第39話 あの幼子、こわ
『――。ここにいる』
――だれ。
『なんだ、――?』
――誰。
ひどく、甘く、優しい囁きだった。なぜかそれがとても安心できて、同時に切なかった。
「――ぁぱ」
「……ん、……おは、よう」
「おはよう、パパ。でも酷い顔色、また泣いてた? もう少し寝た方が良いよ?」
クロが目を覚ますと、目の前の幼子と視線が合った。にぱっと屈託なく笑った幼子は、背中に手を伸ばしてくる。
クロにぎゅっとしがみつくと、幼子は顔をすりすりと擦り付け甘えてくる。
「……パパを泣かせる悪いやつ、皆殺しにしてこようか」
「しなくて良い。……ここに、いて」
ボソリと呟かれた音を拾い、クロはただ抱き締める。白い空間には、いつも二人だけ。
目を閉じればそこは、幼子の髪と同じ黒一色が広がっていた。
――ここに、いれば良い。ずっと……。
『困ったことがあったら冒険者ギルド頼ってね』
――困る?
何処かのギルド支部で出会った、鮮やかなピンクの髪の受付嬢の言葉が、ふと耳に甦る。
ぐいぐいと距離を詰めて踏み込んでくると、クロと言う通り名を名前だとつけて呼んできた。
『一人で出来ないことがあるのなら、頼れば良い。そう難しいことではないだろう』
――頼る?
『――は、それくらいでちょうど良い。普段が甘すぎるんだ。なに、お前のことだ。利用して初めて、頼ってくる程度だろうさ』
今度は受付嬢とは別、何処かで聞き覚えのある声がした。知らない声。けれど、夢で何度も聞いたはずの声だった。
『出自が気になったら、貴方を知ってる人を探したりも、出来るんだよ』
――探、す?
過ったのはまた受付嬢の言葉。クロの出自など、ここで目が覚めたから、ここが始まりなのだ。
それ以外にはあり得ないと、一蹴する。それなのに、心がザワザワと落ち着かない。
「パパ、辛い? 苦しい? 悲しい? 痛い?」
「……そんな、人間みたいな感情」
訊ねてきた幼子に、クロは言葉に出してくしゃりと顔を歪めた。泥々と渦巻く感情に、人間は名前をつけたがる。
――地上に、人間に、触れすぎたのか。
だから、こんなにも分からないことに振り回されているのだろうか。
「……ここに、いたい」
「ずっと、いたらいいよ。空気も綺麗だし、何よりパパと二人、あとは何も要らないよね」
「ずっと、一緒……?」
「うん。パパの傍にいるよ、ずっと」
その迷いのない返答に、この温もりが正しいと、クロは幼子の肩に顔を埋める。
「傍、に……」
『だが、俺から離れて行くな。頼むから、ここに居ろ。お前の居場所は、ここにあるはずだ』
胸を穿つ痛みに、クロは瞳を閉じて蓋をした。知らない、知らない。
――僕の世界は、白と黒だけでいい。
◇◆◇◆◇◆◇
――なんだ?
旅支度を進めていた手を止めて、カリスは窓の外を見る。連日、探知の魔法を掛け、その精度が上がっているのを実感していた。
「ア、ディ……?」
呼ばれるように向かったバルコニーで、外を見渡せば人影が見えた。
アディの部屋に面したバルコニーに、闇に溶けるようにして立つ、一人の少年の姿があった。
「……」
「アディ」
空をぼんやりと見つめる黒髪の少年。触れたら消えてしまいそうなその儚げな姿に、カリスは迷いなく声をかけた。
色は違えど、その面差しはアディそのものだったから。
「……」
「――ア」
「ぱぱぁ……?」
返事のない少年に、なおもカリスが声をかけようとすれば眠そうな高い声に遮ぎられた。
それまで動かなかった少年が、おもむろに空に手を伸ばした。パタパタと翼ををはためかせ小さく黒い体躯の何かが、そこに現れた。
「……お、前!」
声を震わせ、カリスは瞠目した。忘れもしない校外学習で見た、あのモンスターだった。イージスを壊し、アディの首に噛みついて襲った得体の知れない存在。
それは、少年の胸にすっぽりと収まると、徐々に人の姿に変わる。ルナよりも低い身長に、黒髪のショートヘアーで左右に小さな角を生やしていた。
「パパ、どうしたの? 急に何処かに行くんだもん、ビックリしたよ?」
「……あ……、れ? …………ここ、は……?」
黒いモンスターが訊ねれば、今気づいたとばかりに少年は瞬きをして、辺りをゆっくりと見渡した。
黒いモンスターだった幼子を、少年はしっかりと大切そうに抱き抱えている。
「パパ、大丈夫?」
「……ああ、ごめんね。心配かけた、ね?」
「ううん、大丈夫だよ。パパが何処にいても見つけるから。だから、帰ろう?」
「――待て」
放っておけば、そのまま何処かへ消えるだろう少年を、カリスが引き留めた。
――黒髪の、二人組。
やり取りを静観して、カリスは資料を思い出していた。特徴が全て合致する。
「……誰?」
「パパが気にかける必要、ないよ?」
ようやくカリスを認識したらしい少年が、静かに首を傾けた。黒いモンスターは少年にしがみつくと甘言を囁いている。
「アディ、その黒いのはなんだ? 手を離せ、ソ――」
「黙れ」
怒気を孕んだ声が空気を震わせて、カリスの頬を風が掠めた。薄皮が切れて、赤い血がたらりと溢れる。
音もなく破られたイージスに驚くよりも、その殺気立った黒く澱んだ目に気圧された。
「黙れ。この子を悪く言うのは、許さない」
「大丈夫だよ、パパ。あの人間、弱いからいつでも殺せる。パパが願うなら、すぐに始末してあげる」
「いいや、手を汚さなくていいよ」
黒いモンスターは、少年にそう囁いて微笑んだ。それの頭を撫でて、彼は表情を崩すと笑い返している。
モンスターを抱く姿は縋るようで、まるで――なくてはならないと全身で求めていた。
「パパはいつもそう。願ってくれたら良いのに。助けてって、願ったから助けたよ。一人は寂しいって、願ったからずっと傍にいるよ。眠るのが怖いって、願ったから、ぎゅっと抱きついてあげるの」
「願っ、た……?」
拗ねたような響きで人語を話す黒いモンスターに、カリスは愕然と衝撃を受けた。
それはまるで、アディが時折見せていた願いそのままだったから。
「パパのお腹におっきな穴が空いてた。たくさん血が出てたんだよ、もったいないよねぇ。独りぼっちで死ぬところを、やっと願われたから助けたの」
アディの無茶はいつものこと。でも、あの日は神童だったのだ。首輪を着けてなお、魔法を使いこなし、先を見据えて動けるだけの高い能力を有した存在だった。
――俺が、もっと強く引き留めていれば……。
最後の痕跡が森だろうと、カリスは聞かされた。もう意味がないと分かっていても、現場に自然と足が向いた。荒れ果てた場所を見つめて、しばらく何も出来ずに立っていた。
――神童はわざと、騒ぎを水面下で留めたのか? フォルマのために。
神童が、何か良からぬことを考えているのは分かっていた。お茶会を抜け出して生徒たちの精神支配を解き、その後行方知らずとカリスが聞かされたのは、第二王子のお披露目、その全てが終わってからだった。
「でも、ごめんね、パパ。死んで幸せになりたいって願いだけは、叶えてあげられない。死んだら、パパの血飲めなくなっちゃう、とっても美味しいのに……」
黒いモンスターは縋がりついてくる少年に頬を擦り寄せ、心苦しそうに言った。
ピクリと反応した少年は思い出したかのように、とつとつと口を開いた。
「血……、飲む? 今日はまだ飲んでなかったよね。ごめん、気づかなくて……」
「この間からたくさんもらってるから、一日位なくても平気。それよりは、パパが元気になってくれた方が嬉しいし、その方が血も美味しい」
受け答えのおかしい少年に対して、首を左右に振った黒いモンスターは、歪な関係を築きながら、それでいて彼を一番に考えているようだった。
「ん……、じゃあ行こう」
「アディ。お前の帰るところはここだぞ」
「……《転移》」
刺激しすぎないよう、ただ、それだけを発した。少年はカリスをチラリと見て、何も答えなかった。
目の前でかき消えたその空間をしばらく見つめて、カリスは拳を握りしめた。
月明かりがカリスの影を黒く、ハッキリと床に映し出す。
「――くそ!」
あの時と同じ。黒い瞳から、涙が溢れ落ちるのを――ただ、見ているしか出来なかった。
明確に拒絶されたことが、カリスの心に深く突き刺さった。
ブクマが100!!
ありがとうございます!
お祝いSS書きたい! 本編重い!祝えない!(*´ー`*)




