第43話 カウントダウンでも始めるか
「そうだね。一週間経っても戻らなければ、先に帰っていてくれるかい?」
「……やだね。二日経ったら俺も入る、に変更してくれ、というか勝手に行くわ」
森の入り口。馬を託し、考える素振りで顎に手を当てたカリスは言った。ユニタスはそれにため息を溢して、頭を掻くと宣言する。
「依頼は……」
「おいおい一人で行くのを許容してやってんだぞ? どうしても帰れってなら、安否確認くらい要るだろ?」
「心配要らないよ。ダンジョンの入口には、まだ国の騎士が警護している。戻らなければ彼らが不審に思うさ」
「いやいや、俺だって探るくらいなら、一人ででも潜って、そんで生きて帰って来るくらいしてやるって。舐めんなよ……友達見捨てるほど、合理主義じゃねぇぞ?」
「分かったよ。……じゃあ、そうしよう」
カリスは観念したように碧の瞳を細め、淡い微笑を浮かべると森の奥を見つめた。
光と名のつく通り、そこには幾つもの淡く光る蝶が舞っている。ダンジョンまでの薄暗い森の道を照らしていた。
「剣は持っておいて、王家の印章が掘られている。そのまま身元保証と、ある程度自由に動ける権限が付随する。依頼書よりここでの効力は強いだろう」
「そりゃどうも。やっぱ借りもの過ぎて、俺には荷が重い剣だわ。早く返してぇ。ほら、行ってこいよ。待っててやるから」
ユニタスは乱暴にカリスの背を押して、森へと一歩を踏み出させた。追い払うように、手で払っている。
カリスはそれに、眉を下げ屈託なく笑った。
「ああ、行ってくる」
「そこの者、止まれ! ここより先は、立ち入り禁止だ」
蝶に誘われながら、さくさくと地面の木の葉をカリスは踏みしめて歩く。入口が見えたところで耳に刺さるような厳しい声がかけられた。
「ああ、警備ご苦労様。変わりはないかな? ちょっと通してもらうよ」
「……第一、王子殿下!?」
「ダンジョンに、ちょっと用があるんだ。入っても構わないね?」
カリスが笑顔で応じる。ウォレンティア領の騎士二人が慌てて敬礼をした。
それに手を上げて制し、カリスは静かに見つめ返す。
「は、はい? ですが、殿下お一人で?」
「失礼ですが、殿下の装備がその……、お強いのは存じていますが。とても……、どうしてもでしたら、お供しても構わないでしょうか? 一層しか無いとはいえ、中は広いですから」
「一人で行くよ。詮索も無しだ。君たちはここで、君たちの職務を全うすると良い」
付き添おうとした騎士を目で黙らせ、カリスは洞窟のような入り口を進む。その暗闇を、仄かな光が追従した。
◇◆◇◆◇◆◇
「……ぜんぶ?」
ポタポタと、雫が落ちている。
「そう、全部。パパの全部、食べてあげる」
いつの間にか、幼子が上でクロが下。立場が逆転していた。床に座り込むクロの両頬に手を添えて、膝たちで馬乗りをする幼子が恍惚に微笑んでいる。
水に滴るその姿が、逆光に照らされて眩しい。
「パパの……望みは、なに――?」
「望み……」
「そう、一人は寂しい?」
すぐに答えられないクロに、幼子は優しく質問を変えて訊ねてきた。
「……寂、しい」
クロが目を覚ました時、幼子がいないことがある。妙にそわそわと落ち着かなくて、姿を探してしまうのだ。
それを寂しいと言うなら、そうなのだろう。
「夜は、怖い?」
「怖いのは、夜じゃ……」
「じゃあ、怖いものは……なに?」
「闇、が……」
ここに夜も朝もない。ただ真っ白な空間だったから。けれど、目を閉じればそこにはいつだって、真っ暗な闇が広がる。
「闇の、なにが嫌?」
「……嫌、なのは……一人、きりは、嫌……だ……」
一人じゃないと、確かめる術はその温もりだけで。ここではいつも、子どもが傍にいてくれた。だからいつも、安心して眠ることが出来たのだ。
「パパの全部を食べたらね。血肉になって、ずっと、ずぅっと、一緒にいられるよ」
――ずっと、一緒に。
ここではずっと、クロの傍にいるのは幼子だけ。幼子だけが、クロを必要として慕ってくれた。
(――本当に、この子どもだけだった?)
不意に静かな問と一緒に、クロの脳裏を掠めた二つの面影、どちらもひどく傷ついた顔をしていた。
それは、ただの他人を見る眼差しでは到底ないだろう。
――でも、僕は彼らを知らない。
あの想いが、本物かどうかを量る術をクロは知らない。ドクドクと胸が騒ぐのを感じる。喉元までせり上がってくる、これはなんだ。
「痛みも、寂しさも、苦しみも全部、全部、嫌なことはなくなるの」
目を閉じて、耳を塞いで、そうすればもう、心をかき乱すことも、煩わしい感情に振り回されることもなく、救われるのだろうか。
「嫌なこと、全部……」
(それは本当に、嫌なことだった?)
揺蕩う夢の中で、聞こえた幾つもの声に、クロは確かに不快だと感じたことはなく、ただ起きる度に涙が流れて胸が痛かった。
――分からない。
ぐちゃぐちゃとした心の内を形にすることが、クロにはどうしても出来なかった。
「そう、だからね。パパの望みはなに?」
「――っ」
幼子はそういって、クロの首筋に甘えるように顔を擦りつけ、そうしてかぷりと甘噛をする。
そのチクリとした痛みに、クロは思わず息を詰める。幼子は焦らすように首筋を舐めあげて、こてんとクロの肩に頭を乗せた。
「望むなら、パパに終わりを贈るよ。そして、ずっと、ずぅっと一緒なの。ねぇ……パパは、どうしたい?」
「僕は――」
はくりと唇を動かして、喉から出た声は頼りないほど掠れていた。その続きがなぜか音にならない。喉に引っ掛かって出てこない。
――何を、願おうと? 何を、望もうと……?
クロにはそれさえも分からず、心は空虚だった。この寒さは、いっそ手離しまえたら楽になれるのだろうか。
(それは真実、貴方が願う想いなの?)




