第40話 あの巨体でゲコッて鳴いたら、絶対に夢でみる
六階層。ぐちゃと歩く度に、沼地に足を取られた。
辺りはうっすらと霧が漂っていて、所々に木々が生えている。趣味の悪い湿地帯だった。
――これ考えたヤツ、誰だよ。
アディは立ち止まり、近くの木にもたれる。酷く疲れて、汗で張りつく髪が鬱陶しくて仕方がない。
霧の向こうを見透かすように、じっと辺りを見渡した。
アディの見る力が研ぎ澄まされて、魔法を使わずとも、その瞳には望むものがよく見えていた。
ずっと緊張状態のせいか、四層まで索敵魔法を行使していたか、原因は分からない。
でもありがたいことに、無駄な魔法を使わず、迷うことなく六階層へと降りてくることが出来た。
――この下が、本命だよな?
四階層では、毒の効かないモンスター相手に鬼ごっこをした。
五階層では、ドレインの効かないスケルトンの不死系も少し出た。
けれどこちらは、蔦が動きを封じたお陰で大したことにはならなかった。
――これでもうゴーストとか出たら、相性悪いどころじゃないぞ。
というか、ケレルとヒロインのルートで出てくる隠しダンジョンのはずだ。
ケレルは、風と土属性使いの前衛剣士。ヒロインは一応、全属性のオールラウンダー。
「……ダンジョンの、仕様が……二人向き、じゃないって」
身体の痛みは身体強化で黙らせ、アディの気力は悪態をついて虚勢をはるのが精々だった。
――座って休みたい。ちょっと寝たい。いや、寝たら起きれるか怪しいな。
そんな自問自答と誘惑が、アディの気持ちを乱してくる。
――左。
そろりと左にやってきた巨大な蛙を、アディは思いっきり蹴った。
アディは着地と同時に軽く咳き込んで、せりあがった物を吐いて捨てた。汚れた口許を手で拭った。
――上。
跳んできた蛙を、アディはそのまま殴って遠くへ飛ばす。
身体強化が使い慣れているアディにとって、その魔力消費はほぼカウントに値しない。
とはいえバカ正直に、一体、一体を相手にはしたくない。
ぬとりとした表皮、グニョッとした感触もそうだが。
なにより、人よりでかい蛙ということが前世の感覚からずれ過ぎている。
――デカすぎて、キモい!
前世との知識の解離。アディにはそれが一番しんどかった。
――蛙は、蛙らしく冬眠しやがれ。
「《アブソリュート・ゼロ》」
世界が静寂に呑まれ、沼地は氷で隔てられ、蛙も同様に閉じ込められた。
キンと耳鳴りが一層、酷くなった。 発動した氷結魔法によって、アディの中からゴッソリと魔力が抜ける。
両膝から力が抜けて、アディはその場にガクンとくず折れた。
つるりとした氷の表面が、アディの身体を冷たく受け止める。
「はぁ、はぁ」
ごろりとアディは仰向けに寝転んだ。吐いた息が白く、地に触れた背中は冷たい。
ガンガンと痛む頭痛は、もはや慣れた。
ただ、涙で視界が滲み、霞がかったように思考が鈍いだけだ。
――なんで、こんなことになってるんだっけ。
階層を追う毎に、手足の感覚はなくなって、今はただ意識して動かしていた。
まるで、コントローラーやボタンで操作するようだ。
――そう、攻略するんだった。
漂っていた霧が無数の氷となって、キラキラと空気中を舞っていた。
アディが、それを景色として捉えてぼうっと眺めている。
――ああ、綺麗だな。
つい最近も、どこかでこんな風にキラキラとした景色を見た気がする。
とても眩しく感じたあの光景。それはいつ、どこで見たのだったか……。
「ちょっと、だけ……」
そう、ちょっとだけ。でも、何がちょっとだろうか、何をしないといけないのだったか。
アディはぼんやりとしたまま、力なく目を閉じた――。
◇◆◇◆◇◆◇
ぴちょん。ぴちょん。
辺りは一面、赤い雫が滴っている。錆びた臭いが充満していた。これは、いつの記憶か。
――ああ、臭い。汚い。ここは一体、どこだろう。
ガラリと開いた扉、そこから射し込む光が眩しくて、小さなアディは目を細める。
逆光になっていてよく見えない。何人かの人影が、辛うじて見えた。
こちらを見て、何かを言っている。新しい敵かな――だったら倒さないと。
『《げいる》』
『えー!? 《プロテクション》』
――むぅ。防いじゃうの?
その瞳に映ったのは、とても綺麗な魔法だった。魔力のブレも無駄もない防壁は、この世界で初めて見たものだった。
とても硬くて手強い、卑怯だ――そう思った。
『だったら、これで――』
『待って、待って。君を助けに来たんだよ!
お兄さんは、魔法師団所属の副団長のヴェネラティオっていうの。
ね、僕の話を聞いてー?』
何人も居る中の一人だけ、両手を上げて中へと入ってきた。
汚れるのも構わずに、アディの前で膝をつき、目線を合わせてきた。
――子どもに目線を合わせるなんて、この人はきっと良い大人だ。
自身の懐をまさぐったり、わちゃわちゃとしだした大人。本当に大人だろうか?
『階級証とか制服、とか言っても分かんないよね。とりあえず――』
何をしているのかと、ようやく逆光から目が慣れてきてアディが見た顔は、前世で知る顔とよく似ていた。
『ルナだ! あれ、でもちょっと目元が違う?
ルナにお兄さんはいないから……ああ、お父さんね!』
エンディングを迎えたルナ・ヴェネラティオのビジュアルにそっくりな人物が、アディの目の前にいた。
ぱあっと嬉しそうに、アディは笑う。
『君は、アディウートル・クストス君?』
そのアディの様子にやや驚きつつも、彼は優しくアディの縄をほどいてくれた。
『そうだよ、ここではアディなの。ありがとう。ルナのお父さん』
――そう。確か産まれたって前に聞いてた。
だから彼の呼び方は、これで合ってるはず。アディはそう、一人で答え合わせをする。
彼はそのまま、アディを抱き上げてくれた。その身の汚れを、一切気にせずに。
――正義のヒーローが現れた。お話はめでたし、めでたしね。
颯爽と現れて、こんなに汚いのに嫌な顔一つせず接してくれる。それはまるで、お話の中のヒーローみたいだ。
『ありがとうは、僕の台詞かな。ずっと君に、お礼を言わなきゃいけなかったから。
でも先ずは、遅くなってごめんね。怖くなかった?』
すっぽりと包まれた腕の中は、あまりにも温かった。優しい声も合わさって、ぽかぽかとアディに眠気を誘ってくる。
『怖くないし、お礼も謝罪も要らないよ。だって私、良い子じゃないから。
良い子は天国に行けるものでしょ。行けなかった私は、きっとまだまだ足りないの』
ふるふると横に、アディは首を振った。
よく熱を出すし、どう見ても病弱で、よくある転生特典など皆無の状態だ。
ゲームなのに、ちっともゲームらしさがないのだから仕方ない。
『……ここは、君にとって生きづらい?』
彼は、アディの言葉を否定せずに優しく聞いてくれた。
『ここは、私がいて良い場所じゃないの。皆の世界だから……』
睡魔に誘われて、重たい目蓋をアディは閉じた。
広がった真っ黒な世界は、終わりのない悪夢の始まりだった――。




