第37話 距離感バグの腹黒王子が降臨しました。
「……ここ」
眩しさを感じ、重たい目蓋を上げた。アディの目に見えたのは、見知らぬ天井だった。
思考に霞がかったように不透明で、何があったのか思い出せない。
「ああ、気がついたかい」
ギシリとベッドの軋む音がして、アディのすぐそば、カリスが本を片手に座っていた。
――なんで!?
「――っ!」
アディは驚いて、ベッドから飛び起きていた。身体は迷うことなく、カリスから距離を取っていた。
そしてすぐに、全身に走る激痛に耐えかねて、アディは口から血を吐いた。
――ああ、そうだ。
アディは手についた血を苦々しく見つめて、気を失う前の出来事を思い出す。
セレーヌスまでカリスと結託していた。アディの逃げ場が、どこにもないのだと悟る。
――どうする?
「治療がまだなのに、それだけ動くとは恐れ入るよ。辛いだろう。横になったらどうだい?」
カリスは、うわべだけの笑みでアディを見ていた。
アディは光のない目でカリスを見返して、精一杯の虚勢を張る。
「……お気持ちだけで、結構です」
あがる息を抑えて、アディは努めて平淡に返す。
なぜ、アディとカリスは二人っきりなのだ。親しくもない間柄で、互いの身分も友人と呼ぶには釣り合わない。
どう考えてもおかしいだろうに、見渡す範囲に、他に人が見当たらない。
カリスは、手に持った本をサイドテーブルへと置いて、アディにまっすぐと向き直った。その目はまるで、捕食者のように獰猛な光を宿していた。
にじり。
「相変わらずだね。セレーヌスも心配していたよ?」
「……それは、お手を煩わせてしまい――」
外の気配を探ろうとしたアディに、カリスが距離を縮めた。言葉は優しいのに、それ以外に優しさは、微塵も感じられない。
にじり。
「……殿下」
アディが距離を詰めてくるカリスへと、非難の声をかけた。
「カリス」
にじり。
カリスのまとう空気が、一段と冷えた気がする。
カリスが形のいい口から、己の名を発していた。その目は射るように、アディを見つめたままだ。
「カリス」
「……カリス、様」
――なんの茶番だよ、これは。
カリスが、アディとの距離を詰めてくる。
逃げては詰められを、繰り返していた。
殿下呼びをしてから、笑みを深めたカリスがさらに、アディに迫ってきていた。
「カリス。……ほら、落ちるよ。アディ?」
「それは殿下が……っ」
ベッドの端に追い詰められたアディに、カリスがさらに近づいた。互いの指と指とが触れる。
アディは抗議とともに咳き込んで、さらに血が滲んだ。
「カリスだ、アディ。ああほら、動くから辛いだろう。私は話がしたいだけなんだけど?」
「……私は、話なんて」
「話をしないと、治せないだろう? ルナが心配しているよ。マーレも待機させている」
「治してからでも話せるでしょう」
ギシリ。
「治してたら、君はどうする?」
「っ!」
アディを押し倒して上へと跨がり、両手を封じたカリスは問い詰めた。まるで、埒が明かないとでも言いたげに。
カリスから白檀にも似た匂いが香る。今世、ここまで近づいた他人はアディにはいなかった。
不敬など他所へと蹴飛ばし、忌々しげにアディはカリスを見上げた。
「素直に話に応じるのか? 答案用紙を白紙で出したな? それで、何もかも逃げたつもりか?
万全の君を相手にするのは、こちらは骨が折れるんだよ。なら、治す前に話をするしかないだろう?」
「……そんなこと」
――逃げたもの勝ち、だろ。
アディは、カリスから目を反らしてはぐらかした。
「はっ!あるな。追い詰められた者が、辿る道などたかが知れているさ。悪いが、フィデスとの実技考査で、君の実力は多くに知れることとなった。
俺は君を、くだらん貴族にも他国へも、くれてやるつもりは微塵もないんだよ」
「……本性、出てますよ」
――確か、腹黒の俺様王子だったか。
語彙が崩れてきたカリス。半目になってアディは、その設定を思い出した。
身体中痛いし、怠い。けれど、思考は少しだけ、今の状態に慣れてきたらしい。
――なんでもいいから、ほっといてくんねぇかな。マジで。
この茶番を脱する手立てを、アディは探り始めていた。
「驚かない君も、だ。アディウートル・クストス。クストス家の生まれながらに王家の固有魔法を扱える君は、何者だ?」
ひそりと、アディにだけ聞こえるように耳元で声を潜ませ、カリスは告げた。
「……」
アディは、それに沈黙を選択した。まっすぐにカリスを見返して。
カリスの表情は変わらない。けれど、アディの手を拘束するカリスの手が、グッと力を増してベッドへと押しつけてくる。
ゲーム初期から使えるキャラの固有技、カリスは防御特化の《イージス》がそれに当たる。
初級の《イージス》は、展開中に受けた初撃の完全無効化。
フィデス戦時にカリスが使ったのは、《イージス・アブソリュート》。防壁が一定のダメージを迎えるまで、完全無効化する特級魔法。一定のダメージとは、術者の実力に比例する。
――カリスの固有技ということは、そのまま王家の、ということだったか。
アディは、内心舌打ちしたい心境だった。
ゲームであまりにも自然に出ていて、ボス戦などでも活躍する技だったから、思考が鈍って警戒が足りなかったらしい。
――否定も肯定も意味がない。俺が一番、聞きたいくらいなんだよ。
「……なら。フィデスの時、俺のイージスに対抗しようとしたな?
なんの魔法を、君は俺にぶつける気だった?」
「……」
――そっちもバッチリ、聞き取ってやがる。
こってりとマーレに絞られた訳だが、アディが舌を噛んだのは、詠唱のキャンセルのためだった。
アディが言いかけただけの、単体では無意味なただの音。
身体強化をかけたからといって、離れた距離にも関わらず、カリスが魔法名だと判断して聞き取ってたとは――性格の悪さが、滲みすぎてるだろう。
話題を変え、楽しむように笑うカリス。
その目が笑っていないのは、答えが得られないと、カリス自身が分かっているからだろう。
その碧色の瞳に、一瞬、僅かな揺れを見つけた。カリスは余裕を気取りながら、そこになにか感情を隠していたのだ。
――悪趣味なやつ。けど、なんだ。カリスもまだ子どもだな。
だからアディも、胸のうちで悪態をつきながら、質問へは答えなかった。
気づいてしまえば、怖さがいくぶん、どこかへ消えたから。




