第41話 おとぎ話の蔦よりも凶悪なものになっていた件について
「《イージス・アブソリュート》」
カリスの凛とした声が聞こえて、ケレルは目を開けた。
「……は?」
クストス兄弟が開けた壁の向こう、五階層の最前線にカリスが立って、イージスの防壁を築いていた。
時おり何かが防壁に衝撃を与え、それを防ぐのを繰り返してるようだ。
その隙間から、石造りの空間、天井に、壁に、そこかしこに何かが絡みついているのが見えた。
「やっぱり後先考えなくなってたね。どうする?」
「……アディは、なんてものを考えているのか」
「兄上、私は一人でも行きますから」
カリスは問うて、ロブルが呆れている、いや、手で頭を抱えている。
セレーヌスが右手を構え、迷わず防壁の向こう側へ行こうとして、ロブルに止められていた。
「え?」
ケレルだけがまた、気づけば置いていかれている。その疎外感は今までで一番だった。
「ケレルはまだ、術の魔力を読み取れないか。目の前のこれ、モンスターじゃなくてアディが作ったものだよ。
触れたら、ああなるから出ないでね」
ああと、視線だけを前にカリスが動かした。ギチギチと音がする方を、ケレルも見た。
そこには、スケルトンのモンスターが触手に絡みつかれ、身動きが取れなくなっていた。
さらに別の場所、干からびたモンスターの成れの果てが、触手に絡まっている。
――アディが、作った?
元々あったものと言われても納得出来るほどの量だった。
そしてその何かは、イージスにも絡みつこうとしていた。防壁の向こう側がよく見えないのはそのせいだった。
――こっちも、狙ってる?
アディにとって、ケレルたちは味方ではないのか。これでは先に、進めないではないか。
「――っ」
そこまで考えて、ケレルは愕然とする。唇を引き結び、項垂れた。
ダンジョンに来てからずっと、息苦しかった胸が、さらにきゅっと締め付けられた。
「分かったかい? このまま私たちが引き返しても、ダンジョンブレイクは起きない」
淡々と語るカリスに、ケレルは嫌なやつだと咄嗟に思ってしまった。
「下層の溢れたモンスターは、地上に上がる前にこの触手に食われ終わるだろう。
これに勝る個体がいたとしても増殖スピードの方が、はるかに高いようだしね。
数が減ればそれだけで、モンスターが外へ行くのを阻止するには十分だ」
そう言われて、確かにそうだとすっと飲み込めてしまったケレル自身もまた、嫌なやつだった。
ダンジョンを抱える領主として、こうあるべきと教え込まれたそれに、ケレルは初めて嫌気がさした。
――生徒会長は、だから。
一人でも行くと言ったのか。この先に、本当にアディがいると確信して。
ケレルには、それでもまだどこかでアディじゃないと思っていた。
『……行かない、と』
でもケレルは確かにそう、アディの口からから聞いていた。
――目を反らしたら、ダメだ。でも……。
目の前の現実を、受け入れないといけない。ケレルがアディと、これからも友だちで居たいならば。
そう思うのに、心はすでに悲鳴をあげていた。
「殿下、兄上、ウォレンティア侯爵令息。
ここに居てもらっても構いませんし、帰っていただいても結構です。
私は、一人で行きますので。その後のお気遣いは無用です」
「……ちょっと待って、セレス。頼むから」
ロブルの腕を振り払おうとするセレーヌスに、彼は身内だけの愛称を呼び、引き留めていた。それは、決断を迷う人間の顔だった。
――皆は、何を揉めて?
「強固な壁に、能力未知数の触手。アディは来るなと言っている。
その上で、この先に何があるのか、階層があと何階残っているのか。全部踏まえてかな、セレーヌス?」
「愚問ですよ、殿下。私は何があっても、アディの兄です。クストス家を継ぐのは、兄上が居れば十分ですからね」
ロブルの代わりに、否、誰もが明言を避けたことを、カリスがハッキリと言葉にした。
セレーヌスも真正面から受けて、断言する。
「アディがそうと決めたのなら、せめて最後まで付き合うためにも追いかけます。
例え間に合わないとしても、あの子が望まなくても、一人にしないと私はずっと前から決めてますから」
痛ましい顔をして、それでもセレーヌスは強い眼差しで前を見ていた。
何を見ているのだろう、そうケレルも前――正確には彼が見る地面を見た。
「――っ」
触手ばかり見ていて、ケレルは気づかなかった。
所々にある蝋燭の灯りに照らされたものを見つけ、驚愕のあまり目を見開いた。
手足から血の気が引いて、言い合う声が、防壁を叩く触手の音が消え失せた。
遠くに続くそれは、一つの線にも見える赤黒い血の痕だった。
――あの血。え、アディは無事、なのか?
こんな物騒な状況をアディが作り上げたのなら、帰ってきたら良かったじゃないか。
カリスが言うように、ここまですればもう終わったんじゃないのか。
『自己犠牲全振りで、未開拓のダンジョンを踏破するなら、彼の命は英雄として後に語られるよね』
ケレルを試すために言ったはずの、ヴェネラティオ公爵の言葉が甦る。
――アディ。お前はなんでまだ、一人でこの先を背負おうとするんだよ。
ボスなんか、倒さなくていいんだ。もう出来る大人に任せれば、それで良かったはずだ。命を投げ出すことに、いったいなんの意味がある。
「……俺も、生徒会長と行きます。
俺、難しいこと、分かりません。知りたくもない」
目頭が熱くて、視界が滲んだ、それでも赤黒い跡を見て、ケレルは言葉を紡いだ。
心はもう、ぐちゃぐちゃだった。




