EP 6
残業代という名の密室面談(ご褒美)は、過保護CEOの独占欲を限界まで満たします
大舞踏会場での、氷の魔王による『所有権(婚約者)の公開宣言』。
数百人の王都の貴族たちが呆然と平伏する中、私はアレクセイ様に軽々とお姫様抱っこされたまま、王宮の長い廊下を運ばれていた。
「しゃ、社長……っ! もう誰も見ていません、どうか下ろしてください! 自立歩行は可能です!」
私はアレクセイ様の首に腕を回したまま、真っ赤になった顔を彼の胸板に押し付けて抗議した。
しかし、我が社の過保護CEOの腕は、私を絶対に逃がさないと言わんばかりに、ガッチリと私の腰と膝裏をホールドしている。
「却下だ。君は先ほどの暴風(物理攻撃)で疲労しているはずだ。労災を防ぐための、これは『適切な安全配慮義務』だ」
「暴風は社長が指パッチン一つで凍らせたじゃないですか! 私のHP(体力)は1ミリも減っていません!」
私がビジネス用語で反論を試みるも、アレクセイ様は涼しい顔で王宮の最奥、最も警備が厳重なVIP専用の控室の前で足を止めた。
「お疲れ様ッス、社長! ヒカリちゃん!」
そこには、マッハの速度で先回りしていた特任隊長のキャルルさんと、彼女の頭の上に乗ったコハクが、敬礼のポーズで待ち構えていた。
「あの縦ロール女とその取り巻きは、王宮の近衛騎士団に『不法な魔道具の使用』および『公爵家へのテロ行為未遂』として引き渡してきたよ! 実家のローゼンベルク侯爵家にも、明日朝イチで監査が入る手はずになってるから、もう完全に終了だね!」
「きゅいっ! ヒカリに手を出したアホな女の末路なのですよ! さあさあ、社長、あとはゆっくりと『事後処理』に入るのですよ。ここの扉はボクたちが死守するのですよ!」
コハクがニヤニヤと笑いながら、肉球でパシッとVIP室の扉を開けた。
「……ご苦労。特別ボーナスを支給しよう」
アレクセイ様は満足げに頷くと、私を抱きかかえたまま室内へと足を踏み入れた。
直後、バタンッ!という音と共に扉が閉められ、アレクセイ様が背後を見ずに指を弾く。
ピキィィィンッ!!
扉の鍵穴から周囲の壁面にかけて、分厚い絶対零度の氷が張り巡らされ、完全な『物理的ロック(密室)』が完成した。
(あ、あああ……。終わりました。退路が完全に断たれました……)
最高級のベルベットが張られた長椅子の上に、私はとても優しく、壊れ物を扱うような手つきで下ろされた。
ふかふかのクッションに沈み込む私の前に、アレクセイ様がゆっくりと膝をつく。彼は夜会服の襟元を少し緩め、黒革の手袋を指先で優雅に引き抜いた。
「さて、ヒカリ。……今夜の『業務』についての、振り返り面談を始めようか」
ひどく甘く、そして逃げ場のないバリトンボイス。
仮面を外した彼の素顔は、王宮のシャンデリアの光よりも眩しく、そして獲物を追い詰めた捕食者のような熱を帯びていた。
「ま、待ってください社長! 振り返りの前に、あの会場での『婚約者宣言』は一体何事ですか!? あんな重大な契約(ステータス変更)、事前の稟議もMOU(基本合意書)の締結も経ていませんよ! 私の市場価値(株価)がストップ高になって、今後のコンサル業務に支障が……っ!」
「支障など出ない」
私の抗議の言葉は、ソファの背もたれにドンッと手をついたアレクセイ様の『ソファ・ドン』によって、強制的に遮断された。
「君は、我がヴァルトブルクの『共同経営者』だ。私が全資産と全魔力を懸けて君を守り、君のやりたい事業に無限の資本を提供する。……これほど君にとって条件の良い『終身雇用契約』は、他にはないはずだが?」
「それは……っ、確かに、条件としては破格すぎますが……!」
「それに」
アレクセイ様の大きな手が、私の解けた髪を優しく梳き、そのまま私の熱い頬をそっと包み込んだ。
彼の指先は氷の魔力を持つはずなのに、今は火傷しそうなほどに熱い。
「君は先ほど、夜のバルコニーで……私以外の『謎の紳士』に向かって、機密情報(本音)を漏洩したな?」
ビクッ!と、私の肩が大きく跳ねた。
『彼のあの過保護な囲い込み(ヤンデレ包囲網)に、私自身、少し甘えてしまっている部分があります』
『私が本当にピンチの時は、絶対に駆けつけて守ってくれる。世界で最も安心できる防壁なんです』
先ほど、私が口走ってしまった数々の『デレ(NDA違反)』が、脳内にフラッシュバックする。
顔から火が出るどころか、大噴火を起こしそうだ。
「あ、あれは……っ! 違うんです、アルコールのせいで判断力が低下していて……!」
「君が飲んでいたのは、私が手配したノンアルコールのフルーツウォーターだ」
「うっ……! で、では、巧みな誘導尋問による失言です! 証拠能力はありません!」
必死に論点ずらしを図る私を見て、アレクセイ様は喉の奥で「ふはっ」と低く、心底嬉しそうな笑い声を漏らした。
「君のその、照れ隠しでビジネス用語を並べ立てる癖も……本当に、狂おしいほど愛おしい」
アレクセイ様の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
長い睫毛に縁取られた青い瞳が、私という存在を丸ごと飲み込んでしまいそうなほどの強い執着と、途方もない愛情に満ちていた。
「……っ」
私は目をぎゅっと瞑り、ソファのクッションを両手で強く握りしめた。
チュッ、と。
柔らかな感触が、私の額に落ちた。
続いて、目尻に。そして、熱を持った頬に。
「ひゃっ……しゃ、社長……」
「アレクセイだ。今は業務時間外だろう?」
彼が私の耳元で囁くたびに、甘いシガーとミントの香りが脳を揺さぶり、私の理性が音を立てて崩れていくのが分かった。
「君が、私の過保護を『安心できる防壁』だと受け入れてくれていたこと。……あの言葉を聞いた瞬間、私がどれほど歓喜に震え、理性を総動員して君を押し倒すのを我慢したか、君には分かるまい」
アレクセイ様の唇が、私のうなじをかすめる。
背筋にゾクゾクとするような甘い電流が走り、私は思わず「あっ」と小さく情けない声を漏らしてしまった。
「私は強欲だ、ヒカリ。一度君を手に入れたら、絶対に手放さない。君がどれほど優秀なコンサルタントであっても、他の男の元へ行くことは許さない。……君の未来、君の知識、君の笑顔、その全てを私が独占(買収)する」
それは、ヤンデレの暴君らしい、有無を言わせぬ絶対的な所有権の主張だった。
普通なら恐怖を感じるほどの重さ。
しかし、今の私には、その重さこそが、不思議なほど心地よく感じられていたのだ。
(……ああ、完全に負け(交渉決裂)ですね、これは。彼のこの、不器用で、重たくて、でも絶対に私を傷つけないという確固たる愛情の前に……私のちっぽけな論理なんて、最初から通用するはずがなかったんです)
私は、ギュッと瞑っていた目をゆっくりと開いた。
目の前には、私を愛おしそうに見つめる、世界で最も力強く、美しい氷の魔王の姿がある。
「……本当に、社長はコンプライアンスの欠片もありませんね」
私は呆れたように、けれど心からの笑みを浮かべて、彼の胸板にそっと両手を添えた。
「こんなに強引な契約(M&A)、本来なら労働基準監督署に駆け込むところです。……でも」
「でも?」
私は少しだけ背伸びをして、彼の耳元に顔を寄せた。
「提示された『福利厚生(愛情)』が、あまりにも魅力的すぎます。……これほど条件の良い会社を辞めるなんて、コンサルタントとしてあり得ない経営判断ですから」
私がそう告げた瞬間。
アレクセイ様の瞳が、驚きに見開かれ、次いで、爆発的な歓喜の光に染まった。
「……ヒカリッ!」
彼が私の腰を強く引き寄せ、今度こそ、逃げ場のない熱い口づけが私の唇を塞いだ。
それは、先ほどまでの優しいキスとは違う、彼の抑え込んでいた独占欲と愛情が全て流れ込んでくるような、深くて、甘くて、少しだけ乱暴な誓いのキスだった。
「んっ……ぁ……」
息が詰まりそうになるほどの熱量。
私の頭の中の原価計算も、株価の変動リスクも、全てが真っ白に溶けていく。
ただ、彼に抱きしめられているこの腕の中だけが、世界で最も安全で、最も甘い絶対領域なのだと、私の本能が完全に理解させられていた。
「……愛している。私のヒカリ。君と結んだこの終身契約は、死が二人を分かつまで、絶対に解除させないからな」
唇を離し、彼が荒い息を吐きながら私の額に自らの額をコツンと合わせた。
私は熱に浮かされた頭で、ふわりと微笑み返す。
「ええ。せいぜい、私が愛想をつかさないように……これからも最高の労働環境(溺愛)を提供し続けてくださいね、私の社長(アレクセイ様)」
こうして、王宮を揺るがした仮面舞踏会での『潜入調査』は、コンサルタントと過保護CEOによる、極甘の『終身雇用契約(婚約)』の締結という、これ以上ない最高のリターン(利益)を生み出して完了した。
扉の外で、キャルルさんとコハクが「いつまで残業してんだよ!」「お腹すいたのですよ!」と騒ぎ出すまでの間。
私たちは密室のVIP室で、たっぷりと支払われる『残業代という名のご褒美』を、心ゆくまで分かち合うのだった。




