第40話 フィデスの拳、マジで痛いんだぞ……
「カリス! 無事か!?」
バタンと、部屋の扉を勢いよく開けたのはフィデスだ。彼の大きな声が、バルコニーにまで届く。
「……カリス、何があったんですか? さっきの気配は?」
躊躇いがちに口を開いたのは、ウェルムだ。立ち尽くすカリスの隣にまでくると、探るように辺りを見渡している。
フィデスも腰の剣の柄に手を掛けて、いつでも抜けるようにしていた。
「……アディが、来ていた」
「アディが?」
カラカラに乾いた喉から、なんとかそれだけをカリスは口にした。パタパタと滴る音が静かに響く。握りしめた拳から爪が食い込んで、血が出ていた。
「カリス、中で頬の手当てをしよう。傷になる」
フィデスが動揺したのは一瞬で、カリスの頬に気づくと進言する。
ウェルムも、カリスの背を押すように肩に手を回した。案ずるように問いかけてくる。
「本当にアディだったんですか? それに怪我なんて……、イージスは?」
「アディに、イージスは効かない……」
攻撃によって、強引に破るものではなかった。カリス側に反動が全く無いのがその証拠だろう。アディがダンジョンへ飛び出していった夏と同じだった。
どうやったのかイージスの難解な魔法式を、いとも簡単に紐解いて解除した。その上であのアディは、即座に牽制の攻撃を放ってきたのだ。
――納品されたモンスターは、一撃必殺。
人間相手だから手加減をしたのか、カリスだから手加減をしたのか、それすらも今は分からなかった。
ただ、殺そうと思えば出来るのにしなかった。それだけが結果として、そこにあった。
「……ウェルム退け。カリス、イージスはないんだな? なら、歯を――食い縛れ!」
「フィデ――」
ウェルムの制止を遮って、フィデスは拳を構えるとカリスの顔面、頬の傷と反対側を思いっきり殴った。
「笑えよ、お前はこの国の王子だろ。俺たちは、お前の指示で動くんだ。いつもみたいに、笑え。そんなみっともない顔で、ルナの前になんか絶対、出るな」
「……っ」
カリスは後ろに軽く飛ばされ、バルコニーの壁に背中を打ちつける。
淡々と夜の闇に冷え込むような声で、フィデスは告げた。
「フィ――」
「……いい、ウェルム」
間に入ろうとしたウェルムを、カリスは手で制する。口の中に鉄の味を感じながら、顔をしかめて前方、月明かりに逆光となったフィデスを睨む。その瞳が朧月のように僅かに光っていた、怒っているのだ。
「……そうじゃないなら、ただのカリスだって言うなら。お前、いい加減にしろよな。
学園祭のパーティーで、アディにあれだけ言っておいて、この様なのか?」
「……フィデス」
「周りを見て頼れって言うなら、先ずお前がそうしろ! その上でちゃんと、アディの手を取りに行け! ずっとずっと一人で魔法で探して、挙げ句になに、こんなところで折れてやがるんだ!!」
学園祭の閉幕パーティー、確かにアディとカリスは対話をした。
フィデスは二人に邪魔が入らないように、前に立っていた。何も言わなかったけれど、ずっと聞いていたのだ。
「俺は難しいこと……、俺には、分かんねぇよ。でも、カリスと同じだ。アディはアディなんだ。それに……アディは、鏡だ。力には、同じだけの力を返してくる。カリス、アディの嫌がることをしたんだろ。だから、怪我してんだよ」
悪く言うなと、確かに怒っていた。最初の出会いがどうあれ、今のアディにとっては、あの黒いモンスターは大切なのだろう。
――何も覚えていなさそうだった。今の、心の拠り所があれだけ、なのか。
そして、アディの願いを受けて動くといったあのモンスターは、山頂の時とは違い、カリスに敵意を向けてはいなかった。圧が、全く無かったからだ。
「アディは荒んでたって、敵意も、疑いも、迷いも抱かなかったら、同じだけ優しく返してくれる。攻撃してきたりしない、絶対に」
「……ああ、そうだな」
嫌そうにしていたり、はぐらかしたり、逃げたりはしても、攻撃を向けてきたのは今回が初めてだった。
――アディは……。
カリスはフッと息を吐くと、口許に弧を描く。いつもの微笑を浮かべた。
フィデスの差し出された手を握り、感謝を口にする。
「ありがとう。目が覚めた」
「おう。イージス掛けてたら、身体強化で殴ってたからな。そしたら、ウェルムに怒られるだけじゃ済まなかった」
「殴るのは決定事項、なんですね……」
はぁとため息を吐いて、ウェルムがやれやれとバルコニーの扉へ手を掛ける。
「ウェルム、回復魔法は必要ない。呼ばなくていい」
「カリス、それ酷いことになりますよ。仮にも、おう――」
「必要ないよ。ここに居るのは、ただのガキだ。……友達に振られて喝を入れられた、な」
すぐに治してしまうのは、惜しいと思った。この痛みを、カリスはもうしばらく感じていたいと。唇についた赤を無造作に指で拭い、目を伏せる。
――さっき一瞬、アディの瞳も……。
瞳は、魔力に影響を受けやすい部位だ。冷静さを欠いて、カリスはそんなことも見落としていた。
「アディは、鏡……」
「なんだ?」
「いや、いい例えだと思ってね。それに今後の方針を組み換える必要がありそうだ」
「はは。いつものカリスだな。アディのことは任せたよ。俺は留守を預かる、こっちは安心しろ」
カリスは学園を離れるに辺り、先日の話し合いの報告はしていた。表向きはレース嬢の護衛と学園の戦力を減らせない、とだけ。
ウェルムには、爵位持ちは連れていけない本音を話してあった。ただ、口振りからしてフィデスも察しているのだろう。
「ああ、任されよう。今度こそ……」
扉のガラス越しに、カリスは想いを馳せる。去り際のほんの一瞬、赤く見えた瞳は見間違いなどでは決してない。




