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EP 7

移動の野営が過酷だと聞いたので、ポイントで極上グランピングを召喚します。公爵様の胃袋も完全に掴みました

 ガタゴトと、規則的な馬車の揺れが心地よい。

 辺境の村を出発し、ヴァルトブルク公爵領の中心都市――要塞都市イーゼングラードへと向かう道中。私たちは現在、なだらかな街道を北に向かってひた走っていた。

「ヒカリ、揺れは辛くないか? 少しペースを落とさせようか」

「いえ、大丈夫です。コハクのお腹がクッションみたいでフカフカなので」

 私の膝の上では、元の巨大な姿ではなく、抱き枕サイズに調整してくれた神獣のコハクが「きゅぅ……」と幸せそうに寝息を立てている。その背中を撫でながら答えると、向かいに座るアレクセイはホッとしたように息を吐いた。

「そうか、なら良い。だが……問題は今夜だ。このペースで進んでも、本邸に到着するのは明日の昼過ぎになる。今日は街道沿いの野営地で一晩を明かすことになるが……君のような女性には、少々過酷な環境かもしれない」

 申し訳なさそうに眉を下げるアレクセイ。

 彼の言葉に、護衛として馬車を並走させている側近の青年騎士、クラウスが窓越しに顔を覗かせた。

「閣下の仰る通りです、ヒカリ嬢。我々『黒鉄くろがねの騎士団』の野営は、それはもう質実剛健を極めておりまして……。食事はカチカチの干し肉と黒パンを水で流し込み、寝床は冷たい地面の上に薄い毛布一枚。これが基本です!」

「自慢気に言うことではないぞ、クラウス」

「しかし閣下! 我々は戦場を駆ける男たちです。野営に快適さを求めるなど、軟弱者のすること! ヒカリ嬢には申し訳ありませんが、今夜だけは我慢していただくしか……」

 熱く語るクラウスの言葉を聞きながら、私はスッと目を細めた。

「……なるほど。つまり、皆さんは『十分な休息』を取らずに、翌日の業務(護衛や移動)を行っているということですね?」

「え? は、はい。まあ、慣れればどうということは……」

「言語道断です」

 私のピシャリとした一言に、クラウスだけでなく、アレクセイまでもが肩をビクッと揺らした。

「いいですか。劣悪な環境での睡眠と栄養不足の食事は、翌日のパフォーマンスを平均で四十パーセントも低下させます。肉体疲労の蓄積は判断力を鈍らせ、いざという時のミスを誘発する。……過労で倒れたばかりのアレクセイ様なら、その恐ろしさは身をもって理解しているはずですよね?」

「うっ……。い、いや、それは……」

 前世のブラック企業では、「寝てない自慢」をする上司から順番に倒れていったものだ。休む時は徹底的に休む。それが一流のビジネスパーソン(裏方)の鉄則である。

「今夜の野営の段取りは、私が全て引き受けます。皆さんは私の指示に従ってください」

 私の静かな、しかし有無を言わせぬ圧に、王国最強の冷徹公爵とその側近は、ただコクコクと無言で頷くことしかできなかった。

 ***

 日が落ち、辺りが深い闇に包まれる頃。

 私たちは街道から少し外れた、森の開けた場所に馬車を止めた。

「さて、それじゃあ準備を始めましょうか」

「ヒカリ嬢、我々は何を手伝えば……?」

 困惑するクラウスたちをよそに、私は目の前の空間に【善行通販システム】のウィンドウを展開した。現在の残高は四十万ポイント以上あるが、無駄遣いは禁物だ。今回は『適正価格で最大の費用対効果』を狙う。

【極寒地対応・大型グランピングテント(防風・保温結界付き):5,000P】

【魔導ポータブルヒーター(無煙):1,500P】

【極厚エアーマットレス&高級羽毛布団セット×3:6,000P】

【特選・黒毛和牛すき焼き4人前セット(野菜・割り下・生卵・カセットコンロ付き):3,500P】

 合計、16,000ポイントの出費。

 購入ボタンを押した瞬間、ポンッ! という軽快な音と共に、何もない広場に巨大で頑丈そうなドーム型のテントが出現した。

「な、なんだこれはぁぁぁっ!?」

 クラウスが腰の剣を引き抜きかけ、アレクセイも目を丸くしている。

「私の……その、特別な魔法具マジックアイテムです。さあ、中に入ってください」

 恐る恐るテントの中に足を踏み入れた二人は、さらに絶句した。

 テントの中は魔導ヒーターによって春のように暖かく、床にはフカフカのラグが敷かれている。そして奥には、雲のように分厚いエアーマットレスと純白の羽毛布団が人数分並んでいた。

「ヒカリ……これは、王宮の貴賓室より快適なのではないか……?」

「これが野営……? 風の音も全く聞こえない……。俺の知っている野営と違う……」

 呆然とする二人をラグの上に座らせ、私は中央のローテーブルにカセットコンロを設置し、すき焼き鍋を火にかけた。

 牛脂を溶かし、美しいサシの入った薄切りの黒毛和牛を投入する。

 ジューッ! という暴力的な音と共に、肉の焼ける匂いがテント内に充満した。

「ふぉぉぉ……っ! 主、なんかヤバい匂いがする! 起きる! うち起きる!」

 匂いに釣られて、寝ていたコハクがパチリと目を覚まして尻尾を振る。

 そこに、特製の甘辛い割り下を一気に注ぎ込む。

 グツグツと煮え立つ音。醤油と砂糖、そして上質な牛肉の脂が溶け合った、抗いがたい極上の香りが爆発した。

「な、なんだこの香りは……っ! 唾液が、唾液が止まらん!」

「クラウス、落ち着け。騎士としての矜持を保て……ごくり」

 アレクセイも冷静を装っているが、視線は完全に鍋に釘付けになっている。

「はい、お肉が煮えましたよ。この生卵を溶いて、絡めて食べてください」

 私はそれぞれの小鉢に、熱々の牛肉とネギを取り分けた。

 アレクセイが震える手で箸(使い方は教えた)を持ち、肉を卵にくぐらせて口に運ぶ。

「――っ!!!」

 瞬間、アレクセイの青い瞳が見開かれ、時が止まったように硬直した。

 とろけるような肉の柔らかさ、濃厚な旨味、そして甘辛い味付けをまろやかに包み込む生卵のハーモニー。異世界には存在しない「日本のすき焼き」の破壊力が、彼の味覚を完全に制圧したのだ。

「う……うまい……。なんだこれは、噛む前に肉が溶けたぞ……っ! この甘くて深い味わいは……」

「うおおおおおっ! 閣下、これヤバいです! 美味すぎます! 俺、いま感動で泣いてます!」

 クラウスに至っては、文字通りボロボロと涙を流しながら肉を頬張っている。

「主! うちにも! お肉もっと!」

「はいはい、コハクも火傷しないようにね」

 うどんのシメまで完璧に平らげた後、満腹になった男たち(と一匹)は、エアーマットレスの上に倒れ込んだ。

「……信じられん。野営でこれほど美味い食事と、温かい寝床が得られるとは」

 羽毛布団に包まれながら、アレクセイがポツリとこぼす。

「しっかり休むのも、仕事のうちですから。これで明日は万全の状態で移動できますね」

「ああ……。ヒカリ、君は本当に不思議な女性だ。私の荒みきっていた生活に、突如として舞い降りた奇跡のように思える」

 アレクセイは少しだけ身を起こし、ランタンの柔らかな光の中で私を真っ直ぐに見つめた。

 その瞳の奥には、領主としての理性だけでなく、一人の男としての熱く深い『執着』が揺らめいているように見えた。

「私は、君を手放す気はない。……本邸に着いたら、君が最も働きやすい環境を、私の全権力を使って整えよう」

「ふふ、期待していますね。私も、アレクセイ様の領地を『最高のホワイト職場』にするために全力を尽くしますから」

 私が微笑み返すと、アレクセイは満足そうに目を閉じ、数分後には深く穏やかな寝息を立て始めた。

 長年の過労でボロボロだった彼の体が、ようやく本当の意味で休まった瞬間だった。

 ***

 翌日。

 極上の睡眠と栄養を摂取し、HP・MP共に120%まで回復したアレクセイとクラウスの指示により、馬車は驚異的なスピードで街道を駆け抜けた。

 そして昼過ぎには、ついに目的の地――ヴァルトブルク公爵領の本邸がそびえ立つ要塞都市『イーゼングラード』へと到着したのだ。

「わあ……凄い……!」

 馬車の窓から顔を出した私は、思わず歓声を上げた。

 雪を頂く巨大な山脈を背に、堅牢な城壁で囲まれた広大な都市。その中央には、白亜の美しい城(公爵邸)が荘厳な姿でそびえ立っている。

 王都の華やかさとは違う、北方の厳しい自然に耐えうる機能美と力強さを兼ね備えた、素晴らしい街並みだった。

「ヒカリ、我が領地へようこそ。これからここが、君の家になる」

「はい、ありがとうございます。とても綺麗な街ですね。あそこの一番大きな建物が、私が働く行政棟ですか?」

 私が城の隣に併設されている、巨大な執務棟を指差して尋ねると。

 アレクセイとクラウスの顔が、同時にサーッと青ざめた。

「あ、ああ。そうなのだが……」

「ヒカリ嬢、その……あまり期待はしないでください。あそこは現在、ちょっとした『野戦病院』のような状態になっておりまして……」

 二人の様子を不審に思いながら、馬車が行政棟の正面玄関に到着する。

 扉が開き、私たちが中に足を踏み入れた瞬間――私は、凄絶な光景を目の当たりにした。

「……ひぃっ、し、書類が……書類が終わらない……っ!」

「閣下はまだ戻られないのか!? この決裁が下りないと、北部の魔石鉱山の採掘が止まってしまうんだぞ!」

「誰か! 誰か胃薬のポーションを持ってこい! 財務長がまた泡を吹いて倒れたぞ!」

 広いフロアには、天井まで届きそうな書類の塔が乱立し、あちこちで雪崩を起こしている。

 その隙間を縫うように、目の下に真っ黒な隈を作った文官たちが、フラフラとゾンビのような足取りで歩き回っていた。床には丸められた羊皮紙や、空になったポーションの瓶が散乱している。

 ――そこは、完全に秩序が崩壊した、最悪の『ブラック職場』の成れの果てだった。

「……私の留守の間に、さらに状況が悪化しているな……」

 アレクセイが頭を抱えて呻く。

 しかし。

 絶望的な光景を前にして、私は恐怖するどころか、体の奥底から得体の知れない『闘志』が湧き上がってくるのを感じていた。

「ヒ、ヒカリ嬢? なぜそんなに、目をキラキラさせておられるのですか……?」

 クラウスが怯えたような声を上げる。

「クラウスさん。私、気づいてしまったんです」

「は、はい?」

「私の特技は『業務の効率化』と『環境の改善』です。でも、最初から完璧な職場では、私の腕を振るう余地がないじゃないですか」

 私は両手の指をポキポキと鳴らし、ニヤリと笑った。

「これだけグチャグチャに散らかった地獄のような職場を、私の手でピカピカの『超絶ホワイト環境』に作り変える……。ふふっ、なんだかワクワクしてきちゃいました!」

 前世で培った事務員の矜持と、【善行通販システム】の力。

 その全てを注ぎ込んで、この公爵領のバックオフィスを世界最強の組織に作り変えてみせる。

「さあアレクセイ様、クラウスさん! まずは全職員を集めてください。大掃除と、大規模な『業務フローの見直し(BPR)』を始めますよ!」

 公爵領の文官たちが、後に『革命』と呼ぶことになる恐怖と歓喜の業務改革が、今まさに幕を開けようとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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