第28話 神童って誰が言い出したんだろ、本当に
『……"私"は消えてなくなる素材だから』
「《ネゲート》」
静かな声が、聞こえた――そう思ったら、凛とした別の声に、ケレルは意識が引き上げられるのを感じた。
「……っ、アディ!?」
ガバッっと身を起こせば、そこはカリスの仮眠室。カーテンの隙間から見える外は暗く、部屋には明かりがついていた。
隣には、目元を真っ赤にしたルナが寝息を立てている。
「――っ!」
くらっと軽く目眩を起こして、ケレルは額に手を当てる。アディを掴んだはずの手が、空っぽだと気づいた。
意識を失う前、睡眠魔法を詠唱したアディをケレルは思い出した。
『《ディープ・スリープ》』
焦点の合わないアディの目が、無感動にケレルを見ていた。あんな姿を、ケレルは見たことがない。
――人の話も聞かないで、バカ!
こみ上げて来たのは、ムカムカとした憤り。ギュッと握りしめた拳を、自分の太ももへと振り下ろした。
そのじんとした痛みが、ケレルに冷静さを取り戻させた。
「寝起きで悪いのだけど、ケレル。ここでの話を聞かせてくれるかい?」
「カリス……と、生徒会長?」
声をかけられて初めて、ケレルはカリスの存在に気づいた。
そして隣にはルナに手を伸ばすセレーヌスがいた。珍しい組み合わせだ。
「……こっちはダメですね。相変わらず、崩す隙が無い術式を易々と。複数掛けかな?」
セレーヌスが呟きながら思案していた。ルナが起きないことに、疑問を持ってるようだった。
「そもそも、あまり寝ていなかったからね。効きが強いのだろう。寝かせておいて、先に話を進めよう」
カリスが切り替えて、執務室へと歩いていく。セレーヌスも後に続いた。
――話って、なんの?
ケレルも慌てて立ち上がると、訳が分からないまま後を追う。嫌な予感を感じながら、ドクリと鼓動が音を立てて脈打った。
そして隣の部屋に足を踏み入れた瞬間、背筋にぞわりと冷えを感じた。
――視線だけでも十分、攻撃力高そうな。
いや、気配もか。そのカリスの机に、見覚えのあるアディの剣が置かれていた。
学園で帯剣出来るのは、王族から許可を得た者だけだ。
アディが剣を持つことになった経緯を、ケレルは知らなかった。
「……セレーヌス、君の弟はずいぶんと、礼儀知らずだな」
カリスが心底苛立たしげに、地を這うような低い声を出す。表情は笑みを浮かべながらも、頬がひきつっていた。
それは剣が望まぬ形で返ってきたことに対する、怒りからだろうか。
「弟はずっと、領地暮らしでしたので」
事務的に流しているセレーヌスは、さすがと言うべきなのか。
ため息を吐いたカリスは、剣を手に取り腰に差した。まるで、その持ち主がすぐに戻ってこないのを分かってるように。
いつもの穏和な態度は成りを潜め、カリスの眉間に不快感を露にした皺が、くっきりと刻まれていた。
――アディは、何を?
ただならない雰囲気を察して、ゴクリと唾を飲み込んだ。
身体が硬直して指先を動かすだけでも、ひどく重く感じた。
『――手紙、家、帰省』
呟くようなアディの声を思い出して、ドクンと再び、嫌な音がした。
ただ聞くだけなのに、なぜかケレルは緊張して手に汗をかく。
アディはずっと寝てたのだ。前倒しになった夏休みも知らず、家とやり取りなんて出来るはずがない。
――あの時アディは、誰の話をしていたんだ?
『モンスターが、溢れて……?』
熱に浮かされているだけかと思った。頭を抱えて、うずくまっていたアディ。
アディの領地には、ダンジョンなんて無いはずで。きっと悪い夢でも見ていたんだと思いたかった。
『……行かない、と』
「……熱があるのに、起きたんだ。アディが居ない。アイツは、どこに?」
カラカラに乾いた喉から絞り出した声は、ケレルが自分で思うよりもとても固いものだった。
「……ウォレンティア侯爵令息。
家から、家に帰省しないようにといった手紙は届いていますか?」
「生徒会長、なんで今、その話を?」
聞いてはいけない。聞きたくないと、どこかで誰かが叫んでる気がする。
だって、手紙は本当だ。でも、そんなのいつものことだ。
使用人に期間中の暇を出すこともあるくらい、忙しくて危険なこともある。それがケレルの普通だ。
「ウォレンティア領にダンジョンが新たに発生しています。この夏に、そのダンジョンからモンスターが溢れる。
領地に、民に被害が出る――弟は少なくとも、そう確信して動いています」
「あり得ない。ダンジョンは定期的に駆除してる。領地の見回りもだ。溢れるなんて、そんなの起きないはず!
冬までは、モンスターが活発になることはよくあることでっ!」
セレーヌスの言を、ケレルは即座に否定した。どくどくと、鼓動が鳴って耳にうるさい。
――父上も騎士たちも皆、領地を日々戦って守っている。そんなことあるわけない。
「殿下、ウォレンティア侯爵令息。アディは入学前から、貴方たちをよく存じていましたよ」
興奮するケレルとは反対に、セレーヌスがポツリと呟いた。その瞳は憂いを帯びている。
「……そりゃ、貴族だから」
いきなりセレーヌスは、何を言っているのだろう。そんなこと貴族として、事前の情報収集があれば可能ではないか。
ケレルが意味が分からないとカリスを見れば、彼はただ静かに黙っていた。
――カリス?
「ルナ・ヴェネラティオ公爵令息のこともよく存じていましたね。そして、セレーヌス・クストス生徒会長のことも、あれは弟が二歳になる前のことです」
「……は?」
ケレルは堪らず声をあげた。二歳になる前とはどういう意味だ。家同士で顔合わせでもあったのか。
――それに、兄じゃなくて生徒会長?
セレーヌスはただ遠くを見ていた。それはなんだか、とても泣きそうな顔に見えた。
「……ルナは現在、十一だ。もうすぐ十二歳だね。つまりアディは、ルナが生まれる前よりも早く、ルナを知っていたことになる」
「……え?」
カリスが補足とも言えない補足をする。そんなこと、あり得ないだろう。
「ウォレンティア侯爵令息は、聞いたことがないでしょうか?
アディウートル・クストスは、神童だという話を」
セレーヌスが、そうケレルに聞いてくる。
それは、同世代には有名な話だった。幼い頃に貴族名鑑を覚えさせられる教育の一環で、クストス家には神童がいると聞かされるからだ。
「弟は年齢不相応な成長だけでなく、未来を予知することをもってしての、神童なのですよ」
単なる弟自慢には到底見えない、諦めの眼差しでセレーヌスは悲しそうに笑っていた。




