第44話 寒さで寝たら危ないって、冷凍庫の中やべぇじゃん?
「……っ!」
吸った息が、冷たく胸の内を刺した。空気中に氷の粒が舞っていて辺り一面、白く見える。
目の前に広がった六階層は、氷雪地帯か。
吐いた息が白くて、それをケレルが眺めたら、ぼうっと視界が歪み狭まった。
――眠、い。
ふらりと、もつれた足。ケレルは後ろから脇に腕を通され、セレーヌスに支えられた。
「《フリーズ・イミュニティ》」
「《サイクロン》」
白い世界で、クストス兄弟の詠唱が凛と響いた。
ロブルの上級風魔法が氷の粒を巻き上げて、視界が晴れる。
改めて辺りを見れば、大きな蛙――ブフォが至るところで氷像のように凍りついていた。
「凍傷になってるよ」
「――うわ!」
そこへ、スッとカリスがポーションをケレルに手渡した。声を掛けられ、霞がかった意識がハッとする。
言われて見れば、ケレルの手は赤を通り越し、かなり色が悪くなっていた。
感覚すらも奪われていたことに、ケレルは気づかなかった。
「……これも、アディが?」
「爬虫類は凍らせよう、弟ながらに思考がシンプル過ぎないか……。これでは、生き物が生息出来ないレベルじゃないか。
皆、耐寒効果を付与しましたけど、効き目は大丈夫ですか?」
セレーヌスがケレルを支え、周辺にサーチを掛けながら声をかけてきた。
もうケレルは、そこに疑問を持つことをやめていた。考えるのをやめた。
思考を放棄しても、これが終わったら、きっと日常に戻るだけな気がする。また笑い合えたら、それでいいのだ。
だってアディは一度も、自分で作った凡人の枠から出ようとはしていなかったから。
――だってアディ、寂しそうだった。
普通なら、手を抜いたと怒るべきなのかも知れない。でも、このダンジョンでの技量は、もう圧倒的過ぎて次元が違う。
ここまで来ると、アディの性格を見ていたら、いっそ平凡を求めることに全力を注ぐのも、なんとなく分かる気がするのだ。
「ありがとうございます。生徒会長」
「その、生徒会長はやめてくれないかな。クストスは、兄上もアディもいる。
呼びにくいだろうから、セレーヌスでいい。ここは戦場だ、言葉も砕けていい」
もう立てる、そうケレルがセレーヌスへと感謝を述べたら、セレーヌスが笑って言った。
「いえ、その。それは……」
「生徒会長と呼ばれるのは、嫌いなんだ。アディの前では、兄でいたいから。
小さいアディにずっと、生徒会長と言われるのが、なかなか堪えたものでね……」
それは、神童と呼ばれたアディとのセレーヌスの苦い思い出なんだろうか。
憂いを帯びた微笑みは、絵のように美しいと同性ながらケレルは感じた。
ダンジョンに来てから、彼の色んな表情を見た。
「都合が良いから、生徒会長になっただけなんだよ。立派なのは肩書きだけだ。
やっと、セレ兄さんと呼んでくれるようになったから」
頼りない笑い方をして、セレーヌスは再びケレルへと願った。ケレルは、それに小さく頷いた。
目の前の人は、確かにただの弟を強く思う兄だったから。
「……善処、します」
「歩きながらでいいから、聞きたいのだけど」
周囲の静けさに、カリスが頃合いだと言うように話を持ち出した。
「アディは、どこまで先を見えているんだ?
ここなら、聞いても問題ないだろう?」
「……今回のような国家を揺るがす可能性のあるものは、師団長にすでに報告済みですよ。その上で色々、便宜を図っていたので。
逆に模造剣は、末弟からは全く聞いてませんね。
予知は万能ではないので、本人に直接聞くのはやめてください」
ロブルはしゃがみこんで、地面を観察しながら言った。
「聞いたらどうなると?」
「セレス、殺気をしまって。仮にもカリス、殿下なのだから」
ロブルは地面に視線を固定したまま、セレーヌスへと声をかける。周囲を観察しているようだ。
が、内心は穏やかでないのだろう、殿下が後付けになっていた。
「……」
セレーヌスも、周囲を見渡していた。
氷の地面をなぞって、ロブルは思案していた。
――なんだ?
「……今でさえ、置いていかれてるカリス殿下に、アディが今後、振り向くことがなくなるだけですよ。
あとは公式見解を述べるなら、師団長曰く、自主性が欠ければ能力が消えることも過去に例があったそうです」
立ち上がって、ロブルはそう静かに笑って言った。
「乱取りの後の血痕が途切れているな。ずっと続いていたのに。
安全だからと、ここで時間を掛けるのは良くなさそうだ、先へ行こう」
ロブルは、セレーヌスに次層への方角を聞いて足を進めた。その顔はずっと険しいままで。
――なんで、血が止まったなら良いことじゃないのか?
その後は誰一人として口を開かない。嫌な胸騒ぎを抱きながら、そうしてケレルは目の当たりにした。
七階層。そこで再会したアディの変わり果てた姿を――。




