第五章 過保護なCEOが出張で不在の隙に新規事業を立ち上げたら、独占欲をこじらせてマッハで帰ってきました
婚約者という名の新たな役職と、ブルーオーシャン(美容市場)への新規参入
王都の大舞踏会場をパニックに陥れた『ヴァルトブルク公爵閣下の婚約発表(所有権の公開宣言)』から、数日が経過した。
悪徳競合他社であったローゼンベルク侯爵家の解体・吸収(M&A)もスムーズに完了し、私は本来の職場である南部の直轄事業所(ポポロ村)での日常業務へと戻っていた。
――戻っていたはず、だったのだが。
「ヒッ、ヒカリ様! どうかそのお手を止めてくださいませ! そのような泥に塗れた魔導具の点検など、公爵閣下の婚約者様がなさるお仕事ではございませんっ!」
私が村の農地開拓エリアで、魔導トラクターの出力調整を行おうとした瞬間、村長をはじめとする村人たちが血相を変えて飛んできた。
彼らは私の足元にふかふかの絨毯を敷き、頭上には日傘を掲げ、まるで壊れ物のガラス細工か、あるいは国宝級の芸術品でも扱うかのように、私を遠巻きにしてひれ伏している。
「村長さん、落ち着いてください。これは私のコンサルタントとしての現場視察です。それに、魔力回路の最適化は私にしか――」
「滅相もございません! もしヒカリ様のその白魚のような美しいお指に、傷一つでもついてみてください! 我々はアレクセイ様によって、村ごと永久凍土に沈められてしまいますぅぅっ!」
「…………」
私は手に持っていたスパナをそっと置き、深い、深いため息をついた。
これが、ここ数日の私の労働環境である。
アレクセイ様があの夜、全会衆の前で放った『彼女に指一本でも触れようとするオスがいれば、一族郎党、領地ごと永久凍土の底へ沈める』というコンプライアンス無視の脅迫(ヤンデレ宣言)。
その噂は、王都の貴族社会だけでなく、我が社の領地全域にマッハの速度で知れ渡っていた。
結果として、ポポロ村の住民たちは私を『絶対に機嫌を損ねてはならない超VIP』として扱い始め、私が少しでも肉体労働(現場仕事)をしようものなら、全力で阻止してくるようになってしまったのだ。
「……完全に、組織のボトルネック(生産性低下の原因)になっていますね」
私はオフィスの自席に戻り、誰もいなくなった部屋でこめかみを揉みほぐした。
誰も私に仕事を振ってくれない。書類仕事ですら「ペンを握り続けると肩が凝るから」と、部下たちが勝手に処理しようとする始末だ。
『公爵の婚約者』という新たな役職は、私から現場の裁量権を奪い、単なるお飾りの『マスコットキャラクター』へと私を押し込めようとしていた。
「きゅぅ……。ヒカリ、暇そうなのですよ。一緒にお昼寝するのですよ?」
デスクの上で丸くなっていたコハクが、九本の尻尾をゆらゆらと揺らしてすり寄ってくる。
「暇ではありません。これは深刻なアイドリング・タイム(待機時間)です。私の市場価値が腐ってしまいます……」
「ならば、その有り余る時間を、私への愛を囁くために使ってみてはどうだ?」
ガチャリ、とオフィスの扉が開き、背後からひどく甘く、低く響くバリトンボイスが降ってきた。
「しゃ、社長!」
振り返るよりも早く、私の背後から大きな体が覆い被さってくる。
アレクセイ様は私の椅子ごと私を抱き込むようにして、うなじに熱い吐息を落とした。今日も彼の顔面偏差値は、カンスト状態だ。
「どうした、私の可愛い共同経営者。眉間に恐ろしいシワが寄っているぞ。私が与えた『婚約者』というポストに、何か不満でもあるのか?」
「大ありです!」
私はアレクセイ様の腕の中で抗議の声を上げた。
「社長があんな過激な通達(ヤンデレ宣言)を出すから、村の人たちが私を腫れ物扱いするんです! 誰も私に現場の仕事をさせてくれません。このままでは、私はただ社長の隣で微笑むだけの、無能な『お飾り』になってしまいます!」
私が不満をぶつけると、アレクセイ様は怒るどころか、とても楽しそうに喉の奥で「ふはっ」と笑い声を漏らした。
彼は私の椅子をくるりと回転させ、私と真正面から向き合う形になる。
「……ヒカリ。君は本当に、ワーカホリック(仕事中毒)だな」
「コンサルタントですから」
「私が君を婚約者に選んだのは、君に大人しく着飾って、私の庇護下で鳥籠の鳥になってほしいからではない。……いや、本音を言えば寝室ではそうして物理的に囲い込みたい欲求もあるが」
「セクハラ発言は議事録から削除します」
私の冷たいツッコミに苦笑しつつ、アレクセイ様はスッと真剣な、しかし底知れぬ愛情を帯びた瞳で私を見つめた。
「君は、私の共同経営者だ。私の隣に立ち、私の財力を思う存分に使い倒し、この世界に君の価値を知らしめてほしいからこそ、あの宣言をした」
「……社長」
「周囲が勝手に君を『お飾り』だと誤認しているなら、そのくだらない先入観を、君自身の手腕で完膚なきまでに叩き壊せばいい。……君なら、できるだろう?」
アレクセイ様の大きな手が、私の頬を優しく包み込む。
彼のその言葉には、私という人間の能力に対する『絶対的な信頼』が込められていた。ただ甘やかし、守るだけのヒーローではない。彼は私の『戦う姿』を愛してくれているのだ。
「……ええ。おっしゃる通りです。コンサルタントたるもの、与えられた環境(逆境)を言い訳にしては三流ですね」
私はピンと背筋を伸ばし、仮面の下……いや、今は素顔のまま、不敵な営業スマイルを浮かべた。
アレクセイ様は満足げに頷き、私の唇に軽く、しかし甘い独占欲を込めたバードキスを落とす。
「良い顔だ。……私は明日から数日、王都へ事後処理(出張)に向かう。私が不在の間、存分に暴れておけ」
「はい。社長の資産(予算)を盛大に活用させていただきますね」
***
アレクセイ様が自室へと戻った後。
私はオフィスのデスクに座り、白紙の事業計画書を前にして猛烈な勢いで脳を回転させていた。
「周囲の先入観を壊す……。私が単なる『運の良い平民上がりのお飾り』ではないと証明するための、新規事業……」
ヒントは、あの仮面舞踏会での出来事の中に隠されているはずだ。
私は当時の状況を洗い出した。
あの夜、王都の貴族たちが私に向けた視線。エルヴィラが激怒した理由。
『あなたが……ヒカリ……? あの、土埃まみれの平民女が……こんな、こんな神々しいほど美しいなんて……っ』
エルヴィラは、私の『美貌』に対して完全に戦意を喪失していた。
キャルルさんのスタイリングと、コハクの魔法、そして【善行通販システム】の化粧品が生み出した、極上の肌ツヤとオーラ。
現在、王都の貴族令嬢たちの間では、「あの氷の魔王を射止めた『星空の淑女(私)』が、普段どんな美容法を実践しているのか」という話題で持ちきりらしいのだ。
「……これです!」
私はバチンッと指を鳴らした。
「この世界の貴族女性たちは、美容に対して莫大な資金(予算)を投じています。しかし、出回っている化粧品の多くは、鉛などの有害物質を含んだ粗悪品ばかり」
「きゅ? ヒカリ、なんだか悪い顔をしているのですよ」
「コハク。ポポロ村の豊かな土壌(魔力)で栽培した薬草をベースに、私の知識(現代日本のスキンケア理論)を掛け合わせれば……安全で、かつ劇的な効果をもたらす『魔法化粧品』を開発できるはずです!」
私は羽ペンを握りしめ、ガリガリと事業計画書を書き殴り始めた。
【新規事業計画書】
プロジェクト名: ポポロ村発・最高級魔法スキンケアブランド設立
ターゲット層(顧客): 王都および周辺諸国の富裕層・貴族令嬢
強み(コア・コンピタンス): 「氷の魔王の婚約者が愛用する極秘レシピ」という圧倒的ブランド力(権威性)
市場環境: 競合他社は粗悪品のみ。完全なる『ブルーオーシャン(未開拓市場)』!
「フフフ……。ただの農業や物流網の構築だけでは、男社会の商人たちはまだ私を舐めてかかってきます。ならば、女性たちの圧倒的な支持(購買力)を味方につけ、経済の根幹から市場を支配してやろうじゃありませんか!」
私が『公爵の婚約者』という自らの役職を最大限に悪用……もとい、活用するビジネスモデルを完成させた瞬間である。
「よし! コハク、すぐに特任隊長のキャルルさんを呼び出してください! 社長が出張で不在のこの数日間が勝負です。最速で試作品を完成させ、最強のプロジェクトチームを結成しますよ!」
「きゅいーっ! 了解なのですよ! 面白そうな匂いがプンプンするのですよー!」
過保護なCEOの強すぎる愛は、私のコンサルタントとしてのビジネス魂に、完全に火をつけた。
王都の美容市場を根底から覆す、前代未聞の『スキンケア革命(新規事業)』が、今、この辺境の村から産声を上げようとしていた。
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