第46話 四章ってアディの前世の年齢と言うか年代がちょっと分かっちゃうよね
「僕の願いは……」
空っぽだから、分からない。どうして、空っぽなのかも分からない。分からないだらけの中で、苦しみが、悲しみが、辛さがあるのなら。
――流れに身を任せても、良いのかな?
幼子はそれを否定しない。幼子はアディの願いのままにと、いつも優しいのだ。それはまさに、クロにとっての唯一の光だった。
「うん、大丈夫だよ。丸飲みなんてしない。傷をつけて、たとえ一瞬だとしても痛いことも、苦しいこともしないよ」
生きたまま丸飲みされれば、胃酸に溶かされる恐怖を味わうことになるのだろうか。
あの牙に、あの爪に、噛み砕かれ、切り裂かれれば、一瞬でも死の痛みと恐怖を味わうことになるのだろうか。
クロは幼子の本来の姿を思い起こしながら、その幼子の言い分を聞いてどちらでも無いのかと不思議に思った。
「パパの心臓が止まるその瞬間まで、パパの傍にいる。それで息を引き取ったパパの骸を、綺麗に食べてあげるの」
狂喜じみた優しい言葉が、クロの心にじわじわと滲み込んだ。それに甘えるようにクロは子どもの手を握り、目を閉じて身をすり寄せる。
「……食べて、僕を。君の一部として、血の一滴、肉の一欠片も残さずに、一緒に連れていって?」
――もう、これ以上。可笑しくなんてなりたくない。
どうしてそう思うのか。それさえも分からない。見ることをやめた先に広がる闇で、手を繋いだ温もりだけが伝わる。
「うん。パパとずっと、ずぅっと一緒だよ」
「――っ」
熱を帯びた甘い響きと共に、今までの比ではないほどの衝撃がクロの首へ走る。肉を裂き深く穿たれた牙が、一滴も落とさないと言わんばかりに噛みついていた。
――分からない、なんてことは……もう、終わり。
首から血を吸われる感覚に、首の熱さとは対照的に手足が冷えていくのを感じる。
けれど、幼子が指を絡めクロの手を愛おしげに優しく握ってくれるから、そこにあるのは胸を満たす幸せだけだった。
「――偽りだって言うのなら、その嘘っぱちな願いこそでしょ?」
闇の中で、聞き馴染みのある声がなぜだか酷く心をざわつかせた。反射的に目を開けたクロの視界に映ったのは、黒髪黒目の女性が見下ろしてくる姿だった。
「お、かぁ……、さん……?」
「だ、れ、が、お母さんじゃぁぁぁぁあ!!」
気管にまで入り込んだ牙で掠れた声が出たクロの頭上に轟音が響き、星が瞬く。
煙でも出てるのではと思うほど、その握られた彼女の拳は白くなっていた。
「私を認識したわね? お母さんだって言うなら、ほら、言ってみなさいよ? 親にだってぶたれたこと無いのに! って名言をさ! 私たちの母は、ぶつんじゃなくてリモコンを投げてくる人だったんだからぁ!」
クロの胸ぐらを容赦なく掴み、その見た目に反して女性はかなりの強引さで罵ってきた。
「死にたかったのは私! この世界に嫌気がさしたのも私! アンタはそんなになってまで、生きたいとしがみついてたんでしょ! そこを履き違えないでよね。馬鹿!!」
「パパを――」
呆気にとられ物言わぬクロの代わりに傍らの幼子が、クロを握る手に力を込める。ゆらりと周囲に立ち上ったのは、幼竜としての魔力だ。
「パパを虐めるなぁ!!」
◇◆◇◆◇◆◇
突如としてカリスの足元が暗くなり、一瞬の浮遊感に引き寄せられるような体感を経た。
そのカリスの目に飛び込んで来たのは、少し離れた場所で黒髪の少年が、黒髪の幼子に首を噛まれ血にまみれた姿だった。
「――っ!?」
その光景に目を疑えば、いつの間にかカリスの隣にいたはずの女性が、少年のすぐ側にいて拳を落とすところだった。
――リモコン……?
彼女がまくし立てた中に、知らない単語を聞きつけて、それが彼女の前世を指しているのだと遅れて理解した。
さらに彼女が初めて見せる慟哭を聞いて、カリスは痛む胸を押さえた。
今と昔、おそらくアディとして唯一の違いと言えることを、ハッキリと本人の口から聞かされたからだ。
「――ぐっ!」
そこへあの小さな声が聞こえたと思えば、カリスの身体にのし掛かったのは、山頂での重圧と同じもの。いや、それ以上の負荷だった。
――防御無しとはいえ、あの時より強い!?
カリスは膝をつくことも出来ずに全身を地に押さえつけられ、抗おうとすれば骨がみしりと音を立てる。
圧迫された胸では、息を吸うことすら出来なかった。
「たかだか幼竜如きが、コアに惹かれただけの癖に。跪くのはお前よ。私の話の邪魔をしないで」
「――キュ、ゥ!?」
そこに先ほどと別人かと思うほどの冷たい彼女の声が辺り一帯を支配し、甲高い鳴き声と共に重圧がかき消えた。
カリスが視線を向ければ、黒髪の少年の周りが水浸しとなっていた。そのすぐ近く、地面にひれ伏すようにして、黒いモンスターが濡れねずみで横たわっている。
――アディが平気だったのは、まさかコアとかいう動力源を内包しているから、か?
目まぐるしい状況の中でカリスは必死に情報を精査する。聞こえた彼女の言葉を飲み込んで、仮説を立てていた。
山頂に居た誰もが無事とは言えない中で、アディだけが立っていた。単純に強いからだと片付く話ではなかったから不思議だったのだ。なら、平気だったのは別の理由じゃないかと思えた。
――竜がこの短期間で前より重圧が強かったのも、コアを内包するアディの血を飲んだせいとか?
ダンジョンのコアなどと、そんな情報は国のどこにもない。カリスは知らない。だが、そうとしか思えなかった。
何より彼女はいつの間にか影を有し、先程からこの場の主であるかのように振る舞っていた。
「毎度毎度、うじうじうだうだと、いつまでやってるのよ! これまでが暗示だのなんだののせいだとしても、今! アンタはもう自由なんだから、好きに生きなさいよね! 私は代わってなんてあげない!」
未だ痛みを覚える身体を叱咤して、カリスは立ち上がった。その叫びは、聞くに耐えない悲痛なものだったから。
アディと出会い、過ごした日々はずっと少ない。それでもカリスの中ではどれも鮮やかに思い出せるのだ。
――手を差し伸べ、一緒に居るだけじゃダメだったから。
「私こそコアが作っただけの……アンタの過去なのよ!? なのに、なによその格好。黒髪黒目なんて、もう日本人じゃないでしょ!
貴方は、アディウートル・クストスでしょうが!?」
カリスの前で神童が初めて涙を流し、悲鳴をあげていた。その姿は、見るに耐えない哀しいものだったから。
――アディは、アディだ。
アディも神童も、きっとずっとカリスヘ助けを求めていた。痛む身体がなんだという。彼らに応えなくては、ここへ来た意味がないではないか。
カリスは歯を食いしばって立ち上がり、前を見ていつものように笑ってみせた。




