01/寄り道
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クリスエレスの西北に位置するムルカ連合の商業都市に降り立ったヴラド達は、早々にサロンで身を清めてから、服屋へと足を運ぶ事となった。
街中を無様な姿で歩かせては関係者の品位や美意識が問われる、とシャルロットをこちらの前に突き出したリリスが強く主張したためだ。
まあ、実際シャルロットが無駄に注目される事態は避けたかったので、それ自体に不満はない。
不満があるとすれば、時間を使いすぎているという点くらいだ。
たかが身支度一つに、どうして一時間以上もかかるのか。開始三分で衣類の更新を終えて店を出たヴラドには、まったく理解の出来ない事だった。
「……ふふん、やっぱりわたしのセンスは素晴らしいわね。これなら多少は見れるわ」
ようやく店から出てきたリリス(ムルカ連合は悪魔を罪としているわけではないので、しっかりと実体化している)が満足そうに呟く。
対して、彼女につき合わされて着せ替え人形をしていたシャルロットは少し疲れた様子だったが、表情に昏さなどはなかったので、深刻に捉える必要はなさそうだった。
「待たせたわね。それで、感想は?」
「?」
「この娘の格好に対するお前の感想よ。最初と比べてどうなのか。――あ、別にとか、どうでもいい、はなしよ。ちゃんとよく見て、感じた事を口にしなさい」
これまたよく判らない要求をしてくる悪魔である。
無視してもいいが……どうにも、そちらの方が面倒になりそうなので、要望に応えシャルロットを注視してみる。
クリスエレスを出てから此処に来るまでの十日間、大きく変わった点は髪だ。
まるで手綱の代わりみたいに太腿辺りまで伸ばされていたシャルロットの髪は「傷み過ぎよ、目障りだわ」というリリスの不満の元、肩口あたりの長さになっていた。(ちなみに切ったのはヴラドで、リリスは後ろから細かい指示を出すだけだった)
当初は白髪も目立っていたが、栄養を得たからか今は殆ど見当たらない。
ただ、これは道中の話だ。リリスの望む答えではないだろう。とはいえ、服装の事などヴラドには判らない。自己修復機能が付いていた前の拘束服の方が防御性能は高そうだったな、というくらいの感想しか出てこなかった。
少なくとも、今着ている服にそういった特性は見当たらない。肌の露出も少しではあるが多くなっているし、腹などが裂かれた場合に臓器を留める性能も低そうだ。
正直、良い部分が見当たらない。
(……いや、状態を確認しやすくなったのは美点か)
まあ、顔を見るだけでも大体判る事ではあるが、他の部位の皮膚や肉の状態を目視できれば、その精度はより高まるだろう。
それに、そもそもシャルロットを戦力として数えるつもりはないのだから、戦いに向いているか向いていないかはこの際どうでもいいのだ。
だったら、これは賞賛になるだろうと、ヴラドは言葉を吟味した上で言った。
「肥えた」
「……」
「……」
微妙な沈黙が数秒過ぎった。
それから、心底疲れたようなリリスのため息。
「お前ね、少しは言葉を選びなさいよ」
「増えた。膨れた。重くなった。…………骨と皮だけよりはずっといい」
「なるほど、今思いついたっぽい最後の言葉以外が、他の候補だったわけね。その中なら最後が一番マシかしら。まあ、落第点に変わりはないけれど」
「多少は見れるようになった」
「それはわたしが言った台詞――」
「こちらと大差ない」
「寝言ね。大有りよ。お前とわたしじゃ美に対する目線が違うもの。極めて高い水準にあるこのわたしが、見れると評価してあげているんだから、これ以上ない褒め言葉でしょう?」
「独り善がりの価値のない評価だな」
心外だったのか、リリスの表情に険が宿る。
と、そこで、
「あ、あの、ありがとうございます」
本格的な口喧嘩に発展しそうな気配を察知してか、やや口早にシャルロットが言った。
結果、リリスの矛先が彼女に流れる。
それに気圧されたように俯きながら、彼女は言葉を続けた。
「えと、あの、その、服を買って頂いて、すごく、嬉しかったので……ご、ごめんなさい」
「……わたし、卑屈な奴って嫌い。苛々するもの」
淡々とした口調で、リリスが言う。
今しがた行われていたようなただのじゃれ合いとは違う、本気のトーン。
「ご、ごめんなさ、あ、え、ええと……」
シャルロットはますます委縮して、そのうち息すら止めそうな感じだった。
そんな彼女の俯いた視界の中にすっと入りこみ、リリスはその頬をおもむろに両手で挟んで固定し、見つめ合う事を強要してから、少しだけ柔らかくした声で言う。
「治せと言っているのよ。その猶予を与えてあげているの。あぁ、でも、そのためには、まずは自信が必要なのかしら? いいわ。お前にはわたしの護衛を任せてあげる。剣を買いましょう。最低限は扱えるはずよね?」
「は、はい」
顔をやや赤らめながら、シャルロットが素直に頷く。
それに気を良くしたのか、リリスは小さく微笑んで、
「じゃあ、行くわよ」
と、意気揚々とした足取りで歩きだし、途中でこちらに振り返って、
「今度はお前にも時間を使わせてあげるわ。五分だけ待つ」
と、楽しそうにのたまった。
そうして武器屋に訪れ、ヴラドが投げナイフを何本か購入している間に、シャルロットの武器も決まった。見た目がカッコいい、などというふざけた理由でリリスが選んだらしい。……まあ、どうでもいいことだ。
あとは魔石店などで水石やら火石やらを購入すれば、ザーラッハに向かう手筈は整う。
目的地までは七日程度だろうか。もちろん、飛竜の速度に制限を掛けなければ半日程度で到着できるが、まだその速度に耐えられる身体がシャルロットにはない。
或いは、此処で一日体調を整えるために休んでから向かう方が、結果的には早く到着できるかもしれないが……などと考えていると、風に乗って妙な気配がやって来た。
視線をそちらに向ける。
空模様が怪しい。嵐の類であるのならば雲の上を行けばいいだけなので大した問題はないが、どうやらそういったよくある現象でもなさそうだ。
「……へぇ、これは面白い事になったかもしれないわね」と、遅れて気付いたリリスが言った。「あれは|制域よ」
「制域?」
「正しくは制限特殊領域だったかしら。要は、この地域特有の現象ね。でも原因の方は馴染み深い」
「……|災禍か」
「そう、天泪が大地に落ちた事によって生じる極端に魔力濃度の高い一帯。その影響を過剰に受けているのが制域という現象ね。足元が液状化したり、空が溶けたりするらしいわ。当然、移動にも大きな支障が出てくる」
ちらりとシャルロットを見遣ってから、リリスは言った。
つまり死なれたら困る彼女がいる限り、強行突破は得策ではないという事だ。回り道をしなければならなくなった。まあ、彼女だけではなくヴラドにとってもリスクの方が高いので、居ようが居まいがその選択を取っただろうが……
「災王の可能性は?」
ふと、思いついたことを口にする。
大地ではなく、魔物に直接『天泪』が注がれる事によって誕生する存在。
「無くはないわね。確率は神子の三倍くらいはあったはずだし……ふむ、そうね、手札の補強にはもってこいか。ただの変異種にしか出くわさなかったとしても、十分価値はあるしね。どう転んだとしても悪い時間の使い方にはならない。でも、災王を始末するなら、お前一人では少し心許ないわ。味方をつくらないとね」
「そんな物好き、簡単に見つかるのか?」
「ここは商業の都よ。大きなトラブルは同時に大きなチャンスにもなる。そう考える楽天家は多い。とりあえず、宿を決めてからギルドにでも顔をだしましょうか。いつもの如くね」
そう言って、リリスは弾むような足取りで歩き出した。
§
「どうやら、思ったよりも早く前兆を捉えていたみたいね」
冒険者ギルドに到着するまでもなく、足を踏み入れたオフィス街には『制域探索、参加者求む』と銘打たれた募集のチラシがそこら中に貼り付けられていた。
依頼主の数も相応に多い。最低でも二十はいるだろうか。
「だけど、熱量の方は似たり寄ったりだわ。これでは災王に到底届かないし、わたしたちにも釣り合わない」
言って、リリスは踵を返す。
「宿に戻るのか?」
「ええ、のんびりと、途中の自然公園で出店でも堪能しながらね。名案でしょう?」
「……あぁ、文句はない」
「でしょうね。――ん? お前はどうしてか判らないって顔してるわね」
シャルロットの微かな戸惑いを見て、リリスが微かに目を細める。
ここで「ごめんなさい」と条件反射で言っていたら彼女は鼻を鳴らしていただろうが、それを寸前で堪えた進歩に気を良くしてか、
「考えてみなさい。お前でも判る事よ。どうして、わたしたちは待っているのが最善なのか」
と、優しい口調で言った。
十分後、公園に到着する。シャルロットはまだ答えに辿りつけていない。
そこに失望を覚えたわけではないだろうが、大人しく待つことには飽きたのだろう。アイスの屋台を見つけたリリスは、子供のようにスキップを混ぜてながらそこに向かって行ってしまった。
(……ラムレーズンのダブル)
が売っているのなら自分も食べたいし、シャルロットも喉が渇いているだろうからバニラかチョコレートあたりも欲しいところだが、果たしてリリスの奴は三つも同時にアイスを抱えてここまで戻ってこれるのだろうか? という心配が過ぎり、リクエストするかどうか迷っていると、先に問題の答えがやってきた。
「ヴラド・ギーシュ様ですね。双方にとって非常に有益なお話があるのですが、落ち着いた場所でどうでしょうか?」
それなりの強さを感じさせる護衛を二人連れた中年の男。おそらくは商人の類だろう。手首に巻かれた腕時計や指輪から、相当に儲けているのがわかる。それに、このタイミングで冒険者ギルドにも足を運んでいないヴラド達を見つけたという事は、それなり以上の情報網を持っているという事も示していた。
「残念、時間切れね。次はちゃんと答えられるように、色々な箇所に思考を巡らせておきなさい。わかった?」
手ぶらで戻ってきたリリスが言った。どうやら今の気分に合うアイスはなかったようだ。
「は、はい、が、がんばります……!」
「素直でよろしい」
そこで、リリスは視線を商人に移し、
「で、お前はどういう条件を提示できるのかしら? あぁ、つまらない言葉を並べたら、そこで終わりだって事を自覚して喋ってね」
「……」
上から目線の傲慢な態度に、商人は一瞬むっとした表情を見せる。
どうやら、この男はヴラドのオマケとしてしかリリスを見ていないようだ。つまり、彼女こそが交渉の主役だという事実を把握出来ていない。
この手の不備は、状況によっては容易く致命傷にもなりうる。
事実、目ざといこの悪魔は商人の感情を誰よりも早く察知し、ヴラドの身体にぴたっとくっついて、
「ねぇ、ご主人様、こいつ今わたしのことイヤらしい目で見た。どうしたらいい?」
などと適当な言葉を並べ、相手の感情を弄ぼうとしていた。
相変わらず趣味が悪い。
「な!? だ、誰がお前のような小娘に――」
「なに? お前、ご主人様がわたしに向ける愛を異常だとでも言いたいの?」
不意にぞっとするくらい冷たい表情を浮かべて、リリスが相手の言葉を縫い止める。
結果、より大きな動揺が商人の表情に滲みだした。
こちらを重要な交渉相手と認識しているのは間違いなさそうだが、悪魔の戯言にここまで翻弄されるというのは、組む相手としてはどうなのか。利用しやすいという点では、悪くないのかもしれないが……
「グスタフ、あまり莫迦を晒さないでくれ。ここの商人がみんなそうだと思われてしまうだろう?」
呆れるような声が、脇から差し込まれた。
視線を向けると、そこには杖をもった初老の男が立っていた。
「……ローマン」
ぎりっ、という音の苛立ちが商人の奥歯から響く。
そのさまを、いっそ憐れむような微笑で受け止めながら、ローマンは言った。
「なにより、ただで交渉をしようなどという事自体、『血喰らい』を相手に失礼が過ぎるというものだ」
「へぇ、驚いた。最近は別の異称の方が有名な筈なんだけど。色々な大陸に根を張っているみたいね、お前」
リリスの表情に、少し真剣味が宿る。
「長く商いをしていれば、誰もが手に入れる事の出来る情報ですよ。麗しくも可憐な淫魔殿」
「――」
その言葉で、目の前の少女が悪魔であることをグスタフという商人はようやく認識したらしい。こちらが有名な傭兵であり契約者である事は知っていても、具体的にその契約相手がどのような存在なのかまでは把握していなかったようだ。纏っている魔力があまりにも貧弱で、人間の子供にしか見えない所為だろう。
これはこの商人に限った話ではなく、翼を実体化させていない時は大抵、どこかの令嬢であったり、気紛れで拾われた元奴隷の愛玩動物かなにかと間違えられるのが、リリスという悪魔だった。
『か弱くて生意気な小娘って可愛いでしょう?』
というのが、それをしている理由らしいが、もちろんそんな戯言を信じた事はない。
「クリスエレスの神子を相手にしたとも聞いています。神子と揉めて罪人として広められていないという事は、彼の者にとって望ましくない結果だったという事なのでしょう。そこまでの戦果を挙げられた貴方様は、今最も価値のある傭兵と言っても過言ではない」
「おべんちゃらはいいわ。見え透いたお世辞って不快なだけだし?」
「私は世辞など言いませんよ。そのような事に時間を使えるほど、若くありませんので」
朗らかなポーカーフェイスでリリスの悪意をいなしつつ、ローマンはリリスの元へと歩み寄り、懐から布袋を取り出して、片膝をついて目線を合わせ、
「不足かもしれませんが、どうか、これで交渉の席について頂けませんか?」
と、それを彼女の掌の上に置いた。
「……過剰でもなく過小でもなく、か。いいわ。座りましょう」
中身を確認したリリスが、袋をこちらに放り投げる。
相変わらずノーコンだ。まあ、一歩踏み出せば取れる距離にあるあたり、今日はまだマシな精度といったところだが。
「ありがとうございます。……おや、まだ居たのか?」
蚊帳の外に置かれていたグスタフを見遣り、ローマンは微かに驚いたような表情をみせた。
なかなかに煽るものである。因縁込みの競合相手という事なのだろうか。
「貴様、なにを企んでいる?」
敵意を露わにしながら、グスタブが押し殺した声で言う。
「企むも何も、利益に見合う投資を行っているだけの事だ。私は商人だからな」
揺らぎない口調で、ローマンはそう答えた。
リリスも特に文句はないようだし、この男で良さそうだ。
「心臓」
最後の確認をするべくヴラドが口を開くと、いつもの言葉足らずを埋めるべく、リリスが補足を加えた。
「災王のそれが、こちらの求める報酬の最低条件よ。お前はクリアできるかしら?」
「……心臓だけで良いのなら、喜んで」
数秒の沈黙は、本当の意味での驚きと、利害の計算をしていたためだろうか。
いずれにしても、この男はそのリスクを呑み込んだようだ。
「決まりのようね。では、契約の手続きと行きましょうか」




