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EP 8

ゾンビ文官たちに魔剤エナジードリンクを飲ませ、現代オフィスの『5S』を叩き込みます

 ヴァルトブルク公爵領の本邸、それに併設された巨大な行政棟。

 扉を開けた先に広がっていたのは、書類の雪崩、空になった安物のポーション瓶、そして生気を失った目で虚空を見つめる『ゾンビ文官』たちの群れだった。

「……閣下。お戻りになられたのですね」

 フラフラと足を引きずりながら近づいてきたのは、初老の男性だった。

 本来なら仕立ての良いはずの文官服はシワだらけで、髪はボサボサ。何より、彼の目の下には、アレクセイ以上に深い漆黒の隈が刻まれていた。彼こそが、この行政棟の責任者であり、先ほど「泡を吹いて倒れた」と報告されていた財務長のギデオンである。

「ああ、戻ったぞギデオン。留守を任せてすまなかったな」

「いえ……閣下が王都で盾となってくださっているからこそ、我々はここで……うっ、胃が……」

「おい、大丈夫か!」

 胃を押さえて崩れ落ちそうになるギデオンを、クラウスが慌てて支える。

 ギデオンは荒い息を吐きながら、アレクセイの隣に立つ私――見慣れない平民の娘――を見て、怪訝そうに眉をひそめた。

「閣下……そちらの可愛らしいお嬢さんは? ここは戦場です。お客様をご案内するような場所では……」

「彼女はヒカリ。今日から私の直属となる『筆頭政務補佐官』だ。この領地の行政システムを、彼女に一任する」

 アレクセイの爆弾発言に、ギデオンをはじめ、周囲のゾンビ文官たちの動きがピタリと止まった。

「……ひ、筆頭政務補佐官? この、まだ二十歳そこそこの小娘がですか!?」

 ギデオンが悲鳴のような声を上げる。

「閣下、ご冗談を! 我が領地は現在、未曾有の業務過多に陥っております! 素人の小娘の遊びに付き合っている余裕など、一秒たりともありません!」

「ギデオン。彼女は、あの書類の山をたった一晩で処理した逸材だぞ」

「だからと言って……!」

 なおも食ってかかろうとするギデオン。

 彼のその態度は、領地を思う強い責任感から来るものだ。前世でも、新しいシステムを導入しようとするたびに、現場のベテランからこういう反発を受けたものだ。

(よし。ここは一発、実力で分からせるしかないわね)

 私はアレクセイの前にスッと出ると、ギデオンに向かって凛とした声で告げた。

「ギデオン財務長。あなたが私を疑うのは当然です。ですが、このままでは皆さんが過労で倒れるか、領地の機能が停止するかのどちらかです。……私に、たった一時間だけ時間をください」

「い、一時間だと?」

「はい。一時間で、このフロアの景色を変えてみせます。もしできなければ、私は潔く身を引きます。……アレクセイ様、私に全権を」

 私が振り返ると、アレクセイは深く頷き、フロア全体に響き渡る声で宣言した。

「これより一時間、ヒカリの言葉は私の言葉と思え。何人たりとも彼女の指示に逆らうことは許さん!」

 公爵の絶対的な命令。文官たちはゴクリと唾を飲み込んだ。

 私はすかさず【善行通販システム】を起動し、ポイントを消費した。

【現代の魔剤・超高濃度エナジードリンク(タウリン・カフェインMAX配合)×50本:10,000P】

 ポンッ! という音と共に、見慣れた細長い銀色の缶が、テーブルの上にズラリと出現した。

「まずは皆さんの『HPとMP』を強制的に引き上げます。これを一人一本、一気に飲み干してください!」

 私が配った冷たい缶を、文官たちは恐る恐る口に運ぶ。

 プシュッ、という炭酸の弾ける音。そして、黄金色の液体が彼らの喉を鳴らして胃袋へと落ちていく。

「……っ!? な、なんだこれはぁぁぁっ!?」

「甘い……いや、すっぱい!? 口の中で泡が弾けて……うおおおっ、体の底から力が、力が湧き上がってくるぞぉぉぉっ!!」

 現代社会の過酷な労働環境を支える『合法的な魔剤』。カフェインと糖分、そして各種ビタミンが、疲弊しきった彼らの脳髄を強烈に刺激した。

 死んだ魚のようだった文官たちの目に、ギラギラとした野生の光が宿る。

「よし! 全員起きましたね! では、大掃除(5S)と業務改善(BPR)を開始します!」

「「「おおおおおっ!!」」」

 カフェインでハイになった文官たちが、雄叫びを上げる。

「コハク! フロア中のゴミとホコリを吹き飛ばして!」

「まかせときー! 浄化のクリーン・ストーム!」

 子狐モードのコハクが尻尾を振ると、フロア中に散乱していた空き瓶や丸められたゴミ屑だけが、竜巻のように一箇所に集められ、窓の外へと排出されていく。

「次は書類の仕分けです! 皆さん、今持っている書類を『今日中に決裁が必要なもの(緊急かつ重要)』、『今週中でいいもの(重要)』、『それ以外』の三つに分けてください! 迷ったら『それ以外』の箱へ放り込むこと!」

 私はシステムで召喚した赤、青、黄色の巨大なプラスチックコンテナを並べ、ホワイトボードに『アイゼンハワー・マトリクス(緊急度と重要度の図)』を書き殴った。

 これまでの彼らは、届いた書類を「順番に」処理しようとしていたため、重要でない雑務に時間を取られ、緊急の決裁が雪崩に埋もれていたのだ。

「ヒ、ヒカリ殿! この『北部の魔石鉱山の採掘許可証』はどこに……!」

「それは最優先! 赤いコンテナです! あ、待って、その書類、羊皮紙を紐で縛ってるだけじゃないですか。バラバラになっちゃう!」

 私はさらにシステムでポイントを消費した。

【大容量クリアファイル(100枚セット)&強粘着インデックスシール:3,000P】

【魔法のガチャガチャン(大型ステープラー・芯1万回分):2,000P】

「この透明なクリアファイルに、関連書類を一つにまとめて挟んでください! そして、このシールに『案件名』を書いて上に貼る! バラバラの紙は、この道具ステープラーで端を挟んで押し込む!」

 ガチャン! という音と共に、分厚い書類が金属の芯で一瞬にして綴じられる。

「な、なんという魔法の道具だ……! これなら紙が散逸しないし、透明だから中身が一目でわかる!」

「シールで案件名が飛び出しているから、探す手間が全くかからないぞ!?」

 ギデオンをはじめとする文官たちは、現代の『ファイリング技術』の圧倒的な利便性に触れ、震え上がった。

 異世界では、書類は紐で縛るか、木箱に入れるのが普通だ。探す時は、いちいち紐を解いて中身を確認しなければならない。その「探す時間」が、どれほどの労働力を奪っていたことか。

「手を止めない! 一時間で終わらせますよ!」

 私の号令のもと、カフェインで覚醒した文官たちと、私の提供する現代のオフィス用品が見事に噛み合った。

 フロアを埋め尽くしていた書類の雪崩が、瞬く間に赤・青・黄のコンテナへと吸い込まれ、綺麗にファイリングされていく。

 そして――きっちり一時間後。

「……信じられん。床が見える……。あんなにあった書類の山が、たった三つの箱に収まってしまった……」

 ギデオンは、チリ一つ落ちていないピカピカの床と、美しく整頓されたコンテナを前に、腰から砕け落ちた。

 今日やらなければならない『赤いコンテナ』の書類は、全体のわずか二割に過ぎなかったのだ。残りの八割は、急ぎではない雑務や、すでに処理済みの書類が混ざっていただけだった。

「これで、今日やるべき仕事が『可視化』されました。あとは、赤いコンテナの書類をアレクセイ様に回すだけです」

 私が息をついて額の汗を拭うと、ギデオンは這いずるようにして私の足元にすがりついた。

「ヒカリ様ァァァッ! 先ほどの無礼、どうかお許しください! 貴女は、天が我々ヴァルトブルク公爵領に遣わした、実務の女神様です!」

「えっ、ちょ、ギデオンさん、鼻水が!」

「どうか、どうか私を貴女の一番弟子にしてください! あの透明な板と、ガチャンと鳴る魔法の道具の使い方を、一からご教授願いたい!」

 完全に平伏するギデオンの後ろで、他の文官たちも次々と私に向かって拝み始めた。

 どうやら、一時間で彼らの心を完全に掌握することに成功したようだ。

「ふっ……くくくっ、ははははは!」

 その光景を見て、背後に立っていたアレクセイが、突然腹を抱えて大笑いし始めた。

 氷の魔王と恐れられ、滅多に笑うことのない公爵の爆笑に、文官たちがギョッとして凍りつく。

「素晴らしい。我が領地の誇る頑固な古狸どもを、たった一時間で屈服させるとは。……ヒカリ、君は本当に恐ろしく、そして最高に魅力的な女性だ」

 アレクセイは私のそばに歩み寄ると、皆が見ている前で、私の手を取って手の甲に深く口付けをした。

 その瞳に宿る、隠しきれない熱情と所有欲。

 私は顔を真っ赤にしながら、「こ、これも西洋風の挨拶の一種よね……?」と、必死に自分に言い聞かせるしかなかった。

「さて、環境は整った。次は私と君で、この『赤いコンテナ』の書類を片付けるとしよう」

「はいっ! すぐにお茶とケーキ(おやつ)の準備をしますね!」

 ブラック職場からホワイト職場への第一歩。

 私の『最強バックオフィス・スローライフ』は、こうして公爵領の中枢を完全に掌握する形で、華々しいスタートを切ったのである。

読んでいただきありがとうございます。

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