最終話 起きてたらお説教だと思うと、今となっては寝逃げ出来て幸運だったかもしれない
森の奥、ダンジョンの入口。
来た時は薄暗かったのに、光る蝶が辺りを明るく照らしていた。
転移の浮遊感が消えて、ずしりとアディの身体に重みがのし掛かってきた。
ふらついた足で一歩前に踏み出すと、くしゃりと草を踏み潰した音がした。
――眠い。
懐かしく思う声がしたけれど、どこか遠くに聞こえていた。
目蓋が重くて、重くて、アディには周りがよく見えない。
膝から力が抜けて地面に倒れる前、ふわりと抱き止められる。慣れ親しんだ香りと温もりに、アディは包まれた。
「……アディ、おかえり」
上から聞こえるセレーヌスの声が、震えていた。とろとろと波打つ睡魔の中で、珍しいなとアディは思う。
うっすらと開いた目蓋から覗く、アディのルビーの瞳は今にも隠れてしまいそうだ。
【セレーヌス・クストス】
クストス家、次男。男。十六歳。得意属性、無属性。全属性使用可能。
表示された文字を確かめるように、アディは目の前にいるセレーヌスの腕に手を乗せた。ずっと、セレーヌスとは気まずいままだった。
だからこれだけは、今、言わなければ後悔する。彼の心が、少しでも軽くなるように。
「……あとで……ちゃん、と。起きるから。今はちょっと、だけ……寝させて。……セレ兄、さん」
アディはとつとつと言葉を紡ぐ。喉に力が入らなくて、声として届いているのか、アディには分からない。
けれど、支えてくれる手からセレーヌスの力強さが伝わってきた。分かった、とでも言うように。
――あー。とっても、眠い。
くらくらと意識が引っ張られる。もう、起きていられない。目を閉じれば真っ暗な世界が広がって、本当はちょっと怖い。
さあさあと風が揺れて、アディの頬を撫でていく。木の葉の音も遠くに聞こえる。
誰かに頭を撫でられて、それがとても嬉しくて、身を預けるようにアディは温もりに寄りかかった。
――大丈夫。俺は、ちゃんと帰ってきた。
「アディ! バカ! こんなところで寝るなよ!?」
全てが遠ざかっていく暗がりの中でも、その声はハッキリとアディの耳に届いた。
――うるさいなぁ、ケレル。
帰りたかった、この場所に。このキラキラとした温かい場所に。
ピコン。
【最適化完了しました。新規構築、同期処理、開始します。お休みなさい、アディウートル・クストス】
無機質な音声を最後に、アディの意識は完全に途切れた。
◇◆◇◆◇◆◇
気を失ったアディを抱えたまま、セレーヌスがゆっくりと地面に膝をつく。
ロブルが静かに寄り添いアディの首筋に手を当てた。全身を観察して、彼は大きく息を吐いた。
「……衣服はボロボロだが、外傷は無さそうだし、バイタルは安定しているようだ」
「寝てる、だけ……?」
ほっと息をついて、ケレルも安堵で肩の力が抜けた。あの白い空間から、気づけば地上に戻っていた。それは、他の皆も同じだったらしい。
『どうなってんだ? もう入れねーぞ?』
ダンジョンの入口を見に行ったフィデスが首を捻り、ウェルムも眉間に皺を刻んで考え込んでいた。
入口があった穴は、途中から塞がっていてただの土壁に変わっていた。
この場にアディが居ないことを、セレーヌスが特に絶望していた。ケレルが落ちた先で言い合いをしたと伝えれば、彼は少し笑ってくれた。
「すぅ――、すぅ――」
アディは口許を緩ませ、小さな寝息を立てていた。穏やかな顔はどう見ても安心しきった様子で、よく知るいつもの彼だった。
――良かった。
凄惨なダンジョンの出来事は、やっぱりどこか夢だったんじゃと、ケレルは思いそうになる。
ただ、皆の疲労の色が濃く、アディほどではないが衣服も乱れていた。確かに現実だったと物語っている。
「あー! アディが帰ってきたなら、俺、ちょっと寝るわ」
フィデスがそう宣言すると、防具を脱いで地面に寝転がった。間をおかずに、規則正しい寝息が聞こえてくる。
一応剣を握ったまま寝ているが、そのあまりの切り替えの早さにケレルは驚いた。
「まぁ、あれだけ切って暴れてれば、さすがに疲れますか」
「そんなに?」
少し離れたところで、座って休んでいたウェルムがくすくすと笑っている。
「僕らが合流した時には、ラケルタは全部仕留めてたんだけど。フィデスのバカ、トルポル数匹に走り回ってたよねぇ。狙いやすいから囮にして、まとめて焼いといたけど。
……だから、魔法も練習しろって言ってるのに」
ウェルムの横で、ルナが大人しくアディを見守っていた。珍しいなとケレルが思えば、チラチラとルナが視線を向けた先には、ロブルがいる。
ルナの父――ヴェネラテォオ公爵は魔法師団長を務めている。彼自身も魔法師団を出入りしていた。団繋がりで、ロブルとは何かあるのかもしれない。
「どのみち、馬は休ませないと使えない。後発隊が来るまでは、交代で休むしかないだろう。全員、疲労が溜まっている」
「あ、なら俺が、見張りする。それくらいなら出来るから」
木に背中を預けたカリスが言ったので、ケレルは自ら名乗りを上げた。
「ウォレンティア侯爵令息も疲れただろう? 私がみているから休むといい」
「いや、本当に大丈夫なんです。落ちた時から、妙に身体が軽いと言うか?」
ロブルがアディに上着を掛けながら、気遣うように言う。それに、ケレルは勢いよく首を左右に振って否定した。
ここで一番余裕があるのは、誰が見てもケレルだろう。それにダンジョン内ならともかく、ここは地上でケレルが育った領地だった。
「落ちたら、普通はどこか痛めるでしょう?」
「それが、どこも怪我してないんだよ。たぶん、アディに怪我が見当たらないのと同じだと思う。
落ちた場所は、ダンジョンの中でも見たことのないものだったし」
ウェルムに突っ込まれ、ケレルは思い出しながら口にする。領内にあるどのダンジョンとも違う――不思議な空間だった。澄んだ空気は、神聖ささえ感じるほどで。
「気にはなるが、その辺りはまた追々でいいだろう。時間はあるのだから」
カリスが、そう話を切り上げた。片膝を立てて目を閉じ、本当に休むつもりらしい。
各々が自然体で休み始めて、空気が緩むのをケレルは肌で感じた。
――ああ、皆揃って、ちゃんと帰ってこれた。
色々あったけれど、それは追々。今はただ、この空気に浸っていたかった。
ひらひらと音もなく、見守るように蝶が舞っている。ケレルは久しぶりに、心から笑えた気がした。




