第33話 バトルの度に倒れるの、すんげぇ不服なんだけど。
「アディ、この濃霧を解除出来るかい?」
「……はい。セレ、兄さん」
アディが返事に口を開けば、ボタボタと血が一緒に滴り落ちた。身体強化のまま、思いっきり舌を噛んだからだ。
けれど口を手で塞ごうにも、アディの身体はもう重くて、自由がきかない。
その身体を、セレーヌスがしっかりと支えてくれていた。触れる体温が、温かくアディを繋ぎ止める。
疲労で揺れる視線だけを、なんとか周囲へとアディが巡らせれば。
視界不良で表情までは分からないが、フィデスの前にはカリス。
アディの後ろにはセレーヌスが、それぞれに立っているのがアディには分かった。
さっき聞こえたその二人の声が、いつもよりやや固い気がする。
「……アディ、痛いよね? ねえ、アディ。泣かないで?」
濃霧を解除して後ろを見れば、アディの服の裾をルナが掴んでいる。
そのルナが泣きそうな顔をしていた。藍の瞳が涙を溜めて、キラキラと輝いている。
――泣いているのは、ルナだろう?
アディはそう声に出そうとして、代わりに出たのは血だった。
いつもルナが、まっすぐにアディを見つめてくるものだから。
それが眩しくて、アディはもうずっと長い間、目を伏せてはそらしていた。
彼がアディに見せる表情は、本来ヒロインに向けられるもののそれだったから。
「……っ」
不意に、アディの視界が歪んだ。
アディがずっと汗だと思っていたそれは、ルナのいう涙なのだろうか。
「アディ……もう、いいんだよ。十分だ。大丈夫。殿下の結界が全てを防いだ」
セレーヌスが、そっとアディの目を手で覆った。
ルナが、腰に手を回してすがりついてくる。
――泣いてるのは、俺もか。
自覚してしまえば、簡単で。その涙は温かく、アディの頬を止めどなく流れていた。
口に溜まる鉄の味を、アディは眉間に皺を寄せ、飲み込むことでやり過ごした。
一呼吸するごとに、ずっしりと重くなる身体。嫌な汗が身体に貼りついて気持ち悪い。
意識をしても、早く浅い呼吸を繰り返すことしかアディは出来ない。
目を閉じて、真っ暗な世界で思う。満身創痍で泣いてる男なんて。
――みっともない。俺らしくない。
酷く、居心地が悪かった。
抗えない温もりに身を委ねて、アディの意識は、静かに溶けていった――。
◇◆◇◆◇◆◇
――俺が、泣かせた。
泣かせたかったわけじゃない。言いすぎたと、フィデスがすぐに謝れば良かった。
けれどそれより先に、アディのまとう雰囲気が変わった。
フィデスの一瞬の躊躇いが、さらに明確な拒絶をアディに滲ませて、彼の詠唱が作り出した霧が二人を阻んだ。
「……」
呼吸を整え、全身に身体強化を巡らせた。何が来ても対応出来るようにと、フィデスは感覚を研ぎ澄ましていく。
「私の、本気が見たかったんだよね?」
ゾッとするほどの冷たい声だった。 目の前にいたのがアディだと分かっているけれど、それでも誰だと言いたくなる高い声。
無機質で、まるで女の子のような発音だった。
フィデスは空気の揺らぎを感じた。霧の向こうアディが何かをしているのだと察する。
「しっかり味わえ」
今度は、低く無情な声が聞こえた。続けて何かを詠唱したと気づいたのは、霧を破って突如として現れた、見えない何かを察知してからだ。
「――っ!」
ヒュッと眼前に迫ったそれを、受けてはいけない――フィデスの身体が、回避を選んでいた。
けれど、その何かは執拗にフィデスを追う。
もう一つ増えたと、気づいた瞬間、フィデスが躊躇わずに最初の一つを剣で弾いた。
が、目の前に舞ったのはバラバラになった、無惨なフィデスの剣の刀身。
普段腰に着けたフィデス用の剣とは別の、学園仕様の支給剣とはいえ耐久はあげられているはずのそれ。
「うっそ」
思わず出たのは、驚嘆の念。
フィデスが腕をかざせば、吹き荒れた風に混ざった破片によって、服が切り裂けた。
身体強化で庇ってなお、その肌に裂傷が走る。
剣で弾いてこれだ。もし、直撃したら――。
さぁっと血の気が引いていく。回避不能。フィデスがそう悟って、目にしたのは三つ。
「あ、はは……」
――もう、アディ怒らせるのやめよう。
次があるか、分からないけど。そうフィデスが力なく笑った時だった。
「イージス・アブソリュート」
展開されたのは、不可視の防壁。
防壁に着弾する轟音が響く中。貴賓席からカリスが、フィデスの目の前へと飛び降りてきた。
「そこまでだ――気はすんだね。フィデス?」
カリスは、ちらりとフィデスを一瞥する。
「カ、リス……」
――来るなら、もう少し早く……。
フィデスはほっと息を吐いて、どさりとその場にしゃがみこんだ。冷や汗をかくなどいつぶりだろうか。そうして、カリスを見上げた。
霧が晴れた向こう側。
セレーヌスに抱えられたアディが、血を吐き倒れていた。
目に飛び込んできた光景に、フィデスは胸の裂ける痛みを感じ、息を飲む。
「眠れる獅子でも起こしたかい? だから聞いただろう。普通に戦うだけでは、足りないか、と」
フィデスの目の前で、カリスが静かに前を見ていた。




