第44話 自由すぎてヤバい
「ここは一階層、ではないな?」
記憶にある一階層でも、報告にある一階層でも無かった。カリスがダンジョンの中へと踏み入れた先には、青空が広がっている。木々に囲まれた一帯に広がるのは耕された土、まるで畑のような光景だった。
――知っている七階層のどれにも、当てはまらない?
それどころか、カリスの記憶にある国内のダンジョン、そのどれにも当てはまらなかった。
耕された畑のある光景など、自然に出来るものでもなければ、ここに立ち入る人間がまず居ない。
グォォォォ。
オォォォォオ!
「……ミニベアか」
くぐもったの唸り声に、カリスは焦ることなく視線を向けた。木々から出てきたミニベアが二体、突進してくる。
ミニベアの前足が爪をぎらつかせて振りかぶってきた。一瞬考えたのち、カリスはそれを跳躍して避け、ミニベアの頭に手を乗せるとくるりと回転し背後へ着地する。
「モンスター相手に普段はしないのだが、少し、遊んであげようか?」
手を構え、お出でと笑ってカリスが挑発すれば、牙を見せて大口を開けたミニベアが両手を振りかざした。
「――ミニベア八号、十号! お座り!!」
「……っ!」
ズザッと土煙を立て、高い声に従い勢いよく、二体のミニベアがカリスの前に跪いた。両前足を前に投げ出して、平伏している節すらある。
「最初に言ったわよね。この階層に来る人間はお客様だから手を出しちゃダメ、暴れたいだけなら一層に行きなさいって――《落雷》に、打たれても知らないわよ?」
女口調の声に呼応するように、ミニベアの頭上の空が曇り――そこへ、雷が落ちた。
カリスは、目の前でやや焦げて震えているミニベアを前に後ずさる。
パリパリと光が瞬いて、近づくのは危険そうだった。否、近づく理由もそもそもないのだが。
「全く、一号はどこ? 誰かが来るのが初めてにしても、躾がなってないって怒らなくちゃ」
気付けば真後ろでしたその声に、カリスが振り返る。いつの間にか、カリスよりやや高い身長の女性が立っていた。
――今、ミニベアを従えたのは女?
肩より長いくらいのサイドの髪、後ろはひとまとめに結っており、つり目のパッチリとした黒目がカリスを見ていた。
「……ここは、立ち入り禁止のはずだが、君は――?」
その出で立ちはどこか男らしく、スラッとしている。服装は畑と言う光景にも、ダンジョンと言う場にもそぐわなかった。丸みのある柔らかい肢体に、黒の上下スーツ、中は光沢のある白いシャツで襟の代わりにリボンが揺れていた。
「騎士たちの様子を見て言ってる? 今度は、入口から入ったわけじゃないよ。それに名乗る名は持ってないの、好きに呼べば?」
女性は、そのままカリスの横を通り過ぎる。その姿が、一瞬透けて揺らいでいた。
――なんだ?
カリスは思わず、目をすぼめてその姿を追った。やはり、どこか像は歪んでいるかのようで不自然に感じる。
「そんなに睨まないでよ。不敬罪っていうなら、いっそ首でもはねてみる? 出来るものなら、だけどねぇ」
『受けとれません。遺憾であれば、その剣で私の首をはねればいい』
女性は振り返らずに自身の首を指で横なぎに払い、カリスへ向けてそう言った。
それを見て、なぜだか一学期の自暴自棄になっていたアディを思い出す。
学業を疎かにし、離れていこうとするアディをあの時は引き留めたくて、カリスは根回しを済ませ剣を用意し、押し付けたのだ。
「問答無用で切りかかるほど、暴君になった覚えはないのだけれど……。ほら、剣もないしね?」
引っ掛かりは次第に違和感となり、疑問へと変わっていく。どうやら彼女は、カリスを知っているのだ。
――いや、でも……年上の女性、だが? どう見ても、女……。まさか、女装か……?
目に見える外見が邪魔をするのか、カリスは目頭を手で押さえる。
アディは違和感なく、学園祭で女装を堂々としていた。さらに今までも、言葉使いが変わることはあった。
「いや。なんでそこで、アディがよぎ――」
「残念、動じないんだ?」
風を切る音と圧が、カリスの頬の真横を通りすぎた。ピタリと当てられたのは、彼女の長い足だった。下はズボンとは言え、女性がこうも足を上げるのに躊躇いがないことへカリスは内心驚いた。
「危害を加えようという気概も、そもそも殺気がないじゃないか。動きの速さには驚いているけれどね」
「――ああ、うん。ストレッチスーツなのかな? 動きやすくていいね、これ。まぁ、触れられないんだけどさ」
「触れられない……?」
言われて彼女を見れば、その立っている足元に影が無かった。
「私のこと薄々は気づいてるんでしょ。実体がないの、蹴ったところで当たらない。それでも、どう出るのか反応が見たくてね。今、イージスもまとってないみたいだし?」
女性の口振りから、カリスはやはりと思ってしまう。カリスが気づいたのは彼女への違和感だけだ。
王子なのだから、彼女がカリスを何処かで見たことはあるのかもしれない。だが、イージスまで知っているのは異常だ。
――彼女の外見に近い年に王族は居ない、そう知り得る情報でもない。
常識に捕らわれるから、混乱するのだ。例えば、目を隠せば彼女が誰か迷うこともない。
発音といい、口調といい、仕草といい、それはよく知る人物が、時おり口にしていたのだから。
『あの子は、貴方より年上ですから。気軽に踏み込むと大変ですよ?』
まだ夏休みの頃、魔法師団棟でアディが寝ていた時だ。ユーストゥスから聞かされたセリフ、それ以上をカリスは教えて貰えず、いつしか頭の片隅へと追いやってしまっていた。
――いいや、調べなかっただけだ。ヒントはそこかしこにあったのだから。
カリスは息を吐き出すと、足を下ろして可笑しそうに笑っている女性を見た。
その彼女の黒い瞳は、バルコニーで会ったアディの黒い瞳と重なった。無感動な面差しがそっくりだった。
「……君は真実、アディウートル・クストス本人だね。神童の由来は、前世の記憶持ちだったか……」
「ふふふ。ここまでしていて気づかない凡愚なら、どうしようかなって思ったよ?」
今までアディの姿で、少女のような口調を始めとする些細な違和感の正体が、彼女の姿を前にしてストンと腑に落ちるようだった。
点と点が繋がるような、それでいて否定してほしかった気持ちがカリスの中で渦巻いた。
――妄言だと、笑ってはくれないのか。
目の前で微笑む彼女の――その目は、やはり笑っていない。アディのこれまでの異質さが、裏付けるように脳裏を過る。
――死を体験したのなら、生に執着するか、無頓着になるか、そのどちらかだろう。
それは、過酷な状況下に置かれた者に見られることだ。普通から外れてしまえば、どのみち平穏には生きられない。
カリスは行き着いてしまった己の答えに、やるせなさを感じていた。
『そばにいて欲しい、一人は寂しい』
――アディ、それはお前が、前世で孤独に死んだからだったのか?
人より多く生き一度死んだからこそ、他人が傷つくことに敏感で、自分の痛みは切り捨てられたのか。




