第18話 俺が寝ている間になんか駆け引きが起こってたらしい話
「セレーヌス侯爵令息か、見て分からないか。弟君の介抱だが?」
場にそぐわない落ち着き払ったその声に、カリスが不快に振り向けば、セレーヌスが立っていた。
その手には通学鞄とは違う、見慣れない鞄がある。
「教室から見ていましたので、知っていますよ。その上で申し上げます。
一生徒の私室に殿下が入られては、あらぬ誤解が生まれましょう。
気にかけていただき、弟に代わりまして感謝申し上げます。
この場は、兄である私が引き受けますので、殿下はご退室を」
セレーヌスはアディの部屋に入ると、カリスの横を通りすぎる。
アディの傍らに膝をつき、鞄を広げた。中には手当ての道具が一式、入っているようだった。
「弟は目立つのを好みません。私も何も見なかったことにいたします。ここからは任せていただけませんか?」
カリスの方を一度も見ずに、セレーヌスはアディの容態を確認している。
「しかし、これは……」
「責任の所在を明らかにするのであれば、全て弟の慢心からでしょう。
眼鏡を忘れた時点で、見学か取りに戻るかすれば良かったのですから」
セレーヌスはカリスの言葉を遮って、作業の手を止めた。
「殿下の寛大なお心で、お目こぼし願います。どうか、ご退室を」
まっすぐに見つめてくるセレーヌスは、王子としてのカリスに礼儀を通している。
いいから早く出ていけ、これ以上関わるなと無表情を貼りつけて、カリスに対し言外に言っているが。
「……ああ、貴公の弟だ。気になる点も多いが、後はセレーヌスに任せよう。
ただし。明日の欠席は、私から学園に伝えさせてもらうからね」
怒りを滲ませながらもあくまでも事務的に応対するセレーヌスに、カリスは折れた。
今は、倒れているアディの手当てが先だろう。
それにこの後、アディの意識が戻ったとしてまた無茶をされては困る。
セレーヌスが来た時点で無いだろうが、明日の学園にアディを来させず休ませろと、カリスは念押しをした。
「殿下のご厚意に、感謝申し上げます」
アディの部屋の扉を閉めて、カリスは為政者の顔になる。
侯爵家として、今回の件は一切荒事には発展させる気がないと明言された。
模擬戦のルールを逸脱したルナの暴走も、それに気づかなかった教師も、カリスの王子としての失態も、全てアディが目立たないことを望んだから不問にすると。
魔法実技では壊れるはずのない的に穴をあける特異性を持ち、模擬戦では折れた腕を庇い、誰にも悟らせるとこなく完璧に立ち振る舞ったアディ。
神童は今なお健在で、世間に悟らせずにその才覚を大切に育てたのはクストス家だと、カリスは確信した。
「ああ、欲しいな」
あまり目立ってことを大きくすれば、クストス家だけでなく、アディ自身が先にカリスの前から逃げていくだろう。
成績を落として、クラスを離すくらいは簡単にやりそうだ。
今でさえカリスに近づかないようにしたいという、アディの思惑がすけて見えている。
それくらいなら、いくらでもやりようはあるのだが。
アディが服芸を知らず、社交スキル、特に貴族特有の駆け引きに疎い間が好機だろう。
それまでにアディ自身が、こちらに来たくなるように仕向けなければならない。
すでにウェルムが教師と話をつけて、アディの実技ペアの囲い込みをしている頃だ。
カリス自身を含め側近候補の三人にアディが加われば、全員にとっていい刺激になるのは想像に難くない。
模擬戦で見たアディの素顔を思い出して、カリスは笑みを深める。
アディが純粋なうちに、身分を理由に逃げられないうちに。
――卒業までに、手に入れてみせよう。
◇◆◇◆◇◆◇
「世話がかかるね」
カリスが退室したのを見届けて、セレーヌスはそっと呟く。
アディのジャージのチャックに手を掛け前開きにし、見える範囲での怪我の有無をチェックする。
広げたジャージの中から覗く右腕は、腫れて変色しており、かなり痛々しい。
身体強化をうまく使ったのだろう、擦り傷などは見当たらなかった。
鞄から袋を取り出して、そこに魔法で氷を作りだして氷嚢を作る。
アディの右腕を囲うように氷嚢を置けば、冷たかったのだろう。
アディの目がふるふると震えて、セレーヌスを見つめた。
「……お兄、ちゃん」
懐かし昔の呼び名に、セレーヌスはアディの頭に手をのせ優しく言う。
「もう大丈夫だよ。模擬戦頑張ったね、アディ。お疲れ様。
後は兄さんに任せて、お前は休みなさい」
セレーヌスの声に、アディは薄く笑って、そのままフッと意識が途切れた。
冷やしたことで、痛みが幾らか落ち着いたのだろう。かすかな寝息が聞こえる。
セレーヌスは、アディのジャージの左腕を脱がせ、そのままジャージを背中に押し込んだ。
慎重に反対側の右背中から、ジャージを抜き取る。
軽く汚れを払ってから、氷嚢ごとジャージの脱いだ部分を、アディの右腕へとぐるぐると巻きつけた。
もう少し患部を冷やしたら、アディをベッドへ運べば良いだろう。残りの右腕のジャージを抜き取るのも、その時だ。
セレーヌスは制服の上着を脱いで、アディにかけた。
『にーちゃ。右手、ぎゅーしすぎなの。足もねぇ――』
昔、アディがまだ王都に住んでいた頃。魔法を習いだしたセレーヌスを見て、幼いアディは言った。
それが他者の魔法の癖や魔力の流れなどを正確に読み取ってのことだと、家族が気づいたのは、少し経ってアディが六歳の時だった。
それ以前から、教えてもない絵本を二歳で読み出したりして、アディは周りから注目を浴びていた。
良くも悪くも、幼い頃から目をつけられるのは心配だと、家族で気にかけていた。
その後アディが情緒不安定になったこともあり、学園に通わさず領地で過ごさせる事になった。
可愛い弟と離れるのは寂しく、セレーヌスは兄とともに長期休暇の度に帰ったものだ。
ある時、アディに眼鏡をプレゼントした。普段は、その眼鏡をかけるようにと教えた。弟の負担が少しでも減るように、元気に過ごせるようにと。
眼鏡は魔道具になっていて、アディの目が情報過多でダメージを負わないよう、認識阻害を付与していた。
――まさか初っ端から、その眼鏡を掛け忘れたまま授業を受けるなんてね。




