第5話 五十五年前、恋人が消えた
アスカさんは、渡された日記帳に目を通している。
要点をつかむのが得意なのか、読むスピードが早く、サッサとページをめくる。
だから、横から覗き込んでいるボクは内容をすべて追いきれないが、ロマンチックな出会いの後は、内容は稲村さんのことばかり。
稲村さんと、喫茶店で―
稲村さんと、映画館に行き―
ページをめくるのが早いので、喫茶店や映画館で何があったのか分からないが、稲村さんのオンパレード。
「ふーん。
ここで、愛しのダーリンは、二十歳になったんだ」
と、ページをめくるのを止めた。
覗き込むと、
誕生日。
今日で彼も二十歳。
大人になった証として、万年筆をプレゼント。
彼のイニシャル入り。
すごく喜んでくれる。
「大学生に万年筆をプレゼント?」
「稲村さんがタイプライターを使っていたとは、思えないからね。
なんでも手書き時代には、そんなプレゼントも普通だったのかもよ」
たしかに50年以上前のことを、今の価値基準で判断すべきじゃない。
「それより、私が気になったのは―
『稲村さん』って書いていたのが、『彼』になった。
白銀会長の中で、稲村さんの存在が変わったんだね」
と言い、またページをめくる。
「今度は、白銀会長の誕生日。
これで二人とも、二十歳になった。
でも―これは、普通の誕生日デートって感じ」
と、そのままページをめくった。
アスカさんの興味を引かなかったようだ。
「なるほど―
ついに、来たか」
と、ページをめくる手を止めた。
「なにが?」
「カタストロフィが」
「なにそれ?」
「破滅って意味。
マモルくんも、文学部なんだから、それくらい知っておくべきでしょ。
教養がないねぇ」
ボクは教養を褒められたり、無教養をなじられたり、ジェットコースターに乗った気分だ。
そして、日記の内容も、ジェットコースターと同じく急降下。
信じた私がバカだった。
アパートには、なにもない。
両親や弟も連絡が取れないと言う。
逃げやがった。
父の様子を見れば、分かる。
カネで私を捨てたのだ。
あのクソを死ぬまで許さない―ゼッタイに。
「かなり、字が乱れているけど―
日付はなんとか読める。
…55年前の夏だね」
「ということは―
白銀会長も稲村さんも、大学三年生の夏休みか」
と、ボクは白銀さんの顔を見た。
「はい。
今の私と江本さんと、まったく同じなんです」
と言った白銀さんは、困惑の表情だった。
「ところで―
日記にある父とは、白銀会長の実父ですか?」
「だと思います。
先代の白銀ホールディングス会長です。
ですが、もう他界しています」
「そうですか」
と言い、またページをめくる。
だが、アスカさんの手が最後のページまで止まることはなかった。
「カタストロフィのあと、稲村さんは1回も出てきませんね」
「はい。
念のため、その後の日記帳を見たのですが、稲村さんの話題はまったく出てこなかったです」
「それで―
白銀さんは、私たちにどうしてほしいんですか?」
たちの二文字が気になったが、会話を止めることは控えた。
「祖母が江本さんとの交際に反対しているのは、稲村さんにものすごく怒っているから。
そんな気がするんです」
「きっと、そうでしょうね」
「だからって、どうすればいいのか分からないですが...
少なくとも、稲村さんにも事情はあったと思うんです。
せめて、それが分かれば...」
「当時を知る方は、このお屋敷にいるんですか?」
「いいえ。
全員、引退しています。
ほとんど亡くなっているくらいです。
少なくとも、当時の執事はみな、亡くなってます」
「引退した方にお話を聞けますか?」
白銀さんの目が泳いだ。
「存命のメイドさんが一人います。
けど、彼女が仕えていたのは、曾祖父や祖母です。
私に仕えていたわけじゃないので―
むしろ、話を聞きに行ったら、祖母に報告する可能性が高いです」
そりゃ、マズい。
実家がペシャンコだ。
「じゃあ、調査の参考になるのは、この日記だけか。
これを持ち出すのはマズいですよね?
会長の私物ですし」
「ええ」
「やはり、写真か。
だけど、撮りにくいんだよなぁ―
ああ、あそこがいいや」
アスカさんは、木目調の机に日記帳を開き、スマホで写真を撮っている。
「フルネームは、稲村浩一さん。
アパートの住所は、都内になっているけど、こりゃ意味がない。
実家は、埼玉の―」
と、ブツブツ言って、写真を撮る。
そして、ページをめくり
「映画は...こんなタイトル、聞いたことないし、どうでもいいか」
とブツブツ言って、またページをめくっている。
カタストロフィを撮影すると、日記帳を返しながら
「とりあえず、撮影した日記の内容を検討してみます」
「よろしくお願いします」
「部屋から出ましょう。
念のため、廊下では、私と白銀さんが並んで歩き、そのうしろをマモルくんが歩く」
「なんでボクがうしろなの?」
「どこで誰が見てるか、わからないでしょ?
白銀さんが二股しているって誤解されたら、話がややこしくなる。
私が、同じ大学三年生として、白銀さんと話をする。
うしろから優しくマモルくんが、見守っている」
「ボクが、優しく見守る?
どういう設定?」
「あのさぁ、まえに言ったよね。
こういうときは、私の彼氏のフリをするって」
白銀さんが、不思議そうな顔で
「フリ?
お二人は、付き合っているんですよね?」
「ち、ちがいますよ!」
「え、そうなんですか?
私は、てっきり...なんか、ごめんなさい」
とんだ誤解で、とんだカタストロフィである。
「私とマモルくんの関係は置いといて、とにかく出ましょう」
アスカさんの提案の通り、女性二人が並んでボクの前を歩く。
「授業で、ウィトゲンシュタインという、二十世紀を代表する哲学者が出てきて―
この哲学者、何を言ってるか、まったく分からないんだよね。
文学部に入らなきゃよかった」
と、アスカさんは、いかにも大学生らしいことを話している。
並んで歩く二人の頭は、ほぼ同じ高さだ。
女子大生の平均身長―
なんて考えてると、二つの頭の先に、一瞬だけ、人影が見えた。
右側前方だ。
黒服に白手袋―もしかして執事か?
アスカさんは、クラスのアイドル的な存在。
ビジュアルだけなら、執事カフェにいるようなイケメンも引きつけるだろう。
だが、ボクはイケメンからアスカさんを守る義理もないので、たいして気にすることなく、玄関まで歩き続けた。




