EP 2
過保護CEOの過剰な出張準備と、マッハで結成された最強の新規事業(女子会)プロジェクト
翌朝。
ポポロ村の直轄事業所の入り口前には、王都へと向かうための豪奢な馬車が横付けされていた。
「ヒカリ……本当に、私が行かなければならないのか?」
王都での事後処理(主にローゼンベルク侯爵家の残党狩りと、国王への事後報告)に向かうため、完璧な漆黒の外套を纏ったアレクセイ様が、まるで捨てられた大型犬のような、ひどく未練がましい瞳で私を見下ろしていた。
「社長。これは公爵家トップとしての重要なデューデリジェンス(事後監査)です。私が行くわけにはいきません」
「しかし、君を数日とはいえ、私の目の届かないこの辺境に置いていくなど……。万が一、君に不埒な輩が近づいてきたらと思うと、出張を全てキャンセルして、君を寝室に閉じ込めておきたくなる」
「スケジュール管理は社会人の基本です! それに、ここはもう完全に我が社のテリトリー(直轄地)ですから、安全は確保されています!」
私が宥めるように言うと、アレクセイ様は深くため息をつき、美しい指先をパチンと鳴らした。
――ピキィィィィンッ!!
瞬間、オフィスの建物を中心に、半径五十メートルほどの地面に巨大な魔法陣が浮かび上がり、目も眩むような青白い冷気がドーム状に展開された。
「……念のため、オフィスと君の私室の周囲に『絶対零度の防衛結界』を多重展開しておいた。これで、君に対して少しでも害意を持った者が半径五十メートル以内に侵入した場合、対象は瞬時に氷のオブジェ(完全凍結)と化す」
「社長!? それ、宅配業者(郵便屋)さんや、打ち合わせに来る村長さんまで凍りつく仕様になっていませんか!?」
「問題ない。私の『承認リスト』に入っている領民は素通りできる。……だが、見知らぬ男が君に近づくことは、物理的に不可能になった」
アレクセイ様は満足げに頷くと、抗議しようとした私の腰を強引に引き寄せた。
「ひゃっ……」
不意を突かれ、彼の広い胸にすっぽりと収まってしまう。
周囲には、出張のお供をする公爵軍の騎士たちや、お見送りに来た村人たちが大勢いるというのに。
「しゃ、社長、皆が見て……んっ……」
私の抗議の言葉は、ふわりと落ちてきた冷たくて甘い唇によって、あっさりと塞がれてしまった。
触れ合うだけのキスではない。彼の手が私の後頭部を優しくホールドし、逃げ場を奪うように、深く、そして執拗に唇を重ねてくる。
彼の外套から漂う上質なシガーと冷涼なミントの香りが私の肺を満たし、頭の奥がクラクラと痺れ始めた。
(あ、ああ……また、こんな白昼堂々とコンプライアンス違反(公開キス)を……っ!)
私が彼の胸板をトントンと叩いて抵抗の意思(微弱)を示すと、彼は名残惜しそうに唇を離し、私の耳元で熱く囁いた。
「……私のヒカリ。君に手を出そうとする愚か者はいないと信じているが、君自身が働きすぎて倒れる(労災)ことだけが心配だ。……愛している。マッハで王都の有象無象を片付け、君の元へ帰るからな」
「……っ! い、いってらっしゃいませ、社長……!」
私が顔を真っ赤にして茹でダコ状態になっているのを見て、アレクセイ様は酷く嬉しそうに微笑み、ようやく馬車へと乗り込んでいった。
土煙を上げて遠ざかる馬車を見送りながら、私は熱を持った頬を両手でパタパタと仰いだ。
(……過保護すぎます。それに、あんな甘い顔を残していかれたら、仕事のモチベーション(やる気)が変な方向にカンストしてしまうじゃないですか……!)
私は気合を入れ直すため、両手で自らの頬をパンッと叩いた。
「よし! 過保護CEO(アレクセイ様)の監視の目が届かない、この数日間が勝負です! やりますよ!」
――バァァァァンッ!!
私が気合を入れた瞬間、オフィスの裏口の扉がマッハの速度で吹き飛ばされた(物理)。
「ヒカリちゃぁぁぁん!! 社長、行った!? 完全に行った!? やったー! アタシたちの自由時間だー!!」
「きゅいーっ! 社長の重苦しいヤンデレオーラが消えたのですよー! 息がしやすいのですよー!」
紫電の雷光と共に飛び込んできた特任隊長のキャルルさんと、彼女の頭の上で尻尾を振り回すコハク。
二人は私のデスクの前に陣取ると、目をキラキラさせて身を乗り出してきた。
「で! ヒカリちゃん! さっき言ってた『最強の新規事業』って何!? アタシ、社長がいない間に一暴れしたくてウズウズしてるんだけど!」
「ふふふ。よくぞ集まってくれました、我が社の誇るエリート社員(最強の仲間)たち」
私はデスクの引き出しから、昨日徹夜で書き上げた分厚い『事業計画書』と、大きなホワイトボードを取り出した。
「今回、私たちが立ち上げる新規事業。それは……『ポポロ村発・最高級魔法スキンケアブランド』の設立です!」
私がホワイトボードにデカデカと文字を書き込むと、キャルルさんのウサギ耳がピーンッと真っ直ぐに立ち上がった。
「す、スキンケア!? それってつまり、化粧品ってこと!?」
「その通りです。キャルルさん、王都の貴族令嬢たちが普段使っている『おしろい』や『化粧水』の成分をご存知ですか?」
「えーっと……確か、西の鉱山で採れる白い粉(鉛)とか、香りの強い花の油をそのまま顔に塗りたくってるって聞いたことあるけど。アタシたち獣人は肌が荒れるから絶対に使わないよ」
「正解です。それらは長期的に使用すると、肌を白くするどころか、色素沈着や健康被害(鉛中毒)を引き起こす粗悪品(コンプライアンス違反商品)です。……しかし、美容に命を懸ける貴族の女性たちは、他に選択肢がないため、それに莫大な資金を投じている。完全に『需要と供給のアンバランス』が起きている市場なのです」
私はコンサルタントとしてのスイッチを完全にオンにし、熱弁を振るった。
「そこで! 私たちはこのポポロ村の豊かな魔力土壌で育った『薬草』と、コハクの『浄化魔法』、そしてキャルルさんの『超高速抽出技術』を掛け合わせ、無毒で、肌の奥深くまで浸透し、圧倒的な美肌効果をもたらす『魔法化粧水(ブルーオーシャン商品)』を開発します!」
「うおおおっ!! それ、絶対売れる!! ていうか、アタシも使いたい!!」
「きゅいっ! 女の子を可愛くするお仕事なのですね! ボクも手伝うのですよ!」
私のプレゼン(企画発表)に、キャルルさんとコハクは両手を挙げて大賛成してくれた。
こうして、過保護CEOが不在のオフィスは、一瞬にして熱気あふれる『新規事業(R&D)部門の開発ラボ』へと変貌を遂げたのである。
***
数時間後。
オフィスの中心には、大きなすり鉢と、色とりどりの薬草、そして澄み切った魔力水の入ったビーカーが並べられていた。
「ヒカリ! 南の森の奥で『月雫草』と『星屑の苔』を大量に採ってきたのですよ! これ、すごくお肌に良い成分(魔力)が含まれているのですよ!」
コハクが、神獣の機動力を駆使して、レアな薬草をどっさりとデスクに積み上げる。
「素晴らしい調達能力です、コハク! 現代日本の美容液で言えば、ヒアルロン酸とセラミドに匹敵する超・高保湿成分ですね!」
私は薬草を手に取り、成分を分析しながら指示を飛ばす。
「キャルルさん! この『月雫草』のエキスを、熱を加えずに抽出してください! 熱で魔力成分が破壊されるのを防ぐため、コールドプレス製法(低温圧搾)でお願いします!」
「任せてッ! アタシの『マッハ・マドル(超高速すり潰し)』の出番だね!!」
シュババババババッ!!!
キャルルさんの両手が完全にブレて見えなくなった。
凄まじい速度ですりこぎが回転し、薬草から一滴の無駄もなく、濃厚でキラキラと輝く翠色のエキスが抽出されていく。
通常なら半日かかる抽出作業が、わずか三秒で完了した。圧倒的な労働生産性の高さである。
「ヒカリちゃん、抽出完了! 次は!?」
「そこに、ポポロ村の湧き水(魔力水)をベースに加え、オイル成分と水分を完全に分離しないように混ぜ合わせます! 乳化作業です! マッハの回転力で、成分をナノレベルまで攪拌してください!」
「オッケー! 『マッハ・エマルジョン(超高速乳化)』いくよぉぉぉっ!!」
ギュイィィィィンッ!!
もはやミキサーを超越したキャルルさんの超絶技巧により、ビーカーの中の液体が美しい乳白色へと変化していく。
「よし……! 最後に、コハクの『浄化魔法』で微細な不純物を取り除き、香りを整えて……完成です!!」
私は、ビーカーの中でとろりと輝く『試作品第一号(プロトタイプA)』を高く掲げた。
ほんのりと月の光を思わせる輝きを放ち、爽やかなハーブと柑橘系の香りがオフィスに広がる。
「やったー! 完成したー!!」
「きゅいーっ! すっごくいい匂いなのですよ!」
私たちは女子高生のようにはしゃぎながら、ハイタッチを交わした。
(※コハクは肉球で参加)
「さっそく、パッチテスト(効果検証)を行ってみましょう。キャルルさん、手の甲を出してください」
「うん!」
私はスポイトで数滴の『魔法化粧水』を吸い上げ、キャルルさんの日焼けした手の甲にポトリと落とし、優しく馴染ませた。
――その瞬間。
「う、嘘でしょ……!?」
キャルルさんが目を丸くして叫んだ。
化粧水が肌に触れた途端、まるで砂漠が水を吸い込むようにスーッと浸透していったのだ。
そして、数秒後。キャルルさんの手の甲は、まるでゆで卵の薄皮を剥いたように、透き通るような白さと、内側から発光するような極上のツヤ(ハリ)を取り戻していた。
「す、すごい……! アタシの剣ダコや日焼けが、一瞬でツルッツルに! なにこれ、ヒカリちゃん、天才!? これなら王都の貴族女どもが、金貨の山を積んででも買いにくるよ!!」
「フフフ……。PDCAサイクル(計画・実行・評価・改善)をマッハで回した結果です。品質は、私のコンサルタントとしての名にかけて保証します」
私はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「これで製品の中身は完成しました。あとは、これを大量生産し、貴族令嬢たちの元へ届けるための『パッケージ(容器)』と『流通網』の確保ですね」
私はホワイトボードの『課題』の欄にペンを走らせた。
「この魔法化粧水の成分を劣化させずに保存するには、特殊な『魔法ガラスの小瓶』が必要です。……南部商業ギルドを通じて、ガラス工房に大量発注をかけましょう」
この時の私は、まだ気づいていなかった。
この『南部商業ギルドへの発注』というアクションが、私を快く思わない悪徳商人(ざまぁ対象)との、真っ向からのビジネス・バトル(全面戦争)の引き金になるということに。
過保護CEOが不在の平和な(?)オフィスで、最高のプロジェクトチームによる新商品開発は、こうして完璧なスタートダッシュを切ったのである。
読んでいただきありがとうございます。
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