第32話 こう見えて上級魔法は一日一回なら出せるんだよ、俺。
アディの悲しげに歪むその瞳を見て、フィデスがアディに笑みを向けた。
「ほら、やっと目の前の俺を見ただろう?」
フィデスの言葉を、アディは受け入れられなかった。
まっすぐ向けられるフィデスの好意は、アディには相応しくないと思うから。
ピシリ――。
アディの眼鏡、そのレンズに亀裂が入った。アディの足元、ふわりと風が舞う。漏れたのは、普段抑え込んでいる魔力そのもの。
「……"私"、なんかに」
吐き捨てた声は、恐ろしいほどに低い声だった。それは、普段のアディからは考えられないほどの。
右手で顔を多い、だらんと下がった左手に持つ剣、そのアディの佇まいは無防備そのもので。
「アディ……?」
フィデスが、戸惑いの声を上げる。
何か危険を察知したのだろう、彼は剣を持ち直し、身構えていた。
――いつか離れていなくなるキャラなら、最初から優しくしないでよ。
そんな真っ当な本音をぶつけて、こちらをかき乱してくるだけなら、やめて欲しい。
――狼狽えるくらいなら、近寄らないで。
アディの身の内に、ほの暗い激情が渦巻いた。
右手の隙間から覗く視界は、怒りで滲む。フィデスの表情はもう、アディには見えない。
――何も、知らないくせに。
「《ブラインティング・フォグ》」
ぐしゃりと髪を右手で握りつぶし、アディは苦痛に震える声で詠唱をした。
それは、闘技場を覆い尽くす程の濃霧を具現化する。
まるでアディのぐちゃぐちゃの心を表現するような、暗く深い霧。
フィデスが剣士ならば、濃霧は視界と音を麻痺させる。それに。
――見えるから。見るから。皆、うるさい!
入学試験では目立ってしまったけど、先日の筆記テスト、アディは全て白紙で出した。
来年どころか貴族として相応しくないと在学にすら、影響するだろう。
あの日の陰鬱な気持ちも混ざり、アディの気持ちはもう、ぐちゃぐちゃだ。
居ても居なくてもいいなら、早急に表舞台から降りるだけでいい。
勝敗を決すれば、フィデスも気が済むだろう。煩わしい関わりも、すぐに終わる。
貴族で生活には困らず、優しい家族に囲まれて、アディは恵まれていた。
けれど優しいだけでは息苦しくて、無性に息を詰まることがある。これは本来、アディウートル・クストスのもの。
――私は誰。本当にあの人達の、家族でいいの?
前世で人気だった小説には、貴族を辞めて第二の人生を歩むものもたくさんあった。
――それも悪くないかな。
割れた眼鏡を右手で足元へと落とし、アディは足で踏み潰した。もう、必要の無いものだから。
乱れた呼吸を整えて、自暴自棄にアディは口許を歪め笑った。
暗い光を宿した目が再び、フィデスを見る。
「私の、本気が見たかったんだよね?」
軽く一人言のような、返事を期待しない、アディの問いかけ。
濃霧で視界が見えなくともアディには、フィデスの姿が手に取るようにハッキリと見えている。
フィデスは剣を構え、静かに待ち受けているようだ。
濃霧に狼狽えることもなく、動揺による魔力のぶれも一切見えず、必要な警戒に留めているのは、戦う者として正しいだろう。
その彼へと、アディは迷わず手を向けた。
――どこまでも武の正統派、攻略対象キャラでムカつく!
「《サイクロン》」
アディは低く呟き、ピンポン玉サイズに圧縮した暴風の塊を右手の指の先、それぞれに作った。
その声は、もう震えていない。
――その余裕、壊してやれば満足するんでしょ?
魔力制御の基礎に、魔法のイメージ力がある。前世を持つアディには、なんの障害にもならないどころか、強いバフでしかなかった。
「しっかり味わえ《ホーミングショット》」
五つの圧縮玉を放つ。その威力は当たれば先ほどの《エアショット》の非ではない。さらに追尾機能もつけてある。
安易に避けるだけでは、自らの首を絞めるだけ。
同時に、アディが剣を構え身体強化を上乗せし、ぐっと深く踏み込んだ。
――そんなに見たいなら、見たらいい。
総量がノーマルレアなだけ、短期決戦だけなら、キャラ特性と前世知識で十分、アディだってチート領域にいける。
彼らはまだ、ゲームが始まる前の子どもでしかないのだ。
――五つの目眩まし。そこから斬り込んでやる。
仮に剣を含め全ての攻撃を、フィデスが剣で受け止められたとしてもだ。
アディはそこからさらに、追撃し吹っ飛ばすつりだった。そのための詠唱も、右手も用意してある。
一球目の追尾、それに対応しようと動く彼を、アディの目が捉えた。
「《ヌルグラヴィティ・アンリーシュ》」
バキッと地を蹴る音がし、アディが光の速さに飛び込んだ。刹那の骨のきしむ音に、口を引き結んで、アディは黙殺する。
サークルからフィデスを出せば、とりあえずの約束は果たされる。
――全部、どうでもいい。
「《イージス・アブソリュート》」
「《グ――っ!」
耳に届いた静かで張りのある詠唱と、防がれた剣の衝撃。
アディは反射的に、前世知識での対に匹敵する言葉を唱えかけ――その先、フィデスの前に現れた人影を認め。
アディは思い切り、舌を噛んで詠唱を止めた。
――やり過ぎだ、俺。
周囲では、五発の圧縮玉の爆ぜる音が響いていた。濃霧に土煙が混ざり、強風が入り乱れ、より一層、視界の確保が困難になる。
けれどそこに、アディはフィデスの姿を見つけてしまった。
「……っ」
一連の重ね掛けの詠唱で、ぐっと持っていかれた魔力の負荷により、アディは足元がふらついた。もう残量はからっからだ。
いっそ、意識を手放したいくらいの頭痛にアディは苛まれ始める。
早鐘を打つ心臓の音が煩くてかなわない。
――ああ、無様。
震える手で剣を支えにしようとして――後ろに手を引っ張られ、アディはそのまま抱き止められる。
それはいつもアディに優しい、力強い腕だった。その手が、アディの額に触れた。
「《セデーション》」
と、聞き慣れた小さな声が耳に響き、アディの煩かった頭痛が少し和らいだ。
「……アディ、もういい」
「そこまでだ――気はすんだね。フィデス?」
セレーヌスとカリス、それぞれが間に入って終了を告げた――。




