらく不死の魔神の影響力が自分の中で大きくなっていたから。

 でも、シャルロットはクリスエレスを出てからは一度も死んでいない。こんなに死んでいないのは、不死になってからは初めての事だった。だから、影響力だって弱まっている筈。

 胸に手を当てて、最初に魔法を使った時の事を思い出す。

 魔力の糸を心臓から核に向けて伸ばし、それを指先へと繋げるイメージ。

(――ある)

 久しぶり過ぎて忘れかけていたけれど、全身を犯している不死の魔力ではなく、自分の魔力を発見した。最大限自由に扱える魔力だ。

(大丈夫。大丈夫。私は、やれる)

 足手纏いは嫌だから、見限られるのは嫌だから、そうならない事を今証明しないと駄目だからと必死で自分に言い聞かせて、昔はあったはずの自信や勇気をかき集めて行く。

 その間にも、満身創痍のヴラド目掛けて矢は飛んでいる。速過ぎてシャルロットにはまるで見えない。弾かれた後でようやく気付けるくらいだ。

 そんな体たらくでも、射られた方位くらいはわかる。そして光の特性を宿す己が魔力を両目に込めれば、霧の中を見通す事だって出来た。

(……見つけた)

 距離は三ヘクター程度。ずいぶんと近い。ヴラドの眼ではこの霧の先をはっきりとは見通せないと、おそらく剣を投擲された際に気付いたのだろう。

 魔力の気配頼りの攻撃は、魔力を散布してしまえばその精度を簡単に奪える。だから、敵は必殺の間合いにまで入ってきた。

 けれど、眼で視えているのなら、魔力散布によるジャミングは意味をなさない。

(この距離なら、当てられる……!)

 片膝をついて自身という的を小さくしつつ、狙いを澄ます。

「――っ」

 そこで、相手と眼が合った。

 心臓が一瞬止まり、それから早鐘を撃ち始めるが、焦ってはいけない。外したら意味がないのだ。

 射手が弓をまた構え、弦を強く引いていく。

 凄い魔力を込めている筈なのに、それは全然伝わってこない。見事なまでの魔力制御だ。ただ、ヴラドはそれ以上の感知性能をもって脅威を捉えたのだろう。刀を持つ手の力を強めていた。

 緊張が高まる。その重圧を魔物たちも感じたのか、彼等は身構えるように少し距離を取って――そこで、矢は放たれた。

 それに合わせて、シャルロットも魔法を解き放つ。

 交錯する閃光と一矢。

 実体を持つ矢は僅かに軌道をずらし、閃光は真っ直ぐに射手の元へと向かう。

「――あ、」

 当たると思った直後、射手は凄まじい反応速度でそれを回避して、後ろに大きく距離を取った。

 眼で追おうとするけれど、魔物が視界を遮る。

 その魔物の胴体をヴラドが両断した。

「自分の安全だけを考えていろ。そう言った」

 怒りを滲ませた冷たい声。

 胸が痛む。また余計な事をしてしまった。その自覚に思わず俯きそうになる。

 だが、その前に、

「あと、何発撃てる?」

 と、やや躊躇いがちにヴラドが訪ねてきた。

 感情的になった事を少し後悔しているような、それでいて一定の効果を認めての質問。

「……一発、です」

 それに気付かないシャルロットは、ただ消沈したままに答える。

 哀しいかな、その一発も先程のものよりもスケールダウンしたものになるだろう。

「顔を上げろ。さっきと同じでいい。撃ってきたら即座に撃ち返せ」

「は、はい」

 言われるがままに、もう一度敵を補足せんと瞳に魔力を込める。

 すぐに見つけられた。まだ移動を続けている。ゼルのところに向かおうとしているみたいだ。

「この局面で守りを優先するだなんて、今の牽制がよほど刺さったみたいね。自分一人では捌けないと思ったんでしょう」

 頭上から、声がおりてきた。

 視線を向けると、そこにはリリスの姿。

「ついでに、お前に集約されていた魔物の注意も周囲に流れだしている。魔法の効果が薄れてきたのか、それとも魔物の方に免疫が付いたのか。いずれにしても素晴らしい展開」

 浮遊霊な彼女はふわふわとヴラドに近付き、背中から抱きついて、

「――ふふ、ね、良かったでしょう? 投資をしておいて」

 と、耳元でそう囁き、それからシャルロットに視線を向けた。

「よくやったわ。お前のおかげで二等級を切らずに済んだ。だから、そうね、お前もご褒美に抱きしめてあげましょうか」

 足を地面に付けたところで実体化をして、有言実行の抱擁を交わしてくる。

 吃驚するくらいに冷たい体温が、戦場で火照っている身体に心地よく伝わってきた。血を甘くしたような独特な匂いが鼻孔をくすぐり、微かな恐怖を伴った不思議な安堵が胸の奥を満たす。

 この感覚を、シャルロットはよく知っていた。

 これは、死だ。自身を喪失しかねないほどに強烈な死の気配。

「――それで、悪巧みは成功か?」

 鋭いヴラドの声が、シャルロットを我に返らせた。

「ええ、本格的な消耗戦になる前に、なんとか間に合ったわ」

 そう言って、リリスは本陣の方に眼を向けた。

 こちらに向かってきている。指揮をしているのは秘書の女性で、護衛をしているのは髭面の男性だ。リリスが呼んだのだろう。

 ヴラドの周りの魔物も相当に減っていたし、魔法が薄まった影響か逃げ出す個体も出てきている。これなら被害なく合流する事が出来そうだが――

「――っ、うぅ」

 突然、全身の毛という毛が逆立った。

 意識を一瞬失うほどの瘴気が、風に乗って伝わって来たのだ。

 魔物たちが一斉に吠えだし、恐慌状態に陥る。

 その異様を前に、戦闘をしている人間同士も一瞬手を止めた。

 南の空が、アイスクリームのように溶けていく。

 そうして溶けた空の中から、それは姿を現した。


「さぁ、本番。尊き捨て駒によって誘導は成功した。――来たわよ、災王が」










評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ