EP 4
王都の業務をマッハで終わらせ極秘帰還した過保護CEOは、有能すぎる婚約者の姿に独占欲と敬意を限界突破させます
その頃、王都。
王宮の奥深くに位置する、財務省の特別監査室は、物理的に文字通りの『氷点下』となっていた。
「……遅い。ローゼンベルク侯爵家の資産差し押さえの手続きに、なぜ三日もかかる。その程度のデューデリジェンス(資産査定)、我がヴァルトブルク公爵家の法務部であれば三時間で終わらせるぞ」
「ひぃぃっ! も、申し訳ございません、公爵閣下ぁぁっ!」
部屋の中心に置かれた最高級のソファに深く腰掛け、絶対零度の威圧感を放っているのは、我が社の過保護CEOこと、アレクセイ・フォン・ヴァルトブルク公爵その人であった。
彼の周囲には、王都のエリート官僚たちが青ざめた顔で書類の山を抱え、ガタガタと震えながら走り回っている。
「私は今、一秒でも早くあの愛おしい婚約者の元へ帰りたいのだ。私が不在の間に、彼女が働きすぎて倒れていないか、あるいはどこかの不埒な虫が彼女に近づいていないか……想像するだけで、この王宮ごと氷河期に沈めてしまいたくなる」
ピキィィィンッ!
アレクセイ様が苛立ちと共に指先をテーブルに叩きつけると、分厚いマホガニーの机が一瞬にして凍りつき、官僚たちが悲鳴を上げた。
「あ、あと一時間! あと一時間で全ての法的手続きを完了させますぅぅっ!!」
「よろしい。ならばその一時間を『十五分』に短縮しろ。……できないとは言わせないぞ」
ブラック企業の鬼上司も裸足で逃げ出すほどの、超絶理不尽なトップダウン命令(マイルストーンの前倒し)。
しかし、氷の魔王の命に逆らえる者など王宮にいるはずもなく。
本来ならば数週間はかかるはずの事後処理(敵対勢力の完全解体と国王への報告)を、アレクセイ様は自らの圧倒的な権力と魔力によって、出張からわずか二日目の夜に全て完了させてしまったのである。
「……待っていろ、私のヒカリ。今すぐ君の元へ帰る」
書類の束に最後のサイン(承認)を叩きつけたアレクセイ様は、そのまま王宮のバルコニーから夜空へと飛び立ち、公爵軍の馬車すら待たずに、単身『転移魔法』と『飛翔魔法』を限界まで重ね掛けして、南部の辺境へとマッハの速度で帰還の途についたのだった。
***
そして、深夜のポポロ村。
村はすでに寝静まり、静寂に包まれていた。
アレクセイ様は、ヒカリのオフィスから少し離れた森の中に、音もなく舞い降りた。
周囲には、彼自身が出発前に展開した『絶対零度の防衛結界』が青白い光を放っている。当然、結界のマスターである彼は何の影響も受けずに、その内側へと足を踏み入れた。
(……こんな深夜だ。私のヒカリは、きっと仕事の疲れでベッドで愛らしい寝息を立てているだろう。まずは寝顔を見て、この数日間の欠乏症を補給せねば)
アレクセイ様は、足音一つ立てずにオフィスの窓辺へと近づいた。
しかし、彼の予想に反して、オフィスの執務室にはまだ煌々と明かりが灯っていた。
(……まだ残業しているのか!? だからあれほど無理はするなと……!)
過保護なCEOとして、すぐさま窓をぶち破って労働基準監督署(物理)の如く乱入し、彼女をベッドへ強制連行しようとした彼だったが――。
窓越しに見えた『愛しい婚約者の姿』に、ピタリと動きを止めた。
「ふふふ……。完璧です。この『裏帳簿』の数字と、我が社の『新商品発表会』という舞台を掛け合わせれば、ゴルドの逃げ道は完全に塞がれます」
執務室の中心。
ヒカリは、疲れ果てるどころか、最高に生き生きとした不敵な笑みを浮かべ、巨大なホワイトボードに何やら緻密な図表(プレゼン資料)を書き込んでいた。
「ヒカリちゃん、こっちの『横領リスト』のまとめも終わったよ! いやー、あいつ、ギルドの金をちょろまかして自分の愛人に屋敷まで買ってたんだね。クズの極みだよ!」
「きゅいっ! ボクが見つけた隠し金庫の証拠、バッチリ役に立ってるのですよー!」
キャルルとコハクが、山積みの書類(証拠品)を前にして楽しそうに笑っている。
ヒカリは羽ペンを指揮棒のように振りかざし、毅然とした声で宣言した。
「ええ! 彼が私に『利益の7割を上納しろ』などという下劣なオファー(独占禁止法違反)を出してきた時点で、彼の命運は尽きていました! 明後日の新商品発表会……そこに招待した南部の全貴族と大商人の前で、この完璧な監査報告(死刑宣告)を突きつけ、彼を社会的に完全に抹殺(退場)させます!」
「おおーっ! ヒカリちゃん、かっこいいー!」
「徹底的な『ロジカル・ざまぁ』ですね! 私の事業を邪魔する悪徳企業には、容赦しませんよ!」
窓の外からその光景(会議)を覗き見ていたアレクセイ様は、驚きに目を見開き、やがて――口元を手で覆い、肩を震わせて笑い始めた。
(……くっ、ふはははっ! なんだ……なんだ、あの最高に美しく、恐ろしい生き物は)
アレクセイ様の胸の奥で、常軌を逸した歓喜と、途方もない愛情が爆発していた。
普通の貴族の令嬢であれば、ギルドの幹部から不当な圧力をかけられた時点で、泣き寝入りするか、あるいは権力者である婚約者に泣きついて助けを求めるだろう。
実際、アレクセイ様はヒカリから「助けてほしい」と頼まれることを、心のどこかで期待していた部分もあった。彼女を自らの力で守り、甘やかすことこそが、彼の喜びでもあったからだ。
だが、彼の愛した女性は違った。
自分に頼るどころか、仲間たちを的確に指揮して独自ルートで証拠(裏帳簿)を掴み、さらには自らの新商品発表会を『公開処刑の舞台』に設定するという、冷徹で完璧なカウンター戦略を構築していたのだ。
(……彼女は、私という『絶対的な武力』を必要としていない。自らの頭脳と手腕だけで、理不尽な悪意を完膚なきまでに叩き潰そうとしている)
窓ガラス越しに見つめるヒカリの横顔は、知性と自信に満ち溢れ、星空よりも眩しく輝いていた。
アレクセイ様は、自らの内にあった『彼女を守りたい、庇護下に置きたい』という独占欲が、全く別の形へと昇華していくのを感じていた。
「……ああ、本当に。私の目は狂っていなかった。君こそが、私の全てを懸けるに相応しい、唯一無二のパートナー(共同経営者)だ」
アレクセイ様は窓ガラスにそっと手を触れ、熱のこもった瞳でヒカリを見つめた。
今すぐ踏み込んで、彼女をきつく抱きしめ、その完璧な唇を塞ぎたい衝動に駆られる。
しかし、氷の魔王としての『美学』が、彼をその場に留まらせた。
(……いや、今私が姿を現せば、彼女のこの完璧な『舞台』の邪魔になる。……彼女が自らの力で勝利を掴み取る、その最も輝かしい瞬間を、特等席で見届けようではないか)
過保護なヒーローは、ただ愛する女を守るだけではない。
彼女の能力を誰よりも信じ、彼女が最も輝く場所を用意し、そして――万が一の事態に備えた『最後の絶対的な防壁』として控えること。
それこそが、究極の溺愛であり、最大の敬意なのだ。
「存分に踊るがいい、私のヒカリ。……君がその美しい手で悪党に引導を渡す時、私が最大の喝采を送ろう」
アレクセイ様は、深い愛情と敬意に満ちた笑みを浮かべると、ヒカリに気づかれることなく、再び夜の闇へと姿を消した。
彼はポポロ村の迎賓館の最上階に密かに陣取り、明後日に迫った『新商品発表会』での、自らの婚約者による華麗なる反撃を、心待ちにするのだった。
かくして、過保護CEOの『極秘帰還』により、ヒカリの背後には本人も気づかぬうちに、世界最強の安全保障が敷かれたのである。




