第3話 ガッと熱が出て、ガッと下がるくらいが楽なんだけど
見渡す限りの黒。暑さも寒さも無くて、上
も下もない。
手も足も見えなくて、そこにちゃんと自分がいるのかも分からない、闇。
どれくらい経ったのだろうか、いつからここにいるのだろうか。
――誰か。
暗いのは平気だ。
怖いのは、一人きりということ。ぽっかりと空いた虚無感に、苛まれること。
嫌なのは、孤独の冷たさに置き去りにされること。
「アディ」
声に導かれるようにして、アディはのろのろと目を開けた。
暑くてぼうっとする。酷い風邪をひいた時みたいに、身体が重くて怠さを感じた。
けれど、どこか冷たくて気持ちいい。不思議な感覚だった。
【カリス・ファティウム】
ファティウム王国、第一王子。男。十四歳。得意属性、無属性。固有魔法。
カリスを認識するよりも先に、アディの瞳が鑑定結果を表示した。
無慈悲に見えたその文字が、視界をさらに不明瞭にさせた。
――見え、ない。
ツキンと鋭く、アディの胸が疼いた。
じわりと滲んだ視界に見えた文字から、逃げるようにアディが目を反らす。
すると、ぎゅっと力強く手を握られて、カリスに声をかけられる。
「アディ。ここにいる」
アディの頬と手が冷たいと思ったのは、どちらもカリスの手だった。
頬に添えられた手が、強引に上を向かせてくる。その指が優しくアディの目元を拭った。
じっと見つめてくる碧の瞳、そこにいつもの余裕も、不敵な態度も感じられない。
――イケメンか。普段、俺にそんなことしないくせに。
カリスの真剣な顔を初めて見たと、アディはようやく焦点が合った。
カリスの碧の瞳は、凪いだ湖を思わせる透き通った色だった。吸い込まれそうなほどに、綺麗だとアディは思った。
気がつけば、カラカラな喉から掠れた声が彼の名を呼んだ。
「……カリ、スさま?」
カリスの手が冷たくて、くすぐったくて気持ちが良い。熱のせいだろうか、ほわほわとして、まるで夢を見ているみたいだ。
だって目の前のカリスは、普段の彼らしくない。
アディもなぜここにいるのか、よく分からなかった。見える文字が居場所を告げるが、カリスもアディも縁のない場所で、現実味がない。
「なんだ、アディ?」
張りのある凛とした、声変わりがまだの少年の高い声。
いつもと違ってカリスの言葉に棘がなく、どこか聞いていて温かく、心地いい音だった。
――うん、夢だな。どうみても。
そんなカリスをアディは知らない。甘えたくなるような、頼もしいような、そんな姿を。
普段のカリスは不敵で、底の見えない笑みを絶やさないやつだった。
――剣を置いていったから、呆れられてるはずで……。
ほろほろと粉雪が溶けていくように、アディの意識もまた、ほどけていった。
けれど、さっきのような怖さは無かった。だって夢の中だとしても、アディを見てくれる人がいる。手を握っていてくれている。
「そばに……」
――そばにいて欲しい、一人は寂しい。
◇◆◇◆◇◆◇
学園の調査の進捗を聞きに、カリスは魔法師団に来ていた。会議を終える頃には日が沈み、帰る前に顔でもとアディの部屋を訪れた。
そこでカリスは、アディが泣いてうなされていたところに遭遇し、声をかけた。
起きているアディに会うのは、ダンジョンから戻って初めてだった。
「……いつもと瞳の色が違う?」
過去、熱で潤んだからといって瞳の色が変わったことなど無い。怒らせた時もそう。
稀に感情で魔力が溢れて、瞳が輝く者は居るが、アディに限ってはいつも当てはまらなかった。
――魔力コントロールが、上手いからだと思っていたが。
アディの瞳は、ダークルビーだったはずだ。けれどさっき見えたアディの瞳は――。
「あ、殿下から見てもそう思います? 僕の記憶違いかなって、自信がなかったんだよ。直に会うのが僕、確か十年振りくらいだしねぇ」
ユーストゥスが、カリスへと後ろから声を掛けた。身柄引受人として、気にかけているらしい。
カリスの寄り道に許可を出したのも彼だった。
「アディの容態は?」
「んー。見せた方が早いかなー? 《レフィキオ》」
ユーストゥスがついっと右手を前に出して詠唱した。光がアディへと向かい、触れる前に弾けて消えた。
「熱が高いから下げようと、マーレが回復魔法を掛けて発覚したよ。見ての通り、僕でも弾かれる。
色々試してみたらさ。身体の外側なら支援魔法は掛けれるけど、内部干渉の類いは一切効きかないみたいだ」
――それはアディが今後、大怪我を負っても治せない可能性があるってことだろ。
アディの性分を考えると、それは大変危険なことだった。カリスは視線を下げて、眉間に深く皺を刻む。
「アディは飛び出す直前まで、治療を受けていたけれど?
それが効かないなんてこと、ありえるのかい?」
春の骨折、フィデスとの実技考査、引きこもりの連れ出し。間近では水難の件、どれをとっても、アディは問題なく回復魔法を受けていたのだ。
「変なんだよねぇ。しかもマーレにも確認したけどさ。
ダンジョンに向かう前までは、相当な負荷が、彼の身体に蓄積されていたらしい。
それこそ毎日、検診時に調整していたほどのね。
その常にあった魔眼による魔力消費の負荷が、今は無くなってるんだ。間違いなく発動してるのに」
ユーストゥスは頬に手を当て、首を傾げる。辿り着いた結論に、納得がいかないらしい。
「それと、瞳の色と関係がある?」
「さあ? 詳しく調べようにも、それも弾かれるからねぇ。
見る限りだと神童君の魔力の巡りに、一切の澱みが感じられないから、不思議でしょ?
ダンジョンで吐血したとか聞いたけどさ。
発熱と傾眠以外は内部損傷も見られず、医師からも健康体の所見だったよ」
カリスは残存する魔力を多少見ることが出来ても、その流れまでは読めない。
ユーストゥスは、国随一の魔法使いだ。彼がそう言うなら、そうなのだろう。
怪我や病気なら魔力の流れも普通、乱れるものだからだ。
アディは過去の骨折で、それすらも隠したことがあるが、ユーストゥスがそれを見逃すとはカリスには思えない。
「魔眼と同じで常時、魔法耐性が極度に高い何かを行使しているのか。
それとも僕より強い何かが、彼に影響を及ぼしてるか、この二つのどれかとしか現時点では言えないかなぁ……」
「わざわざアディが、自身に何かを掛けてるとでも?」
アディの中ではまだ、ダンジョンでの戦いが続いているとでもいうのか。
アディは今、魔術師団棟にいる。ここはもう、安全だというのに。
――守ろうとすればするほど、手からすり抜けていくくせに。
カリスが涙の跡を拭って前髪を払えば、その寝顔はとても頼りなく、幼く見えた。




